第150話 進むべき道
「本当に……ありがとうございました」
深々と頭を下げたのは、法衣をまとった1人の中年女性である。唯一神教ディラム派の尼僧。
魔族によって大量の男手を失ったバルムガルド国内の町村では今、このように女性の聖職者が指導者・代表者的立場に立つ事が多いという。
一方こちら側、魔法の鎧の装着者6名の代表者は誰かと言えば、まあティアンナ・エルベット王女以外には考えられない。
「災難でしたね……あまり大きな事は言えませんが、このような状況を1日も早く終わらせるべく私たちも力を尽くしてまいります」
ティアンナは言った。
ヴァスケリアの王族が、バルムガルド国内で、民衆の治安に関わるような行動を取っている。外交的にいささか問題があるのではないか、とセレナ・ジェンキムは思わなくもない。
ティアンナのみならず6人とも、すでの魔法の鎧の装着は解いている。
まるで下着のような飾り物の甲冑をまとうティアンナの姿は、男女6名の中で特に目立つ事は目立つ。
だが服装だけではない、とセレナは思った。
気品、あるいは風格とでも言うべきであろうか。
単純に美貌だけであれば、シェファ・ランティも負けてはいない。胸など、シェファの方が大きい。
だが魔法の鎧の装着者6人を見渡してみると、どうしてもティアンナ王女と他5名という感じになってしまうのだ。
ブレン・バイアスやラウデン・ゼビルといった歴戦の武人たちが彼女に拝跪するのは、単に王族相手だからというわけではないだろう。
(これは……気の毒だけど、リムレオン様とはちょぉおっと釣り合わないかもね)
ティアンナの従兄である少年を、セレナはちらりと盗み見た。
魔法の鎧を脱いだ身体は、あの白い悪鬼と同一人物とは思えないほど細く頼りない。
リムレオンなりに鍛えてはいるのだが、もともと筋肉の付きにくい体質の少年である。
ダルーハ・ケスナーに乗っ取られていたせいで一層、痩せ衰えたようだ。
たおやかな顔立ちはティアンナに似ていなくもないが、女装でもさせたら、彼女よりも美しくなってしまうのではないか、とセレナは密かに思っている。
ティアンナ王女と並べてみると、男勝りの姫君と頼りない従者、という絵にしかならない。
シェファが密かに、ティアンナへの対抗意識のようなものを燃やしているようだが、
「そんな必要ないから……」
セレナは、ぽん、とシェファの肩を叩いた。
「シェファがね、ちゃんとお尻に敷いてあげなさい。その方がお似合いだから」
「……何言ってんのか、わかんないんだけど」
シェファが、じろりと振り向いた。
「それより……今回、大変だったわねセレナ。リム様が馬鹿やったせいで、って言うか……あたしらが別行動取っちゃったせいかも知れないけど」
「本当にねえ。駄目よ? ほっとくと色々やらかしちゃう若君様を、傍で止めてあげられるのは結局シェファだけなんだから」
リムレオンは、聞こえないふりをしているようだ。
「ま、あれだけどね……うちの姉貴のやらかしに比べたら全然マシなんだけど」
「セレナ……」
「まったく、神様なんて信じてるわけでもないのに……唯一神教に取り込まれちゃって一体、何やってんのかと思えば」
セレナは、町広場を見渡した。
金属屑にまみれた無数の肉塊を、町民たちが黙々と運んで行く。広場から、運び出して行く。町外れのどこかにでも埋めるのだろう。
そんな力仕事をやらされている町民の、半数以上が女性である。
男もいない事はないが、セレナより腕力のなさそうな老人や、まだ筋肉の出来ていない子供が大半だ。
彼女ら彼らによって運び出されて行く、肉と金属の残骸。
聖なる戦士、などと呼ばれていたものたち。
魔獣人間の失敗作に、魔法の鎧の量産品を装着させ、兵隊として使役する。
唯一神教ローエン派が、イリーナ・ジェンキムという人材を得た事によって可能となった暴挙である。
「ローエン派の方々が、まさか……このような事を……」
ディラム派の尼僧が、困惑している。
「アマリア・カストゥールという方は、一体何を……ヴァスケリアでは一体、何が起こっているのでしょうか」
「いずれ私たちは、それを確認しなければなりません」
言いつつティアンナが、リムレオンの方を向いた。
「1日も早くヴァスケリアへ戻らなければ、と焦る気持ちはわかるわリムレオン。だけど」
「……わかっている。バルムガルド王国を、こんな状態のまま放ってはおけない」
自身に言い聞かせるかの如く、リムレオンは言った。
「国王陛下が、そのタジミ村という場所におられるのなら……微力なりと言えども僕たちは馳せ参じ、この国を守る体制を作り上げなければならない。そしてアマリア・カストゥールの侵略に対抗する。そのために、魔法の鎧の力がいくらかでも役に立つ」
「魔法の鎧の力ではない。貴公の力だよ、サン・ローデル侯リムレオン・エルベット殿」
声をかけたのは、翼を背負い尻尾を伸ばした赤色の怪物である。
ガイエル・ケスナー。
かつてバルムガルド軍兵士4000人を殺戮したという赤き魔人が、リムレオンに向かっては友好的な声を発している。
「貴殿はな、ダルーハ・ケスナーの支配を自力で撥ね退けるという離れ業を見せてくれたのだ。己の力というもの、もう少し信用しても良いと思う」
「そうだぜ兄さん。あんたの強さは、俺がよぉく知ってるともよ」
もう1体、怪物がいて、そんな事を言っている。
獅子、山羊、荒鷲。3つの頭部を有する魔獣人間。
元リグロア王太子ゼノス・ブレギアス。世が世であれば、ティアンナ王女の夫となっていた人物だ。
「焦って強くなろうとする必要なんざ、ねえと思うぜ?」
「そうだとも。急がずとも貴公は、もっと強くなれる」
先程まで派手に殴り合っていた2匹の怪物が、揃ってリムレオンを誉めちぎりながら、妙に仲良くしている。
何故か。
ティアンナが、じっと彼らを見つめているからだ。
「そう……それでいいのよ。お2人とも、仲良くなさいね」
「おおよティアンナ姫。俺たちゃ死ぬほど仲良しだぜー、なあ?」
「そうだとも。こんな友は、他にはいない」
言いつつガイエルとゼノスが肩を組み、互いの背中をぽんぽんと叩き合っている。
「俺にとっては唯一無二の友だ。仲良くするとも、なあ?」
「おうよ。俺たちゃ死ぬまで友達だぜぇえ、はっはっは」
和やかに笑いながら、互いの肩や背中を叩き合う2匹の怪物。
その叩く力が、ばしばしと少しずつ強まってゆく。
「死ぬまでか。そうだなあ、どちらかが殺されるまでだ」
「はっはっは、痛えだろうがテメエこら」
和やかな肩の叩き合いが、掴み合いに変わった。
叩く場所が、肩や背中ではなく、顔面と腹になった。
ゼノスの拳がガイエルの顔面を直撃し、ガイエルの膝がゼノスの鳩尾に叩き込まれる。
仲良くなど出来るはずのない怪物2匹を放置して、ティアンナがリムレオンに歩み寄り微笑みかける。
「本当に、焦る事はないのよ? リムレオン。今回の事で、貴方は負い目を感じてしまっているようだけど」
「ティアンナ……」
「しばらく会わない間……本当に、強くなったわね。リムレオン」
掴み合い殴り合っていたゼノスとガイエルの動きが、ピタッ……と止まった。
構わず、ティアンナが言う。
「剣のお稽古で私に叩きのめされていた貴方とは、まるで別人のよう……ふふっ。それでいて、あの頃と全然変わっていないリムレオンもいる」
「僕は……あの頃のままだよ、ティアンナ」
俯き加減に、リムレオンが応える。
ゼノスとガイエルが、掴み合って拳を振り上げたまま硬直している。
「僕は、それが耐えられなくて……強くなりたくて、あんな醜態を晒してしまった」
「ダルーハ卿の支配から逃れられる人などいないわ。だけどリムレオン、貴方はそれを自力で跳ね返して見せてくれた」
ティアンナがリムレオンに身を寄せ、囁くように言う。
「立派だと思うわ。貴方はね、本当に強くなったのよ?」
「そんな事は……」
リムレオンは、はにかんでいる、のであろうか。
ガイエルとゼノスは固まっている。まるで時が止まったかのように。
セレナは恐る恐る、シェファの顔を盗み見た。
無表情だった。リムレオンとティアンナの会話に、何の関心も持っていない、ように見える。
シェファは無表情で、無言で、無関心だった。
「強くなったと言うよりも、貴方の元々の強さが開花したのかしらね。何にしても頼りにしているわよ、リムレオン」
「ティアンナ……」
何か言おうとして言えずにいるリムレオンに、ティアンナはすでに背を向けていた。
そして、こちらに歩み寄って来る。
「セレナさん、魔法の鎧のお手入れを頼めるかしら」
差し出された竜の指輪を、セレナはとりあえず受け取った。
「左膝の動きが若干、重くなってきたように感じられるの。私の気のせいかも知れないけれど」
「見てみます」
「面倒をかけるわね」
「それは別に、構わないんですけど……」
空中に光の窓枠を開きながら、セレナはちらりと視線を動かした。
ガイエルが、リムレオンの肩に腕を回している。刃のヒレを生やした、魔人の腕をだ。
「……貴公が本当に侮れぬ御仁であるという事、よくわかったよ。リムレオン・エルベット侯爵閣下」
「ガイエル・ケスナー……殿……僕は、もう侯爵では」
「細かい事はいい。まあ、仲良くしようではないか」
人の五指の形をした奇怪なる甲殻生物、のような右手が、少年の細い肩をぽんぽんと叩く。
リムレオンがさりげなく逃げようとした方向には、すでにゼノスが回り込んでいた。
引きつり怯える少年の細身に、怪物2匹が左右から密着する。そんな格好になった。
「やるじゃねえか兄さんよぉ。で、あの頃ってのぁ一体どの頃よ?」
猛禽の爪を生やした左手で、リムレオンの細い肩を優しく叩きながら、ゼノスは笑った。
少年の耳元で、獅子の大口がニヤニヤと牙を剥きながら囁く。
「どの頃から、ティアンナ姫とどーゆうコトしてたんかなァーこの兄さんはよおお。詳しく教えてくれよう頼むよう」
「い、いやその……10年ほど前の、幼い頃に……」
「ティアンナ姫と一緒に、剣のお稽古とかしてたんかあ。そーかそーかぁ。で、他にどんなお稽古してやがったんだよう」
ゼノスの尻尾……たくましい尻から生えた毒蛇が、リムレオンの下半身に後方からまとわりつく。
細く引き締まった少年の尻に、毒蛇の頭がぐりぐりと押し付けられる。
「こんなコトかあ? こうゆうお稽古かあ!? ええおい兄さんよォオオ」
「ひ……っ……」
リムレオンが息を呑み、悲鳴を漏らす。
助けたのは、ガイエルだった。
「おいおい貴様、リムレオン殿に対する無礼は許さんぞ?」
「はっはっは、てめえに何か許してもらう必要なんざぁねーっての」
怪物2匹の拳が、それぞれリムレオンの眼前と後頭部付近を超高速で通過した。
ガイエルの拳はゼノスの顔面に、ゼノスの拳はガイエルの顔面に、思いきり叩き込まれる。
殴り合う怪物たちの間でリムレオンは、もはや悲鳴を上げる事も出来ず、へなへなと崩折れた。
その細身を、ガイエルが容赦なく捕え支える。
「いかがなされたサン・ローデル侯……これは良くない、顔面蒼白ではないか。お身体の具合が悪いなら休まれると良い」
「そうだぜえ兄さん、俺が解剖してやっからよォー。あっ間違えた介抱してやっからよおお」
青ざめた美少女のようなリムレオンの顔を、ゼノスが猛禽の爪でつまんで揺さぶる。
少年の震える唇が、か細い悲鳴を紡ぐ。
シェファが、溜め息をつきながら歩み寄って行った。
「……そのくらいで勘弁してあげてくれない? ボコボコにしてやりたい気持ちは本当すっごくよくわかるんだけど……こんなんでも一応、あたしにお給料くれる所のお坊ちゃんだから」
そんな事を言いながらシェファが、リムレオンの胸ぐらを掴み、怪物2匹の間から若君の細身を引きずり出した。
青ざめ固まったまま少女に引きずられてゆくリムレオンを、ガイエルとゼノスが、にやにやと牙を剥きながらギロリと見据えている。
そこへ、マディック・ラザンが声をかける。
「いつまでも馬鹿をやっていないで、これからの行動を考えよう。サン・ローデル侯の言われた通り、まずはタジミ村へ戻って事の次第を国王陛下に御報告する。そこまでは良いとして」
「そうね。王母シーリン・カルナヴァートとも、話を詰めなければなりません」
綺麗な顎に片手を当てながら、ティアンナは思案している。
「アマリア・カストゥールの軍勢に対抗しなければならない。それも無論ですが……気になるのはレボルト・ハイマン将軍の動きです」
「デーモンロードが倒れた今、彼が魔族に与する理由はもはやない。説得して我々と同調してもらう事は可能と思いますが」
「……本気で言っているのか、マディック司祭」
重々しく言葉を発したのは、ラウデン・ゼビル侯爵である。
「だとしたら、おぬしもまたローエン派の能天気な部分に染まっておると言わざるを得ん。このバルムガルドという国でレボルト・ハイマンが一体何をしでかしたのか、考えてみるが良い」
「それは……」
マディックは言い淀み、ラウデン侯はさらに言う。
「魔獣人間の材料として、男たちを徴発する……デーモンロードの支配下で、その体制を作り上げたのはな、あの男なのだぞ」
「この国の民を、女性・子供だけでも守り抜くため……魔族の支配下にあってレボルト将軍は、最善の手を尽くされたのではないですか」
ティアンナが言う。
男手の少なくなった町を見渡しながら黙りこくっていた、1人の男が、ようやく口を開いた。
「そこを1つ……どうか、お考え下さい。女王陛下」
ブレン・バイアスである。
「女子供を守るため、人間ではなくなった男たちに……帰る場所があると、お思いですか」
「…………!」
今度は、ティアンナが言い淀む番であった。
ブレンの口調が、重さを増してゆく。
「人外の異形と成り果てた、夫を、父を、兄弟を、息子を、恋人を、受け入れろと……この国の女子供たちに命令する事が、果たして出来るのでしょうか。お前たちを守るために人間の身を捨てたのだから、感謝と愛情をもって受け入れろなどと、神の如く強制する事が」
この場にいる全員が、息を呑んだ。今度は掴み合い殴り合いではなく指相撲を始めた、ガイエルとゼノス以外の全員が。
その中でブレンが、最も陰鬱な声を発している。
「デーモンロードの生死に関わりなくレボルト・ハイマンは、もはや人外の軍勢を率いた人外の将軍として生きるしかないのですよ」
「あの将軍は……これからも魔族と、歩む道を共にすると……?」
リムレオンが呻いた。
「魔族の支配体制を、守り続けると言うのか……もはや、後には引けないからと」
「魔族の支配体制は、まだ完全に潰えたわけではない。盛り返す事は充分に可能だ」
口調重く、ラウデン侯が告げる。
「帝王デーモンロードが死んだ、とは言え……その血筋は、残ってしまったのだからな」
「先生の……」
息を呑みながら声を発したのは、マディックだ。
「……メイフェム・グリムの、子供を……レボルト将軍が擁立し、魔族の支配を復活させるとでも……?」
「このラウデン・ゼビルが、レボルト将軍の立場であればな。当然それを考えるであろうよ」
「擁立……本当に、嫌な言葉です」
逆賊ダルーハ・ケスナーに擁立された身である女王が、言った。
「させるわけにはいきません。そのためには……」
メイフェム・グリムを、胎内の赤ん坊もろとも葬り去る。
ティアンナは、そこまでは口にしなかった。