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第132話 魔神、起つ

 拳の一撃で、中身の肉体もろとも潰れてしまう。

 紛い物、としか思えなかった。

「ヴァスケリアの人間ども……こんなものに頼らねばならぬところまで、追い詰められていようとはな」

 いくらか哀れみを感じながら、デーモンロードは左の拳を振るった。

 戦斧で斬り掛かって来た鎧歩兵が1体、グシャリと原形を失った。

 鈍色の全身甲冑が破裂し、肉か臓物か判然としないものが激しく噴出して飛び散った。

 やはり、紛い物である。

 本物は、デーモンロードの力をもってしても素手では粉砕出来ない。装着者の防御技術次第では、炎の鞭や炎の剣をも弾き返す。

 それが、魔法の鎧というものだ。

 ゴズム岩窟魔宮やタジミ村から、それほど遠くない平原である。

 魔法の鎧の紛い物に身を包んだ歩兵たちが、群れを成していた。口々に、祈りの言葉を唱えながら。

「この地上に……永遠の安らぎを……」

「争いなき永遠の王国を築くべく……我ら、争いを為さん……」

「唯一神よ、我らに罰を与えたまえ……我らを、導きたまえ……

 長剣、槍、戦斧に鎚矛……様々な武器が、祈りに合わせて全方向からデーモンロードを襲う。

 その襲撃の中、青黒い悪魔の巨体が、猛々しく禍々しく躍動した。

 凶悪なほど力強い両手が、鎧歩兵たちを殴り潰し、引きちぎる。

 広く分厚い翼が激しく羽ばたき、襲い来る剣を、槍と戦斧を、鎚矛を、ことごとく弾き飛ばす。

 よろめいた鎧歩兵たちを、青黒い大蛇のような尻尾が、次々と刺し貫いてゆく。

「……唯一神に導かれた先が、ここか」

 鈍色の全身甲冑が裂け、破け、ちぎれ、中身の肉体が潰れ蠢きながら露出する。

 そんな死に様を晒す者たちを見回しながら、デーモンロードは嘲笑った。

 魔法の鎧の粗悪な量産品を身にまとう、唯一神教徒の群れ。

 この者たちが軍勢を成してヴァスケリアからバルムガルドに入り込み、魔族の部隊を各地で撃ち破っているという。

「だからと言って、貴方が前線に出る……魔族の総大将という身でありながら、こんな戦いをする。少し軽率過ぎるとは思わないの?」

 そんな事を言いながらメイフェム・グリムが、左手で鞭を引いている。

 手首の辺りから生えた、生体器官である鞭。それが10体近い鎧歩兵を一まとめに縛り、締め上げ、メキメキッ……と凹ませてゆく。

 鈍色の全身鎧のあちこちが破裂し、蠢く肉塊がブチュブチュとちぎれながら露出する。

「貴方、前線に出て何度も死にかけているんでしょう? そういう事があっても私、助けないわよっ」

 筋骨たくましい異形の美脚が、いくらか後ろ向きに跳ね上がって弧を描く。猛禽の爪が一閃し、襲い来る鎧歩兵3体を薙ぎ払う。

 魔法の鎧の紛い物が3つ、蠢く中身もろとも真っ二つになった。

 相変わらず見事な殺戮を見せる女魔獣人間に、デーモンロードは微笑みかけた。

「ほう、私の身を案じてくれるのか? 我が妃よ」

「助けない、と言っているのよッ!」

 鎚矛で殴り掛かった鎧歩兵が、メイフェムの蹴りを喰らい、吹っ飛んで来る。

 それをデーモンロードは、右拳で迎え撃った。

「魔族の総大将なればこそよ。先陣を切り、力押しを行って見せねばならんのだ……このように、な」

 鈍色の全身鎧が、ひしゃげて潰れた。肉か臓物か判別し難いものが溢れ出し、ビチャビチャと飛散する。

 人間ではない。残骸兵士の肉体であった。

 魔獣人間に成り損なった者たちが、魔法の鎧の出来損ないを装着し、魔族に戦いを挑んでいるのだ。唯一神の御名を、口にしながら。

「かくして唯一神は……我が道を、示したまえり……」

「人々に平和を……ローエン・フェルナスの、聖なる教えを……」

「聖なる、万年平和の王国を……」

 祈り、武器を構え、押し寄せて来る鎧歩兵の群れ。

 その真っただ中に、メイフェムが猛然と斬り込んで行く。

 鋭利に甲殻化した女魔獣人間の右手が、縦横に長剣を振るう。

 鈍色に武装した残骸兵士たちが、鎧もろとも切り刻まれ、蠢く肉片が金属片と一緒くたに飛散する。

「随分と思いきり良く、殺すものよな」

 デーモンロードは声をかけた。

「同じ、唯一神教徒ではないのか?」

「私はアゼル派、この屑どもはローエン派よ」

 群れる鎧歩兵たちを、猛禽の爪でザクザクと蹴り裂きながら、メイフェムは言った。

「貴方たち魔族も、一枚岩ではないでしょう? 唯一神教会も、それと同じ……それ以上かも知れないわね」

「なるほど、アゼル派か」

 アゼル・ガフナーとは、デーモンロードも何度か戦った事がある。

 宗教などとは無縁としか思えない、あの男の名が、唯一神教会の礎に刻み込まれてしまったのだ。

 生首が、飛んで来た。

 鈍色の兜と面頬に包まれた、残骸兵士の頭部。

「……約束は守ってもらうわよ、デーモンロード」

 首無しの屍を踏み付けながら、メイフェムが言う。

 投げつけられた生首をグシャリと握り潰しながら、デーモンロードは応えた。

「バルムガルド国王ジオノス3世、その母であるシーリン・カルナヴァート元王女……それに、あのマチュアとかいう小娘。以上3名の身の安全は、我ら魔族が保証する。わかっておるとも。我が愛しき妻の願い、男として受け入れぬわけがあるまい?」

「…………」

 メイフェムは、激しく顔をそむけながら身を翻した。

 美しく筋肉の隆起した裸身が、竜巻の如く捻転する。

 鎧歩兵が2体、いや3体、ほぼ同時に砕け散った。

 猛禽の爪を生やした片足が、肉か臓物か判別し難いものをこびり付かせたまま着地する。

 憎悪を、憤懣を、情念を、まとめて叩き付けるような、実に見事な蹴りであった。

 この女は今、どうにもならぬ情念を渦巻かせ、燃え上がらせているのだ。

 昨夜も、そうであった。

 デーモンロードの巨体の下で、あるいは腹の上で、激しく揺れながら、このメイフェム・グリムという女は、ある1人の男の名を叫ぼうとして唇を噛んでいた。

(貴様が生きておればなあ、ケリス・ウェブナーよ)

 その男に、デーモンロードは心の中で語りかけた。

(貴様の目の前で、この女を可愛がってやれたものを……ふ、ふっふふふ、ふはははははは)

『……いい気なものですわね』

 心の中の語りかけに、何者かが反応してきた。

『お2人がまさか、このような関係になっておられるとは……祝福して差し上げたいところですけど、そんな場合ではありませんわ』

(誰かと思えば……久しいな、ブラックローラ・プリズナよ)

 デーモンロードは、念話で応えた。

(私の力をもってしても、貴様の魂までは灼き殺す事が出来なかったようだな)

『……借りをお返ししたいところですけど、そんな場合でもありませんわね』

 ブラックローラ・プリズナが、これほど深刻な口調で何かを喋る。それは、赤き竜が討たれた時以来である。

(……そんな場合でなければ、何の用だ? 何事か、起こったのか)

『何かしら異変が起こっている事は、デーモンロード様も掴んでおられますわよね。もちろん』

(王都ラナンディアで、何かが起こった。その報告は受けておるが)

 ラナンディアを統治していたオークロードは、死んだ。

 ヴァスケリアで行方をくらませたリムレオン・エルベットが、ブレン・バイアスを伴ってバルムガルド国内に入り込み、オークロードそしてゴーストロードをも討ち取ったらしい。

 レボルト・ハイマンが現在、ラナンディアにおいて、リムレオン一党と交戦中であるという。

 その最中、異変が起こった。

 デーモンロードが受けている報告は、そこまでである。

 何者かが、すぐ近くに跪いていた。

「レボルト・ハイマン直属部隊……王都ラナンディアより戻りましてございます、デーモンロード様」

 1体の、魔人兵だった。

 見た目は単なる残骸兵士だが、今メイフェムに虐殺されている者たちとは鍛え方が違う。魔法の鎧の出来損ないなど必要としない、精鋭部隊の一員である。

「レボルトめ、ようやく戻ったのか……リムレオン・エルベットの首級は、持ち帰ったのであろうな?」

 敗れて逃げ帰って来たのだとしても、自分にそれを咎める資格はない、とデーモンロードは思った。

 何にせよ、レボルト自身が報告に来ない。これは一体、いかなる事態を意味しているのか。

「よもや……逆に、首級を挙げられてしまったわけではあるまいな?」

「御安心を、レボルト将軍は御存命であります」

「ならば伝えろ。敗北の責は問わぬゆえ自身で報告に来い、とな」

「その前に……将軍よりデーモンロード様へ、お言伝が」

 平伏したまま、魔人兵は言った。

「魔族は、赤き魔人……竜の御子と、手を結ばねばならぬ。と」

「……ラナンディアで、一体何が起こったのだ。まずは、そこから報告せよ」

 レボルト・ハイマンが、ガイエル・ケスナーとの同盟を口にする。まず有り得ない事態である。

 有り得ない事を、あの男に決断させるほどの何かが、ラナンディアでは起こったのだ。

「リムレオン・エルベットが、怪物と化しました」

 魔人兵が、意味不明な事を言っている。

「デーモンロード様と竜の御子が手を結ばねば、あの怪物には勝てぬ……レボルト将軍は、そうお考えです」

「何を、わけのわからぬ事を……レボルトめは今どこにおる」

「ブレン・バイアスを伴い、タジミ村に」

 ブレン・バイアスを捕虜にした、という事であろうか。だとしたら、そこそこの武勲ではある。

 が、どうやらそんな単純な話ではなさそうであった。

『そのレボルト将軍とかいう御方がおっしゃっているのは、本当の事ですわよ。デーモンロード様』

 ブラックローラが、魔人兵の報告を補足した。

『考え無しのゴーストロードが、やらかしたのですわ……よりにもよって、あの男を!』

(あの男……とは?)

 1人の男の姿が、デーモンロードの脳裏に浮かんだ。

 ブラックローラが、ここまで警戒心を露わにする相手。1人しか、デーモンロードには思いつかない。

「まさか、とは思うが……あの男、ではあるまいな」

 デーモンロードは、つい肉声を発してしまった。

 鎧歩兵をあらかた殺し尽くしたメイフェムが、怪訝そうに振り向いてくる。

 この女を含む数名の同行者と共に、あの赤き竜と戦った男。

 あの戦いを経て人間をやめた挙げ句、竜の御子に殺された男。

 死んだ者は、生き返らない。だが生前よりも禍々しい存在となって、この世に出現する事はあり得る。

 それは、このブラックローラ・プリズナを見ても明らかだ。

『魔族にとって、最も忌むべき相手が……リムレオン様の肉体を奪い、この世に舞い戻って来たのですわ。愚か者の、ゴーストロードのせいで!』

「なるほど。リムレオン・エルベットが怪物と化した、とは、そういう意味か」

 隻眼の異相を、デーモンロードは歪めた。微笑みか、憤怒の形相か、自身でもわからない。

「確かに……怪物よな。レボルトよ、竜の御子と手を結べという貴様の意見はもっともだ。よくわかる」

「レボルト将軍は現在、タジミ村にて対談の下準備をしておられます……デーモンロード様と竜の御子の、対談でございます」

 魔人兵の平伏が、深くなった。

「デーモンロード様におかれましては、何卒……」

「竜の御子と話し合い、一時的にせよ手を結べと言うのだな。あの男を、倒すために」

 顔面の左半分を、デーモンロードは片手で押さえた。

 左目を断ち切って走る傷跡が、熱く疼く。

 この傷の借りは無論、返さねばならない。

 一方、あの男が甦ったのなら、討ち倒さねばならない。

 その両方を同時に行う機会が今、訪れたのだ。

「竜の御子が、あやつを倒すまで……我らは、何も出来なかった……」

 微笑みか憤怒か、判然としない形相のまま、デーモンロードは牙を剥いた。

「魔族の総大将として……その屈辱、晴らさねばならん。私1人の力でな……レボルトに伝えよ。余計な事は一切するな、と」

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