第134話 魔人と聖者たち
この男がいれば、とティアンナは思わざるを得なかった。
ダルーハ・ケスナーの叛乱の時。このブレン・バイアスという男が王国正規軍を率いてくれていたら、ああも容易く王都陥落を許す事はなかっただろう。
それほどの人材が、メルクト地方のエルベット家で、一介の兵隊長という地位に甘んじていたのだ。
その地位は変わらぬまま、ヴァスケリア国王ディン・ザナード4世に重用され、近衛騎士団長のような厚遇を賜った。
だが今は、出奔に近い状態にある。
「それでは……貴方が、クラバー・ルマン大司教を?」
「……殺害いたしました」
ブレンは言った。
「殺人の罰を受ける事もなく……女王陛下の御前にて、かくも無様を晒しております」
「今の私は女王ではないわ。無様を晒しているのは、私も同じ。何かが出来るつもりで家出のような事をしておきながら結局、何も出来てはいない」
「無論この争乱が収まり次第、ヴァスケリアへとお戻りいただきますぞ。エル・ザナード1世陛下」
ブレンの口調が、いささか力強く厳しくなった。
そこへガイエル・ケスナーが、言葉を挟んでくる。
「同感だ。貴女をヴァスケリアへと連れて帰るためにも、こんなくだらぬ騒ぎは早急に終わらせなければならん」
「ダルーハ・ケスナー卿の……御子息、なのだな」
今は赤毛の若者の姿をしている若き魔人に対し、ブレンがいくらか声を緊張させた。
「1対1の戦いで、ダルーハ卿を倒した。そう聞いているが」
「1対1ではない。こちらの姫君が手伝ってくれた」
ガイエルの視線が一瞬、ティアンナに向けられる。
「俺に、要らぬ重圧をかけてくれた……だから勝てたようなものだ。それよりブレン殿、あんたは俺の親父を知っているのか?」
「物陰から見て、憧れていただけだ。恐ろしくて声などかけられなかった」
ブレンが微笑む。苦渋に満ちた笑みだ、とティアンナは思った。
「とにかくダルーハ卿とも渡り合えるような御仁であれば……確かに、勝てるかも知れんな」
「バルムガルド王都を支配してるという、怪物にか」
ティアンナのよく知る、あの少年が、怪物と化した。
ムドラー・マグラやゴルジ・バルカウスのような者に拉致されて魔獣人間に造り変えられた、のではないのならば、考えられる事態は1つである。
魔法の鎧に、何かしら異変が生じたのだ。
ゾルカ・ジェンキムの作り上げたものに欠陥があったなどと、ティアンナとしては無論、考えたくはないのだが。
「ガイエル・ケスナー殿……お頼み申し上げる」
ブレンがいきなり立ち止まり、ガイエルに向かって頭を下げた。
他の者たちも、驚いたように足を止める。
岩の多い、いくらかは緑のある、辛うじて街道の体を成している場所。バルムガルド王都ラナンディアまで、あと1日か2日というところである。
「我が主君リムレオン・エルベットを……どうか、お助けいただきたい」
「任しとけって。兄さんは、きっちり助けるからよ」
応えたのはガイエルではなく、ゼノス・ブレギアスだった。
ブレンも、それにシェファやリムレオンも、こうして人間の姿をしているゼノス王子とは面識があるという。戦った事が、あるという。
「よもや、ゴルジ・バルカウス配下の魔獣人間が……バルムガルド国内で、人助けのような事をしているとはな」
ブレンが少しだけ、懐かしそうな声を発した。
「あのメイフェム・グリムは、一緒ではないのか?」
「メイフェム殿は……」
ゼノスが、彼らしくもなく俯いてしまう。
メイフェム・グリムは、デーモンロードに身を捧げた。
かつて赤き竜に身を捧げた、レフィーネ・リアンフェネット王女のように。
相変わらず、他者を人身御供とせねば生きてゆけぬようだな人間ども。貴様らを見ていると、本当に虫酸が走る……
デーモンロードの言葉が、ティアンナの頭の中で禍々しく反響している。
ガイエル・ケスナーやゼノス・ブレギアスといった、人間ではない勇者たちを大いに利用して、あの怪物を倒す。魔族を討滅する。
その選択に、間違いはない。現時点における、最良の選択であるはずであった。
(何故なら……私たち人間に、力がないから)
ダルーハ・ケスナーの叛乱以来、ずっとティアンナの心に重くのしかかっている現実である。
「……やっぱり信じられない。あの女が、自分を犠牲に人助けなんて」
シェファ・ランティが言った。
「ヴァスケリアでは、とち狂って人殺ししかしてなかったバケモノ女が……この国では別人って事?」
「人助けもするし人殺しもする。そういう女性だ」
弁護、のような言葉を口にしたのは、マディック・ラザンである。
「俺は、彼女に恩がある。メイフェム先生を……デーモンロードの手から、救い出したい。身の程知らずな事を言っているのは承知の上だ」
「俺も彼女に助けてもらった事がある。その借りは、返したい」
言いつつガイエルが、腕組みをした。
「やらねばならぬ事が山積みだな。デーモンロードを倒し、メイフェム・グリムを救い出し、その上なおかつ怪物となった主君を助けてくれとブレン殿は言う。人助けはな、人殺しよりも遥かに難しいのだぞ」
「わかってんだろうな、赤トカゲ野郎」
ゼノスが、ガイエルの胸ぐらを掴んだ。
「兄さんはな、助けなきゃならねえんだ。普段のクセでぶっ殺したりすんじゃねえぞ? テメエそういう事やりそうで心配なんだよ俺ぁ」
「……今は、自分の命の心配でもしたらどうだ」
ガイエルは、ゼノスの短い黒髪を掴んだ。
「貴様はな、そこそこ役に立つ猟犬だから、こうして連れ歩いてやっているだけだ。分際をわきまえぬ言動が、あまりにも目立つようであれば……単なる犬として、煮て食らうまでだな。綺麗に捌いてやるぞ?」
「はっはっは、食われんのぁテメーだ肉野郎!」
「……いい加減にせんか、馬鹿どもが」
先程からずっと黙っていた若者が、ようやく口を開いた。
焦げ茶色の髪。一国の王子であるゼノスや、ヴァスケリア王族の血縁者でもあるガイエルより、ずっと貴公子然とした秀麗なる容貌。
「貴様たちにはな、嫌でも協力し合ってもらわねばならんのだぞ」
「だからこそ今のうちに好きなだけ、いがみ合わせておくべきとも思うがな」
ブレンが言った。
「言っておくがレボルト将軍。貴公と我々では、最終目的にいささか食い違いがある。最後の最後まで協力し合うというわけにはいかん、かも知れんな」
「リムレオン・エルベットを……助けるか、殺すかという事だな」
レボルト・ハイマン。
ティアンナとしては、この男にはタジミ村に残っていて欲しかった。
現在あの村を守っているのは、将軍配下の魔人兵部隊である。
レボルト本人は、こうして同行する事になってしまった。リムレオンを殺そうとしている、この男が。
「助ける、などと言っていられるほど甘い相手であるのかどうか、貴様は身にしみて知っているはずだブレン・バイアスよ。あれはリムレオン・エルベットであって、そうではない……あの小僧に取り憑いているのが何者であるのか、もしや貴様には心当たりがあるのではないかと私は密かに思っているのだがな」
「…………」
ブレンが重苦しく、黙り込んでしまう。
代わりのように、シェファが言葉を発した。
「ねえカボチャ男さん……あんた一体、何者なわけ? 魔獣人間のくせに人間の味方してる、ようでいて実はデーモンロードの手下だったり」
手にした魔石の杖で、今にもレボルトを狙撃してしまいかねない剣幕である。
「この国が、こんな状態になっちゃった原因……かなりの部分、あんたが作ったんじゃないの? いろいろ話聞いてると、そうとしか思えないんだけど」
「やめよう、シェファ」
マディックが言った。
「あそこでデーモンロードを倒せなかった俺たちに、この国の誰かを責める資格はない」
「わかってるわよ、そんな事……だけどカボチャ男さん、これだけは言わせてもらうわ」
魔石の杖が、レボルトに向けられた。
「この国を救うためにリム様を殺す……そんな資格、あんたには無いんだって事」
「……貴様たちに、リムレオンを助けられると言うのか」
レボルトの両眼が、燃え上がった。
秀麗な若者の容貌。その下で、魔獣人間が眼光を燃やしている。
「あの非力な小僧に、愚かな単独行動をさせてしまった貴様たちが」
「それは……」
シェファが剣幕を弱めてしまった、その時。
声が聞こえた。呪文のような、禍々しい呟き。
「かくして唯一神は、我が道を示し賜えり……」
「争いなき、聖なる万年平和の王国へと……」
「導きたまえ……我らに、罰を与えたまえ……」
呪文ではない。聖なる、祈りの呟きだ。
複数の、と言うより無数の人影が、周囲の岩陰から現れている。
兵士であった。鈍色の全身甲冑に身を包んだ、歩兵の軍勢。
槍、戦斧、鎚矛と様々な武器を構えたまま、面頬の奥で祈りを呟いている。
「こやつら……!」
ブレンが、息を呑んだ。
マディックの表情も、固く険しい。
そこへ、嘲るような声を投げつけた者たちがいる。
「これはこれは……破門された司祭殿が、堂々と外をお歩きになる。破門で済んだからとて、いささか調子に乗っておられるようだな」
「マディック・ラザン……我らが聖女アマリア・カストゥールを、よくも散々冒涜してくれた」
「唯一神の罰を、受けるが良い。我らの手によってな」
「他の者どもも、死ね。この国の民を救うのは、唯一神の御使いたる我らでなければならん」
唯一神教徒の法衣に身を包んだ、4人の男。司祭位の聖職者であろう。
鈍色の鎧歩兵たちを統率する格好で、偉そうに佇んでいる。
醜い顔をしている、とティアンナはまず感じた。見覚えのある醜悪さ、である。
「マディック司祭……この方々は?」
「かつてはクラバー・ルマン大司教の、今はアマリア・カストゥールの腰巾着をしている者たちですよ」
ティアンナの問いに、マディックが口調険しく答えた。
「ヴァスケリアでも、バルムガルドでも……災厄に苦しむ人々の心に、つけ込む事しか出来ないようだな」
「破戒者が……! 聖女アマリアより祝福を賜りし我らに、そのような口をきくとは」
司祭の1人が声を、そして表情をメキッ! と震わせる。
人間の表情筋では起こり得ない震えだ。
やはり自分は、この者たちを知っている。ティアンナは、そう思わざるを得なかった。この司祭4名と同じような輩を、自分は、嫌になるほど見慣れている。
だが、そんな事が有り得るのか。
唯一神教ローエン派が、戦力を……あの生き物たちを戦力として使う、などという事が。
「唯一神の、裁きを受けよ……」
「我らが聖なる行いの、妨げを為す者どもに……神罰を……」
「大聖人ローエン・フェルナスの、御名において……!」
言葉に合わせて、司祭たちが痙攣している。法衣の下で、肉体が蠢いている。
人間の皮が、破けつつある。
「魔獣人間……!」
この世で最もおぞましい単語を、ティアンナは口にした。
「唯一神教が……まさか、そのような事が……!」
「アマリア・カストゥールは、魔獣人間の製造手段を保有しております」
重い口調で、ブレンが告げた。
「この鎧歩兵たちは……魔獣人間に、成り損なった者たちでございます」
「信仰を利用して魔獣人間の材料を集めたと、そういうわけか」
ガイエルが笑った。陰惨な、凶暴な笑み。
「なかなか良い感じに、俺の残虐性を刺激してくれるではないか……皆殺しにしたくなってきたぞ、貴様たちを」
「あの国境における戦のように、か? 赤き魔人よ」
鈍色の、鎧歩兵部隊。その中から、堂々たる姿が1つ、進み出て来た。
力強い体躯を、粗末な衣服に包んだ、壮年の男。
ティアンナは思わず、名を叫んだ。
「ラウデン・ゼビル侯爵! 何故、貴方が……!」
「女王陛下が、御存命であらせられた……これに勝る慶びはありませぬ」
ラウデン侯が、恭しく片膝をついた。
「貴女様には一刻も早く、ヴァスケリアへお戻りいただかねばなりませぬ。その妨げとなるものを、ここで滅ぼす……赤き魔人、貴様をな」
跪いたまま、ラウデンは顔を上げた。眼光が、ガイエルに向けられる。
「ヴァスケリア・バルムガルド両国を巻き込んでの、この一連の厄介事……全て、貴様の存在が始まりとなっておる。八つ当たりかも知れんが、私にはそう思えてならんのだ」
「光栄だ。ならば、どうする」
秀麗な顔に、凶猛な笑みを浮かべたまま、ガイエルは言った。
「八つ当たりでも何でも構わん……俺を、殺してみるか?」
「そのための、この力よ……」
立ち上がりながら、ラウデンが両手を掲げる。
その右手の中指で、禍々しく光るものがある。
かつてティアンナがリムレオンに贈ったものと同じ……竜の、指輪だ。
「……待て、ラウデン侯」
レボルトが言った。
「貴公らにとっては、この赤き魔人……救世主のようなものではないのか?」
「確かにな。そやつが国境の戦でバルムガルド軍4000人ことごとくを虐殺してくれた、おかげで我らは助かった。だが、その4000人が我々であったとしても不思議はないのだ……そやつの機嫌1つで、この先そのような事が起こりかねん。恩知らずは承知の上よ」
言葉と共にラウデンが、ちらりとレボルトの方を見る。
「貴殿は……随分と若いようだが、何やら私のよく知る御仁に似ている気がする」
「レボルト・ハイマン……そう名乗っても、果たして信じていただけるかどうか」
レボルトが、暗く微笑んだ。
「わけあって人間をやめた。その結果の、若作りよ」
「わけあって、と言うより、そこの赤き魔人を倒すためであろう?」
ラウデンが、同じような笑みを浮かべた。
「レボルト将軍……貴公とは、知略と用兵の限りを尽くして戦ってみたかった」
「知略も用兵も意味を成さぬ。このような化け物が存在する限り、な」
一瞬だけレボルトは、ガイエルを睨んだ。
「……が、今はそのような事を言っている場合ではない。ラウデン侯、貴殿も力を貸せ」
「それはこちらの台詞だ、レボルト将軍。今こそ我らの力で、赤き魔人を討滅する時」
掲げた両手をラウデンは、ゆっくりと交差させた。
「王都ラナンディアで何事か起こっているようだが、赤き魔人以上の災厄とはなるまい……武装転身」
竜の指輪から、闇よりも禍々しい光が生じた。
その光が、円形の紋様を描き出しながら、ラウデンの全身を包み込む。
「あんた……!」
シェファが、息を呑んでいる。
その間に、禍々しい光の紋様は消え失せていた。
代わりに、人型の暗黒が生じていた。
闇そのものを鍛造したかのような、黒色の甲冑。
リムレオンのそれと対極を成す、黒い全身鎧を、ラウデンは身にまとっていた。
「あの時の黒騎士……貴方だったのか」
マディックが呻いた。
「今回は……どうやら、俺たちを助けに来てくれたわけじゃないようだな」
「魔法の鎧の装着者が、赤き魔人に与力している。これほど危険な事態はあるまい」
黒い面頬の奥でラウデンが、ガイエルに向かって眼光を燃やした。
「危険は排除する。さあ戦え、貴様たち」
「指図は……やめて、いただこうか。ラウデン侯」
4人の司祭が、メキメキメキと歪みながら言葉を発している。
歪む肉体から、法衣がちぎれ飛んだ。
「我らは、貴殿の部下ではない! 聖女アマリア・カストゥールに仕えし」
「聖なる、戦士! 唯一神の、裁きと罰の実行者よォオオオオ!」
人間の皮を脱ぎ捨てた聖職者たちを、ガイエルがちらりと見回している。
「地ならしが足りなかったようだな……貴様らのような輩が蠢き回る余地を、残してしまうとは」
哀れみの眼差し、に近かった。
「俺の責任において誠心誠意、叩き潰す。綺麗な死体にはならんが、まあ許せ」