第119話 ラナンディア激震(3)
オークとは基本的に、弱い者いじめしか出来ない生き物である。強い者を見れば、逃げ散って行く。
赤き竜の健在なりし頃には、武装しつつ群れを成し、メルクト地方の民に害をなした。
当時、少年兵であったブレン・バイアスは、領主レミオル・エルベット侯爵によるオーク討伐に何度も同行したが、大した事は出来なかった。
圧巻だったのは、やはりレミオル侯本人である。彼が剣を一振りする度に、オークの生首が最低3つは宙を舞ったものだ。
ヴァスケリア国民全てが赤き竜への隷属の道を歩みつつあった時代にあって、レミオル・エルベットはただ1人、勇者ダルーハ・ケスナーへの協力者であり続け、自らも魔物たちと戦った。その武勇に恐れをなしたオークの軍勢は、やがてレミオル侯の姿を見ただけで逃げ回るようになった。
あれから、およそ20年が経過した今。ブレンは、何も出来なかった少年兵の頃より、いくらかは強くなった。
在りし日のレミオル侯爵と比べて、どうか。
無論、生身では勝負になるまい。ブレンなど、片手で捻られて終わりである。だがこうして魔法の鎧を装着した状態であれば、そこそこは良い勝負が出来るのではないか。
少なくとも、オーク程度の怪物であれば、武器の一振りで複数を粉砕出来る。その点においては、今のブレンはレミオル侯と同格である。
城壁の上で暴れ回る黄銅色の甲冑戦士の姿は、オークたちの目には、あの頃のレミオル侯とそう違わぬ脅威として映っている事だろう。
だが、オーク兵士たちは逃げようとしない。槍を、剣を、戦鎚を、荒々しく振りかざし、凶猛な怒りの闘志を剥き出しにしてブレンを取り囲んでいる。魔法の戦斧で叩き斬られた同族の屍が、周囲の石畳をほぼ埋め尽くしているにもかかわらずだ。
「……貴様は本当に大したものだな、オークロードよ」
厳つい面頬の内側で、ブレンは苦笑した。
オークロードの死が、このオーク兵団に、不退転の戦意を植え付けてしまったようだ。
「強い者を見れば逃げて行く生き物を、ここまで命知らずの兵士に育て上げるとは……!」
呆れ、賞賛しながら、ブレンは右手で魔法の戦斧を振るった。襲いかかって来たオーク兵士が3体、振りかざした武器もろとも両断され、脳漿や臓物をぶちまけた。
左手で、ブレンはオーク兵士を1体、頭部を掴んで捕獲した。そして思いきり振り回す。
左腕の力だけで物の如く振り回されたオークの身体が、別の1体にグシャアッ! と叩き付けられた。頸部がちぎれ、オークの生首がブレンの左手に残った。
仲間のそんな死に様を目の当たりにしても、オーク兵たちは一向に怯む事なく、ブレンに捨て身の猛襲を仕掛けて来る。
バルムガルド王都ラナンディア。王宮の城壁の上が、今や戦場と化していた。
オーク兵の攻撃は無論、魔法の鎧の上から痛手を与えてくるほどのものではない。
その鎧の中で、しかしブレンは、半ば息が上がっていた。疲労が、馬鹿にならない。
オークの兵団は、疲労どころか命すら顧みる事なく、あらゆる方向から襲いかかって来る。
「敬意を表し……皆殺しにする、しかないようだな」
決意を固めたブレンが、魔法の戦斧を構え直そうとした、その時。
至近距離で戦鎚を振り上げていたオーク兵が、それをブレンに叩き付ける事なく砕け散った。肉片と臓物が、一緒くたの飛沫と化して散る。
同じような光景が、城壁上のあちこちに生じていた。
オーク兵士たちの頭部が、あるいは上半身が、不可視の何かに打ち据えられて破裂し、飛び散ってゆく。
完全に不過視というわけではなかった。ブレンの動体視力で、辛うじて捕捉出来る。
蛇のような鞭のようなものが何本も、凄まじい速度で宙を泳いでいた。
触手である。びっしりと吸盤を備えた、頭足類の触手。
何本ものそれらが、風を切りながらオーク兵士たちを殴打・粉砕してゆく。
「哀れと思うか、こいつらを……いじらしい、なんて思ってるわけじゃあるまいな?」
大柄な人影が1つ、言葉と共にゆっくりと歩み寄って来ていた。
「こいつらがこの国で何をしでかしてきたか、知らんわけじゃあるまい……レボルト将軍は、魔物どもと上手くやってく方法を探っておられるようだがな」
全身を覆う髭から8本もの触手を生やし、うねらせる、巨体の魔獣人間……ドワーフラーケンの姿が、そこにあった。
「こいつらと俺たちは、基本的に相容れないものだ。魔物どもと結託して貴様に寄ってたかろうという気はない……安心したか?」
「バーク殿……」
名を呟くのが、ブレンは精一杯だった。
他に、何を言えば良いのか。この男に対し、どのような言葉を発すれば良いのか。
謝罪、などという傲慢な真似が出来るわけはなかった。
この男とは、戦うしかない。
それを覚悟の上で、ブレンはここまで来た。そのはずだった。
「俺は、お前をぶち殺す! 誰の手も借りん!」
怒りの気合いを宿した8本の触手が、僅かに生き残っていたオークたちを粉砕しながら高速で荒れ狂い、襲いかかって来る。
ブレンは、魔法の戦斧を振るった。横薙ぎに1度、斜めに2度。
恐ろしく重い手応えが、黄銅色の剛腕を震わせる。
戦斧が、触手8本をことごとく打ち弾いていた。切断は出来ていない。
無傷の触手たちが、勢い衰える事なく、なおも8方向からブレンを襲う。
「くっ……」
後退りをしながら、ブレンは戦斧を一閃させた。
8本の触手のうち、2本が打ち払われ、少しだけ痛そうにうねる。
3本を、ブレンはかわした。
だが残る3本が、魔法の鎧の上から殴打を喰らわせてくる。兜、胸板、左脚。3発同時の衝撃が、ブレンを吹っ飛ばしていた。
黄銅色に武装した身体が、石畳に激突しつつ一転し、起き上がる。
そこへドワーフラーケンが、触手たちを大蛇の如く荒々しくうねらせながら歩み迫る。
「お前は俺をぶち殺して、あの坊やを助けなきゃならん……そうだろう」
「言われるまでもない……!」
ブレンは、踏み込んで行った。
8本もの触手が、一斉に襲いかかって来る。
うち4本を、ブレンは魔法の戦斧で打ち払った。
そうしながら巨体を揺らし、2本をかわした。
残る2本はかわせず、肩と背中に直撃を喰らった。魔法の鎧の上から、骨にまで響く痛撃が叩き込まれて来る。
ブレンは面頬の下で歯を食いしばり、突進で触手を蹴散らしつつ、魔法の斧を振るった。
ドワーフラーケンも、戦斧を振るっていた。
2つの斧が激突し、火花を飛ばす。魔法の面頬の中にまで、焦げ臭さが流れ込んで来る。
それが3度、4度と続いた。
黄銅色のたくましい甲冑姿と、触手を生やした毛むくじゃらの魔獣人間。
猛々しく躍動する2つの巨体の間で、戦斧と戦斧が幾度もぶつかり合う。
「マリティアの事なら、もう気にするなよ……」
バークが笑った。
「俺は、あの女にうんざりしてたんだ。元々お股の緩い女だったけどよ、まさかこんな時に他の男くわえ込みやがるとはなぁ」
「やめろ、バーク殿……」
魔獣人間の斬撃を、魔法の戦斧でガッと打ち返しながら、ブレンは言った。が、バークの罵声は止まらない。
「俺が使い捨てた女の味、どうだったよオイ? おめえさんも大した慈善家だよなあ。あんな使用済みの女、可愛がってやるなんてよ」
「やめろと言っている……!」
戦斧と戦斧が、ぶつかり合って止まった。互いに、武器を押し付け合う格好となった。
ギリギリッ……と擦れ合う2つの斧。その向こうで牙を剥いている髭面の魔獣人間に、ブレンは面頬越しに語りかけた。
「……無駄な事は、やめておけ」
「無駄、だと……」
「そうだ。あんたは俺を、怒らせようとしている。俺の憎しみを煽り立て、俺を本気で戦う気にさせようとしている……そんなくだらん事のために、彼女を侮辱するのはやめておけ」
殺し合いの相手に向かって、自分は一体何を言っているのだ。
ブレンはそう思ったが、言葉は止まらなかった。
「バーク殿……俺がいくら怒り狂ったところで、あんたの俺に対する怒りの、万分の一にもなりはせんよ」
「まだ、そんな……腑抜けた事を言ってるのか! お前はああああああああ!」
ドワーフラーケンが、激怒と共に戦斧を押し込んで来た。
ブレンは踏みとどまる事が出来ず、後方によろめいた。そこへ8本の触手が襲いかかる。
魔法の鎧の全身から、まるで血飛沫のような火花が散った。
焦げ臭さを漂わせながら、ブレンの身体は宙を舞っていた。
魔法の鎧に、外傷はない。
だが中身の肉体は、痺れにも似た衝撃に苛まれ、受け身を取る事も出来ずにいる。
どれほどの距離、吹っ飛ばされたのかは、わからない。
とにかくブレンは、いつの間にか石畳に激突し、倒れていた。吹っ飛んだ方向次第では、城壁の上から投げ出されていたところである。
「ぐっ……ぅ……」
黄銅色の厳つい面頬から、吐血の飛沫が飛び散った。
昔、同じような目に遭った事がある。ブレンはふと、そんな事を思った。
メルクト地方の、とある村の村長夫人と、ブレンがついうっかり関係を持ってしまった時の事だ。
そのせいで領主レミオル・エルベット侯爵は、その村全体を敵に回す事になってしまった。
落とし前をつけろ。
レミオル侯はそう言って、村長の目の前でブレンを大いに叩きのめした。
他人の女房に手を出すというのは、こういう事だ。
口調穏やかに言いながらレミオル侯爵は、ブレンの顔面に拳を叩き込み、ブレンの腹に蹴りをめり込ませた。
覚悟があるのなら、別に禁じたりはせぬ。この先も好きなだけ人妻漁りに励むが良い。発覚したらどのような事になるか、それだけは今、教えておいてやろう。
レミオル侯のその声が、まるで聞こえるかのようだった。
「もう1度、教えておく必要がありそうだな……まったく、童貞の頃から進歩のない奴よ」
妙に、はっきりとした幻聴である。
ブレンは上体を起こした。声だけでなく、足音も聞こえる。
重々しく石畳を踏む足音が、ブレンの傍らを通り過ぎようとしている。
甲冑姿だった。が、魔法の鎧ではない。
返り血と錆にまみれた全身鎧を身にまとう、まるで戦場跡から甦って来た屍のような男である。
そんな人物が、ブレンを背後に庇う格好で立ち止まり、ドワーフラーケンと対峙する。
「何だ、お前……」
バークが言った。
「あのゴーストロードとかいう奴の、下っ端か……どけよ。そいつを叩き殺すのに、お前ら魔物どもの力は借りん」
古戦場の屍のような甲冑騎士は、何も応えない。
兜の内側で赤く輝く眼光を、じっと魔獣人間に向けているだけだ。
「誰だ……貴公は……」
ブレンは問うた。その声が、震えた。
この真紅の眼光の騎士が、一体何者であるのか、自分はもしかしたら知っているのではないのか。
だが、そんな事が有り得るのか。
「誰なのだ……貴方は……」
ブレンの、身体も震えている。
デーモンロードに殺されかけた時でさえ、ここまでの恐怖は感じなかった。
ゴーストロードの左手が、リムレオンに向かって伸びて来る。
黒いローブの袖から現れた、白い骸骨のような五指。それが、魔法の鎧の上から、右腕を撫でてゆく。
骨まで達するほどの寒気を、リムレオンは感じた。
「くっ……!」
寒気に震える右手が、魔法の剣を手放してしまう。
床に落ちた剣を拾う事も出来ぬまま、リムレオンは左手で右腕を押さえた。
ブラックローラ・プリズナと同じだ。触れただけで生命力を奪い取る能力を、このゴーストロードという怪物は持っている。
「淡白にして芳醇なる、ひとしずくの生命……くれ、少年よ。私にくれえぇ……」
呪詛のような呻きを発しながら、ゴーストロードはリムレオンの眼前で揺らめいている。
揺らめく両手が、様々な角度から伸びて来る。
リムレオンは避けず、踏み込んだ。
生命力を奪い取る両手が、さわさわと全身に触れて来る。肩から、背中から、熱を奪われてゆく。
少しずつ生命を削り取られてゆく寒さに耐え、リムレオンは叫んだ。
「はぁあああ……っ!」
白い魔法の鎧の内側で、気力が燃える。凍えていた右腕に、熱さが流れ込んで行く。
右掌が、光を発した。
白く輝く右手をリムレオンは、五指を開いた状態で、ゴーストロードに叩き込んでいた。
「ぐっ……ぎゃあ……」
弱々しい悲鳴と共に、ゴーストロードの姿が激しく歪んだ。黒いローブの一部がちぎれ飛んだ。
気力光の白い奔流が、少年の右掌からゴーストロードの身体へと、凄まじい勢いで流し込まれていた。黒いローブのみならず、その下の肉体だか霊体だかも破損し、まるで大穴が穿たれたかのようになっている。
真紅の眼光を苦しげに明滅させ、ゴーストロードは揺らいでいた。腹の辺りに大穴が生じ、牢内の石壁が見える。
黒薔薇夫人……ブラックローラ・プリズナは、今の光の一撃をも容赦なく吸収し、リムレオンを苦しめてくれたものだ。
彼女と比べれば、怪物としての格はいくらか劣る相手か。
魔法の剣を拾い上げ、構えながら、リムレオンは言い放った。
「とどめを刺させてもらうぞ、ゴーストロード……!」
気力の光が、右手から魔法の剣へと流れ込む。刀身が、白く輝いた。
「お……おのれ、小僧……」
ゴーストロードが呻いている。
その黒い身体に穿たれた大穴の向こうで、石壁の風景がグニャリと歪んだように見えた。
「生命を吸い取った後で、暗黒の霊気を注入し……朽ちる事なく動き続ける屍として、末永く使ってやろうと思っていたが……」
「そんな事してくれなくていい」
言いつつ、リムレオンは斬り掛かった。
踏み込んだ足が、しかし突然、止まった。
光の剣を振り下ろそうとした腕も、止まっていた。
手足が、動かなくなっていた。
両腕に、両脚に、何者かがしがみついている。
人数は定かではないが、それらは間違いなく人間であった。かつて人間であった者たちだ。
今は白い、あるいは黒い、陽炎の如く揺らめく頼りない姿を晒している。揺らめきが、苦悶の表情や憎悪の形相を形作っている。
陽炎のような姿でありながら、それらはしかし凄まじい力で魔法の鎧の全身に絡み付き、リムレオンを拘束している。
「これは……!」
自分の身体にまとわりつく、その揺らめく者たちを、リムレオンは目で追った。
ゴーストロードの腹部に生じた大穴から、それらは溢れ出していた。
「我が配下の、死せる者どもよ……」
ゴーストロードが、笑っている。
「罪の深さ、恨み憎しみの強さゆえに唯一神の御下に召される事なく、死の苦しみを永遠に味わいながら揺らめきもがいている者どもだ。こやつらが溜まりに溜まって蠢きのたうつ死の世界と、私の身体は繋がっておる……こやつらはなぁ少年よ、仲間を欲しがっておるのだよ」
ゴーストロードの身体を穿つ大穴。その向こうは、今や牢獄の石壁ではなく、形なき死者たちが蠢き揺らめく空間であった。
死者の世界、と呼ぶべき領域。
その死者たちが、まるで炎が噴出するかの如く、ゴーストロードの身体の大穴から溢れ出し、リムレオンの全身を包み込んでゆく。
「死せる者どもの世界で、生きたまま朽ち果てるが良い……そして、こやつらの仲間となるのだ」
ゴーストロードの、声は聞こえる。だが姿は見えない。
見えるのは、かつて人間であった者たちが、形なく激しくおぞましく揺らめく様である。
ゴーストロードの体内に……否、死者の世界に、リムレオンは吸い込まれていた。
このお話を読んで下さっている方々、いつもありがとうございます。
これまで週一の更新ペースをほぼ保ってまいりました小湊拓也ですが……リアルの生活がいささか立て込んでおりますゆえ、これからは月に1度か2度の更新となってしまう事を、ここにお知らせしなければなりません。
具体的に申し上げますと、仕事を始めました。
株式会社クラウドゲート様よりOMCライターのお仕事をいただいておりますが、生活が成り立つほどの収入には無論なっておりませんので、生活のためだけの労働というものをしなければならなくなったのであります。
遅くとも月に1度は更新させていただこうと思っておりますので、お付き合いいただける方は、何とぞ気長にお待ち下さい。
本当に……リアルって、嫌ですね。