第129話 再会と激戦
マチュアの小さな腕の中で、国王ジオノス3世が泣き出した。
同じ魔獣人間でも、ゼノス・ブレギアスには懐いている赤ん坊にとって、メイフェム・グリムは相変わらず恐怖の対象でしかないようだ。
そのメイフェムが、微笑んだ。人間の美女の面影を残す口元が、猛禽のクチバシの下でニヤリと歪む。
「貴女みたいな非力な小動物が……よくもまあ今まで生き延びたものねえ、おチビちゃん」
「いろんな方が、マチュアを守って下さいました……」
赤ん坊を抱いているので、マチュアは涙を拭う事も出来なかった。
「メイフェム様も、そのお1人です……」
「守ってあげた事なんて1度もないわ。貴女の事はね、ずっと大嫌いだったのよ」
「ごめんなさい。でもマチュアはメイフェム様の事、大好きです」
「…………相変わらず…………本っ当に、調子が狂うおチビちゃんねええ!」
メイフェムが叫び、身を翻した。翼ある異形の裸身が竜巻のように捻転し、むっちりと筋肉の付いた美脚が跳ね上がって超高速で弧を描く。猛禽の爪が、後ろ回し蹴りの形に一閃する。
近衛兵士が3人いや4人、その蹴りに薙ぎ払われて臓物をぶちまけた。全員、真っ二つになっていた。
「貴女から先にぶっ殺してあげてもいいのよ!? こんなふうに!」
叫びながら、メイフェムは左手を振るった。血と神経の通った鞭が、毒蛇の如く伸びた。
バルムガルドの元貴族である男たちが、悲鳴を上げた。その悲鳴がすぐに潰れ、黒っぽい血反吐が噴出する。
メイフェムの鞭が、元貴族たち全員を、一まとめに束ね縛り、締め上げていた。
「こんなふうに! こんなふうにっ!」
メキメキと締め上げられ、凹み潰れながら、彼らは空を飛んだ。メイフェムが左腕を振り上げ、振り下ろしていた。
元貴族たちが、一固まりの巨大な肉団子と化してゆく。
その肉団子が、近衛兵の一団に叩き付けられた。
いくつもの手足が絡み合いながらちぎれ、眼球と脳が一緒くたに噴出し、臓物が飛び出しながら破裂する。元貴族と近衛兵の区別なく全員、潰れながら飛び散っていた。
「こんなふうにぃいいいいいッッ!」
血と脳漿と臓物の汁気にまみれた鞭が、メイフェムの怒声に合わせて横薙ぎに一閃する。
何本もの木が、ことごとく幹を切断され、倒れてゆく。
それと共に近衛兵士数名が、首から上を失っていた。いくつもの頭蓋骨が破裂し、砕けた脳が高々と噴き上がる。
「メイフェム様……」
泣き喚くジオノス3世を抱いたまま、マチュアは呆然と立ち尽くした。
本当に久しぶりだ、と思った。こうなるとメイフェム・グリムは止まらなくなる。この女性は本当に、何も変わってはいない。
「ひっ……」
近衛兵の1人が、逃げ腰になりながら木に激突し、幹にすがりつくように怯えている。
そこへ容赦なく歩み迫ろうとしたメイフェムの動きが、止まった。
怯える兵士を背後に庇って、マディック・ラザンがそこに立ったからだ。
「……貴女なのでしょう、先生」
メイフェムと顔見知り、なのであろうか。
「俺に1つの道を示してくれた貴女が、道を踏み外している……という事なのか」
「道など示したつもりはないわ。私はただ、戦いの稽古をつけてあげただけ」
メイフェムは笑った。親愛の笑みか、それとも嘲笑か。
「武の素質の欠片もない貴方が、よくもまあ私のしごきに耐えたものよね。それは誉めてあげるけど……だからと言ってまさか、私と戦えるつもりになっている、わけではないわよね?」
「黙って見ているわけにはいかない。ただ、それだけだ……たとえ相手が、貴女であろうとも」
言いつつマディックが、右の拳を掲げた。
その中指で、竜の指輪が光を発する。
「それは……」
メイフェムは、いくらか驚いたようだ。
「そう、貴方もなのね……いいわ、久しぶりに稽古をつけてあげましょう」
「その前に1つ訊きたい。先生、貴女は魔獣人間となって……デーモンロードに、与しているのですか。魔族の一員として、この村を攻撃しているところなのですか」
「……だとしたら?」
「貴女と戦う事に、迷いが無くなる。それだけだ……武装、転身!」
マディックは、左手で右手首を掴んだ。
竜の指輪が、緑色に激しく輝いた。
その光が、マディックの右拳から、左右真横に伸びて行く。
そして長い棒……否、槍として実体を得た。
その時には、マディックの全身は、緑色の甲冑に覆われていた。
「早く逃げろ、お前たち」
生き残り、怯えている近衛兵たちに言葉をかけながら、マディックは魔法の槍をブンッと振るい構えた。
「そして考えろ。今この国が、こういう相手に脅かされているという現実をな!」
緑色に武装した身体が、魔獣人間バルロックに向かって、猛然と踏み込んで行く。
魔法の槍が、光を帯びた。
唯一神の聖なる力を、物理的攻撃力として発現させる技術。癒しの力と同属性でありながら真逆の効果をもたらす、聖職者の闘法。
その輝きを放つ槍先が、まっすぐに女魔獣人間を襲う。
「メイフェム様……!」
マチュアが悲鳴を上げている間に、メイフェムは右手を動かしていた。突き込まれて来た魔法の槍を、はたき落とすように受け流していた。
前のめりに揺らいだマディックの身体を、バルロックの右足が襲う。
緑色の魔法の鎧から、血飛沫のような火花が散った。胸板の辺りに、猛禽の爪が叩き込まれていた。
「ぐっ……」
マディックの身体が揺らぎ、よろめき、だが次の瞬間には止まった。
その全身に、メイフェムの鞭がビシビシッと巻き付いていた。
「少し前にね、私……同じく魔法の鎧を着た坊やとお嬢ちゃんを、こんなふうに叩きのめした事があるのよ」
マディックの身体を左手の鞭で引きずり寄せながら、メイフェムが微笑み、右手を振るう。鋭利な甲殻質の五指が、掌が、平手打ちの形に一閃する。
緑色の兜と面頬がビシィッ! と激しく揺らいだ。
「懐かしいわ。あの2人、今頃どうしているのかしら……ふふっ、懐かしいと言えば貴方をこうしてボッコボコにするのも久しぶりねええ!」
笑いながらメイフェムが、楽しそうに平手打ちを往復させる。
マディックの兜から、面頬から、立て続けに火花が散った。その中に、血飛沫が混ざった。
「メイフェム様、やめて……」
やめてくれるわけがない。それでも声を出そうとするマチュアの肩に、誰かが手を置いた。
「ここまでよ……逃げましょう、マチュアさん」
「ティアンナ姫……」
「今ここで何よりも守るべきは、貴女と陛下の身の安全……バルムガルドの近衛兵士たちよ、貴方がたも早くお逃げなさい! 私たちの力で、この魔獣人間と戦う事は出来ません」
ゼノス・ブレギアスを呼んで来るしかない。どう見ても、そういう状況である。
(戦うの……? メイフェム様と、ゼノス王子が……)
どちらもマチュアにとっては、かけがえのない恩人である。
「お初にお目にかかるわねえ、エル・ザナード1世陛下」
動かなくなってしまったマディックを、片足で踏み付けながら、メイフェムは言った。
「私、物陰から貴女を見ていた事があるのよ? ゴルジ殿が妙に貴女の事を買っていたから、殺さずにいてあげたけど」
「メイフェム・グリム……貴女にはいずれ、正式な法の裁きを受けていただかなければなりません。ゴルジ・バルカウスと共に魔獣人間の禍いを振りまいた罪、うやむやになったわけではありませんよ」
マチュアを背後に庇いつつ、ティアンナが、ヴァスケリアの王族としては当然の事を言った。
「そして今、魔族に与して、この国に禍いをもたらそうと言うのなら……もはや、法の裁きでは済まなくなりますよ」
「わかっているわ。この村にはゼノス王子もいる、ガイエル・ケスナーもいる。あの2人が出て来たら、私なんて1秒も生きてはいられない……だけどね、それでも! このクズどもを生かしておく事なんて出来ないのよおおおおおおおおおおッ!」
メイフェムの絶叫に合わせ、近衛兵士たちが数人同時に砕け散った。
鞭が、荒れ狂う毒蛇の如く宙を裂いていた。いくつもの眼球を、脳の飛沫を、蹴散らしながら。
「あんた方の親兄弟やら子供やらが、国境の戦でガイエル・ケスナーに殺された! それは戦だったから! 弱い方が殺されるのは当たり前でしょう!? こんなふうに、こんなふうに! こんなふうにぃいい!」
鞭だけではない。異形化した左右の美脚が立て続けに跳ね上がり、嵐の如く弧を描く。猛禽の爪が、荒々しく閃く。
それは蹴りでもあり、斬撃でもあった。
逃げ惑い始めた近衛兵士たちが、叩き斬られながら粉砕され、原形を失ってビチャビチャと飛び散る。血と肉片と臓物が、森全体を汚し続けた。
「それを今更うだうだと根に持って、くだらない事をやらかす! バルムガルド人ってのは、そんなクズどもの集まりなわけ? 私たちがヴァスケリア1国で赤き竜の禍いを食い止めたのは、本当に必死に食い止めたのは! そんなゴミどもを守るためだったってわけ!? 答えなさいよねえちょっとおおおおおお!」
近衛兵団の最後の1人を、メイフェムは左手で掴んで引きずり寄せた。
掴まれた時点で、その兵士は首が折れて絶命していた。だがメイフェムは止まらない。屍の腕を引きちぎり、脚を掴んで股を裂き、噴出した消化器官をさらに掴んでちぎってぶちまける。
血と汚物の混ざり物を全身に浴びながら、メイフェムは叫んでいた。
「私は認めない! こんな動く生ゴミどもを守るためにケリスが死んだなんて、絶対に認めない! さあ返しなさいよ、ケリスを返しなさいよ! 返しなさいよケリスをケリスをケリスケリスケリス、ケリスぅうううううううううううッッ!」
怒声が、あるいは慟哭が、森全体に響き渡る。
拍手が、聞こえた。
「見事……惚れ惚れするような殺しぶりであったぞ、メイフェム・グリムよ」
巨大な怪物が、木陰に佇んでいた。凶悪なほど力強い両手を打ち合わせ、重厚な拍手をしている。
青黒い外皮に覆われた、筋骨たくましい巨体。広く分厚い、皮膜の翼。その顔面は、猛獣のようでもあり、猛禽あるいは怪魚のようでもある。
悪魔。一言でそう表現出来る怪物であった。
メイフェムが絶叫を止め、息を呑む。
「デーモンロード……」
「人間どもを殺戮しているお前が、一番美しい……見ろ、勃ってしまった」
悪魔の股間で、禍々しくも猛々しいものが屹立している。
何者かが、ずかずかと足音を響かせながら叫んだ。
「おいてめえ何だそりゃあ! ティアンナ姫もマチュア嬢ちゃんもフェル坊もいるとこで、何おっ勃ててやがる!」
獅子の口が牙を剥いて吠え、山羊の角と荒鷲のクチバシが振り立てられる。
ゼノス・ブレギアス……魔獣人間グリフキマイラ。その股間でも、デーモンロードに負けぬものが固く膨張していた。
「俺と張り合おうってのかコラ、俺だってティアンナ姫を思うだけでなあああ」
「いいから早く戦いなさいっ」
ティアンナが、ゼノスのたくましい尻に蹴りを入れた。三つ首の魔獣人間が、嬉しそうな悲鳴を上げる。
マチュアは、頭痛を覚えた。
(お似合いなのに……こういう所さえなければ、ティアンナ姫ともお似合いなのに……)
「て、てめえがデーモンロードか。岩窟魔宮まで行く手間が省けたぜ」
言いつつゼノスが、リグロア王家の剣を抜いた。
「何の事ぁねえ、てめえをブチ殺しゃあ何もかんも丸く収まるんだよ……ああ、それとメイフェム殿。マチュア嬢ちゃんが、本当に寂しがってたぜ」
「ゼノス王子……」
「これからは、ずっと一緒にいてやんな……この勃起野郎は、俺がぶっ殺しておくからよ」