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第128話 再会と殺戮

 泣き喚いていた国王ジオノス3世が、今はマチュアの小さな腕に抱かれて、きゃっきゃっ、とはしゃいでいる。

 のんびりと、そんな様を見るのも久しぶりだ。

 そう感じながらティアンナは今、タジミ村内の森の中を歩いていた。ゆっくりと森林の空気を吸いながら散歩をする時間が、久しぶりに出来たのだ。

 姉である王母シーリン・カルナヴァートは、相変わらず多忙である。王宮代わりの村長宅で、様々な政務に追われている。

 そんな母親の近くで、国王がむずかり泣き出したため、こうして屋外に連れ出さざるを得なかったのだ。

 周囲の木陰で、近衛兵士たちの姿が見え隠れしている。

 彼らに護衛されながら、マチュアに抱かれながら、ジオノス3世はようやく機嫌を直したところだった。

「御機嫌いかがですかー陛下、お母様が忙しくて寂しいですかぁ。でもマチュアと一緒に我慢しましょうねえ……マチュアもね、会いたくて会えない人がいて寂しいのです」

 法衣姿の幼い女の子が、もっと幼い赤ん坊をあやしている。

 微笑ましい光景を眺めながら、しかしティアンナは、あまり微笑ましくない話をしなければならなかった。

「結局……ヴァスケリア北部の独立を防ぐ事は、出来そうにありませんか」

「大領主ラウデン・ゼビル侯爵、それに聖女アマリア・カストゥール。独立の立役者と言うべきは、この両名のようです」

 マディック・ラザンが、並んで歩きながら、知る限りの事を話してくれている。

 唯一神教会の情報網は、国境を越えるようであった。

「ラウデン・ゼビル侯爵とは面識があります。武人としても領主としても、極めて有能な人物であると存じ上げていますが……そのアマリア・カストゥールという方は一体どのような」

「聖女ですよ。そこのマチュア殿とは違う、紛い物の聖女です」

 マディックの口調には、憎悪に近いほどの侮蔑があった。

「難儀をしている民衆の心につけ込み、ローエン派の勢力を拡大しながら……唯一神教会を誤った方向へと導きつつある、稀代の女ペテン師と言えるでしょう。いずれ、どうにかしなければならない相手です。魔法の鎧の暴力を用いてでも」

 握り固められたマディックの拳で、竜の指輪がキラリと光った。

 ヴァスケリア北部の民衆が難儀をしているのは、前女王エル・ザナード1世の不手際によるものだ、とティアンナは認識している。

 ダルーハ・ケスナーの叛乱によって荒廃のどん底へと叩き落とされた人々を、救えなかった。

 救う役割を、ローエン派が代わりに果たしてくれたのだ、という考え方も出来なくはない。

 だがマディックは、そうは思っていないようであった。

「あの偽物聖女が、宗教的権威を上手く利用しつつラウデン侯に取り入って……おっしゃる通りヴァスケリア北部は、今やほとんど独立した宗教国家の体を成しているようです。国王ディン・ザナード4世陛下も、懸命に対策を講じておられるようですが」

「旗色が悪い……と?」

 望まぬ玉座に座って四苦八苦している兄モートン・カルナヴァートの姿を、ティアンナは思い浮かべた。

 自分がこんな所にいるせいで、兄は1人で苦労をしている。

 否、1人ではないはずであった。ヴァスケリア国王ディン・ザナード4世には、エルベット家という強力な後ろ盾が存在する。

「国王陛下の片腕とも言うべきエルベット家が、失脚したのです」

 マディックが言った。

 ティアンナは、耳を疑った。

「申し遅れましたが、実はクラバー・ルマン大司教が死にました。エルベット家による殺害、という事になってしまっているようです」

「罪を着せられた、という事ですか?」

「エルベット家を失脚させるために、大司教を切り捨てる。アマリア・カストゥールの考えそうな事です」

 ディン・ザナード4世が、前王エル・ザナード1世などよりもずっと優れた国王であるとは言え、エルベット家が失脚したとなれば、その力は半減すると言っても過言ではない。

「当主カルゴ・エルベット侯爵は、大司教殺害指示の嫌疑をかけられて投獄。その子息、サン・ローデル侯リムレオン・エルベットは……先程、村の教会に届いた情報によりますと、失踪中との事です」

「失踪……リムレオンが……」

 政治的闘争においては、魔法の鎧も全くの無力、という事であろうか。 

 ガサッ……と茂みが鳴った。

 木陰に隠れて国王警護を行っていた近衛兵士たちが、ぞろぞろと姿を現す。

「? どうしたのですか……」

 問いかけながら、ティアンナは息を呑んだ。

 兵士たちがティアンナを、マディックを、マチュアそしてジオノス3世を取り囲み、槍を突き付けてきたのだ。

 国王を抱いたまま立ちすくむマチュアを、マディックとティアンナが2人がかりで背後に庇う。

「……何の真似だ?」

 マディックが問いかける。兵士たちは、答えない。

 答えたのは、彼らに続いて木陰から現れた男たちだ。

「国王陛下をお迎えに上がったまで……手荒な事はせぬ」

「もっとも、そなたら次第だがな」

 ティアンナも、顔と名前は知っている。前王ジオノス2世の治世において様々な利権を貪っていた、元貴族たち。

 こういう輩は、ヴァスケリア王宮にもいた。まとめてダルーハ・ケスナーが始末してくれた。

 同じような有象無象と思われていた者たちが、しかしこのように近衛兵団を手懐けて事を起こすような手腕を有していた。それがティアンナは、いささか意外ではあった。

「ヴァスケリア王族の姉妹などに、国王陛下の御身を委ねておく事など出来ぬ」

「繰り返すが、手荒な事はしたくない。さあ、陛下をこちらへお渡し願おうか」

 ゼノス・ブレギアスとガイエル・ケスナーがここにいなくて本当に良かった、とティアンナは思った。あの両名のどちらか片方でもこの場にいたら、今頃すでに殺戮が始まっている。赤ん坊や子供の眼前で、生首が飛び臓物がぶちまけられる。

 ガイエルもゼノスも国王の傍にいない時を、この元貴族たちは狙っていたに違いない。

「……馬鹿な事はやめろ。今はそんな場合ではないというのが、わからないのか」

 このマディック・ラザンという男が、しかし意外に無茶をする、というのはシェファ・ランティの言葉である。

「バルムガルドが、王母様の下で辛うじて王国の体を成している……そんな状態で、魔物どもと戦わなければならないという時に」

 元貴族たち、ではなく近衛兵団に、マディックは語りかけているようだった。

 その近衛兵士の1人が、言った。

「ティアンナ・エルベット王女……否、女王エル・ザナード1世陛下にお尋ね申し上げる。国境の戦において、かの赤き魔人が我が軍を大いに殺戮したるは、貴女の御意思によるものか」

「俺の弟と叔父貴は、あのバケモノに叩き潰されて……誰の死体だかも、わからなくなっちまった」

 別の1人が呻き、叫んだ。

「やったのは、あのバケモノ……やらせたのは、あんた……そうゆう解釈でいいのかよ、おい!」

「それは……」

 ティアンナは、何も答えられなかった。

 迂闊だった、と言うしかない。バルムガルドの兵士が、ガイエル・ケスナーを味方として受け入れるわけがないのだ。

「あの怪物が、今は我らの味方だと……私の息子はな、あやつに焼き殺されて遺灰すら残っていないのだぞ……!」

「ヴァスケリアの王族とは言え、貴女たち姉妹は信頼の置ける方々だと思っていた。だが元女王よ、噂通り、あの化け物を動かしていたのが貴女であったとなれば話は別だ!」

「この国を貴様らヴァスケリア王族に、そしてあの忌まわしい赤き魔人などに委ねる事は出来ん! さあ国王陛下を渡せ、いや返せ!」

 兵士の1人が、怯えるマチュアに槍を突き付ける。

 何も言えずにいるティアンナに代わって、マディックが言葉を発していた。

「では聞かせてもらおう、バルムガルド人たちよ……赤ん坊の国王を擁立し、何をしようとしている?」

 声が、微かに震えを帯びている。

「王母シーリン・カルナヴァート様も、こちらにおわすティアンナ・エルベット殿下も、ここタジミ村にてバルムガルド王国を1つにまとめ、魔族に対抗せんとしておられる……それ以上の展望を描いた上で、このような暴挙に及んでいるのだろうな?」

「聞きたいか。では聞かせてやろう」

 元貴族の1人が、尊大な声を発した。

「魔族に対抗する、などと言っている時点で古いのだよ貴様たちは。時流を読め。魔物たちが果たして本当に、我が国の民に害をなしているのかどうか、少し情報を集めればわかる事であろう」

「どういう意味だ……」

 マチュアに突き付けられた槍を、掴んで押し返しながら、マディックは呻いた。

「まさかとは思うが……魔族と和解、などとは言わないだろうな? デーモンロードに降服して保身を図る、などとは」

「下郎、言葉に気をつけよ。降服だの保身だのと」

 元貴族の男たちが、尊大極まる口調で、卑小極まる事を言っている。

「働き盛りの男を何名か、労働力として魔族に差し出すだけで、多くの町や村々が安全を確保しているそうではないか?」

「貴女がたヴァスケリア王族御姉妹が何をお隠しになろうとも、我らは我らで情報を集めているのだよ。今この国では、大勢の民が、魔族の庇護を受けて安全に平和に暮らしているそうな」

「人間と魔物の共存は可能、という事だ。赤き竜と戦って国土を疲弊させた、お前たちヴァスケリア人とは違う。我らバルムガルド人は、平和を愛するのだ」

「ジオノス3世陛下はな、魔族との和平を達成なされた賢王として、末永く御君臨あそばす事となる。が、平和的手段を知らぬヴァスケリア人どもが御身の回りにいたのでは、それもままならぬ」

「わかったら、さっさと陛下を渡せ……」

 そう言いかけた近衛兵士の顔面に、マディックは拳を叩き込んでいた。

「……ふざけた事をぬかすなぁあーッッ!」

 怒声を響かせながら、マディックは槍を奪い取り、振り回した。

 長柄がブゥンッ! と唸りを発し、兵士たちを2人3人と殴り倒す。

 倒れた兵士に、マチュアが心配そうに駆け寄ろうとするが、赤ん坊を抱いているので、それもままならない。

 マチュアの使う癒しの力で充分、治せる程度の傷を負いながら、近衛兵たちが次々と殴り飛ばされて木に激突し、ずり落ちて苦痛の声を漏らす。

 怒り狂って槍を振り回している、ように見えてマディックは充分に手加減をしていた。

「平和的共存だと!? お前ら、デーモンロードがそんな相手だと思っているのか!」

 あるいは本気で暴れたとしても、武装兵士を殴り殺せるほどの力を、彼が元々持っていないだけの話か。

 いずれにせよ、この場にいたのがガイエルやゼノスではなくマディックで本当に良かったとティアンナは思う。

 元貴族たちは後ほど裁いて処刑するしかないにせよ、この兵士たちを死なせてしまうわけにはいかない。

「奴が少しでも方針を変えただけで! こんな国など、簡単に滅びてしまうんだぞ!」

 怒り狂っている、と言うより泣き喚いているようでもある声を張り上げながら、マディックは槍を振るって叩き付け、あるいはガイエルと比べて格段に不格好な蹴りを跳ね上げている。

 応戦する近衛兵団が片っ端から殴り飛ばされ、蹴り倒され、苦痛に呻く。

 後で、マチュアに治してもらうしかないだろう。

「今はな、確かにそこそこは平和かも知れない! その代わり、お前らみたいな男が魔物どもに連れ去られて一体どういう扱いを受けているのか……知りたいか、聞きたいか! 胸くそ悪くなる話だぞ、それでも聞きたいのかああああああ!」

 兵士らを蹴散らしつつマディックは、元貴族たちに向かって突っ込もうとする。

「こ……この下郎が……」

 逃げ腰になった元貴族の1人が突然、破裂した。そう見えた。

 胸のあたりから上がパァン……ッと激しく消滅し、様々なものが飛び散っていた。頭髪のこびりついた頭蓋骨の破片、脳漿の飛沫、眼球、歯、その他諸々。

 細長い、蛇のようなものが静かにうねり、宙を泳ぐ。その様を、ティアンナの動体視力が辛うじて捉えた。

「教えたはずよマディック・ラザン……クズは即座に処分するように、と」

 女の声だった。

 足音も聞こえる。人間の足音ではない。巨大な爪で茂みを踏み潰す音。

「誰も彼もを守る事など、出来はしない。守るべきものには優先順位を付けろと……私は貴方に、教えたはずよ」

「本当に守らねばならないものは、他の全てをクズと見なし切り捨ててでも守り抜けと……そう教えてくれた人なら、確かにいる」

 マディックが応え、そして問いかけた。

「貴女……なのですか? まさか……」

 返答代わりのように、蛇のようなものが再び宙を裂いた。今度は見えなかった。

 元貴族の男がまた1人、砕け散った。

 血と脳漿にまみれながら宙を泳いでいるもの。それは、どうやら鞭である。

「貴方は、あまり強くないのだから……クズまで守ってやれる余裕は、ないはずよ」

 その鞭を、彼女は左手から生やしていた。掌と手首の間からだ。

 その手は甲殻質の鋭利な五指を備え、両足は、大地を掴み裂くかのようなカギ爪を伸ばし広げている。

 艶やかに黒光りする全身は、魅惑的な女の曲線を維持しつつも、凶悪なほど力強い筋肉を隆起させていた。

 背中には、左右で形の異なる翼。右が皮膜、左が羽毛である。

「相変わらずの甘さで、今までよくも生きていられたもの……それはまあ誉めてあげるわ」

 そう微笑む口元には、人間の美女の面影が辛うじて残っている。だが頭部の上半分は、庇の形にクチバシを突き出した猛禽の顔面だ。

 魔獣人間。間違いない。ゴルジ・バルカウスの遺産とも言うべき魔獣人間が何体か魔族に与しているのは、ティアンナも知っている。

 マチュアが、いそいそと進み出た。赤ん坊の国王を、女魔獣人間に見せつける感じに抱えながら。

「マチュアさん、駄目!」

 ティアンナの言葉を、マチュアはしかし聞いてなどいない。

「陛下は……フェルディ王子は、ほら見て下さい……お元気です……」

 もはや誰が何を言っても聞く耳持たぬ様子で、マチュアは涙ぐんでいた。

「シーリン様も、マチュアも元気です……お帰りなさい、メイフェム様……」

 

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