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第112話 魔将軍、バルムガルドを守る

 鎖などで、ガイエル・ケスナーを繋ぎ止めておけるはずがなかった。

 だからティアンナ自らが、こうして見張りに立っている。

「外して欲しいのだが……」

「駄目です」

 ガイエルの願いを、ティアンナは一言で切り捨てた。

 タジミ村。国王ジオノス3世の御所と定められた大きめの民家の、庭である。

 その片隅に立つ大木に、ガイエルは犬の如く鎖で繋がれていた。

 いつ破けても良い粗末な服を着せられた、赤毛の若者。その力強い頸部に鋼の首輪がはまり、首輪からは鎖が伸び、鎖は大木の幹にガッチリと巻き付けられている。

 今のところ鎖を引きちぎろうとはせずにガイエルは、困ったように頭を掻いた。

「これでは便所にも行けないのだが……」

「そこで済ませなさい。私は一向に構いませんから」

 言いつつティアンナは、繋がれた若者をじろりと睨み据えた。

「私もうかつでした。しばらくお会い出来ずにいる間、すっかり忘れてしまっていたようです……貴方の、お馬鹿さ加減を」

「はっはっは。てめえ、ティアンナ姫に首輪付けてもらえるたぁああ」

 ゼノス・ブレギアスが、愚かな事を言いながらずかずかとガイエルに歩み寄る。こちらも今は人間の若者の姿で、リグロア王家の剣を鎖で背負っている。

「しっしかも糞小便垂れ流しの調教までしてもらえるたぁ、神をも恐れねぇうらやましさだなああ。ええおい肉野郎」

「ふん、それならば代わってやる。そこに座れ野良犬、俺が貴様をしっかりと躾けてやろう」

「てめえに首輪付けられたって嬉しぃーワケねえだろぉおがあああああああ!」

 掴み合い殴り合いを始めそうな両者の間に、1人の青年が割って入った。

「ほらほら、やめないか2人とも。女王陛下の面前だぞ」

 ガイエルやゼノスよりも、いくらか年上のようである。下級聖職者の法衣をまとい、右手の中指には指輪を巻き付けている。

 竜が環を成した意匠の指輪。これと同じものをティアンナはかつて、従兄の少年に投げ渡した。

「私はもう女王ではありませんよ、マディック・ラザン殿」

 死にかけたガイエルを救ってくれた聖職者に、ティアンナは微笑みかけた。

「王の責務を放り捨てた、単なる流れ者です」

「我々ヴァスケリア人は皆、貴女の偉大さを知っている。いつか戻って来て下さるものと信じていますよ、エル・ザナード1世陛下」

 マディック・ラザンが、こそばゆくなるような事を言っている。

 彼が昨夜、聞かせてくれた話を、ティアンナは思い返していた。

 ガイエルの身体の奥深くに、癒しの力でも治しきれぬ損傷が蓄積している。

 無茶な戦いばかりしているのはわかる。中でも、特に無茶な戦いがあったはずだ、とマディックは言った。

 その戦いで負った傷が、まだ完治していない。外から見える傷口は塞がっても、目に見えぬ傷が身体の奥に、こびりつくように残ってしまっている。

 そんな状態でも構わずに無茶な戦いを繰り返してきたものだから、今やガイエル・ケスナーの肉体は疲弊しきって、本来の実力の半分も出せない状態にある。

 マディック・ラザンは、そう語っていた。自分の癒しの力では、外から見える傷しか治せない、とも。

 特に無茶な戦い……確かにあった。ティアンナの眼前で、ガイエルが敗死寸前まで追い込まれた、あの戦い。

 ダルーハ・ケスナー。

 あの英雄にして逆賊たる人物は、やはりガイエルにとっても最大の凶敵であったのだ。

「で……どうなのよ。あんた、ヴァスケリアに戻る気が本当にあるわけ?」

 いささか敵意ある声がかけられた。

 ガイエルの繋がれている大木を背もたれにして、1人の少女が立っている。魔石の杖を手にした、攻撃魔法兵士の少女。その綺麗な右手の中指に、マディックと同じく竜の指輪がはまっている。

「もう女王陛下じゃないみたいだから、普通に口きかせてもらうけど」

「構わないわ……貴女とも久しぶりね、ええと」

「シェファ・ランティよ。ま、別に覚えてくんなくてもいいけど」

 この少女と初めて出会ったのは、ダルーハの叛乱後、ティアンナが母の故郷であるメルクト地方に里帰りをした時の事であった。

 あの時、ゴルジ・バルカウス配下の魔獣人間による襲撃を受けた。初めて魔法の鎧を着たリムレオン・エルベットが、それを撃破してくれたのだ。

「あの時、助けてくれたお礼……まだ言ってなかったわ。どうも、ありがとうございました女王陛下」

 シェファが、ぺこりと頭を下げる。

 あの時、彼女を助けたのは、ティアンナではなくリムレオンだ。

「私は何もしていないわ。ただ、魔法の鎧を持って行っただけ」

「それよ」

 下げた頭を上げながら、シェファがじろりと視線を向けてくる。

「何もかも、そこから始まってるような気がするのよね。あんたが、うちの馬鹿領主に変な指輪押し付けた時から」

「否定はしないわ。魔法の鎧の装着者としてはリムレオンしか……私の頭では、思いつかなかったから」

 ティアンナは、微笑みを返した。

「彼は、お元気?」

「……知らないわよ、あんな奴」

 ぷい、とシェファは横を向いてしまった。そこへ、ゼノスが声をかける。

「何だ、おめえ兄さんとケンカしてんのか」

「誰が兄さんよ……って言うか、何であんたがここにいるの」

「まあ、いろいろあってな……ゴルジ殿も、死んじまった事だし」

「まさか……あの頭のおかしい尼さんまで、いるんじゃないでしょうね」

「メイフェム殿なあ。一体どこで何やってんだか」

 ゼノスが、たくましい両腕を組んで空を見上げた。

 柔らかな足音が、近付いて来た。

「シェファ・ランティ殿……でしたね。貴女、メイフェム・グリム殿をご存じなのですか?」

 王母シーリン・カルナヴァートだった。その細腕に国王ジオノス3世を抱き、傍らにマチュアを従えている。

 マディックが、その場に跪いた。シェファも、いくらか慌ててそれに倣った。

「この場では、そのような礼儀は無用です」

 シーリンが、我が子を抱いたまま身を屈めた。

「お顔を上げて下さい。そして、どうか私にお聞かせ下さい……メイフェム殿に関して、貴方がたの知る事を」

「シーリン・カルナヴァート殿下……ヴァスケリアの王様の姉上、ですよね」

 シェファが言った。

「そんな人がどうして、あのバケモノ女の事を……」

「ひとかたならぬ御恩があります。私も、こちらのマチュアさんも」

「メイフェム様は……どちらに、いらっしゃるんですか……」

 マチュアが小さな両手を握り合わせ、大きな瞳をうるうると波打たせる。

「お願いです……教えて下さぁい……」

「いや、その……ごめんね、居場所を知ってるわけじゃないのよ」

 シェファが、困ったように頭を掻いた。

「悪いけど、そのメイフェム様とかいうのと……あたしの知ってるバケモノ女は、別人じゃないかなあ。あの女が、誰か他人を助けたりするなんて」

「いや、メイフェム殿は人殺しも人助けも両方やるぜ」

 ゼノスが断言した。貴方もそうね、とティアンナは心の中で言った。それに、このガイエル・ケスナーも。

 力ある者は、力なき者を、虐げ殺戮する事も出来る。守り慈しむ事も出来る。

「あの人がいてくれりゃ、魔物どもにもレボルト・ハイマンなんぞにも負けやしねえんだがな……」

「……メイフェム・グリム殿には、俺もいささか世話になった」

 ガイエルが言った。

「出来れば、借りを返したいところだな」

「……あたしは殺されかけてるんだけどね、あの女には」

 シェファが少々、憮然としている。

「まあ、そんな事はどうでもいいわ。あたしもマディックさんも、この国の状態をさっさと調べ上げてヴァスケリアに帰んなきゃいけないのよね」

「俺たちは、情報が欲しい」

 マディックが言った。

「このバルムガルドという国で今現在、何が起こっているのか。それを主君サン・ローデル侯に報告しなければならない。だから国王陛下のいらっしゃる場所を目指していたんだ。この国の現状を、見て確認するために」

「そうですか……では、ご確認下さい。これが、今のバルムガルド王国です」

 何やらむずかり始めた国王を抱いてあやしながら、シーリンが言う。

「国とは名ばかり。このタジミ村という領域において、辛うじて人間の自治を保っているだけ……魔物たちの暴虐が貴国ヴァスケリアに及ぶのも時間の問題でしょう。抜かりなく対策を講じられるようにと、国王ディン・ザナード4世陛下にお伝え下さい」

「……あたしたちがこの国に来たのも、その対策の一環なのよね」

 シェファが腕組みをした。左右の細腕で胸を抱えるような、腕組みである。

 自分よりもずっと大きい。ついそんな事を思いながら、ティアンナは言った。

「情報が欲しい、とおっしゃいましたね。ですが私たちは、この村から1歩も出ていません。この国の現状に関しては、実際に歩いてここまで来られた貴方たちの方が、むしろお詳しいのでは」

「そう……かも知れないわね」

 シェファの口調が、重い。それだけでティアンナは、何となく理解した。

 シェファとマディックが目の当たりにしてきたバルムガルド王国の現状が、いかに暗澹たるものであるのかを。

「……この村、いい所よね。ちゃんと男がいるし」

 シェファの口調が、さらに重くなってゆく。

「噂くらいは聞いてると思うけど、今この国……男手のある村や町って、そんなに多くないのよ」

「やはり、そういう事か」

 ガイエルが呻いた。

「妻や子を守るため魔族に身を捧げ、人ならざるものと化した……そんな連中を、俺は大いに叩き殺してきた。奴らは女子供を守るために自ら魔獣人間となる道を選び、今や魔族の中核に近い戦力を成している」

「事態は、そんなところまで進んでいるのか……」

 マディックが言った。

「魔族の帝王デーモンロードは、男たちを魔獣人間の材料として徴発し、女子供の身の安全は守っている。それは本当に徹底している。ある意味、この国は平和なのではないかと思えるほどに」

「ふざけた事言わないでッ!」

 シェファが怒声を張り上げた。

 ジオノス3世が泣き出した。構わず、シェファは叫ぶ。

「そんな平和、いつまで続くかわかんないのよ? 男が1人もいなくなったらどうなんの! そうじゃなくてもデーモンロードがいきなり気ぃ変わって、女も子供も皆殺しにし始めるかも知れないじゃない!」

「そうさせないように立ち回っている……という事だろうな。あのレボルト・ハイマンは」

 ガイエルが言った。

「女子供だけは守られる……いつまで続くかわからぬ、その目先の平和を奴は優先させた。あながち誤った判断ではないと思う。無論、俺の目の前に立ち塞がったら殺すがな」

「女子供、女子供って……あんたたち男は、そればっかり……!」

 シェファの声は、怒りで震えている。

「おおい、そんなに怒んなよう。フェル坊が恐がってんじゃねえか」

 ゼノスが、いつの間にか魔獣人間グリフキマイラになっていた。

 泣きじゃくっていたジオノス3世が、魔獣人間の尻から生えた毒蛇と戯れながら、ようやく機嫌を直してはしゃいでいる。

 シェファの目がいきなり、ティアンナの方を向いた。

「あんたはどうなの、女王様……」

「どう、とは?」

「男どもを人身御供にして、目先の安全にしがみつく……女としてどうなのよ、それって」

 ティアンナ個人としては、考えるまでもない事である。殿方に守られるだけで何も出来ない。それがいかに楽で幸せで、だが惨めなものであるのかは、この場にいる誰よりも知り尽くしているという自負がある。

 だが男とは基本的に、そのような生き物なのだ。

 まずは、女子供の身の安全の確保。他の事はとりあえず後回しでも良い。

 ガイエル・ケスナー、ゼノス・ブレギアス、それにリムレオン・エルベット。ティアンナが良く知る男たちは全員、その思考に基づいた行動しか取らない。

「……落ち着けよシェファ。魔族が、この国の女性と子供を人質に取っている。君がいくら決意を燃やしたところで、その状況に変わりはないんだ」

 マディックが言った。

「うかつにデーモンロードに戦いを挑んだりしたら……」

 現在辛うじて保たれている、女子供の身の安全まで脅かされる。どこかの町か村が、見せしめとして皆殺しの目に遭ってしまうかも知れない。

 マディックがそこまで言わずとも、シェファとてわかってはいるはずなのだ。

「こんな事は言いたくないし、皆も聞きたくはないだろう。だけど敢えて言わせてもらう……ある意味において、魔族がこの国の平和と治安を守っている。それは紛れもない事実なんだ」

 この場にいる全員を見回しながら、マディックは言葉を続けた。

「確かにシェファの言う通り、そんな平和がいつまで続くかはわからない。目先の安全にしがみついてる、という事にしかならないだろう……だけど目先の安全というのは、とても大切なものだと思う。今日生き延びられなければ、明日はないんだからな」

「魔族の頭領デーモンロード……恐ろしい政治家のようですね」

 シーリンが呻いた。

「女性や子供を人質に取りながらも保護し、男性たちを自ら魔族のために戦うよう仕向ける……暴虐と慈悲を使い分ける、巧妙な政治的手法です」

「そういうの全部整えやがったのは、多分あのレボルト・ハイマンの野郎だぜ」

 ゼノスが、牙を剥き出しにして言う。

「水の1滴も漏れねえように、周りからキッチリかっちり固めながら攻めて来やがる。リグロアん時も、そうだった」

「磐石になりつつある、魔族の支配体制……それを作り上げた政治的手腕だけではない。あの男、とにかく雑魚どもに集団戦法を取らせるのが恐ろしく上手い」

 言いながら、ガイエルが腕組みをした。

「レボルト・ハイマン……ある意味、デーモンロードよりも厄介な相手だ」

(レボルト将軍……)

 ティアンナは、心中で名を呼んだ。

 幾度か自分の前に現れた、あの焦げ茶色の髪の若者は、やはりバルムガルド随一の名将レボルト・ハイマン将軍と同一人物だったのだ。

 彼がこのような体制を作り上げてしまったのは、バルムガルド国民の、せめて女性と子供だけでも守ろうとしての事であろう。それを責める資格は誰にもない、とティアンナは思う。

 この磐石の体制でバルムガルド王国を支配下に置いた魔族が、ヴァスケリアへと攻め入るのは、もはや時間の問題と言えるだろう。

 責める資格があろうとなかろうと、レボルト将軍とは戦わなければならない。

 熱風を、ティアンナは感じた。

「打つ手なし……といった面をしているな、貴様たち」

 燃え盛る魔獣人間が、そこに立っていた。

 角と翼。子供のように小柄でありながら、岩のように力強い体格。その全身で猛々しく揺らめく、炎の体毛。

「貴方は……お熱いので、陛下にはお近づきになりませんように」

 ティアンナが、続いてマディックが言った。

「アゼル・ガフナー……どこにいたんだ。姿が見えないから、黙って村を出て行ってしまったのかと思ったよ」

「そうするつもりであったがな。ところで貴様、俺はアゼル・ガフナーではないと何度言えばわかる。奴はすでに死んだのだ……俺は、単なる魔獣人間ゴブリートよ」

「その魔獣人間が、何の用だ」

 ガイエルが声をかけ、睨み据えた。

「何か良い考えがある、わけではなかろう? 貴様の頭など、俺たちと大して変わらんのだからな」

「俺たちってのぁ何だ……まさか俺まで入ってるわけじゃねえよなああ?」

「何だ、3つ首の野良犬。ただでさえ出来の悪い脳みそを3分割している男が、何か文句でもあるのか」

「てめえの脳みそは1万個くれえにブチ割ってやらぁなあああああああ!」

「お、お2人とも、やめて下さぁい……」

 ゼノスがガイエルの髪を、ガイエルがゼノスのタテガミを掴み、マチュアがおたおたと割って入る。

 そちらに親指を向けながら、魔獣人間ゴブリートが言った。

「1つ訊きたい……俺は、あやつらと同じ枠に入っているのか?」

「今のところ、そうとしか思えませんが」

 思うところを、ティアンナは正直に言った。

「アゼル・ガフナー殿、でしたね。古の戦う大聖人と同じ名を持つ御方……何かしら考えをお持ちであれば、ぜひ」

「この国の女子供を人質に取られているのだろう? ならば対策は1つ。人質を、解放すれば良い」

 それが出来るのならば苦労はない、とは言わずにティアンナは、魔獣人間の次の言葉を待った。

「男たちのいなくなった町や村を、デーモンロード配下の魔物どもが監視しているのであれば、その監視者どもを片っ端から皆殺しにすれば良かろう」

「……やはり貴方は、ガイエル様やゼノス王子と同じ枠です」

 ティアンナは溜め息をついた。魔獣人間に意見を求めた自分が愚かだった、などとつい言ってしまいそうになった。

 その一方で、思う。アゼル・ガフナーの言っている事が本当に可能であるなら、それに勝る手段はないのではないか、とも。

「この広い王国を駆け回って、こまめに地道に殺戮を繰り返す……愚かで非効率的なやり方であるのは承知の上で言っている。だが他に出来る事がないのであれば、とりあえずやらせてみてはどうだ? この俺に」

「貴方が……この国のために、そのような事を?」

 シーリンが言った。

「魔獣人間に親切な方が多いのは存じ上げておりますが……そこまでして下さる理由が、貴方におありなのですか」

「俺はな、強い者が何も考えず気楽に戦っていられる状況を作りたいのだよ」

 ゴブリートの燃え盛る眼光が、ガイエルに向けられる。

「ガイエル・ケスナー、貴様とは晴れやかな気分で戦いたい。そのためにはまず、この国のうんざりするような現状を何とかせねばならん。それだけだ」

「片っ端から、ぶち殺す……か。そいつが確かに、遠回りに見えて実は1番、効率いいやり方かも知れねえな」

 ゼノスが言った。

「地道に殺しまくる作業なら、人数多い方がいいだろ。俺も」

「このような愚かな事に人数を割くな。俺1人で充分だ」

 アゼル・ガフナーが、この場にいる全員を見回した。

「俺が魔物どもを殺しまくっている間に、何かしら状況に変化が起こるかも知れん。貴様らはそれに備え、しっかりとこの村を守っていた方がいい……と、俺は思うぞ」

「状況に変化だと……そんな不確かなものを期待していろと言うのか」

 ガイエルは呻き、アゼルは笑った。

「余計な事をしても死にかけるだけ、という現実を貴様は身体で学習したばかりであろうが。こういう時はな、うかつに動かず状況の変化を待つのも1つの手だ。何しろ頭の出来においては、貴様らなど束になったところでレボルト・ハイマンの足元にも及ばんのだからな。下手に動いたが最後、際限なく奴につけ込まれてジリ貧に陥るのが関の山だ」

 状況の変化が起こる可能性は確かにある、とティアンナは思った。

 女子供に暴虐を働いてはならぬ、などというデーモンロードの命令に、魔物たちが果たして恒久的に従い続けるものなのか。デーモンロード自身が、その方針を明日にでも変えてしまわないと断言出来るのか。

 竜の指輪を従兄に届けるべく、久しぶりにメルクト地方へと里帰りをした際、オークの群れがリムレオンとシェファを襲っていた。あの光景を、ティアンナは思い返した。自分も、オチューの群れに襲われた事がある。

 魔物という生き物は、あれこそが本来の姿なのだ。人間に害をなすのが本能なのだ。魔族の帝王の命令だからと言って、その本能をいつまでも抑えておけるものなのか。

 シェファの言う通り、このような平和がいつまで続くかはわからない。

 今は辛うじて守られているバルムガルドの女性たち子供たちが、やがて魔物たちの暴虐の餌食になる。そして人質が失われる。

 そういう事が絶対に起こらないと、断言出来るのか。

 アゼル・ガフナーが、そこまで考えて物を言っているのかどうかは、わからない。

 とにかく彼は背を向け、歩き出していた。

「デーモンロードの注意が、貴様らと俺のどちらに向くかはわからん。お互い、心しておこうではないか」

「晴れやかな気分で俺と戦いたい……そう言っていたな」

 去り行く背中に、ガイエルが声を投げる。

「事が全て片付いたら、戦ってやる。誠心誠意、感謝の気持ちを込めて……一撃で、叩き殺してやる。それまで死ぬなよ、魔獣人間」

「貴様こそ、これを機にしっかりと休んでおけ。いつまで経っても万全の状態になれぬ死に損ないが」

 巨大な刃物のようでもある翼を背負った後ろ姿が、めらめらと燃えながら遠ざかって行く。

 見送りながら、ティアンナは思う。状況の変化が起こる要因は、もう1つ考えられる。

 魔族に対する戦力となり得る人材は、ここにいる者が全員ではないのだ。

(またしても私は貴方に、都合の良い期待を寄せてしまうのね……リムレオン)

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