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第123話 ラナンディア激震(7)

 敵を知る事。

 戦いにおいて、まず最初にやっておかなければならない事である。

 だが敵に関して何1つ情報が掴めぬまま、戦いに臨まねばならない時はある。

 リムレオン・エルベットの肉体に、一体何者が入り込んでいるのか。わからぬままブレン・バイアスは、魔法の戦斧を振るっていた。

「うおおおおおおおッ!」

 声に、斬撃に、気合いが宿る。

 気合いを宿した斧の一撃が、しかしリムレオンの左手であっさりと弾かれた。

 人の前腕の形をした白色の甲殻生物、のような手甲をまとう左手。それが、まるで虫を追い払うが如く跳ね上がり、魔法の戦斧とぶつかり合い、火花を散らす。

 弾き返された戦斧を、ブレンが別方向から叩き込む、よりも早く、リムレオンの右手が攻撃の形に動いた。

 ゴツゴツと大型化した手甲が、固く握り固められて拳となり、ブレンの腹部へと叩き込まれる。

「ぐうっ……!」

 魔法の鎧の上から、とてつもなく重い衝撃が浸透して来て鳩尾を襲う。

 ブレンは呼吸を詰まらせ、身を折った。

「どうした……それしきでは、蟷螂の斧にすらならんぞ?」

 嘲笑いながら、リムレオンは歩いた。右拳で、ブレンの鳩尾を圧迫したままだ。

 白い魔法の鎧のあちこちを禍々しく尖らせた身体が、黄銅色に武装した巨体を、右拳で押し運びながら悠然と歩く。

 ブレンの両足が地面から離れ、ばたばたと無様に揺れた。

「ぐっ……う……わ、若君……ッ」

 どうにか呼吸を回復させながらブレンは、何者かに乗っ取られているリムレオンの意識に呼びかけた。

 無論、返事はない。

 乗っ取られた、のではない。この力、リムレオンが自身の意思で呼び込み、受け入れてしまったのではないのか。

 拳で腹部を圧迫されたまま、ブレンは思った。

 あの少年は、常に力を求めていた。領主として、民を守る。そのための力を。

(戦う者として、それは当然の事……ですが若君、この力は……あまりにも……っ)

 厳つい面頬の内側に呻きを籠らせながら、ブレンはふと視界の隅に捉えた。

 赤黒く錆びた甲冑をまとう人影。体重を感じさせない、揺らめくような動きで、踏み込んで来る。

 レミオル・エルベット侯爵だった。

「その怪物と、戦いを始めてしまったな……もはや逃げる機会は永遠に失われたぞ、愚か者のブレン・バイアス!」

 そんな事を言いながらも、どうやらブレンを助けてくれようとしている侯爵の右手で、炎のようなものが長剣の形を成した。

 揺らめくもので組成された刃が、リムレオンに斬り掛かって行く。

 そちらを一瞥もせずに歩みを止めながら、リムレオンは右腕を振るった。

 拳で押し運ばれていたブレンの巨体が、物のように投擲されて宙を舞い、レミオル侯に激突する。

 そこへ、リムレオンが踏み込んで来る。

 白い暴風のような踏み込み。それに合わせて左手が、五指を開いて突き出される。

 掌底の一撃が、ブレンの鳩尾を直撃した。

 先程、拳を喰らった部分に、寸分の狂いもなく衝撃が叩き込まれる。

 ブレンは、血を吐いていた。黄銅色の面頬の周囲に、血飛沫が散った。

 魔法の鎧を、その内部にある筋骨たくましい全身を、衝撃が激しく貫通して行く。そして背後に重なるレミオル侯爵へと流れ込んで行くのを、ブレンは感じた。

 赤黒い錆の粉末が、飛散した。

 錆びた甲冑の内部で、霊体が一瞬ひしゃげたように揺らぐ。

 重々しい苦痛の呻きを、レミオル侯は漏らした。生身の肉体であれば、ブレンのように吐血していたところであろう。

 生ける甲冑戦士と、死せる騎士とが、リムレオンの足元で一緒くたに倒れた。

 倒れたブレンの頭を、リムレオンが片足で踏み付ける。魔法の兜の上から頭蓋骨に、容赦ない圧迫が加えられて来る。

「レミオル侯……貴方のように中途半端な形で迷っておられる魂を救って差し上げるには、どうすれば良いか御存じか?」

 踏み付けているブレンに、ではなく、その傍らで倒れているレミオル侯に、リムレオンは語りかけていた。

「粉砕する。それしかないのですよ。魂を、跡形もなく打ち砕く。打ち砕かれた魂は消滅し、もはや唯一神の下へ旅立つ事はないが、未練や妄執に苦しむ事もない。魂の完全なる消滅、すなわち永遠の安らぎよ。生前の御恩に報いるためにも、俺は貴方を跡形もなく粉砕して差し上げよう……図体のでかい鎧の男よ、貴様はもうしばらく生きて、俺の弱い者いじめに付き合え」

 足元のブレンを、リムレオンは踏みにじり、見下ろした。

 怪物の頭蓋骨の如く異形化した白い面頬から、眼光が禍々しく溢れ出してブレンに降り注ぐ。

 右だけの、凶猛なる眼光。

 叩き付けるようなこの眼差しを、自分はやはり知っている、とブレンは感じた。

 生前のレミオル侯爵の下で、気弱な少年兵であった頃。自分は1度、この眼光に射すくめられた事がある。

 恐怖心と好奇心を丸出しにして物陰から見つめてくる愚かな少年兵を、あの男は、ひと睨みで震え上がらせたものだ。

 ヴァスケリアの民を敵に回しながら少数の仲間たちを引き連れ、絶望的な戦いを続けていた男。

 彼が一瞥だけでもブレンに視線を向けたのは、あの時だけであった。

 あの時の彼と同じ目で、リムレオンが今、ブレンを見下ろしている。

(まさか……いや、そのような事が……!)

 この若君の中にいる何者かを、自分は知っているのではないか。

 その思いを、ブレンは懸命に否定した。

 逆賊として死んだ、とは言え、あの男は英雄なのだ。このような怪物に、成り果てるはずがない。

「やめろ……」

 声がした。

「そいつは、俺の獲物だ……そいつは、俺が殺さなきゃならんのだ。足をどけろ。そいつの頭を踏み潰すのは、この俺だ!」

 魔獣人間ドワーフラーケン。

 8本の触手を大蛇のようにうねらせ、たくましい右手には戦斧を握り、戦闘態勢を取っている。

 リムレオンが、凶猛に輝く隻眼を、そちらに向けた。

「ほう……魔獣人間か」

 何やら、懐かしむような口調である。

「ムドラー・マグラが、まだ生きておるのか? ……いや、あり得んな。あやつはティアンナ・エルベット女王によって肉体のみならず魂までも粉砕され、完全に消えて失せた。貴様、いかにして人間をやめた? 魔獣人間を作るような物好きが、あやつ以外にもいると言うのか」

「俺が人間をやめたのは、俺自身の意思でだ!」

 バークの叫びに合わせ、8本の触手が荒れ狂った。

「俺は、俺たちはな、この国を守るために自らデーモンロードに仕え、自分の意思で戦っている! 俺たち自身の戦いだ! お前みたいな、わけのわからん奴に邪魔はさせん!」

 異形化した、白い魔法の鎧。そのあちこちから火花を散らし、リムレオンはよろめいた。

 ドワーフラーケンの触手が8本全て、鞭の如く命中していた。

 踏み付けから解放され、よろりと立ち上がるブレンの傍らを、ドワーフラーケンが猛然と通過して行く。そして戦斧を振り上げ、リムレオンに斬り掛かる。

「おい待てバーク殿、不用意に……」

 ブレンの忠告は、すでに遅い。

 魔獣人間の戦斧が、リムレオンの左手によって激しく受け流された。毛むくじゃらの巨体が、触手をうねらせながら前のめりに揺らぐ。

 そこへ、リムレオンの右足が跳ね上がり叩き込まれた。

 ドワーフラーケンの身体が、前屈みにへし曲がり、吐血の飛沫が散った。

「デーモンロード、だと……あやつに仕えておる、だと」

 呻くように問いかけながらリムレオンは、ドワーフラーケンの胸ぐらの獣毛を掴んだ。

「赤き竜の残党どもが……俺のいぬ間に、何かやらかしていると。そういう事か」

「デーモンロードが……魔族の連中が、この国を支配する……そいつは、もう止められない……」

 バークの苦しげな声に合わせ、8本の触手が大蛇のように動いた。そしてリムレオンの手足に、胴体に、首に、巻き付いてゆく。魔法の鎧の上から拘束・束縛を加えてゆく。

「だがな、俺たちがデーモンロードの兵隊として戦いさえすれば……この国は、平和なんだ! ジオノスくそったれ王が治めてた時よりも、ずっとましな国になるんだ! 邪魔は……させないッ」

「この国の者どもは……」

 リムレオンの声が、危険な震えを帯びた。面頬の内部で、隻眼が凶悪に輝く。

「貴様のような男たちを、魔獣人間の材料として、魔族に献上していると……それによって身の安全を保っていると、そういう事か……ッッ!」

 白い魔法の鎧が、どす黒い体液でビチャビチャッ! と汚れた。絡み付いていた8本の触手が、ちぎれていた。

「人身御供を捧げて保身を図っておると、そういう事かあああああああああっ!」

 触手だけではない。ドワーフラーケンの肉体そのものが、リムレオンの両手によって引き裂かれていた。

 カギ爪状に異形化した手甲をまとう両手が、魔獣人間の強固な筋肉を外皮・獣毛もろとも掴み裂き、臓物を引きちぎる。

 体液と肉片が、大量にぶちまけられた。

 ドロリと死の汚れにまみれたまま、リムレオンは天を仰いでいる。燃えるように輝く隻眼が、空を睨み据える。

「同じか……弱者どものする事など、どこの国でも大して違いはせんか……ふふ、はっ、ふっははははは……」

 リムレオンは、怒り狂いながら笑っていた。

 そこへレミオル侯が、弱々しく身を起こしながら声をかける。

「人間とは、民衆とは、そのようなもの……それを承知の上で、貴公は戦っていたのではないのか……人間を、守るために」

「人間というものの、強さも弱さも、美しさも醜さも、全て受け入れた上で守り抜く……そんな綺麗事を、俺も信じていられた」

 リムレオンが……否、リムレオンの中にいる何者かが、少年の右目だけを、隻眼の形に禍々しく燃え上がらせている。

 悪鬼の頭蓋骨にも似た面頬から溢れ出す、その眼光が、ブレンに、レミオルに、向けられる。

「レフィーネが……傍にいてくれた間だけは、な……」

「レフィーネ姫殿下は、人としての生を全うされて唯一神の御下へと旅立たれた。なのに貴公はこのまま、怪物として彷徨い続けるつもりか? 我ら死せる者が憧れてやまぬ安らぎの中で、永遠に添い遂げようとは思わぬのか」

「レミオル侯ともあろう御方が! 世間に媚びた吟遊詩人の如き戯言を!」

 リムレオンの全身が燃え上がった。ブレンには一瞬、そう見えた。

 まるで炎のような霊気が、白い魔法の鎧のあちこちから溢れ出し、揺らめき、風景を歪めている。

 空気の歪みを身にまといながら、リムレオンは叫んだ。

「死後の出会いなどというものは女子供の幻想に過ぎぬ! レフィーネはな、俺のもとから永遠にいなくなってしまったのだ! わかるか? あの口うるさいレフィーネから、俺は永遠に解放されてしまったのだぞ……好き勝手に生きる、しかあるまいが。こうして死んだ後も、好き勝手に振る舞うしかあるまいが」

 ゆらゆらと風景を歪ませながら、リムレオンは一歩ずしりと踏み出した。砕けた石畳にジュッ……と黒焦げの足跡が生じた。

「ゆえに滅ぼす……俺は、この国を……人身御供で保身を図るクズ弱者どもを、皆殺しにしてくれる……!」

「……変われば変わるものだな、小僧」

 声がした。若い男の声。

 バルムガルド軍の歩兵が1人、ゆっくりと歩み寄って来ている。焦げ茶色の髪をした、若い歩兵。

 粗末な歩兵の軍装よりも、きらびやかな騎士の甲冑が似合いそうな、堂々たる風格の貴公子。

 レボルト・ハイマン。

 ブレンの眼前でリムレオンを叩きのめし連れ去った、張本人である。

 バルムガルド随一の名将と同じ名を持つ若者が、自身で拉致した少年の今の有り様を見据え、言った。

「力を見せろ、とは確かに言ったが、まさしく力よ。見事なものだ、申し分がない……貴様が本当にリムレオン・エルベットであるならば、な」

「……魔獣人間が、ずいぶんと大手を振って歩き回っておるのだな。この国では」

 リムレオンが、レボルトと対峙した。

「魔物どもが、貴様らを手駒として、よほど支配体制を強めておると見える。まるで、かつてのヴァスケリアのように」

「リムレオン様……なの……?」

 セレナ・ジェンキムが、どういうわけかレボルトと一緒にいた。

 灰色のローブがあられもなく裂け、その上からマントを被せられている。男にでも襲われていたところをレボルトに助けられ、そのまま行動を共にしている、といった様子だ。

「ちょっと、何よそれ……魔法の鎧、そんな勝手に魔改造してくれちゃって……」

「魔法の鎧に何かしら手を加えた、わけではないようだな。リムレオン・エルベット、貴様自身に何かしら悪しき変化が起こった。それが鎧にまで作用している」

 レボルトの秀麗な顔が、微かに震えた。

 人間の表情筋では起こり得ない痙攣だった。

「……一体、何を取り憑かせている?」

「何でも良かろう、魔獣人間よ。貴様も俺に蹂躙される弱者として、蟷螂の斧を振るってみるがいい」

 ドワーフラーケンの、もはやどの部分だかわからぬ肉片をグチャッと握り潰しながら、リムレオンは笑った。

「貴様もまたこやつと同じ、この国を守るために人間をやめた口であろう? ならば守って見せろ。さもなくば俺は、この国の弱者どもを皆殺しにする。他者に難儀を押し付けて生き長らえる事しか出来ぬ、無様で哀れな虫ケラどもをなあ」

「力を求め、力に呑まれたか……魔獣人間である私に、それを責める資格はないが」

 レボルトが、重々しく左手を掲げた。

「貴様を叩き直す必要はありそうだな、哀れな小僧よ」

「やめろ、魔獣人間……!」

 レミオル侯が、叫んだ。

「そやつは今や、非力なるリムレオン・エルベットではない! うぬが如き作り物とは違う、本物の怪物なのだぞ! それがわからぬか」

「私にわかるのは、こやつを放置してはおけんという事だけだ」

 掲げた左前腕をメキッ……と震わせながら、レボルトは牙を剥き、そして言った。

「悪竜転身……」

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