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第116話 獅子、退かず

 これ以上は、手の加えようがない。

 空中に浮かんだ、光の窓枠。その中に表示された文字列・数列を眺めながら、セレナ・ジェンキムは溜め息をついた。

 後はもう、実戦で試すしかないのだ。

 問題は、だれがそれをやるのか、という事である。

「……あたし? いやいや無理無理無理」

 セレナは、ぶんぶんと首を横に振った。

 魔法の鎧の装着者たちが、どれほど過酷な鍛え方をしているのかは、リムレオン・エルベット1人を見ていてもよくわかる。

 自分には、あそこまでの根性も覚悟もない。

 最強の鎧は、最強の戦士が身にまとうべきなのだ。

 父ゾルカ・ジェンキムが最強の戦士と見込んだ女王は、しかし現在、行方不明である。

「どうしよっか、これ……ほんとに」

 セレナはもう1度、溜め息をつきながら、軽く右手を掲げた。その右手の中指で、指輪が光を発する。指に巻き付いた蛇のような、指輪である。

 もう1つの指輪が、眼前のテーブル上で、呼応するかの如く発光した。蛇ではなく、竜が環を成した意匠の指輪。その中に、光の窓枠が吸い込まれて消える。

 この竜の指輪を完成させるために、魔法の鎧の装着者たちに近付き、エルベット家に奉公した。

「それで気がついたら、こんな所にいるし。領主様は拉致られちゃうし、姉貴はトチ狂ったまんまだし……もう何とかしてよ、親父」

「お父さんに、会いたいんだ?」

 1人の女性が、台所に入って来てセレナに声をかけた。この家の主、マリティアである。

「あ、いえ……そういうわけじゃ、ないんですけど」

 セレナは笑ってごまかした。こんな所、というのが聞こえてしまったかも知れない。

 気にした様子もなくマリティアは微笑み、セレナと向かい合って腰を下ろした。そして言う。

「あたしに、何か出来る事あるかな?」

「うーん……ごめん、ないと思う」

 セレナは答えた。本当に、マリティアが責任を感じる事ではないのだ。

 ブレン・バイアスが、黙って姿を消した。泊めてもらった礼を言う事もなく、1人でどこかへ行ってしまったのだ。

 あのレボルトという男が言っていた通り、心が折れてしまったのか。戦う意志をなくしてしまったのか。臆病風に、吹かれたのか。

 マリティアが言った。

「セレナさんは……あたしの事、許せないんじゃない? 女として」

「……あたしも結婚したら、旦那以外に男作っちゃうかも知んないし」

「昔っから男癖悪くてねえ、あたし」

 マリティアはテーブルに肘をついて両手を組み、そこに顎を乗せた。その気怠げな感じが、確かにブレンのような男の心を掴むのかも知れない、とセレナは感じた。

「バークと一緒になって、少しは落ち着いたと思ったら……この様だもんねえ」

「マリティアさんは悪くないから。悪いのは、あの色ボケおやじと……その世話になってる、あたしたち」

 ブレンがいなくなってしまえば、マリティアとしては、セレナを自宅に泊めてやる理由などない。

 だが出て行けとも言わずに、マリティアは悲しげに微笑んだ。

「あんまり悪く言わないであげて、ブレンの事……引きずり込んだのは、あたしの方なんだからさ」

 その目がちらりと、卓上の竜の指輪に向けられる。

「ブレンと、お揃いの指輪だね。セレナさんの?」

「お揃いの指輪するような関係じゃありませんって」

 お揃いの指輪ならリムレオンも、シェファも、マディックも持っている。

「あのおじさん、基本的に20歳未満の女に興味ありませんから」

「そうみたいね……」

 呟きながらマリティアが、何か小さなものを手に持って弄り回している。

 指輪だった。卓上にあるものと同じ、竜の指輪。

 セレナは、息を呑んだ。

「あの、マリティアさん……それは?」

「ブレンの忘れ物だよ。あたしの鏡の前に、置きっぱなしにしてあったんだ」

 マリティアが、心配そうな声を出した。

「ねえセレナさん、あたし何か嫌な予感がするんだよ。これがブレンの、何て言うか……形見、みたいに思えちゃって」

「あの馬鹿おやじ……!」

 セレナの頭に、血が昇った。

 ブレンは一体どこへ行ってしまったのか。

 心が折れ、臆病風に吹かれて逃げた。それならばまだ良い、とセレナは思う。怯えた人間は何よりも自分の命を大事にするし、折れた心はいつか立ち直るかも知れない。

 だが死んでしまっては、それも不可能だ。

「これ、セレナさんに預けちゃってもいい?」

「預かります」

 マリティアに渡されたもの、テーブル上に置いてあるもの。2つの竜の指輪を引ったくるように回収しつつ、セレナは立ち上がった。

「あたし行きます、マリティアさん。本当に、どうもありがとう……何のお礼も出来なくて、ごめんなさい。お世話になりました」

「あたしが言える事じゃないかも知れないけど……ブレンの奴を、助けてあげてね」

「……努力します」

 任せて下さい、などとは言えなかった。

 ブレンは今頃、下手をすると、もう生きていないかも知れない。死に向かって突っ走る男を、恋人でも血縁者でもない女が止めてやる事など、出来はしない。

 魔法の鎧を自分から手放して、馬鹿をやらかす。

 あのブレン・バイアスという男は、つい最近も同じ事をしでかしたばかりだ。

(何の進歩もしてないじゃないの! 肉食系なだけが取り柄のバカ不良中年が!)



 雄叫びか、怒声か。あるいは慟哭かも知れない。

 とにかく身体の底から、血を吐くような叫びが迸った。森の中に、響き渡った。

 身体が、ほとんど勝手に動いている。大柄な図体が獣の如く暴れ、岩のような拳が唸り、鉈にも似た手刀が振り下ろされる。

 武装したオークたちが吹っ飛んで倒れ、だが即座に起き上がり、獰猛に槍を振り立てる。

 さすがに野良オークとは違う。あのオークロードによって、精鋭と呼べる段階まで鍛え上げられているのは間違いない。

「いいぞ、戦え……そして俺を殺してみろ!」

 息荒く、ブレンは吼えた。

 全身、血まみれである。たくましい身体のあちこちで皮膚が衣服もろとも裂け、鮮血が噴き出している。

 オーク兵士たちの槍による負傷である。全て、かすり傷だ。いささか数は多いが、痛みはない。

 こんな傷など問題にならぬほどの痛みが、ブレンの身体を突き動かしていた。

「どうした豚ども、俺を殺せ! 殺せんのかあっ!」

 1体のオークが、槍を叩き付けて来る。

 その槍を掴み止めながら、ブレンは片足を叩き込んでいた。丸太で殴りつけるような蹴りが、オーク兵士の胴体をズドッ! とへし曲げる。

「こんな無様な男1人! ぶち殺す事も出来んのかあああッ!」

 血を吐くような叫びと共にブレンは、奪った槍を振り回した。血まみれの巨体の周囲で、暴風が巻き起こった。

 穂先が凶暴に閃いて、オークの首を3つほど刎ね飛ばした。

 長柄がブゥンッと唸り、オーク兵士2体の頸骨を叩き折った。槍も、へし折れていた。

 折れた槍をブレンが放り捨てている間に、オークの兵団は退却を開始していた。時折、振り向いてブレンを槍で威嚇しつつ、訓練された逃げ足で遠ざかって行く。

 睨み、見送りつつ、ブレンは呼吸を整えた。

 生身で戦ったのに、死ねなかった。

「何だ……! 一体、何なのだ……俺の、この中途半端な強さは……ッッ!」

 牙を剥くように歯を噛み鳴らしながら、ブレンは呻いた。

 いくらか鍛え上げたオーク程度が相手なら、生身でも充分に渡り合える。

 だが、肝心な時に身体が動かない。戦わねばならぬ相手と、戦う事が出来ない。

 その結果、リムレオン・エルベットが魔族に捕われてしまった。

(若君…………っ!)

 ブレンは天を仰いだ。

 3日待つ。あのレボルト・ハイマンは昨日、そう言っていた。4日後にリムレオンを処刑する、とも。

 今ブレンがやらなければならない事は、明らかである。考えるまでもない。

 だがリムレオンを救い出すためには、あの魔獣人間と……マリティアの夫と、戦わなければならないのだ。

 自分はバークから、妻だけでなく、命をも奪う事になってしまうのか。

 牙を剥いたままブレンは、睨みつけるように振り返った。そして声をかける。

「早く帰れ……帰りを待つ者が、いるんだろうが」

 若い男が10人以上、あちこちの木陰で立ちすくんでいた。今のオーク兵団に、連行されていた者たちである。

 魔獣人間の材料として、どこかの町か村から徴発された男たち。それをブレンが助け出した、という形になった。

「か……帰れるわけ、ないだろう」

 助かったはずの男の1人が、しかしそんな事を言っている。

「助けてくれたつもりなんだろうが……あんた、余計な事してくれたぞ」

「そうだそうだ。俺たち、自分の意思で魔物どもの所へ行くつもりだったんだぞ。助けてもらったって困るんだよ」

「下手すりゃ、俺の村が……魔物どもに攻撃されちまうかも知れないんだぞ! どうしてくれるんだ!」

 男の1人が、食って掛かって来る。

 その胸ぐらを、ブレンは掴み寄せた。

「自分の村を守るため……魔族に、身を捧げるのか?」

「そ、そうさ。俺たちが、魔物どものために働きさえすれば」

「俺の妹もおふくろも、平和に暮らせるんだ!」

 男たちが、口々に叫ぶ。

「俺の姉貴だって!」

「俺の村も、ずっと平和でいられるんだ。俺が魔物どもに従いさえすれば!」

「俺の娘だって、普通に平和に生きていける!」

「俺の……女房もな」

 ブレンに胸ぐらを掴まれた男が、呻くように言う。

 女房。その単語を耳にした瞬間、ブレンの頭に血が昇った。脳漿が、沸騰してしまいそうだった。

「ふざけた事をぬかすなよ貴様……! こんな事で女房を守ってやれるつもりか!」

 間近から怒声を浴び、男が怯える。

 怯えながらも懸命に睨みつけてくる男を、ブレンはなおも容赦なく怒鳴りつけた。

「こんな事したところでな、貴様にとっても女房にとっても! どえらい悲劇にしかならんのだぞ! それがわからんのかあッ!」

「はいはい、八つ当たりはそこまでっ」

 声がした。馬のいななきも聞こえた。

 セレナ・ジェンキムが、そこそこ様になった手綱捌きで馬を駆けさせて来たところである。

 掴んでいた男をとりあえず解放し、ブレンは声をかけた。

「何だ……何をしに来た」

「それはこっちの台詞。一体何やってんの、こんなとこで」

 なかなか鮮やかな身のこなしで、セレナが馬から下りて来る。そして、つかつかとブレンに歩み寄る。

「今、真っ先にやんなきゃいけない事が何なのか……本当は、わかってんでしょ?」

 言いつつセレナが、ブレンの片手を取った。

 分厚い掌の上に、何かが置かれた。竜の指輪だった。

「単なる忘れ物、だよね? わざと置いてった、わけじゃないのよね?」

「……こんな物で、俺に何を」

 俺に何をしろと言うのだ。ブレンはそう言いかけて、言葉を呑み込んだ。

 セレナの言う通り、わかってはいるのだ。今、やらねばならない事。魔法の鎧を装着し、戦わなければならない相手。

 その戦いから、自分は逃げようとしている。そんな事は、指摘されるまでもなく、わかっているのだ。

 血まみれのブレンの姿をじろりと睨み、セレナは言った。

「馬鹿やって、無茶やって、傷だらけになって……それで何か罰を受けたつもりになってるわけ? ねえちょっと」

「俺は……お前は思わんのかセレナ。俺など、生きる資格もない男であると」

 竜の指輪を握り締め、ブレンは呻いた。

 自分は、こんなもので身を守る事が許される男ではないのだ。

「女として、どう思う。俺を、許せるのか」

「同じ事、マリティアさんにも言われたんだけどね」

 セレナは溜め息をつき、頭を掻いた。

「許せないなんて……泊まる場所確保してもらってた、あたしらに言えるわけないじゃない。要はアンタが自分の事許せるかどうかなわけよ、おっさん。ま、許せないからこんな馬鹿やってるんだろうけどね」

 獅子のタテガミのようなブレンの頬髭を、セレナはぐいと掴んだ。

「でもねえ、馬鹿やってる場合じゃないんだわ今……リムレオン様が殺されちゃったら、あたしたちどうなんの? どの面下げてヴァスケリアに帰ればいいわけ? ねえ」

 主君リムレオンの目の前で、自分は今まで随分と無様を晒してきた。ブレンはふと、そんな事を思った。今回の無様は、最大級であろう。

 邪悪な気配が突然、周囲に生じた。バキバキと、茂みを踏み分ける音も聞こえた。

 先程のオーク兵たちが、増援部隊を引き連れて来たようである。

 身をすくませる男たちを、それにブレンとセレナを、武装したオークの一団が取り囲んでいた。

 無数と思える槍が、あちこちの木陰から、こちらに向けられている。戦斧も混ざっている。

 ブレン1人だけならば、切り抜けるのは難しい事ではない。

 だが、武器も持っていない男たちを守らなければならない。セレナの身の安全もだ。

 これだけの数のオーク兵士を相手に、生身で出来る事ではなかった。

 そして今、ブレンの手の中には竜の指輪がある。

 戦う手段があるのなら、使わなければならない。躊躇う事など許されない。

 かつての主君レミオル・エルベット侯爵に、骨の髄まで叩き込まれた教えである。

「……上手く立ち回れよ、セレナ。安全な場所を、可能な限り自力で確保しろ。俺も出来るだけの事はしてやるが」

「わ、わかったわ」

 息を呑みながらも、セレナは微笑した。

「うだうだ悩んでても、敵が来ればキッチリ戦いに切り替えられる……そこはまあ、さすが本職の軍人さんよね」

「失業中だがな」

 苦笑しつつ、ブレンは竜の指輪に中指を差し込んだ。

 周囲の木陰から、オーク兵団が一斉に襲いかかって来る。

 天空を殴りつけるかのように、ブレンは右拳を突き上げた。

「……武装転身!」

 竜の指輪が光を発し、円形の紋様を上空に投影する。

 そこから激しい電光が発生し、ブレン1人に降り注いだ。

 その落雷の中から、ブレンは猛然と駆け出した。黄銅色に輝く魔法の鎧が、すでに全身を包んでいる。

「これしかないのか、俺には結局……」

 漲る力を身体じゅうに感じながらブレンは呻き、魔法の戦斧を投擲した。

「私には……これしか、ないのでしょうか……レミオル侯……!」

 電光を帯びた戦斧がギュルルルルルッ! と回転しながら飛翔し、弧を描き、オーク兵士たちを片っ端から粉砕した。

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