第137話 魔将軍の選択
囲まれていた。
デーモン少数、トロル多数、オークが大多数。
魔物の軍勢が、いつの間にか周囲に集結・布陣している。
「邪魔はさせぬぞ」
デーモンロードの隻眼が、ブレン・バイアス、シェファ・ランティ、マディック・ラザン……魔法の鎧の装着者3名を、睨み回す。
「無論、貴様たちとて生かしてはおかぬ。私が竜の御子と決着をつけている間……我が軍勢を相手に生き延びておれば、その時に私が相手をしてやろう」
「貴様はそれまで、俺を相手に生き延びられるつもりでいると、そういうわけか」
ガイエル・ケスナーが、にやりと凶猛に微笑んだ。
「そう自信満々に来られては、俺も……出来る限り、残虐にゆかざるを得んなあ」
「貴様の残虐など、赤き竜やダルーハ・ケスナーの千分の一にも満たぬ。所詮は人間の側から抜け出せぬ半端者の若造が、思い上がるでないわ」
以前のデーモンロードであれば、ガイエル・ケスナーのみならず魔法の鎧の3名をも相手に、単身で戦おうとしていたところである。
こうして軍勢を引き連れて来ているだけ、いくらかは学習しているという事であろうか。
「だが……肝心な事は何一つ、学んでおらぬ……!」
レボルト・ハイマンは歯を噛み合わせ、呻いた。
総大将が自ら前線に立ち、その身を危険に晒して戦う。1つの在り方と、言えない事もない。
だが組織が大きくなれば、後方からの命令者が、どうしても必要になってくるのだ。
前国王ジオノス2世のように、安全な場所で全体の統括のみに心を砕く。必要とあらば、敵勢力と同盟を結ぶ判断を下す。そういう立場の者が、いなければならない。
その辺りにデーモンロードが今少し理解を示してくれれば、魔族はもっと強固な組織となる。
(……もはや魔族側の物の考え方しか出来なくなっているのか、私は……)
レボルトがそんな思いに打ちひしがれている間、デーモンロードとガイエル・ケスナーの対峙は続く。
「我ら魔族にも、それは様々な者がおる。赤き竜の死後、急激に増え始めたのはな……人間どもを相手に和平を、などとほざく痴れ者どもよ」
言葉に合わせ、デーモンロードの両手に炎が生じ、揺らめく。
すでに、対峙だけでは済まなくなりつつあった。
「まあ、ほざくだけならば構わん。だが行動は許さぬ……その愚かなる行動を竜の御子よ、貴公を担ぎ上げて実行せんとしている輩がおる」
「皆殺しにでも、するか?」
ガイエルが、左手を掲げた。
デーモンロードが牙を剥き、笑う。
「そのような者どもが出て来るのはな、私が魔族を統率しきれておらぬからよ。何しろ前帝王の血統を、この世に残してしまっている……故に、それを拠り所として私に逆らう者が現れる」
炎が、大蛇の如くうねった。
「ここで絶つ……赤き竜の血脈を!」
デーモンロードが右腕を振るう。
凶悪なほど力強い手に握られていた炎が、紅蓮の鞭となって激しく伸びる。
そしてガイエルを直撃した。
燃え盛る炎の中、ガイエルが掲げていた左手を己の眼前に下ろし、指と指の間で両眼を輝かせる。
周囲の炎をも圧倒する、真紅の眼光。
「悪竜……転身ッ!」
言葉と共に翼が広がり、羽ばたき、炎を消し飛ばす。
バルムガルド軍4000人を虐殺した赤き魔人の姿が、そこにあった。
この怪物に、王都への侵攻を許してしまった。レボルトは一瞬、そんな気分になった。
「赤き竜の血族、そしてダルーハ・ケスナーの一族……全てを、ここで滅ぼす」
消し飛んだ炎を、再び右手で燃え上がらせ、剣の形に固めながら、デーモンロードは言った。
「私を倒せば全てが丸く収まる、と言ったな? 同じ言葉を返しておこう。貴様たち父子を、肉体のみならず魂まで消滅させる……それが出来てこそ、魔族の帝王よ」
「父子……だと?」
デーモンロードの言葉を、ガイエルは聞き咎めたようである。
「貴様は一体、何を言っている……」
「さあな! 私を排除して先へ進み、己の目で確かめるが良かろう!」
デーモンロードの方から、踏み込んで行った。
青黒い巨体が、炎の剣を左右2本、猛然と振りかざしながら突進する。両の前腕で刃のヒレを赤熱させる、赤き魔人へと向かってだ。
魔族の軍勢も、同時に動いていた。
部隊長級のデーモンたちに率いられたトロルとオークの混成兵団が、ガイエル・ケスナー以外の者たちに襲いかかる。
「……どうなさるのですか、レボルト・ハイマン将軍」
真っ先に応戦したのは、魔法の鎧を持たぬ少女だった。
エル・ザナード1世女王……ティアンナ・エルベット。
下着のような鎧をまとう、無防備なほど軽装の細身が、魔石の剣を構え躍動する。
「この王国のため、飽くまでデーモンロードの腹心としての立場を貫くのか。それとも私たちと共に魔族と戦い、人間の側に踏みとどまるのか……これが最後の、選択の機会となるでしょうね」
根元に魔石をはめ込まれた細い刀身が、少女の言葉に合わせて雷鳴を発し、輝いた。電光。
放電を起こす刃が一閃し、空中に斬撃と電撃の弧を残す。
槍、長剣、鎚矛といった武器を荒々しく振り立てていたオークたちが、その弧に薙ぎ払われて感電し、滑稽な踊りを披露しながら、臓物を噴出させた。
胴体を叩き斬られていた。
溢れ出した臓器類が電熱に灼かれ、生々しい悪臭を漂わせる。
攻撃魔法兵士としての能力と組み合わせた剣技。鮮やかなものではあるが通用するのはせいぜいオークまでであろう、とレボルトは思った。
トロルが1体、怒りの咆哮を張り上げて戦斧を振りかぶり、ティアンナに襲いかかる。
「女王陛下、お下がりを!」
ブレン・バイアスが、横合いから突っ込んで行った。
戦斧を振り下ろそうとしていたトロルの巨体が、物の如くブゥンッ! と振り回される。その首に、ブレンの太い腕が巻き付いている。
頸部をガッシリと拘束されたまま、トロルは地面に叩き付けられた。鈍い、凄惨な音が響いた。
再生能力を発揮する暇もなくトロルは、一撃で首の骨を折られ、絶命していた。
その巨大な屍を踏み付けてブレンは立ち、ティアンナを背後に庇う。
「お見事なる剣技……なれど無謀ですぞ。国王たる御方は、安全な場所にて我ら兵卒を駒の如く扱うお立場に徹されるべきです」
「……安全な場所などあるのですか、この状況下に」
魔物たちが凶暴に群れる光景を見回し、ティアンナが言う。
答えたのはシェファ・ランティだった。
「安全な場所は、あたしたちが確保してあげる。女王様はそこで、働かず偉そうにふんぞり返ってればいいのよ」
「貴女に万一の事があれば、俺たちはガイエル・ケスナーに殺されて跡形もなくなる。大人しくしていて、いただきたいな」
マディック・ラザンが、ブレン、シェファと共にティアンナを背後に庇いながら、右拳を握る。
その中指で、竜の指輪が輝いた。
3名で女王を護衛する陣形。そこへ魔族の軍勢が、凶暴に襲いかかって行く。
「我ら、若君のもとへ行かねばならぬ」
押し寄せる魔物たちに向かって、ブレンが思いきり拳を突き出した。岩のような拳。
その中指でも、竜の指輪が光を発する。
「道を空けてもらうぞ……武装! 転身!」
その光が前方に放たれ、巨大な円を成した。光で描かれた、円形の紋様。
そこへ何匹ものトロルやオークが激突し、後方に吹っ飛んで行く。
魔物たちの突進を弾き返しながら、その光の円紋は、ブレンに向かって電光を迸らせた。
拳を突き出した戦士の巨体が、雷鳴と共に光をまとう。
電光が、魔法の鎧として実体化した。
黄銅色の全身甲冑に身を包んだ、勇壮なる鎧騎士の姿が、そこに出現していた。
マディック・ラザンが、それに続く。
「リムレオン・エルベットは、ヴァスケリア王国に居なくてはならない領主……返してもらうぞ」
言葉に合わせて、彼の右拳……竜の指輪から、緑色の光が溢れ出す。
「武装転身……!」
その光が、まずは左右真横に伸び、長柄の武器と化す。槍。
それをブゥンッ! と振るい構えながらマディックは、緑色の全身甲冑を装着し終えていた。
「……リム様の代わりなんて、いくらでもいるわ」
呟いたのは、シェファである。
「あんな領主様なら、マディックさんでも務まるわよ」
左手で魔石の杖を保持したまま少女は、右の細腕を揺らめかせた。
中指に巻き付いた竜の指輪から、キラキラと青い光がこぼれ散る。
「土地を治める役職なんて柄じゃないってのよ。あんな奴、仕事のない無駄飯食らいのお貴族様でダラダラ生きてくのがお似合いだってのに……どっかの女王様が領主なんかにしちゃうから、やたらとカッコつけるようになっちゃって」
青い光を舞い散らせながらシェファは、ちらりとティアンナに視線を投げた。
「お仕えしていた、あたしが証言します。リム様は領主として不適格……解任しちゃってよ」
「今の私は、女王ではなく単なる流れ者。そんな権限はないわ」
ティアンナが微笑んだ。
「それより、もうすぐ彼に会えるのよ。仲直りの言葉、きちんと考えておきなさい?」
「余計なお世話!」
シェファの怒りに合わせるかの如く、竜の指輪から青い光が激しく溢れ出し、少女の全身を包み込んだ。
「助けてあげたら5、6発ぶちのめす! ただそれだけ、武装転身!」
ティアンナよりも幾分、凹凸のくっきりとした肢体が、光の中で軽やかに翻る。
その全身で、青い魔法の鎧が実体化を遂げていた。各所に魔石がはめ込まれ、赤く輝いている。
輝く赤色光が炎に変わり、空中に放たれ、火の玉と化した。
「あそこに、リム様がいるのね……」
面頬越しに王宮を睨みながら、シェファは叫んだ。
「待ってなさい……今みんなで袋叩きに行ってあげるから!」
いくつもの火の玉が、一斉に飛んだ。そして魔族の軍勢のあちこちに、隕石の如く落下する。
轟音が立て続けに起こり、爆発の火柱が何本も生じた。
何体ものオークやトロルたちが、吹っ飛びながら焦げ砕け、遺灰と化して風に乗る。
さほど数が減ったようには見えない魔物たちが、魔法の鎧の装着者3名に、全方向から押し寄せて行く。
ほぼ廃墟と化したラナンディアが、今や戦場と化していた。
バルムガルド王都が、戦場と化す。
将軍レボルト・ハイマンとしては、決して起こしてはならなかった事態である。
「私は……」
戦場で、何も出来ずに立ち尽くす。
軍人として決して見せてはならぬ醜態を晒しながら、レボルトは呻くしかなかった。
「私は……どうすれば良い……?」
魔獣人間ヒドラヴァンプが、8つの頭部で牙を剥き、食らい付いて来る。
大蛇そのものの形をした8本の頸部が、ゼノスのたくましい胴体に、太い腕に、力強い太股に、高速で巻き付いてくる。
「貴様の血を吸い尽くす! おぞましき味にも耐えよう、聖女アマリアのために!」
8つの口が叫びながら、魔獣人間グリフキマイラの全身あちこちに噛み付いた。
鋭い牙が、ちくちくと筋肉に突き刺さる。
その鬱陶しい痛みを感じながらゼノスは、
「あああ、ティアンナ姫が噛み付いてくんねぇーかなあ。俺のアソコとかアソコとかアソコとかによぉおおおおおお」
大蛇の首を1つ、左手で掴んだ。
猛禽の爪が、ヒドラヴァンプの頸部を引き裂いてゆく。
おぞましい悲鳴を吐く8本首の1つを、左手で引きちぎりながら、ゼノスは右手で大型の長剣を押し込んでいた。横合いから斬り掛かって来た魔獣人間オーガレイスの、鎌に対してだ。
「うぬ……貴様……!」
巨大な両手で長柄を握り、大鎌でリグロア王家の剣を受け止めながら、オーガレイスは巨体を後退りさせつつある。グリフキマイラの右腕1本に、押されている。
「わかってんのかテメエら。魔獣人間になりゃあ誰でもすぐ強くなれるってえワケじゃあねーんだぞう」
獅子の口でそう言いながらゼノスは、荒鷲のクチバシで、絡みつく大蛇の1本を食いちぎった。
山羊の頭部が天空を向き、口を開き、炎を吐く。
空中で槍を構え、降下襲撃の体勢を取っていた魔獣人間オークヴァーンが、紅蓮の吐息をまともに浴びた。皮膜の翼が、苦しげに羽ばたきながら焦げ破ける。
耳障りな悲鳴を引きずりながら、オークヴァーンが墜落して行く。だが致命傷には程遠い。
とどめを刺しに行く余裕はなかった。4体目の魔獣人間が、少し離れた所に佇んでいる。
グールマンダー。
腐乱死体そのものの身体を、内部から食い破るように生えた3匹の蛇が、
「神の裁きの炎を受けよ!」
一斉に、炎を吐いた。
轟音を伴う、烈火の吐息。それがグリフキマイラの全身を包み込む。大蛇の首を巻き付けているヒドラヴァンプもろともだ。
断末魔の絶叫を吐きながら焼け焦げてゆく魔獣人間を、ゼノスは左手だけで、己の全身から引き剥がした。
「なかなかの火力じゃねえか……でもなあ、俺の極上筋肉をこんがり美味しく焼き上げるにゃあ全然足りねえ!」
焼死体と化したヒドラヴァンプを、ゼノスは左腕だけで、物の如く投げつけた。
焦げ爛れた屍が、グールマンダーと激突した。焼け死んだ魔獣人間と生きた魔獣人間が、もろともに地面に倒れ込む。
ヒリヒリとした微痛を、ゼノスは全身に感じていた。
分厚い獣毛が、いくらか焦げている。その下で、少しばかり火傷を負っているようだ。
負傷と呼べるほどの痛手ではない。
にもかかわらず、ゼノスは片膝をついていた。
「うっ……? こいつぁ……」
右手に力が入らない。
リグロア王家の剣を、ゼノスはいつの間にか手放し、落としていた。
「醜いものは美味いと聞くが……貴様の獣臭い生命力、なかなかの珍味よ」
先程まで押し込まれていたオーガレイスが、ゼノスの傍らで、悠然と大鎌を振り上げている。
「俺はこの鎌を通し、敵の生命力を吸収する事が出来る……だが貴様のしぶとい生命力は吸収しきれぬ。しぶとさだけが取り柄の醜悪なる地獄の悪鬼! 今、地獄に帰してくれようぞ!」
振り下ろされた鎌を、ゼノスは辛うじてかわした。三つ首の巨体が地面を転がり、起き上がり、よろめく。
そこへオーガレイスが猛然と、鎌の第2撃を叩き込んで来る。
ゼノスは、よろめきながら踏み込んだ。巨体が姿勢低く駆け、大鎌の刃をかいくぐる。
鉄槌のような蹄が、地面にめり込んだ。
グリフキマイラの全身が、大地からの反発力を獲得しながら螺旋状に捻転する。捻りを得た右拳が、激しく突き上げられて行く。オーガレイスの胴体へと向かって。
「必殺……爆裂拳!」
力を、ゼノスは思いきり叩き込んでいた。
オーガレイスの巨体が、へし曲がり、捻れ、おかしな回転をしながら宙に舞い上がる。
そして、破裂した。
無数の肉片が、轟音を立てて飛散する。それは爆発と言っても良かった。
爆殺の余韻を右拳に握り締めたまま、ゼノスは身を揺らした。よろめくような回避。
火傷を負ったオークヴァーンが、後方から突進して来たところである。突き込まれて来た長槍の穂先が、よろめくグリフキマイラの傍らを通過する。
よろめき、踏みとどまりながら、ゼノスは尻尾を動かした。たくましい尻から生えた毒蛇。
それが、槍を構え直そうとするオークヴァーンの片足に噛み付いた。
重い長槍を構えた魔獣人間が、そのまま倒れた。火傷を負った全身が、どす黒く変色してゆく。
毒殺死体となったオークヴァーンをその場に残し、ゼノスは駆けた。
自ら焼き殺したヒドラヴァンプの屍を振りほどきながら、グールマンダーが怯えている。
「ひっ……ま、待て。そなたにも聖女アマリアの祝福を」
聞かず、ゼノスは左手を振るった。猛禽の足そのものの形をした左手。それが、暴風を巻き起こしながら一閃する。
「必殺、爆裂張り手だオラァアアッ!」
張り手か、あるいは爪による斬撃か、ゼノス自身にも判別し難い一撃である。
とにかくグールマンダーの身体は、ズタズタに裂けちぎれながら砕け散っていた。
「……ようし、左手でも出せるようになったぜ。次の課題は爆裂蹴り、かな」
蹄のある足を、後ろ回し蹴りの形に振るいながら、ゼノスは3つの頭で周囲を見回した。
魔獣人間のみならず鈍色の鎧歩兵たちも、1体残らず、ほぼ原形をとどめない屍と化し、地を埋め尽くしている。
もう1人、難儀極まる敵が残っていたはずであった。
黒騎士。ラウデン・ゼビル侯爵。
その姿はしかし、どこにも見えない。
「野郎……逃げやがったな」
鎧歩兵部隊、及び魔獣人間4体を足止めに用いて1人、ラナンディアへと向かったのは間違いない。
味方を犠牲にして己の目的を達成する。レボルト・ハイマンと、よく似たところではある。
「これだから軍人って連中は好きになれねえ……まあいい、俺も行かねえとな」
ゼノスは、リグロア王家の剣を拾い上げて鞘に収めた。
「あの赤トカゲ野郎……俺のいねえ間ティアンナ姫にあんな事こんなコト、したりされたりしてやがったら許さねえぞう」
吸収され奪われた生命力を補うかの如く、怒りが燃え上がった。