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第133話 竜と勇者の旅立ち

 命乞いを、受け入れた事はない。

 お許し下さい、命だけは、などと泣き喚きながら地に這いつくばっている輩を、引き裂いて蹴り潰し、派手にぶちまける。そうすると、すこぶる爽快な気分になるのだ。

 だが今、地面に這いつくばっているこの男を殺しても、爽快な気分にはならないだろう。それだけは、ガイエルにもわかった。

「ガイエル・ケスナー殿……どうか、お頼み申し上げる。魔族と、同盟を結んでいただきたい」

 焦げ茶色の髪、貴公子然とした容貌、粗末な歩兵の軍装。

 そんな若者が、犬の如く地面に伏し、深々と頭を下げている。

 命乞いを、しているのだ。

 自身の、ではなくバルムガルド国民の命を、誇りを捨ててまで守ろうとしているのだ。

 ガイエルは、しかし言った。

「レボルト・ハイマン、貴様は無礼な男だ」

 バルムガルドの国政が辛うじて機能している、ここタジミ村で、議場として使われている広場である。

 大型のテーブルが置かれ、その上座というべき位置で、赤ん坊を抱いた若い母親が、急ごしらえの玉座に座っている。

 バルムガルド国王ジオノス3世と、その母親シーリン・カルナヴァート元王女。

 高貴なる母子に、ガイエルは恭しく片手を向けた。

「魔族の特使として来たのならば、貴様が拝跪すべき相手は俺などではなく、あちらにおわす国王陛下であろうが」

「おやめ下さい、ガイエル・ケスナー殿」

 いくらか困惑しながら、王母シーリンが言った。

「魔族の帝王が、人間の赤ん坊など相手にしてくれるはずがありません。帝王デーモンロードが同盟の相手として見込んでいるのは、貴方でしょう」

「王母殿下のおっしゃる通りだ、赤き魔人ガイエル・ケスナー……それにゼノス・ブレギアス王子」

 レボルトが、顔だけを上げた。

「貴公らが、デーモンロードと共闘してくれれば……そうでもせぬ限り、あの怪物を倒す事は出来ん。どうか力を貸してはくれまいか」

 怪物。自分とゼノス・ブレギアスとデーモンロードが3人あるいは3匹がかりでなければ太刀打ち出来ぬ怪物。そんなものが現れたと、レボルトは言っているのだ。

「デーモンロードの野郎と、手ぇ結べってのか」

 ゼノスが、力強い両腕を組んだまま、頭の悪そうな顔面をメキッ……と痙攣させている。

 今にも人間の姿が破れ、魔獣人間グリフキマイラが出現してしまいそうだ。

「あのクソったれ勃起野郎はブチ殺す! ……と言いてえとこだがな。おめえさんが頭下げるってのが相当な事だってぇのは、まあわかるぜ。レボルト将軍よ」

 それも4000人もの自軍兵士を殺戮した怪物に対し、将軍たる者が土下座をしているのだ。

「そこまでしなきゃ倒せねえバケモノ、ってのぁ一体どういう奴なんだい」

「そもそも何が起こっているのか、順序立てたお話を聞かせてはいただけませんか」

 そう言葉を発したのは、ティアンナである。相変わらず下着のような甲冑をまとった少女剣士の姿で、王母の傍らに佇んでいる。

 他、現在この場に集まっている者はマディック・ラザンとシェファ・ランティ。そしてレボルトと共に王都ラナンディアから落ち延びてきた、ブレン・バイアスという軍人風の大男である。

 この3名の共通点は、右手中指に巻き付いた竜の指輪だ。

 魔法の鎧をまとっての戦いで、1度はデーモンロードを退けたという。

 あの怪物の顔面に傷を負わせ、片目の状態に追い込んだのは、このブレン・バイアスかも知れない。ガイエルは、そう思った。

 3名の中では、明らかに最強である。

 見ただけでわかる。人間でこれほど強い男、そうはいない。

 魔獣人間と化す前のドルネオ・ゲヴィンやギルベルト・レインにも、引けを取らないのではないか。

 そんな男が、しかし今は弱々しく憔悴している。

 そこへレボルトが、ちらりと視線を投げた。

「では順序立ててお話しいたす……そのブレン・バイアスが、主君リムレオン・エルベットと共に、バルムガルド国内へと不法入国を行った。全ては、そこから始まったのだ」

 リムレオン・エルベット。

 ティアンナと同じ姓を持つ、という事はヴァスケリア王家に連なる者であろうか。

 とにかく、その名がレボルトの口から出た瞬間。シェファ・ランティが、いささか不穏な反応を見せた。

「リム様が……この国に来た、って言うの……?」

 魔石の杖を片手に、今にもレボルトに詰め寄ってしまいそうな彼女を、さりげなく制しながらマディックが言う。

「彼が、唯一神教関連の騒ぎに巻き込まれて失踪した、という話は聞いている。もしかして、この国に来ているのでは、とは密かに思っていた」

「身の程知らずの小僧が、己の非力もわきまえずに現状を打破せんとしていたようだ。バルムガルドが魔族の支配下にある、この現状をな」

 レボルトが嘲笑った。リムレオン・エルベットを、ではなく、どうやら己自身を。

「だが結局……その非力な小僧が来た事によって、王都ラナンディアは魔族の手から解放された。が、バルムガルド国民の手に戻ったわけでもない。現在ラナンディアを支配しているのは、リムレオン・エルベット個人だ」

「ほう? 野心的な男なのか。そのリムレオンとやらは」

 ガイエルが言うと、シェファがテーブルを叩いた。

「そんなわけないでしょ! 支配だの野心だの、そんな言葉とは全然縁のないお坊っちゃまなんだから!」

「落ち着け、シェファ」

 重苦しい声を発したのは、ブレンである。

「レボルト将軍が言っている事は本当だ。わけのわからん冗談を言うために、ここまで来たりはしない。わけのわからん現実を伝えるために、俺たちは来た……若君はな、恐ろしいものに取り憑かれてしまったのだ」

「結果、怪物となった」

 土下座の姿勢のまま、レボルトが呻く。

「赤き魔人よ、下手をすると貴様を上回るかも知れん怪物にな」

「ほう」

 かつて目の前で4000人もの自軍兵士を殺戮してのけたガイエル・ケスナー以上の脅威を、レボルトはリムレオン・エルベットに見出した、という事である。

「それは、ぜひとも会ってみたいものだが」

「うぬぼれるなよガイエル・ケスナー。岩窟魔宮への直接攻撃を、私ごときに阻まれている貴様では、あの怪物には勝てん」

 レボルトが、立ち上がった。

「勝てるかも知れんが、良くて五分と五分……ゼノス王子と力を合わせたところで、せいぜい8。10を超えるには、やはり何としてもデーモンロードと手を結んでもらわねばならん」

 10割の可能性が最低限。確実に勝てる戦いしかしない。

 軍人ならば、それが当然なのだろう。王国の命運を賭けた戦であるのなら尚更である。

 このレボルト・ハイマンという男は、良くも悪くも軍人なのだ。

「レボルト将軍、貴方が稀代の戦術家である事は存じ上げております」

 ティアンナが言った。

「何か、想像を絶するような罠を仕掛けておられるのでは……? そう思えてしまうほど、失礼ながら馬鹿げたお話であると言わざるを得ません。リムレオン・エルベットが力で魔族を退け、王都ラナンディアを支配しているなどと」

「そうとも、馬鹿げた話だ!」

 レボルトが、笑いながら激昂した。

「戦術的な罠を仕掛けようとするならば、もっとまともな話を作るわ! 誰が好き好んで、このような愚かな作り話をするものか! 非力な小僧が突然、怪物に変わったなどと!」

「リムレオンが……怪物に変わった……」

 ティアンナが、息を呑みながら声を発した。

「人間が、怪物に変わる……私の頭で思いつくものは、1つしかありませんが」

 おぞましい単語を、ティアンナは口にしようとしてる。

 その前に、レボルトが言った。

「魔獣人間、ではありませんぞ女王陛下。魔獣人間などよりも、ずっと恐るべき何かが、リムレオン・エルベットに取り憑いたのです」

「何よ……それ……」

 シェファが、わけのわからぬ悪夢でも見ているかのように呆然と呟く。

 これ以上、詳しい情報をレボルトの口から引き出す事は出来ないだろう、とガイエルは思った。

 それでも1つだけ、明らかにしておかなければならない。

「肝心な事を1つ訊いておこう、レボルト将軍。仮に俺が今、魔族と手を結ぶ気になったとして……デーモンロードの方に、そのつもりがあるのか? あやつが他者との同盟を肯んじるとは、俺にはどうも思えんのだがな」

 立ち塞がるもの全てを己の力のみで叩き潰す。そうしながら道を歩いている怪物である。

 あの時も、自ら足を運んで来た。ガイエルと戦うためにだ。

「デーモンロードは……私が必ず、説き伏せる」

 一瞬、言葉を濁しつつも、レボルトは言った。

「ここにいる者たちによって、何度も痛い目に遭わされてきた御仁だ。己1人の力で全てが思い通りにゆく、わけではないという事を、学習してくれているはずだ」

 突然、気配が生じた。

 人影のようなものが1つ、レボルトの近くで跪いている。

 人ではない。肉か臓物か判然としないもので人の体型を成した、異形の怪物。

 それが、言葉を発した。

「申し上げます、レボルト将軍……デーモンロードが、メイフェム・グリム1人を伴い、ラナンディアへと向かいました」

 魔人兵である。

「止める事が出来ず、申し訳ございません……」

「馬鹿か! あやつは、まだ馬鹿が治らんのか!」

 レボルトが、怒り叫んだ。

 デーモンロードの身を、本気で案じている。

 何となく、そう感じながら、ガイエルは笑った。

「自ら殺しに向かったようだな、そのリムレオン・エルベットという怪物を」

 自身の暴力のみで、事を成す。

 魔族の帝王とは、そうしなければ地位を保てないものなのだろう。

「……俺は、行くぞ」

 一同をちらりと見回し、ガイエルは告げた。

「デーモンロードが、岩窟魔宮を離れた。今はレボルト将軍による厄介な守りもない……討ち取るならば今だ。一走り追い付いて、俺が仕留める」

「漁夫の利、という言葉をご存じですか。ガイエル殿」

 シーリン元王女が言った。

「王都を支配しているという怪物と、デーモンロードを、まずは戦わせる……上手くすれば、共倒れを狙う事も出来ると思いますが」

「さすがはモートン王子の妹君。確かに頭を使って戦うのならば、そうするべきなのかも知れん」

 求めてもいなかった玉座の上で四苦八苦しているであろうモートン・カルナヴァートの姿を、ガイエルは思い浮かべた。

「だが実際にやってみると、共倒れを狙うやり方というのは存外、上手くゆかぬもの……レボルト将軍ならば、おわかりの事と思うが」

「……確かにな。赤き魔人よ、貴様とデーモンロードの共倒れを狙って、私は随分と周到に立ち回ってきたつもりなのだが」

 うなだれたまま、レボルトが呻く。

「貴様も、それにデーモンロードも、度を超えた馬鹿だ。馬鹿どもは、私の思い通りに動いてくれん」

「いくらか頭を使わねばならん過程があるにせよ、物事は大抵、最終的には力で解決するものだ。俺は行くぞ。デーモンロードを倒すついでに、リムレオン・エルベットとやらも叩き殺してやる。そうすれば、この国における厄介事は全て終わりだ。ティアンナも、大手を振ってヴァスケリアへ帰る事が出来る」

「はっはっは、人の話聞かねえ野郎だなてめえも」

 ゼノスが笑いながら、ガイエルの赤い髪を掴んだ。そして右足を離陸させた。

 腹にズドッ! と衝撃がめり込んで来る。

 ガイエルは一瞬、呼吸が詰まった。身体が、前屈みに折れ曲がっている。

 ゼノスの、膝蹴りだった。

「兄さんを叩ッ殺しちゃ駄目だろーがああ!? ここは説得して正気に戻して助けてやるっつう流れだろうがコラ。ああティアンナ姫、心配すんなよ。兄さんは俺が助けてやっから」

「ほう……貴様が、人を説得? 犬に字の読み書きをさせるより難しかろうなあ!」

 呼吸を回復させながらガイエルは、ゼノスの顔面に、返礼の拳を叩き込んだ。

 頑強な手応えが、返って来た。

 少しだけよろめいたゼノスが、すぐさまガイエルの胸ぐらを掴んでくる。

「2、3日は動けねえようにしてやんからよ、てめーはここで大人しくしてろ。デーモンロードは俺がブチ殺す。兄さんは助ける。そんで俺とティアンナ姫の仲人やってもらうんだぁあああい!」

「……寝言は、寝て言え。今すぐ眠らせてやる!」

 ゼノスの拳が、ガイエルの顔面を直撃する。

 ガイエルの拳が、ゼノスの顔面に叩き込まれる。

 ゼノスは微量の鼻血を噴出させ、ガイエルは口の中を切った。

 とめどない血の味を、口内全体で感じながら、ガイエルは頭突きを叩き込んだ。ゼノスも返して来た。

 両者の額が激突し、火花と鮮血が散った。

「心配すんな、結婚式にゃテメーも呼んでやっから祝辞ちゃんと考えとけやあああ!」

「ああ、考えておいてやる。貴様への弔辞をな!」

「や、やめないか! 2人とも」

 マディックが割って入って来た。いつの間にか、緑色の魔法の鎧を身にまとっている。

「今は、そんな事をしている場合ではないだろう!」

「……こやつらにバルムガルドの命運を託さねばならんのか、私は……」

 レボルトが、暗い声を発している。

「放っておきなさい、マディック司祭」

 ティアンナが、呆れたような声を発している。

「そのお2人は、とても仲が良いのだから」

 ゼノスとガイエルの叫びが、重なった。

「そ、そんな事ぁねえよティアンナ姫!」

「仲が良いわけがない! まあ犬としてなら、可愛がってやらん事もないが」

「はっはっは、可愛がってやんのぁ俺の方だっつうぅううの! おら頭出せ! 2、30発くれえ撫でてやっから」

「黙れ野良犬! 今から俺が貴様を躾けてやる。玉乗りでも何でも出来るようにしてやる! ありがたく思え!」

 掴み合おうとする2人の間で、マディックが揉みくちゃにされている。魔法の鎧がなかったら、肋の何本かは折れているところであろう。

 そんな光景を、ティアンナは無視した。

「レボルト将軍。貴方に、この村の守りをお願いする事は出来ますか?」

「それは、いかなる意味……よもや、ここにいる全員でラナンディアへ赴くなどと」

「リムレオン・エルベットと(ゆかり)ある方々は、すでにその気になっておられる様子」

 魔法の鎧を身にまとい、仲裁に悪戦苦闘しているマディック・ラザン。

 たくましい両腕を組み、何やら沈思しているブレン・バイアス。

 魔石の杖を握り締め、唇を噛んでいるシェファ・ランティ。

 その3名を見回し、ついでにゼノスとガイエルを見据え、ティアンナは言った。

「それに……見ての通り、そのお2人だけで外出など、させるわけにはいきません。私も行きます」

 危険だ、とガイエルは叫ぼうとした。ゼノスも、同じ事を言おうとしたようだ。

 そんな2人に、鋭く澄んだ青い瞳をじっと向けたまま、ティアンナは言った。

「彼をこのような戦いに引き込んだ、私の役目……リムレオンは、私が助けます」

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