第111話 虐殺者、集う
他にやる事もなかったので、ひたすら武術の鍛錬に励み続けた結果、気力を物理的に発現させる事くらいは出来るようになった。
人間の武術家であった頃、気力は白い光となって拳に宿り、一撃の破壊力を高めてくれていた。
魔獣人間となった今、気力は赤い炎となって拳に宿り、あらゆるものを焼き砕く。
その赤く燃え盛る拳を、ゴブリートは跳躍しながら叩き込んだ。
戦斧を振り下ろしてきたトロルが1体、殴り砕かれると同時に焼き払われ、灰となって飛び散った。
反対方向から別のトロルが、鎚矛で殴りかかって来る。
ゴブリートは着地せずに空中で振り返りながら、左足を振り下ろした。燃え盛る気合いが、拳だけでなく蹴りにも宿った。短い足が、激しい炎をまといながら、トロルの顔面に叩き込まれる。
顔面、胸元、上半身から下半身と段階を経て、トロルの全身が焦げながら砕け散った。
デーモンや魔人兵を背に乗せたバジリスクたちが、一斉に眼光を放つ。石化能力を有する光が、様々な方向からゴブリートを襲う。
背中の翼をはためかせて滞空しつつ、ゴブリートは全身で気合いを燃やした。炎の体毛が、轟音を立てて燃え上がり、渦巻き、石化の眼光を打ち払う。そして荒れ狂いながら燃え広がり、魔物たちを襲う。
トロルたちが、巨大な剣や鋼の長柄を振り回し、その炎を打ち払った。
「ほう……? この程度の炎は、防ぐか」
ゴブリートが感心している間、デーモンや魔人兵たちがバジリスクを駆って、猛然と突進して来る。
空中から、ゴブリートは右足を叩き込んだ。短い足を全身で打ち込む一撃。炎をまとうその蹴りを、しかしバジリスク上のデーモンが、三又の槍でガシッと受け止める。
受け止めきれずにバジリスクの背から転げ落ち、だが即座に地面を踏み締めて立ち、ブンッと三又槍を構え直すデーモン。
そこへと向かって、ゴブリートは急降下して行った。
燃え上がる隕石のような、炎の体当たり。それが金属の三又槍を溶かしてちぎり、デーモンの肉体を粉砕する。
舞い上がる灰を蹴散らし、ゴブリートは地面を削って着地した。そこへ乗り手を失ったバジリスクが、牙を剥いて襲いかかる。
着地したその足で、ゴブリートは跳ぶように踏み込んだ。
バジリスクの巨体が、へし曲がった。その首か胸元か判然としない部分に、ゴブリートの小柄な肉体が、突き上げた左手を先端としてめり込んでいる。拳、ではなく掌の一撃。
その左掌に、ゴブリートは燃え盛る気合いを集中させた。そして、魔獣の体内へと一気に流し込む。
臓物を灼き砕いた手応えを握り締めつつ、ゴブリートはその場から跳び退った。
バジリスクの巨大な屍が、倒れ込んで来る。その口から、大量の灰がザァーッと溢れ出した。
「この俺に、切り札に頼った戦い方をさせるとは……雑魚どもを随分と鍛え上げたようだな、ジャックドラゴン」
言いつつゴブリートは、左右の翼を羽ばたかせた。飛来した火球が2つ、その羽ばたきに打ち据えられて砕け散る。
魔獣人間ジャックドラゴンが、両眼と口から炎を溢れさせながら、こちらを睨み据えている。そして言う。
「戦いとは、兵を用いて行うもの……貴様も魔族に戦いを挑まんとするのであれば、今少し数を集めて来てはどうだ」
確かに、レボルト・ハイマンの言う通りではあった。ゴブリートの同行者2名は、数で押し寄せる魔物たちを相手に苦戦をしている。
シェファ・ランティは岩壁上で杖を振り上げ、青い鎧の全身で魔石を赤く輝かせている。小さな太陽にも似た火の玉が大量に生じ、縦横無尽に飛翔した。そして上空を飛び交うワイバーンの群れに襲いかかる。
空中のあちこちで、爆発が起こった。ワイバーンたちが、爆炎の中で次々と破裂し、砕け散りながら消し炭と化してゆく。
彼らに騎乗していたデーモンや魔人兵が、その時には岩壁上に着地し、シェファを取り囲んでいた。
彼女に向かって1体のデーモンが、猛々しく三又槍を振るう。
「くっ……」
危うくかわしたシェファの背後に、1体の魔人兵がすでに回り込んでいた。そして長剣のような爪を一閃させる。
青い魔法の鎧の背中から、血飛沫のような火花が散った。
シェファはよろめき、踏みとどまる事が出来ず、そのまま岩壁を転げ落ちた。
一方マディック・ラザンは、すでに岩壁の上からは下りて来ている。そして意識のないガイエル・ケスナーを庇って立ち、魔法の槍を振るっていた。
「我……汝殺すなかれ、の破戒者とならん」
振るわれた穂先が、白い光を帯びながら一閃し、トロルの1体を叩き斬る。再生能力を有する巨体が真っ二つになり、断面を光に灼かれながら左右に倒れてゆく。
「唯一神よ、罰を与えたまえ!」
光まとう槍をマディックはくるりと操り、別方向に突き込んだ。もう1体のトロルが、長柄の戦鎚で殴り掛かって行ったところである。
魔法の槍が、そのトロルの左胸を鮮やかに貫いた。
穂先から白色光が迸り、トロルの心臓をバシュッ! と消し飛ばしつつ背中から噴出する。
武術の才能が乏しいなりに、鍛錬を積んでいるだけの事はある。なかなかの手際良さには、なってきた。
だが今、この男の気力は戦闘で消費するべきものではない。癒しの力を使わねばならぬ相手が、2人もいるのだ。
意識を失ったまま死にかけている赤毛の若者と、意識を辛うじて保ちつつも死にかけている3つ首の魔獣人間。
トロルの歩兵たちが、しかしマディックに癒しの力を使う暇を与えず、猛然と群がり襲いかかって行く。
そちらへ向かおうとしたゴブリートを、5体ものバジリスクが取り囲んでいた。騎乗しているのは、デーモンが2体に魔人兵が3体。
「どけ!」
ゴブリートは跳躍し、羽ばたき、炎の体毛を燃え上がらせた。小柄な魔獣人間の身体が火の玉となり、弧を描いて飛翔した。
体当たり、拳、手刀、蹴り、翼。その全てが、激しく燃え上がりながら魔物たちを直撃する。
5体のバジリスク、3体の魔人兵、2体のデーモン。全員、ことごとく砕け散って遺灰と化し、舞った。
それら遺灰を蹴散らして、ジャックドラゴンの火球が飛んで来る。3発、5発。ゴブリートは、全ての直撃を食らった。
「うぬっ……!」
吹っ飛び、地面に激突し、だが即座に立ち上がる。熱い衝撃が、全身で疼いている。
「貴様の、炎に対するその耐性……実に厄介なものよな」
レボルトが、楯と剣を構えて踏み込んで来る。
「剣で仕留めるしかない、というわけか……白兵戦は苦手なのだがな」
「よく言う……!」
踏み込みと同時の斬撃を、ゴブリートは左の翼で弾き返した。そうしてから、右の拳を突き込む。炎をまとうその一撃は、しかし楯で防がれた。拳が砕けてしまいそうな衝撃が返って来た。この男、やはり防御の技量が凄まじい。
攻防の最中、ゴブリートは視界の隅に豪快な光景を捉えた。
マディックを取り囲んでいたトロルが2体、いや3体、真っ二つになりながら破裂している。肉片が、臓物が、爆発したかの如く飛散する。
魔力や気力や聖なる力、の類ではない。物理的な馬鹿力である。魔法の鎧を着けているとは言え、マディックにそこまでの力はない。
「必殺……! 爆裂斬りだおぅらああああああッ!」
満身創痍で死にかけていた3つ首の魔獣人間が、大型の長剣を振るっている。さらに2体のトロルが、再生能力を発揮する暇もなく両断され、砕け散った。破壊力そのものが、斬撃によって敵の体内に流し込まれ、叩き斬った肉体をさらに粉砕しているのだ。
「ほう……面白い剣技を使う奴よ」
また1匹、怪物を発見した。レボルトの剣をかわしながら、ゴブリートはそう思った。
「……ったく……物好きな野郎どもだぜ……」
その怪物が、今にも死にそうな声を発している。
「こんなとこに……首突っ込んで、来やがるたぁ……」
「助けに入ったつもりが、助けられてしまったな」
面頬の内側で微笑みながらマディックが、怪物に向かって軽く片手を掲げた。
緑色の手甲が、淡く白く輝いた。
「こうなったら、あんたに助けてもらう事にする。すまないが、しばらく戦いを任せたい」
「おう……こいつは……」
癒しの力。その白い輝きが、3つ首の魔獣人間を優しく包み込む。
その巨体の各所、焼けただれて筋肉が剥き出しとなっていた部分に、再生した皮膚が被さってゆく。
全快というわけにはいかなかった。所々に治りかけの火傷が残った状態で、それでも魔獣人間の剣士は、かなりの力を取り戻したようである。
「申し訳ないが、あんたよりもガイエル・ケスナーの方が重傷だ。癒しの力の大部分は、彼に注ぎ込みたい」
「充分だぜ!」
3つ首の怪物が、嬉々として剣を振るう。手負いと侮って襲いかかったトロルたちが、ことごとく叩き斬られ、砕け散る。
魔獣人間の剣士に護衛される格好でマディックは、ガイエルの傍らに跪いた。そして祈りを呟く。
意識を失っている、赤毛の若者。その血まみれの裸身が、白い光に包まれる。
「ここまで……か」
ゴブリートの蹴りをかわしながら、ジャックドラゴンが後方に跳び退った。そして叫ぶ。
「総員退却! この場においては、もはや我らの勝利はない」
「レボルト・ハイマン貴様、こやつらを生かしておけと言うのか!」
よろよろと立ち上がったシェファを取り囲んでいるデーモンの1体が、怒声を張り上げる。
油断なくゴブリートを見据え、身構えたまま、レボルトがなおも言った。
「冷静になれ、そして考えろ。これ以上、戦ったところでアゼル・ガフナーに勝てるのか。ゼノス・ブレギアスを倒せるのか。その上、竜の御子までもが甦りつつあるのだぞ」
レボルトの言う通り、ガイエルの身体が、マディックの眼前でゆっくりと起き上がりつつあった。
「俺は……生きて、いるのか……?」
「唯一神はおっしゃった。貴方のような暴れ者を受け入れる準備が、まだ整っていないと」
マディックが、いささか疲れた様子で笑っている。
「覚えておられるだろうか? かつて貴方に命を救われた、マディック・ラザンだ」
「……その、鎧は……?」
「魔法の鎧という。俺のような非力な者でも、戦う事が出来るようになるのさ。貴方には到底及ばないが」
そんな事を言いながらマディックが、ガイエルの裸身をそっと抱き起こす。
その両名を背後に庇って立ちはだかり、威嚇の形に剣を振るいながら、3つ首の魔獣人間が言った。
「……何でぇ、生きてやがったんか。ティアンナ姫をカッコよく慰める台詞、1万個くれえ考えてあったのによ」
「何だと貴様……」
いきり立とうとしてガイエルはよろめき、マディックに支えられる羽目になった。
「無理をするな、貴方には安静が必要だ……これまで、無茶な戦いばかりしてきたのだな。癒しの力では治しきれない損傷や疲労が、身体の奥深くに蓄積している。今の貴方は、持てる力を半分も発揮出来ない状態だ」
「無茶な戦いばかり、だと……単身ダルーハ軍の残党に挑んで殺されかけていた貴様に、言える事か」
確かにこのマディック・ラザンという男、無茶はする。あのローエン・フェルナスのように。
「あんたも無茶はやめときな、レボルト将軍」
3つ首の魔獣人間剣士が言いながら、跳躍した。鉄槌のような蹄が、地面の一部をガッと蹴り砕く。
砕けた土が舞い上がっている間に、魔獣人間の剣士は、シェファの近くに着地していた。剣を振り下ろしながらだ。
「見ての通り、こちとら味方が増えちまったからよ……」
シェファを取り囲んでいたデーモンの1体が、真っ二つになりつつ破裂した。
その肉片を蹴散らすように、さらなる斬撃が唸る。魔人兵が2体、上下に両断され、砕け散った。
叩き斬っただけでは止まらぬ破壊力を宿した剣を構え、シェファを背後に庇いながら、3つ首の魔獣人間は言う。
「ま、味方って事でいいよな……兄さんは元気かい」
「あんた……」
シェファが呻く。この両名、どうやら顔見知りのようである。
レボルトが、剣先を油断なくこちらに向けながら戦場をちらりと見回し、じりじりと後退して行く。そして言った。
「味方か……アゼル・ガフナーよ、貴様もこやつらの味方であると。そのような解釈で良いのだな?」
「……今のところは、な」
マディック・ラザンに、いくらか借りがある。魔法の鎧がなければ己の身を守る事も出来ぬ2名を、今しばらくは警護してやらねばならない。
「ジャックドラゴンよ、退却するのならば見逃してやる。そしてデーモンロードに伝えておけ。貴様の首を狙う者が1人、近くに来ているとな」
「何を、魔獣人間風情が……!」
いきり立ってバジリスクを突進させようとするデーモンの1体を、レボルトが止めた。
「やめておけと言っている。おぬしらとて頭ではわかっているのだろう? もはやこの場で竜の御子を仕留める事は出来ん……敵に、癒しの力を使える者がいる以上はな」
「うぬっ、小賢しい唯一神教徒が……!」
デーモンが、燃えるような眼光でマディックを睨む。
一丁前にガイエルを背後に庇って立ちながら、マディックが槍を構えて睨み返す。
「こやつらを退け、岩窟魔宮への進撃を防いだ。この場の戦果としては、それで良かろう」
睨み合いを仲裁するかのように、レボルトは言った。
「我々にも、癒しの力の使い手が必要だ。あの女を、何としても味方に引き入れねば……む、どうした?」
魔人兵の1体がレボルトに忍び寄り、声を潜めて何やら報告している。
緊急事態、のようなものが起こったらしい。ジャックドラゴンの顔色が変わった。目と口をくり抜いたカボチャでしかない顔に、しかし明らかな表情が浮かんだのをゴブリートは見た。
「……総員退却!」
レボルトの号令に、魔物たちは今度は素直に従った。バジリスクの群隊が、ワイバーンの編隊が、デーモンや魔人兵を乗せたまま速やかに後退してゆく。
徒歩の者たちの殿に立ちながら、レボルトは声を高めた。
「ゼノス・ブレギアス、アゼル・ガフナー、そしてガイエル・ケスナー! 何度でも言っておくが岩窟魔宮の守りは万全だ。1人2人で乗り込もうなどという愚行は、これで止めにしておけ。それと魔法の鎧を着た者どもよ、貴様たちにもあと何名か仲間がいるのだろう? 悪い事は言わん、デーモンロードに戦いを挑むなら集結しろ。個別に動くな」
「余計なお世話……!」
どうやらゼノス・ブレギアスという名前らしい魔獣人間の背後から、シェファが進み出て魔石の杖をかざした。
「あんたデーモンロードの手下? それとも、あたしらの味方? はっきりしない奴は敵、って事でいいのよねえ」
「ふ……その通り、私は貴様らの敵だ」
魔族の全軍が、土煙をたなびかせて岩窟魔宮の方向へと遠ざかって行く。
それを確認しながら、レボルトは言った。
「心して挑んで来い……それだけは、言っておく」
言葉と共に、くるりと背を向ける。そして退却して行った魔物たちを追い、悠然と歩き出す。
「何、カッコつけてんのよ……ッ」
シェファが、魔石の杖を構えた。うっすらと赤く輝き始めた魔石が、ジャックドラゴンの背中に向けられる。
「おい、やめておけ」
ゴブリートは止めた。
「わからんのか。奴は背中で、お前の攻撃を誘っている……かわされて終わりだ」
「そんなの、やってみなきゃ……」
わからない、とまでは言わずにシェファは、青い面頬の中で唇を噛んだようだ。この少女も、頭ではわかっているはずなのだ。
かわされると同時に、反撃の火球を食らう。それがわかる程度にはシェファ・ランティも、戦いの場数を踏んではいる。
背中で攻撃を誘いながら、ゆっくりと歩み去って行くレボルト・ハイマン。その翼ある後ろ姿を見送ってから、ゴブリートはちらりと視線を動かした。
ゼノス・ブレギアスが、猛禽の足の形をした左手で、ガイエル・ケスナーの髪を掴んでいる。
「さぁーて、帰ったらティアンナ姫に怒られるぞうテメエ。うらやましぃーじゃねえかコラ」
「貴様……俺に貸しでも作ったつもりで大きな顔をするか!」
裸の人間の姿で、しかしガイエルは怯む事なく魔獣人間のタテガミを掴み返す。
「ああもう、やめないか2人とも……まったく、とんでもない事になりそうだなあ」
マディックが仲裁に入りながら、困り果てている。
先程レボルトは言った。貴様もこやつらの味方であると、そのような解釈で良いのだな、と。
(俺は、こやつらと同じ枠に入れられているのか……)
ゴブリートは、おかしな気分になっていた。