第135話 聖女の軍団と地獄の悪鬼
口々に祈りを呟く、鈍色の鎧歩兵。
その部隊を率いる形に佇んでいた4人の司祭が今、人間ではないものとしての正体を露わにしていた。
4体の、魔獣人間。
うち1体は、言うならば、翼を生やしたオークである。
牙を剥く猪の頭部を載せた、筋骨たくましい胴体。その背中からは皮膜の翼が広がり、尻からは、毒の背ビレをびっしりと生やした尻尾が伸びている。
重い長槍を、両手で威嚇の形に振るい構えながら、その魔獣人間は名乗った。
「聖女アマリア・カストゥールに拝跪せぬ、愚かなる冒涜者ども! この魔獣人間オークヴァーンが、貴様たちを生かしてはおかぬ」
「未来永劫、裁きの炎に灼かれるが良い……」
2体目は、一見すると人間の腐乱死体である。
左の眼窩から、右の肋骨の隙間から、それに下腹部から、赤い蛇がニョロニョロと伸び現れている。
「灼き尽くしてくれよう。この魔獣人間グールマンダーが、な」
「畏れおののくが良い! これが、これこそが! 唯一神が我らに与えたもうた、大いなる裁きと救済の力よ!」
3体目の魔獣人間が、8つの口で一斉に叫ぶ。
ひょろりとした長身は爬虫類の鱗に覆われ、頸部は8方向に分かれて蛇の如く伸び、落ち着きなくうねっている。それらの先端部で、醜悪な人面が、鋭い牙を見せて叫び笑う。
「この魔獣人間ヒドラヴァンプこそが! 聖女アマリアの慈愛と威光を体現する者よぉおおおおおお!」
鱗ある人型の胴体から生えた、8匹の人面の蛇であった。
4体目は、巨漢である。
隆々たる筋肉は、しかし血色のない青白い皮膚に包まれ、生気というものを感じさせない。
そんな死人のような巨体には黒色のマントがまとわりつき、首から上にはすっぽりとフードが被さって、素顔が明らかではなかった。暗黒の中で、2つの眼光だけが禍々しく輝いている。
力強い、だが生気のない両手が握っているのは、死神を思わせる長柄の大鎌だ。
「我が名は魔獣人間オーガレイス……破戒者・冒涜者どもへの、せめてもの慈悲よ。安らかなる死を、与えてくれようぞ」
ダルーハ・ケスナーが使っていた魔獣人間たちと、大して違いはない。ガイエルはまず、そう思った。
ギルベルト・レインのような例外も、いない事はない。が、魔獣人間という生き物は大抵こうだ。勇ましい大言壮語を吐きながら、自分よりも弱い者たちに対してのみ、大いに勇猛さを発揮する。
「誰が造っても、同じような出来にしかならないのね。魔獣人間という生き物は」
冷ややかな嘲りの言葉を発したのは、ティアンナである。
「アマリア・カストゥールが、どのような女性であるのかは知りません。が、魔獣人間にしか崇拝者がいない聖女である事はわかりました。人間ではない殿方をかしずかせて女王気取りとは、滑稽な事」
「……自分はどうなの」
「しーっ!」
シェファがぼそりと言い、マディックが慌てて黙らせようとする。
ティアンナは、聞こえないふりをしたようだ。
「現実から逃避して人間をやめた挙げ句、滑稽な偽りの聖女に媚びへつらって奴隷の悦びに浸る。そんな事にしか自分というものを見出せない無様な生き物が、一丁前に唯一神の御名を口にするものではないわ。身の程をわきまえなさい、魔獣人間ども」
「言い過ぎだ、ティアンナ」
ガイエルは、思わず声をかけていた。
言葉の暴力とは、時として物理的な暴力以上に残虐なものである。
心を傷付ける事なく、物理的に叩き殺し、楽にしてやる。
このような者たちにしてやれる事など、それしかない。ガイエルは、そう思うのだが。
「貴女は……初めて会った時と比べて、言葉の暴力に随分と磨きがかかっている」
「たまんねえなあ、もう」
ゼノス・ブレギアスが、にこにこと嬉しそうに微笑みながら、ボタボタと大量の鼻血を流している。
4体の魔獣人間たちは、少なくともこの男よりは正常な神経の持ち主であるようだ。ティアンナの嘲り言葉に対し、怒りを露わにし始めている。
「小娘が……! 貴様ら愚かなる人間どもに、唯一神がどれほどお怒りであるか、お嘆きであるか、知らぬと見えるな」
「慈悲深き聖女アマリアは、貴様をお許しになってしまうであろう。が、我らは許さぬ」
「畏れ知らずは、勇気ではない。単なる愚……神の怒りを知れ、小娘」
「やめよ」
命令を発したのは、黒い全身甲冑に身を包んだ鎧戦士……ラウデン・ゼビル侯爵である。
「言ったはずだ、その御方に無礼はならぬ。ヴァスケリアを救うためにはアマリア・カストゥールだけではない、エル・ザナード1世陛下の御力が必要なのだ」
「ラウデン・ゼビル……この愚かなる小娘と我らが聖女を、同列に語るのか貴様ぁあああああ!」
魔獣人間グールマンダーが、怒り狂った。その腐敗しかけた肉体から生えている3匹の赤い蛇が、シャーッ! と牙を剥きながら炎を吐く。
炎をまき散らしながら、グールマンダーは怒り喚いた。
「やはり、やはり貴様は許せぬ! 世俗の権力者風情が、聖女アマリアの御傍にあって我らの主君の如く振る舞うなど!」
「裁く! まずはこやつに神の裁きを! 死刑! 死刑! 死刑! 死刑!」
魔獣人間ヒドラヴァンプが、8本の大蛇首を凶暴にうねらせ、8つの口で死刑と叫び続ける。
「そもそも何故、貴様が我らの上にいるのだ」
長槍の穂先をラウデン侯に向けながら、魔獣人間オークヴァーンが言う。
「俗人の貴様が何故、ローエン派の中で重きを成している? 唯一神教会の、下級司祭の位さえ持っておらぬ者が!」
「世俗の汚れにまみれた者を、教会内部にとどめておくわけにはゆくまい……刈り取って、くれよう」
魔獣人間オーガレイスが、言葉と共に大鎌を振りかぶる。
ガイエルは、呆れるしかなかった。
「登場するなり仲間割れとは、な……貴様たちの攻撃を、礼儀として一通りは受けてやろうとも思ったが」
呆れ、微笑み、牙を剥く。
「……生かしておくのが哀れ、という気がしてきた。一刻も早く、この世から消す。楽に死にたければ無駄な抵抗はするなよ? 虫ケラども」
「待て、慌てんじゃねえよ」
ゼノスが1歩、前に出た。
「……先に行け。こんな連中、俺1人で充分だ」
「何だ貴様、格好をつけるつもりか」
ガイエルは睨んだ。ゼノスは、不敵に微笑んだ。
鼻血まみれの笑顔がメキッ! と痙攣する。
「兄さんがな、レボルト将軍が逃げて来ちまうくれえのバケモノになってるらしい……ってだけじゃねえ、デーモンロードの野郎までいやがるんだぜ。戦力は、温存し過ぎてし過ぎって事ぁねえだろうが」
ゼノスの全身から、衣服がちぎれ飛んだ。
力強い筋肉と獣毛が盛り上がり、翼が広がり、山羊の角と猛禽のクチバシが振り立てられる。尻尾の形に生えた毒蛇が、凶暴にうねる。
魔獣人間グリフキマイラが、そこに出現していた。
仲間割れを始めかけていた者たちが驚愕し、一斉にこちらを睨む。
「な、何だ……魔獣人間だと!?」
「ふん、冒涜者にふさわしく汚らわしい姿よ。聖女の祝福を受けし我らとは、似ても似つかぬ」
「まさに、おぞましい地獄の悪鬼よ! 我らの手で、神の裁きを下してくれよう」
口々に言う魔獣人間4体を、ゼノスは3つの頭部で睨み回した。
「へっ、なぁにが聖女の祝福だ。こちとら毎日、ティアンナ姫から愛の鞭をもらってんだぜえええ」
愚かしい叫びを張り上げながら、グリフキマイラが剣を抜く。巨体に鎖でくくりつけた、リグロア王家の剣。
鞘からスラリと滑り出した大型の刃を、ゼノスは高々と掲げた。
「愛の力、とくと見やがれ。必殺、爆裂斬り!」
その剣が、振り下ろされて地面を叩き斬る。幅広く長大な刀身が、大量の土を跳ね飛ばしながら地に埋まる。
馬鹿力が、刃から地中に流し込まれてゆくのを、ガイエルは足元の震動で感じた。
離れた所で、爆発にも等しい事態が起こっていた。
地面が破裂し、力が噴出する。そこに群れていた鈍色の鎧歩兵たちが、凄まじい量の土塊もろとも噴き上がって砕け散る。
甲冑の破片をまとう肉塊が、ビチャビチャと大量に飛び散って雨の如く降った。
こちらを取り囲む形に布陣していた、鎧歩兵の部隊。その包囲の一角が消し飛び、道が開いている。バルムガルド王都ラナンディアへと向かってだ。
「……道が出来てしまった以上、行くしかありませんな」
ブレン・バイアスが言った。
「参りましょう、女王陛下」
「ゼノス王子……貴方が格好をつけても、様にはならないわ」
ティアンナが、3つ首の魔獣人間をじっと見据える。
「早めに逃げ出して、早急に私たちと合流なさい」
言いつつ身を翻し、軽やかに駆け出す。ゼノスの爆裂斬りによって開かれた道を、ラナンディアへと向かって。
ブレンが、シェファとマディックが、それに続いた。
続こうとしないのは、レボルト・ハイマンである。
「ゼノス・ブレギアス……貴様という戦力を、ここに残して行けと言うのか」
秀麗な顔を強張らせ、ゼノスを睨む。
「あの怪物を倒すには、貴様の力も必要なのだぞ」
「兄さんを殺そうってんなら、力を貸すわけにゃあいかねえよ」
獅子の顔で、ゼノスがにやりと牙を剥く。
「戦力が足りなきゃ、兄さんは殺せねえ……じゃあ戦わずに説得して助けようって流れにもなるだろうよ」
「……行くぞ、レボルト将軍」
ガイエルは促した。
「ゼノス・ブレギアス、ここは貴様のその心意気を買っておこう。言った以上、こやつらを単身で食い止めて見せろ。なに急ぐ必要はない……貴様がここでのんびりと戦っている間に、事は済ませておく」
「おい、わかってんだろうな。兄さんを殺すんじゃねえぞ」
いささか不本意そうにしているレボルト将軍を伴い、ガイエルはティアンナたちを追った。ゼノスの言葉を、背中で受けながらだ。
「あと、もう1つ! わかってんだろうな!」
「言われるまでもない」
走りながら、ガイエルは答えた。
「ティアンナは、俺が守る。貴様はここで……せいぜい死なぬよう、気をつけて戦っていろ」
「赤き魔人! 貴様を逃がすわけにはゆかぬ」
ラウデン侯爵が、弓を引いていた。両端から刃を生やした、異形の長弓。それがキリッ……と引き伸ばされる。
光の矢が、つがえられていた。弦をつまむ指から生じ、矢の形にまっすぐ伸びた、白色の光。
それが、放たれた。
ガイエルは振り向き、左手を振るった。振るわれた前腕が、メキッと変異を起こす。
刃のヒレが生じ、一閃し、光の矢を粉砕した。
「そう慌てるな。俺は、逃げも隠れもせん」
ジャキッと刃を広げた左手を掲げ、光の破片をキラキラと飛散させながら、ガイエルは言い放った。
「状況がもう少し落ち着いたら、いくらでも相手をしてやる……いつでも、俺を殺しに来い」