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第142話 戦鬼3体、廃墟に吼える

 ダルーハ・ケスナー。

 ガイエルの口から、その名が出た瞬間、世界から一切の音が消え失せた。

 割れた石畳の上に倒れ伏し、立ち上がれぬまま、ティアンナはそう感じた。

 廃墟そして戦場と化したラナンディア王宮の一角が、沈黙と静寂に支配される。

 それを最初に破ったのは、マディック・ラザンであった。

「だ……ダルーハ・ケスナー……だと? 馬鹿な……一体何を言ってるんだ、ガイエル殿は」

「ダルーハ・ケスナー……」

 続いてその名を口にしつつブレン・バイアスが、よろよろと身を起こす。

「俺は、貴公に憧れていた……ダルーハ卿は赤き竜を滅ぼし、この地上に生きる者へ大いなる恩恵をもたらしてくれた。だが災厄をもたらしてもくれた。何にせよ、過去の事だ」

 黄銅色の力強い甲冑姿が、よろめきつつも魔法の戦斧を構える。

「ダルーハ卿、貴殿はすでに過去の存在なのだ。この地上に生きる者への干渉は、控えていただく。さしあたっては、我が主君リムレオン・エルベットを返していただこう」

「ダルーハ・ケスナー……だと」

 同じく立ち上がりながら、ラウデン・ゼビル侯爵が呻き、叫ぶ。

「逆賊が、死に損なっておるとでも言うのか……ヴァスケリアはな、ようやく貴様から解放されたのだぞ! エル・ザナード1世陛下の御治世にあって今ようやく復興の道を歩みつつあるのだ! 貴様の存在など、もはや許されはせん! 地獄へ戻れ逆賊」

 勇壮な黒い甲冑姿が、叫びと共に吹っ飛んだ。

 横合いからの一撃に、打ち据えられていた。大蛇の如くうねる、紅蓮の一撃。

 炎の、鞭だった。

「許せぬとあらば、どうする……どのようにして、そやつを地獄へ叩き返すつもりだ」

 瓦礫に激突するラウデン侯に、そんな言葉を投げつけながら、巨大なものが身を起こしていた。

「貴様らに出来る事ではない……引っ込んでおれ、人間ども」

 青黒い巨体はガイエル・ケスナーの爆炎を浴び、あちこちが焼けただれている。が、禍々しさ猛々しさは無傷の時よりも増しているようだ。

 デーモンロード。

 ガイエルの爆炎を受けてなお、力強く原形をとどめている怪物。

 ティアンナにとっては、ダルーハ・ケスナー以来である。

「我が主、赤き竜の仇を討つ……形としては、そのようになってしまうな」

 再会を果たしてしまった父子に、デーモンロードが歩み寄る。

 凶悪なほど力強いその手で、炎の鞭がまっすぐに燃え固まり、紅蓮の剣と化した。

「同時に、赤き竜の血脈を絶つ……死に損ないの父親と半端者の息子! まとめて叩き潰してくれるわ!」

「まとめて……叩き潰す? ダルーハ卿と……ガイエル様を……?」

 細い上体を弱々しく起こしながら、ティアンナは呆然と呟いた。

「デーモンロード殿……貴方は、御自分が何を言っておられるのか……」

 雄叫びが、少女の呟きを掻き消した。

 炎の剣を2本、左右それぞれの手で燃え上がらせながら、デーモンロードが猛然と突進して行く。

 右の剣が、リムレオン……ダルーハを、左の剣がガイエルを、それぞれ襲った。

 魔法の剣が、白く燃え盛りながら一閃する。

 刃のヒレが、赤く熱く輝きながら一閃する。

 大量の火の粉が、飛び散った。

 ダルーハが、闘気をまとう魔法の剣で。ガイエルが、右前腕の赤熱する刃状のヒレで。それぞれ炎の剣を受け止めていた。

 受け止めたまま両者とも、踏み締めた石畳をガリガリと削りつつ後退している。

 デーモンロードに、押し込まれている。ケスナー家の父子がだ。

(これが……魔族の帝王……)

 息を呑みつつティアンナは、ようやく立ち上がった。

 立ち上がったところでしかし、出来る事など何もない。真紅の魔法の鎧は無傷だが、中身の肉体は、あちこちで激痛が熱を持ち疼いている。楯も剣も、どこかへ吹っ飛んでしまった。

 闘気をまとう魔法の剣による、斬撃。もう1度でも食らえば、無傷の鎧の中でティアンナは死ぬ。全身の骨が砕け、臓物が破裂する。

(こんな、ふうに……貴方は戦っていたのね、リムレオン……)

「赤き竜の……使い走りの、分際で……」

 悪鬼の頭蓋骨を思わせる、白い面頬の内側で、リムレオンは歯を食いしばりつつニヤリと笑ったようだ。

「ずいぶんと腕を上げたようではないか、ええ?」

「私とて、それなりに死線をくぐり抜けてきたのでな。貴様の息子や、そこにおる鎧を着た連中のおかげよ」

 炎の剣が、轟音を立てて燃え盛り、巨大化し、ケスナー家の父子をさらに圧迫する。

「貴様の一族、赤き竜の血脈、魔法の鎧……全て、まとめてこの場で滅ぼしてくれるぞ」

「……ふざけるな。それは、こちらの台詞よ」

 ガイエルが牙を噛み締め、呻く。

 石畳を踏み砕いていた片足が、跳ね上がった。

 デーモンロードの巨体が、前屈みにへし折れた。

 その腹部に、凶器そのものの爪で武装した蹴りが、めり込んでいる。

「ぐ……ッ……!」

 苦しげによろめきながらもデーモンロードは、炎の剣を防御の形に構え、ガイエルの次なる攻撃に備えた。

 次なる攻撃は、しかしデーモンロードには向けられなかった。

「この場でまとめて滅ぼされるのはなぁ……貴様らの方だ!」

 ガイエルの拳が、左右立て続けに、リムレオンの顔面を直撃する。

 白い悪鬼の頭部、とも呼ぶべき異形の兜と面頬が、火花を散らして揺らぐ。

 その中にはリムレオン・エルベットの、たおやかな顔面があると言うのにだ。

 リムレオンが、ガイエル・ケスナーに殴られている。

 ティアンナは、悲鳴を上げてしまいそうになっていた。

「貴様が死に損なっている限り、何度でも殺す!」

 ガイエルの右前腕で、刃のヒレが赤く熱く発光する。

 赤熱する斬撃が、白い悪鬼に向かって横薙ぎに一閃し、止まった。

 白く揺らめく闘気をまとう魔法の剣が、刃のヒレをがっちりと受け止めている。

「ふ……そいつを喰らっては、たまらんなぁ」

 ダルーハが、リムレオンの声で不敵に笑う。

 白く揺らめいていた闘気が膨張し、燃え上がり、魔法の剣から溢れ出してガイエルを襲った。

「うぬっ……!」

 赤き魔人の身体が、白く燃え盛る闘気の奔流に吹っ飛ばされ、石畳に激突しつつ、ごろりと起き上がる。

 そこへ斬り掛かろうとするダルーハを、横合いからデーモンロードが襲った。

「ダルーハ・ケスナー! リムレオン・エルベット! 貴様らを2人まとめて葬り去る好機! まさに千載一遇よ!」

 炎の剣が、リムレオンを打ち据える。

 血飛沫のような火花と火の粉が、大量に飛散した。

 魔法の鎧が正常な状態であれば、中身の肉体もろとも灼き斬られていたところであろう。

 白い悪鬼と呼べる状態の、異形化した全身甲冑が、無傷のままよろよろと揺らぎ、だが倒れず踏みとどまる。

 デーモンロードがさらなる一撃を喰らわせる、事は出来なかった。

「俺は貴様ら2匹まとめて、葬ってなどやらんぞ。墓に埋める屍など残さん!」

 ガイエルが猛然と踏み込み、赤熱する刃状のヒレを叩き付けてゆく。

 その斬撃が、炎の剣とぶつかり合う。

 攻撃したガイエルと、防御を行ったデーモンロード。双方が衝撃に弾かれ、よろめいた。

 そこへ、燃え上がる闘気の奔流が襲いかかる。

「それで良い、もっと振るえ蟷螂の斧を!」

 リムレオンが、ダルーハの叫びを迸らせながら魔法の剣を担ぎ、振り下ろしていた。

 その刃から、闘気の嵐が溢れ出し、ガイエルとデーモンロードを一まとめに襲う。

 先程、ティアンナを含む魔法の鎧の装着者たちを吹っ飛ばした、白色の斬撃波動。それを、

「しゃらくさいわ死に損ないが!」

 デーモンロードが、炎の剣の一閃で打ち砕いた。

 粉砕された闘気の余波が、大量の瓦礫を舞い上げながら消えてゆく。

 舞い上がった瓦礫を蹴散らしてデーモンロードが、ガイエルが、ダルーハが、踏み込んで行った。

 そして、ぶつかり合った。

 誰が誰を攻撃したのか、ティアンナはもはや、わからなかった。

 ガイエルの赤熱する前腕が、闘気まとう魔法の剣を受け流す。

 燃え盛るように発光する刃のヒレを、炎の剣が弾き返す。

 紅蓮の斬撃が、白い悪鬼にかわされて空を切る。

 赤く白く青黒い3つの異形の間で、攻撃と防御と回避が目まぐるしく繰り返された。

 3者のうち2者が、ほんの少しでも結託・共闘すれば、残る1者はたちどころに敗死するであろう。

 ガイエルも、ダルーハもデーモンロードも、しかし共闘のそぶりすら見せず、自身の力のみで他2名を討ち倒さんとしている。

 そのせいで、奇跡的とも言える均衡が保たれているのだ。

 この均衡が、しかし僅かにでも綻びた時。真っ先に死ぬのは誰か。

「リムレオン……」

 ティアンナは、考える事もなく名を呟いていた。

 至極単純な事実に、自分は今まで気付かなかった。気付かぬふりをしていた、のかも知れない。

 ガイエル・ケスナーに、リムレオンを助ける理由などないのだ。

 目の前で今、恐ろしい事が起こっている。それをティアンナは、強く認識せざるを得なかった。

 ガイエルとリムレオンが、戦っている。

 弱いくせに無茶をするリムレオンが、ガイエルと戦っているのだ。

 ティアンナに引きずられてメルクトの野山を駆け回り、死にそうに息を切らせていたリムレオンが。

 水遊び中のティアンナを、溺れていると勘違いし、助けるために川へ飛び込んで溺死しかけていたリムレオンが。

 事もあろうに、ガイエル・ケスナーと戦っているのである。

 ダルーハの力など、あろうがなかろうが同じ事だ。

 リムレオンがガイエルに勝てる、わけがなかった。

「やめてリムレオン……やめて、ガイエル様……」

 赤く武装したティアンナの細身が、三つ巴の激戦へと、弱々しく歩み寄って行く。

「お願い……リムレオンを殺さないで、ガイエル様……!」

「いけません、女王陛下」

 緑色・黄銅色の甲冑姿が、ティアンナの眼前に立ち塞がった。

 マディック・ラザンとブレン・バイアス。

 まずはマディックが、どうやら拾って来てくれたらしい魔石の剣と円形の楯を、恭しく差し出してくる。

「まずは、こちらを……」

「……ありがとう、マディック司祭」

「危険です、あの戦いの中に入って行くなど」

 マディックが、続いてブレンが言った。

「女王陛下のお声ならば、あるいは若君……リムレオン・エルベットは、自我を取り戻すやも知れませぬ。ですが陛下、あの戦いの中でダルーハ卿の支配を失えば」

「リムレオンは……死ぬ……?」

 楯を左前腕に取り付けながら、ティアンナは呆然と呟いた。

 この三つ巴の中で突然、勇猛なる白い悪鬼が、非力なリムレオン・エルベットに戻ってしまったら。

 ガイエルもデーモンロードも当然、手加減などしてくれるわけがない。

「私たちに……出来る事は何もない、と……?」

「……今少しでございます、女王陛下」

 ラウデン・ゼビルの声だった。

 力強い黒騎士の身体が、シェファ・ランティに支えられ、よろよろと立ち上がっている。

「この均衡、長くは続きませぬ……陛下も思っておられましょう。取り憑いているのがダルーハであれ何者であれ、白い悪鬼の中身はリムレオン・エルベットの脆弱なる肉体。赤き魔人とデーモンロードに、勝てるわけがございません」

「……だったら、どうだってのよ!」

 シェファが、肩を貸していたラウデン侯の身体を、乱暴に放り捨てた。

「リム様があのバケモノ2匹にぶっ殺されるの、黙って見てろっての!? べっ、別にあたしはそれでもいいけど、でも!」

「……リムレオン・エルベットがお前たちの助力を必要とする、局面が必ず来る。その時を待てと言っておるのだ」

 弱々しくも自力で立ち上がりつつ、ラウデンが言った。

 ティアンナが、シェファの代わりに、黒騎士を支えてやった。

「ラウデン侯、貴方は……リムレオンを助ける事に、力を貸して下さるのですか?」

「我らの力では、あの怪物どもには歯が立たぬ……それを、思い知らされたばかりでございますからな」

 無念そうに、ラウデンは呻いた。

「こうなれば、陛下の従兄殿に自我を取り戻していただく……それが、この事態を打開する事に繋がると思えてならぬのです。少なくとも、我らが何も出来ぬこの状況に、何らかの変化は起こりましょう」

「戦場を知る武将の勘、というわけだな」

 相槌を打つように、ブレンが言う。

 ティアンナは、異形の者3名による激戦に向かって、面頬の下で目を凝らした。

 ラウデン侯の言う通り、均衡は崩れつつあった。

「うぬっ……」

 デーモンロードが、後退りをしている。

 その両手で炎の剣が砕け散り、火の粉と化した。

 ガイエルの蹴り。ブーツ状の甲殻に包まれた魔人の足が、巨大な爪を赤熱させながら跳ね上がって一閃し、デーモンロードの双剣による防御を粉砕したのだ。

 蹴り終えたばかりの体勢不安定なガイエルに、白い悪鬼が斬り掛かって行く。

 魔法の剣が、白い闘気を燃やしながら、赤き魔人を襲う。白い暴風、とも言える斬撃。

 それをガイエルは、振り向きもせず迎え撃っていた。

 赤い大蛇、のようなものが鞭の速度でうねり宙を裂き、リムレオンを打ち据える。

 ガイエルの、尻尾であった。

 魔法の剣を辛うじて手放さぬまま、白い悪鬼は吹っ飛んでいた。

 怪物の頭蓋骨にも似た面頬から、微量の血飛沫が舞い散った。

「リム様……!」

「リムレオン!」

 シェファとティアンナが、同時に叫ぶ。

 いくらか2人に近い所へ倒れ込んだ白い悪鬼に向かって、ガイエルが猛然と踏み込んで来る。

 何らかの考えが頭に浮かぶ、その前にティアンナの身体は動いていた。恐らく、シェファも同じだろう。

 赤と青、2色の全身甲冑をまとう2人の少女が、白い悪鬼の前に立った。

 少女2人でリムレオンを背後に庇い、赤き魔人と対峙する。そんな形になった。

 ガイエルの踏み込みが急停止し、赤熱する爪が伸びた足元で石畳が削れ、粉塵が舞う。

 凶猛な闘志を燃やす魔人の両眼が、少女たちに向けられたまま驚愕に見開かれる。

 そんなガイエルを、背後からデーモンロードが襲った。

 凶悪なほど力強い両手が、燃え上がる。その炎が剣の形を成しつつ、赤き魔人の首筋に向かって一閃する。

 突然、白い風が吹いた。

 ティアンナは、そんなふうにしか感じられなかった。

 自分とシェファの間を超高速で駆け抜けたものが、ガイエルを押しのけてデーモンロードにぶつかって行く。

 それをティアンナは、呆然と見つめるしかなかった。

「貴様……!」

 ガイエルの首筋を狙っていた炎の剣が、魔法の剣を受け止めている。

 白い悪鬼が、デーモンロードの青黒い巨体を斬撃で押す。

 炎の剣による防御を、闘気まとう魔法の剣で押し込みながら、ダルーハは声を発した。

「……会いたかったぞ、デーモンロード……!」

 相変わらずダルーハが、リムレオンの声で喋っている……いや、違う。

「全ては、お前を倒すため……お前に、とどめを刺す……そのためだけに、僕はこの国に来て……今、ここにいる……ッ!」

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