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第146話 帝王デーモンロード

「何の事はない……よもや、単なる痴話喧嘩であったとはな」

 6色の魔法の鎧と対峙したまま、デーモンロードは嘲笑った。

「揃わねば何も出来ん者たちが個別行動など取っていたのは、何かしら戦略的な意図があってのものかと思っていたのだが」

「揃わなければ何も出来ない私たちが、揃ってしまいました。どうなさいますか? デーモンロード殿」

 赤く輝く魔石の剣を構え、ティアンナは言った。

「……愚問でしたね。仮にここで貴方が命乞いをなさったところで、私たちはそれを受け入れる事が出来ません」

「同じ言葉を返しておこう、人間の女王よ」

 デーモンロードの両手で、炎の剣が燃え上がった。

 左右2本の、紅蓮の刃。それらが、

「魔法の鎧は全て、中身もろとも潰し滅ぼす! 魔族への対抗手段、この世には残さぬ!」

 振り上げられ、振り下ろされ、激しく一閃しながら形を崩し、剣から鞭へと変化する。

 2匹の紅蓮の大蛇、とも言うべき炎の鞭が、瓦礫を灼き砕きながらティアンナを襲う。リムレオンを、ブレンを襲う。シェファを、マディックを、ラウデン侯を襲う。魔法の鎧の装着者全員を、薙ぎ払い打ち据える。

 左腕の楯を防御の形に掲げたまま、ティアンナは後退りをした。衝撃が全身を襲い、足元で石畳の破片が舞い上がる。

 だが、立っている事は出来た。

 炎の飛沫が、飛散する。紅蓮の鞭は2本とも、砕け散っていた。

 ブレンが、倒れそうになったリムレオンを支えつつ自身もよろめき、だが倒れず立っている。

 ラウデンも、それにシェファも、ティアンナと同じくらいの後退りを強いられながらも、炎の一撃に耐えていた。それぞれ魔法の長弓を、魔石の杖を、構え直している。

「む……」

 デーモンロードが驚愕を隠せず、隻眼を見開いた。

 左腕で円形の楯を構えたままティアンナは、見えざる守りの力が己の全身を包み込んでいるのを感じた。

 こんな小さな楯と細腕で、デーモンロードの一撃を防げるわけはない。

 不可視の力で組成された防護膜が、赤い魔法の鎧の上からティアンナを覆い、守ってくれている。

 ティアンナだけではない。この場にいる魔法の鎧の装着者、全員がそうだ。

 6人とも、魔法の鎧の上から、見えざる力の外套をまとっている。

「俺たちは……揃って、しまったんだ」

 魔法の槍を掲げたまま、マディック・ラザンが言う。

「6つの、魔法の鎧が……全て揃った事によって共鳴し、とてつもない力を発揮している。俺の微弱な守りの力を、信じられないほど強めてくれている。デーモンロード、お前の攻撃はもはや通用しない」

 唯一神の加護、聖なる守りの力。これまでマディックが何度か用いてきたものである。

 いや。今までのものとは、防御効果が桁違いだ。

 デーモンロードの隻眼が、ギラリと燃え上がる。

 凶悪なほど力強いその両手で、炎の剣が復活し、燃え盛った。

「ふん。ならば僧侶・司祭の類は真っ先に殺す……戦いの鉄則を、実行するまでよ!」

 青黒い巨体が、マディックに向かって突進を開始……する寸前で、踏みとどまった。

 炎の剣が左右2本、縦横に閃いて何かを切り払う。

 切り砕かれたものが、キラキラと舞い散った。白い、光の破片。

 ラウデン・ゼビル侯爵が、光の矢を撃ち込んでいた。

「統帥たる身でありながら、このような場所にまで出向いて来た! 貴様の負けだ!」

 魔法の長弓が引き伸ばされ、白い光の矢が生じ、つがえられる。

 ラウデンが弦を手放すと同時に、光の矢は分裂した。宙を裂いてデーモンロードへと向かいながら、1本が3本に、7本に……最終的には20本以上に達した光の矢が、雨となってデーモンロードに降り注ぐ。

 青黒い悪魔の巨体を、いくつもの炎の弧が取り巻いて燃えた。

 紅蓮の刃が左右2本、様々な方向へと振り下ろされ、振り上げられ、光の矢の雨を粉砕してゆく。

 燃え盛る斬撃の弧が、光の破片をキラキラと蹴散らしながら宙を走る。

 青黒く筋骨たくましい異形の裸体が、燃え盛る防御の剣舞を披露している。

 雄々しくも流麗ですらある、その動きに、ティアンナは思わず見入った。

 光の矢を切り砕きつつデーモンロードは、それ以外の攻撃にも備えている。そこへ迂闊に攻撃を仕掛ければ、光の矢もろとも叩き斬られるだけだ。

 剣の技量は、恐らくゼノス・ブレギアスとほぼ互角。

 赤く輝く魔石の剣を構えながらもティアンナは、防御の剣舞に隙を見出す事が出来ずにいた。

 隙を見出す事に成功したのは、魔法の鎧を着た6名のうち、恐らくは白兵戦の経験が最も豊富な男である。

「もらう……!」

 ブレン・バイアスであった。

 たくましい甲冑姿が、黄銅色に輝きながら、いくらか姿勢低く突進して行く。

 低く構えられた魔法の戦斧が、バチッ! と電光を帯びる。

 そして、雷鳴が轟いた。

 帯電する斬撃が、斜め下方からデーモンロードの胴体を襲っていた。

「うぬっ、貴様……!」

 雷鳴を発する魔法の戦斧が、青黒い巨体の左脇腹に食い込んでいる。

 電撃が、悪魔の体内へと激しく流れ込む。

 血と肉と脂の灼ける凄まじい臭いが、噴出し漂う。

 その異臭を断ち切るように、炎の剣が一閃していた。

 ブレンは、戦斧を手放して回避をしなければならなかった。

 魔法の戦斧は、バリバリと電光を発しながら、デーモンロードの左脇腹に食い込んだままだ。強固な筋肉に、ガッチリと咥え込まれている。

 人間ならば、即死はせずとも戦闘不能は免れない深手であるが。

「さすがに、魔族の帝王を仕留める事はかないませんか……それならばっ」

 ティアンナは踏み込んだ。

 身体が軽い、と感じた。

 身軽さと敏捷さには、そこそこ自信がある。それにしても、まるで疾風のような会心の踏み込みであった。

 6体揃った魔法の鎧が、ティアンナのみならず6名全員の身体能力を、とてつもなく向上させてくれている。

 踏み込みと同時に、剣を振るう。理想的な斬撃を、繰り出す事が出来た。赤く輝く魔石の剣が、デーモンロードに向かって斜めに一閃する。

 衝撃と共に、火の粉が大量に散った。

 会心の斬撃は、しかし炎の剣によって弾き返されていた。

 思わず手放してしまいそうになった魔石の剣を、しっかりと握り直しながら、ティアンナは後方へと跳んだ。

 炎の十字架が、眼前に生じた。

 デーモンロードの、紅蓮の双剣。右の剣がまっすぐに振り下ろされ、左の剣が横薙ぎに一閃していた。

 左脇腹に戦斧を食い込ませたままデーモンロードは、痛手を全く感じさせぬ勢いでティアンナに迫る。

 その時。真紅の光がドギュルルルルルルルッ! と轟音を立てて宙を裂いた。

「あの時、あたしが……これを、あんたに直撃させ損ねたせいで……」

 シェファ・ランティが、魔石の杖を構えていた。

 構えられた杖の先端で、大型の魔石が激しく輝き、真紅の光の束を迸らせている。

「デーモンロード……あんたを、仕留め損ねたせいで!」

 シェファの、恐らく全ての魔力が、極太の光と化して放たれ、宙を裂き、デーモンロードを直撃した。

「この国の人たちが苦しんで! あたしたち、これからずっと後ろ暗い思いしてかなきゃなんないのよッッ!」

 筋骨隆々たる悪魔の胴体が、真紅の魔力光に穿たれてゆく。

 青黒い巨体の、あちこちで皮膚が破裂し、筋肉が爆ぜ、そこから爆炎が噴出する。

 左脇腹に食い込んでいた魔法の戦斧が、体内からの爆発に押し出され、吹っ飛んだ。

「ぐっ……ふ……ふふふふ……」

 悲鳴を噛み殺すように牙を剥きながら、デーモンロードはしかし笑っている。

 その身体を灼き穿つ真紅の魔力光が、しかし少しずつ、細くなってゆく。勢いを、失いつつある。

「この程度では……まだ……仕留められてやる、わけにはいかんなぁあああ……」

「なっ……何? まさか……」

 シェファが息を飲む。その手に握られた魔石の杖が、輝きを失ってゆく。

 極太の光の束が、完全に消滅した。

「吸収……」

 魔力を使い果たしたシェファが、がくりと両膝を折る。

 デーモンロードの焼けただれた全身あちこちで、小規模な爆発が続いていた。皮膚と筋肉が爆ぜ砕け、飛び散った鮮血が爆炎で蒸発する。

 その両手ではしかし、炎の剣が巨大に燃え盛り、轟音を発していた。

 シェファの攻撃がデーモンロードに、とてつもない痛手を与えたのは間違いない。

 だが同時に、力をも与えてしまったようだ。

 破壊をもたらす極太の魔力光が、悪魔の巨体に残らず吸収され、炎に変換され、凶悪なほど力強い左右の手から噴出し、燃え猛っている。

 変換しきれなかった魔力を、身体のあちこちで爆発させながら、デーモンロードは吼えた。

「我が子に、捧げよう……魔族の勝利を、魔族の治世を! 魔族の栄光を!」

 爆散寸前の巨体が、激しく禍々しく躍動した。

 巨大化した炎の剣が、形を崩しながら獰猛にうねり、荒れ狂う。

 燃え盛る炎の大蛇が2匹、暴れ猛りながら石畳を灼き砕き、城壁を粉砕し、そして魔法の鎧をまとう者たちを薙ぎ払った。

 ブレン兵長が、ラウデン侯爵が、マディック司祭が、無数の瓦礫もろとも吹っ飛んだ。

 膝をついたまま立ち上がれぬシェファにも、炎の大蛇は容赦なく迫る。

 迫り来る紅蓮の猛撃を見据え、楯を構えながら、ティアンナはシェファの眼前に立った。

 こんな事をしても、2人まとめて吹っ飛ばされるのが関の山であろう。

 そう思った瞬間。

 白い疾風が、吹いた。ティアンナの眼前に、割り込んで来た。

 純白の光が、一閃する。

 炎の大蛇が叩き斬られ、両断され、燃え散って火の粉と化し、消えた。

「デーモンロード……お前が魔族のために戦うのなら」

 シェファとティアンナ。2人の少女を背後に庇い、リムレオン・エルベットは立っていた。白色に輝く魔法の剣を、構えながらだ。

「僕は、人間のために……いや、そんな事を言っても意味はないな」

 白い面頬の内側で、リムレオンはいくらか苦笑したようである。

「とにかく、お前とは決着をつける。片目だけで済ませるつもりはない」

「小僧が……それは、こちらの台詞よ! もはや片目の借りだけでは済まさぬ!」

 リムレオンが負わせた、左半面の傷。左目をも断ち切って走る傷跡からも爆炎を迸らせながら、デーモンロードは動いた。シェファの魔力によって、もはや内部の半分以上を灼かれているであろう巨体が、しかし炎の剣を振りかざし、勢い衰えず突進して来る。

 その突進が、雷鳴と共に止まった。

 いつの間にか戦斧を拾い上げていたブレン・バイアスが、横合いから斬りかかったところである。

 電光をまとう魔法の戦斧を、しかしデーモンロードは、右側の炎の剣で受け止めている。

 左側の炎の剣は、ラウデンの斬撃を受け止めていた。

 魔法の長弓の端から伸びた刃が、白く激しく発光しながら、炎の剣とぶつかり合い噛み合っている。

 屈強の武人2名が、左右からデーモンロードの動きを封ずる格好であった。

「女王陛下!」

「若君……今でございますぞ!」

 ラウデンに促されて、ティアンナが。ブレンに促されて、リムレオンが。それぞれ、武器を構えた。

 魔石の剣が、真紅の輝きを強めてゆく。魔法の剣が、純白の光を激しくする。

 ティアンナはほんの一瞬、リムレオンの方を見た。

 白い面頬が、ちらりとこちらを向く。

 頷くような眼差しを、ティアンナは確かに見て取った。

(リムレオン、まさか貴方と共に戦う日が……ふふっ、来るなんて)

 そんな思いが、リムレオンに伝わってしまったのかどうかは、わからない。

 とにかく、ティアンナの方から踏み込んで行った。

 真紅の全身甲冑をまとう少女の細身が、踏み込みながら軽やかに翻る。

 赤く輝く魔石の剣が、斜めに一閃した。左上から、右下へと。

 即座にティアンナは横に跳び、リムレオンのために道を空けた。

 その道を、純白の甲冑姿が疾風の如く駆ける。

 疾駆、踏み込み。それに合わせて、白く輝く魔法の剣が振り下ろされる。右上から、左下へと。

 2色の斬撃が、デーモンロードの巨体を駆け抜けながら交差した。

 赤と白。2つの光が、デーモンロードの体内で、混ざり合いながら膨張してゆく。

「! ……ま、魔族の……行く末を……我が子の、未来を……」

 膨張する紅白の光に、斬り広げられ、灼かれながら、デーモンロードは叫んでいた。

「……貴公に……託さねば、ならんのか……竜の御子よ……ッッ! うおおおおおおおおおおおっ!」

 紅白の光は、そのまま爆発に変わった。

 爆炎が、まるで生きた怪物の如く、戦場全域に広がりながら暴れ狂う。

 それは何匹もの、爆炎の大蛇であった。

 デーモンロードの、最期の意志を宿した大蛇たち。

 燃え盛り、うねり猛るそれらが、まずブレンとラウデンを薙ぎ払った。

 リムレオンを、ティアンナを、まとめて吹っ飛ばした。

 シェファを直撃し、マディックを打ち据えた。

 6色の光が、キラキラと舞い散る。

 マディックによる不可視の防護幕もろとも、魔法の鎧は6つとも砕け散っていた。

「くっ……う……」

 割れた石畳の上で、ティアンナは弱々しく身を起こした。

 その身を包むのは、下着のような甲冑である。

 粉砕された魔法の鎧が、赤い光の粒子に戻りながら、右手中指の竜の指輪へと吸い込まれてゆく。

 この指輪の中で、魔法の鎧は、ほぼ丸一日をかけて修復されるらしい。

 すぐ近くに、痩せ衰えた、としか表現し得ぬ姿の少年が倒れている。

「リムレオン……」

 声をかけてみる。

 リムレオンの細身が、微かに動いた。生きてはいる。

 他4名も、同じような有り様であった。辛うじて生きている、という状態のまま、あちこちに横たわっている。

 全員、生身であった。光の粒子が、各々の指輪に吸収されてゆく。

 丸一日。明日の今頃になるまで、魔法の鎧は使えないという事だ。

 魔物たちに警固されているメイフェム・グリムを、生身で追う事は出来ない。

 爆炎の大蛇たちは、消え失せている。

 デーモンロードは、屍すら残っていない。

 爆発に灼かれ、消え失せながらも、あの魔族の帝王は守り抜いたのだ。己の、守るべきものを。

「同じ事が……貴女に出来るの? ティアンナ・エルベット……」

 廃墟の空を仰ぎ見ながらティアンナは、己自身に問い掛けていた。

「何もかもを捨てて……ヴァスケリアの民を、守り抜く事が……」

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