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第126話 告知

 身体の奥底に、重いものが蓄積している。

 それが掻き回され、全身に薄く拡散してゆく。

「……あまり、気分の良いものではないな」

「当然だ。不快感の塊を、貴方はずっと身体の奥に抱え込んでいるんだからな」

 マディック・ラザンがそう言いながら、ガイエルの背中にぐいぐいと親指を食い込ませてくる。

 タジミ村。とある民家を借りてガイエル・ケスナーは今、寝台に寝そべっていた。上半身裸で、たくましい背筋をマディックに向けて晒している。人間の若者としての半裸身。その力強くも柔軟な背中の筋肉を、マディックの指が懸命に押しほぐしている最中だ。

「疲労と損傷が、とんでもない密度で凝縮している……癒しの力で、手軽に消し去る事が出来ないほどに。まったく、どんな無茶な戦い方をしてきたんだ」

「1人、どえらい敵がいてな」

 とんでもない密度で凝縮したものが、マディックの指圧によって揉みほぐされ、潰れ砕けて体内に広がり、薄まってゆく。それを感じながらガイエルは目を閉じ、言った。

「そいつには、どうにか勝った。俺の身体はボロボロになったが、その傷も放っておいたら治った。だから何の問題もないと思っていたのだがな」

「それは傷口が塞がっただけだ。傷の痛手そのものは、貴方の体内に今も閉じ込められたままだよ」

 言葉に合わせて、マディックの手指が甲斐甲斐しく動く。

 ガイエルの体内に閉じ込められたまま、であるらしいものが、少しずつほぐれて溶け出し、じんわりと熱を持ちながら、全身の血流に乗っている。

 血の流れも、今までいくらか滞っていたようだ。その滞りも、マディックの指圧によって、心地良くほぐれてゆく。

「お前に、こんな技があったとはな。マディック・ラザン」

「昔、ディラム派の教会で学んでいた頃に教わったのさ。癒しの力に頼らず、人の身体を治療する事が出来る技術としてね」

 以前ヴァスケリア北部で出会った時、この男は大して強くもないくせに無茶をして、ダルーハ軍残党に殺されかけていたものだ。

「今でも武の鍛錬は続けているようだが……そちらは諦めた方がいい、と俺は思うぞ」

 ガイエルは、容赦なく言った。

「こうして他人の肉体を修復する道に、専念してみてはどうだ。そちらの方が、お前は世の中の役に立てると思う」

「武の素質がない、とは何度も言われてきたよ。それでも俺は、強くなりたかった」

 マディックは言った。

「貴方のような、武の素質の塊みたいな人に理解させようとは思わないがね……」

 素質の塊。まあ確かにそうかも知れないとはガイエル自身も思う。

 自分は、この世で最も強大・邪悪な怪物の血を受け継いでいる。生まれつき強いのは当たり前で、それは格別、誇るような事ではない。

 その強大・邪悪なる怪物を、人間でありながら討ち倒した男が1人いる。

 討ち倒した結果、その男は、怪物を超えた怪物となった。

 あの男に比べれば自分など、とガイエルは思う。

(俺は……どうやってあんたに勝ったのか思い出せんぞ、親父殿……)

 身体の奥では相変わらず、重く鬱陶しいものが、不快感の塊となって沈殿している。

 その塊が、少しだけ溶けてほぐれて全身に散り、血で薄められる感じに消えてゆく。

 ほんの、少しだけだ。

 この重く鬱陶しい塊は、こうして毎日ほんの少しずつ、ほぐし崩してゆくしかない。マディックは、そう言っている。

「この塊を、一気に除去してしまえるほどの技術が俺にはない……すまない、と思っている」

「そんな事を言うな。俺はお前に、世話になっている」

 言いつつも、ガイエルは思う。こんなふうに悠長に身体を治している暇を、デーモンロードが与えてくれるはずはない。

 タジミ村の守りは、確かに固いとは言える。

 自分がこうして本調子でなくとも、マディックそれにシェファ・ランティといった、魔法の鎧の勇士たちがいる。

(それに、まあ……あやつもいる)

「おーす! 元気してっか、赤トカゲ野郎」

 血まみれの男が1人、ずかずかと部屋に押し入って来た。

 黒髪の短い、若い男。

 ガイエルよりも若干、筋肉の分厚い全身が、今は返り血でぐっしょりと汚れている。

 不敵で頭の悪そうな顔は、赤く無様に腫れ上がっていた。頭では見事なたんこぶが膨らみ、そこから溶岩の如く血が噴出している。

 この男にこれほどの損傷を与えるのは、ガイエルの力をもってしても至難の業である。

「……何の用だ、魔獣人間」

 勝手に椅子を引っ張り出して座り込んだゼノス・ブレギアスを、ガイエルは寝そべったまま睨み据えた。

「俺に叩きのめされに来たのか。ちょうどいい。自分の身体がどこまで回復したのか、試してみたいと思っていたところでな」

「本調子じゃねえ奴が、でけえ口たたくんじゃねえぜ。今日はなあ、見舞いに来てやったのよ。とびっきりの土産話、持って来てやったぜええ」

 頼まれてもいない土産話を、ゼノスは始めてしまった。

「この村ってよォ、いろんな奴らが集まって来てるよなあ。中には元々ジオノスくそ2世の近くで美味い汁だけ吸ってた野郎どもなんてのもいるわけで」

 そういった輩は当然、ヴァスケリア王族の姉妹によって国王ジオノス3世が擁立されている現状を、快く思ってはいないだろう。

「そーゆう奴が何人か、この近くの小屋ん中で悪だくみしてやがったんだよな。フェル坊をさらって岩窟魔宮に逃げ込むとか、魔族の連中にこの村を売り渡すとか」

「当然いるだろうな。そんな事を考える輩も」

 この村をデーモンロードに売り渡し、保身を図る。そのような者どもを見つけたら、自分ならばどうするか。

 考えるまでもない事だ、とガイエルは思う。

 それを実行してしまった結果、この男はこの通り、返り血まみれになったのだ。

「俺さあ、説得したわけよ。そうゆう事しちゃ駄目だぞって。けど何か、気が付いたら手が出ちまってよお……いやもう、ティアンナ姫に怒られたの何のって」

 怒られた、にしては嬉しそうである。

「電気ビリビリ喰らってボッコボコにぶん殴られた挙げ句、ガスガス踏んづけられたぜぇー。おっ俺、3回くれえ射精しちまったよぉお……どうでい赤トカゲ野郎。俺とティアンナ姫って、こーゆう仲なんだぜえ!? うううらやましーだろ、やーいやーい!」

 顔を腫らせ、頭からドクドクと血を噴きながら、ゼノスは悦び踊っている。

 ガイエルは、とりあえず訊いてみた。

「……なあマディック殿。この男は、いつもこんな調子なのか?」

「俺も長くこの村にいるわけではないけれど、いつもこんな調子らしいぞ」

 答えつつ、マディックは片手を掲げた。その掌が、淡く白い光を帯びる。

 癒しの力が、発動した。

 白色の淡い輝きが、ゼノスの首から上を包み込む。

 血まみれのたんこぶが縮み、顔面から腫れが消え失せてゆく。

「あ、ああっ! ティアンナ姫が俺にくれた愛の証があぁぁ……」

 無傷に戻った己の顔を、頭を、悲しそうに撫で回しながら、ゼノスは嘆いた。そして怒り狂った。

「てめえ! 何て事しやがる!」

「き、気持ちはわからない事もない……いや全然わからないけど、とにかく怪我を放っておくのは良くない」

 ゼノスに胸ぐらを掴まれたまま、マディックがそんな事を言っている。

「……なあ魔獣人間よ。見ての通り俺は今、安静が必要な身だ」

 溜め息をつきながらガイエルは、マディックの胸ぐらから、ゼノスの手を引き剥がした。

「馬鹿を晒して、疲れる思いをさせてくれるなよ」

「安静が必要だあ? 百億回ぶち殺してもピンピンしてる野郎が、すっとぼけた事言ってんじゃねえぞう」

 ゼノスが、ガイエルの赤い髪を掴む。

 ガイエルは、ゼノスの胸ぐらを掴んだ。

「貴様も安静が必要な身体にしてやろうか? ……叩き殺すしかないかな、それには」

「はっはっは、そいつぁこっちの台詞だっつぅううの一生安静にしてやがれクソ爬虫類野郎!」

「ああもう、やめないか2人とも」

 マディックが、割って入って来た。

「貴方がたが本気で喧嘩などしたら、この村が消し飛んでしまうぞ」

「安心しろ。このような野良犬を相手に本気など……」

 そこで、ガイエルの言葉は詰まった。

 言葉も呼吸も詰まるほどの激痛が、身体の奥で疼いたのだ。まるで、何かに呼応したかの如く。

 ゼノスに何かされた、わけではない。

 体内に沈殿・凝縮し、鬱陶しい塊と化していたものが、突然、生命を宿したかのように暴れたのだ。

 まるで、何かに呼応したかの如く。

 激痛の塊を抱え込む格好で、ガイエルは寝台上に倒れ、呻いた。

 ゼノスが、世迷い言を吐いた。

「おう、どうしたてめえ。ウンコでも漏らしたんか? ティアンナ姫に言いつけてやろーっと」

「ふざけるな貴様……ッッ!」

 苦痛と怒りの呻きを、ガイエルは発した。

 その苦痛が、ゆっくりと失せてゆく。

 マディックが、ガイエルを気遣った。

「……大丈夫か?」

「心配は無用だ」

 答えつつガイエルは、鳩尾の辺りを押さえた。

 激痛は失せた。が、ざわつくような疼きは消え失せていない。

 あの戦い以来、ガイエルの身体の奥に沈殿し、鬱陶しい塊となっていたものが、激痛に変わったのだ。まるで、何かに呼応したかの如く。

 この塊の原因である1人の男に、ガイエルは思いを馳せた。

(あの男が……甦った? とでも言うのか……何を馬鹿な……)

 根拠のない、突拍子もない、愚にもつかない思いを、ガイエルは苦笑でごまかすしかなかった。



 艶やかに黒光りする肌。皮膜と羽毛、左右で形の異なる翼。凶器そのものの、猛禽の爪。

 力強く隆起しながら美しく引き締まった筋肉は、人間であった頃からの鍛錬の賜物であろう。

 デーモンロードは思う。魔獣人間とは、人間が怪物と化したものではない。人間が内に秘めたるものを、魔物の体質を植え付ける事によって顕現させた結果である。

 だから、非力で無様な残骸兵士で終わる者もいれば、魔族に匹敵する力を獲得する者もいる。

 この、おぞましくも美しい魔獣人間の姿こそが、メイフェム・グリムという女の本質なのだ。

「相変わらず……根拠のない自信に満ち溢れているのね、デーモンロード殿は」

 生首ほどの大きさの壺を軽く撫でながら、魔獣人間バルロックは言った。

「私を牢獄から出して、なおかつ自由に行動をさせている……一体どういうつもりなのかしらね? 今度は、あの程度の怪我では済まないかも知れないのよ」

「束縛など、もはや必要ないのだよメイフェム・グリム。何をしたところで、お前は私からは逃げられんのだからな」

 岩の玉座にゆったりと巨体を預けたまま、デーモンロードは応えた。

「そなたには今や、魔族の皇妃としての生き方しか残されておらぬ。人間の側に戻れるなどと、よもや思っておるわけではあるまい?」

「私は魔獣人間。人間でも魔物でもない、半端者で充分よ……お前の妃になど、なるくらいならッ!」

 言葉と共に、壺が投げつけられた。

 それをデーモンロードは、左手で無造作に受け止めた。

 たぷっ……と液体の揺れる重い感触が、掌へと伝わって来る。

 竜の血液。この世で、最も危険な物質。

 これと同じものを浴びて人間をやめた男が、1人いた。

 今、目の前で怒り狂っている牝の魔獣人間は、その男の仲間だった女だ。

 あの頃は、1人の勇者に付き従う十把一絡げの一部でしかなかった小娘が、今は見事な、禍々しいほどに見事な、大輪の花を咲かせている。

「だが惜しいかな、過去に囚われ過ぎだ。貴様のその力、前へと進むためのものであろうに……視界に入る者ことごとくを殺し尽くしながら、ひたすら前へとな」

 隻眼の異相をニヤリと歪め、デーモンロードは牙を剥いた。

「何度、後ろを振り向いて見つめようが……ケリス・ウェブナーが生き返る事など、ありはせんのだぞ」

 返答代わりに、メイフェムは跳躍していた。

 むっちりと凶悪で力強い太股が、すでにデーモンロードの眼前にある。

 右側しかない視界が暗転し、その闇の中で火花が散った。

 女魔獣人間の膝蹴りが、デーモンロードの顔面に叩き込まれていた。

「ぬう……っ」

 玉座の上で、青黒い巨体が揺らぐ。

 その時にはバルロックは着地し、次の動きに入っていた。

「ダルーハは死んだ、ドルネオとゾルカも死んだ……今この世でケリスの名前を口にしていいのは、私だけよ」

 ぼやけた視界の中の火花を消せぬまま、デーモンロードは攻撃に備えた。1度でも攻撃が来れば、目は見えずとも捕まえる事が出来る。

 が、いつまで経っても攻撃が来ない。

 羽ばたきの音と足音が、凄まじい速度で遠ざかって行くだけだ。

 デーモンロードの視覚が、回復した。

 メイフェムの姿は、どこにもない。

「逃げた……か」

 デーモンロードは、どっしりと玉座に座り直した。

「どこへ逃げようと、お前は私のもとへ戻って来るしかない……逃げる場所など、ないのだからな」

 人間の世界に、あの女の居場所はないのだ。

「お前は、こちら側の女だ……むっ」

 一瞬の激痛が、デーモンロードの顔面を襲った。

 今の膝蹴りによるもの、ではない。

 左顔面、眼球を断ち切って走る一筋の傷跡。

 あの斬撃が再現されたかのような激痛が、一瞬だけ走ったのだ。

 まるで、何かに呼応したかの如く。

「何だ……何が起こったのだ」

 この傷を刻み込んでくれた相手に、デーモンロードは語りかけていた。

「貴様の身に、何が起こったのだ……リムレオン・エルベットよ」 

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