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第105話 燃える因縁

 ティアンナの頬が、ぱんっ! と音高く鳴った。

 この姉は、やはり人に暴力を振るうのが上手くはない。ティアンナは、そう思った。こんな平手打ちでは、手の方が痛くなるのではないか。

「村人たちを虐めるような裁きばかり行って……一体何を考えているのですか貴女は!」

 タジミ村の主だった人々が見ている前で、王母シーリン・カルナヴァートは容赦なく妹を叱責していた。

 裁きの場として使用されている広場である。主だった人々だけではなく、通りすがりや作業中の村人たちが、足を止めて見入っている。タジミ村の最高権力者である姉妹が、反目し合う様を。

 否、反目し合っているわけではない。姉であるシーリンが、妹のティアンナを一方的に責めなじっている。一言の反論もせず、ティアンナは俯いている。傍目には、そう見えているだろう。

「国王陛下の親族たる立場を良い事に、好き勝手をしているようですねティアンナ・エルベット……そんなつもりはない、などという言い訳は聞きませんよ。人々に、そのように感じさせてしまっている事が問題なのです」

「あの、王母殿下……」

 リグエンが、控え目に声を発した。タジミに併合された村の1つで村長をしていた、初老の男性である。見識ある人物で、村の主だった人々の中でも特に一目置かれている。

「決して、ティアンナ様は決してそのような御方ではございません。公正であろうとなされるあまり、いささか過酷な裁きを下される事はございますが」

「それとて、決して道理に背いたものではありません。ティアンナ殿下は、私心なく法を重んじておられるのです」

 他の人々も口々に、ティアンナを庇ってくれる。

「むしろ、この方はよくやっておられると思います。このような申し上げ方は御無礼でありましょうが」

「王母殿下に御負担を及ばせまいと、人々に嫌われる役目まで担っておられるのです。どうか、お労りを」

 茶番だ、とティアンナは思った。自分は今、本当に、汚らしい事をしている。

「方々には、この愚かな妹が迷惑をかけてばかり……姉として大変、心苦しく思っております」

 言いながらシーリンは、村の主だった人々を見回し、軽く頭を下げた。そうしてから、ティアンナを睨む。

「小娘のわがままに寛容な大人の方々に、甘え続ける事は許しませんよ。わかりましたか? わかったなら下がりなさい。己の愚かさを省みる時間を与えます……1人で、頭を冷やして考えなさい」

「はい……失礼いたします」

 俯いたままティアンナは一礼し、場の人々に背を向けて歩き出した。

 この場にゼノス・ブレギアスがいなくて本当に良かった、とティアンナは思った。彼がいたら、激昂してシーリンを殺す、ところまでは行かずとも、いささか面倒な騒ぎを起こしていただろう。

 あの男を、たまには少し構ってやるのも良いか。

 そう思いながら歩いているうちにティアンナは、人気のない雑木林へと入り込んでいた。

 誰かが、追いかけて来ている。

「あ……あの、ティアンナ殿下」

 同年代の、若い娘だった。

 リエル・ファーム。バルムガルド前国王ジオノス2世を、看取った侍女である。今は新王ジオノス3世や王母シーリン・カルナヴァートの、身の回りの世話をしている。

「あら、リエルさん……どうしたの?」

「その……元気、出して下さい。ティアンナ殿下は、何にも悪くありません」

 リエルが、我が事のように悔しげな口調で言う。

「私、信じられません。シーリン様が、あんな……大勢の人たちの前であんな、ひどい言い方をなさるなんて」

「駄目よ。王母殿下のお叱りを受けた者を、そんなふうに庇ったりしては」

「お叱りを受ける理由なんて、ティアンナ様にはありません!」

 リエルの叫びが、雑木林に響き渡った。

「シーリン様の所まで揉め事が行かないように、ティアンナ殿下が毎日どれだけ頑張っていらっしゃるのか、私知ってます! なのに……なのに、あんな」

「いいのよ、リエルさん」

 ティアンナは微笑みかけた。

「それより、こんな所へ来ては駄目。今すぐ私から離れて、自分の仕事にお戻りなさい……ここにいたら、嫌なものを見る事になるかも知れないわよ」

「……どういう、事ですか?」

 リエルのその問いに、ティアンナは答えなかった。答える必要が、なくなったからだ。

 嫌なものを、彼女に見せなければならなくなってしまった。

 男が3人、木陰から姿を現した。3人とも、中年から初老へと差し掛かっている。

 ティアンナは名を知らない。が、顔は何度か見た事がある。元々バルムガルド王国の地方貴族だった者たちで、今は王母シーリン・カルナヴァートの周りで側近のような態度を取っているが、重要な役職を与えられているわけではない。

 恭しく跪きながら、その3人が言った。

「お静かに、ティアンナ・エルベット殿下……いえ、エル・ザナード1世陛下。内密の話でございます」

「どうか御安心を。私どもは、貴女様の味方にございますれば」

「真にこのタジミ村を守っておられる方に対する、王母シーリン・カルナヴァートの無礼極まる行い。我ら、しかと見届けました」

 思った通りの者たちが、思った通りの事を口にしている。ティアンナは、そう思った。ヴァスケリア王宮にも、こういう輩は大勢いたものだ。

 拝跪している元地方貴族3名を見下ろし、ティアンナは言った。

「貴方たち、まさかとは思いますけど……私を、擁立しようとしておられる?」

「擁立などと。私どもはただ、あの横暴なる母親の手からジオノス3世陛下をお救い申し上げなければと考えております」

 3人が、ちらちらと顔を上げた。

 醜い顔だ、とティアンナは思った。こういう顔をした者たちが、ヴァスケリア王宮にも大勢いたものだ。

「国王陛下の後見は、貴女がなさるべきです。エル・ザナード1世女王よ」

「そうすれば、我がバルムガルドと貴国ヴァスケリアとの結びつきは一層、強固なものとなりまする」

「自らは何を為す事もなく高みから物言うだけのシーリン・カルナヴァートなどに、バルムガルド王国の行く末を委ねる事など出来ませぬ」

 それらの言葉にティアンナは応えず、ただ魔石の剣を腰の鞘から引き抜いた。そして無造作に3度、振るった。

 跪いている男3人の首が、ころころと転げ落ちた。

 リエルが、悲鳴を上げようとして声を詰まらせ、尻餅をつく。そして口をぱくぱくさせながら、辛うじて言葉を発する。

「な……なっ、ななな、なな何を…………?」

「嫌なものを見る事になる、と言ったでしょう? まあ見てしまったものは仕方ありませんね」

 綺麗に斬首してやれたので、魔石の剣にはほとんど血が付着していない。その刀身を鞘に収めながら、ティアンナは言った。

「リエルさんには証人になっていただきます……この方々の悪しき企てを、貴女は見て聞いてしまったのですからね」

 跪いたままの3つの死体を、ティアンナはちらりと見下ろした。

 反乱分子、というほどの大物ではない。ただ、こういう者たちを放置してはおけないのだ。

 ガサッ、と茂みが鳴った。

 武装した兵士たちが姿を現し、元地方貴族3名の屍と生首を、手際良く運び出して行く。山林の、もう少し奥深く人目につかない場所まで、運んで行ってもらう事になる。

「何も、貴女自身が手を汚す事はないでしょうに……」

 兵士たちに護衛された女性が、苦笑混じりに言う。ティアンナも、苦笑を返した。

「姉上こそ、御自身でわざわざ見届けに来られるほどの事でもないでしょうに」

「シーリン様……」

 リエルが、呆然と声を発する。

「あの……これは一体?」

「……わからなくてもいいわ、リエルさん」

 ティアンナはそう言ったが、リエルはどうやら、おぼろげながら気付き始めたようである。

「……わざと、ですか? 今みたいな人たちを、その、あぶり出すために」

「それだけではないけれど、ね」

 シーリンが言った。

 なるべく村人たちの目につく場所で、時々こういう事をしておく必要はある。それは姉妹で最初に話し合って決めた事である。

 姉妹だからとて決して馴れ合っているわけではない、という姿勢を見せておく。それと同時に、今のような者たちをおびき出して始末する。特に地方貴族などという輩は、ヴァスケリアでもバルムガルドでも大差なく、何かしら利用出来る者を擁立して権力にありつこうとする習性をなかなか捨てられないものなのだ。

「私……手を上げるのはもうやめるわ、ティアンナ」

 妹の頬に平手打ちを喰らわせた片手を、シーリンは少し痛そうに掲げて見せた。

「貴女に、何だか思った以上の同情が集まってしまったみたい。村人たちの心を、しっかりと掴んでいるようね」

「何……何なんですか、貴女たちは……」

 呆れたような怒ったような、いくらかは感心したような口調で、リエルが言う。

「王族の方々って、そんな事までしなきゃいけないんですか? それは確かに、ジオノス2世陛下にも……そういうとこ、ありましたけど」

「偉大な方だったのですね。こうして政治の真似事などをしていると、よくわかるわ……確かに、ヴァスケリア王国にとっては不倶戴天の敵でしたけれど」

 ティアンナは空を見上げ、ついに1度も対面する事のなかったバルムガルド前国王に思いを馳せた。

「ティアンナ、貴女なら義父上よりも偉大な国王になれるわ」

 妹をじっと見つめながら、シーリンが言う。

「私に代わってフェルディの……ジオノス3世陛下の後見をして下さる気はない?」

「冗談はおやめ下さい。姉上は、母親としての役割を放棄するおつもりですか」

「私は、母親失格よ……自分の息子を、政治の道具にするなんて」

 シーリンは、うなだれた。

「ごめんなさい、少しだけ愚痴を言わせてね……このところ陛下のお世話は、マチュアさんやリエルに押し付けっぱなし。私、おむつを替えてあげる事もしていないわ」

「マチュアさん……陛下をあやすの、お上手ですよねぇ」

 リエルが、溜め息混じりに言った。

「あたしなんか全然駄目。何やっても陛下は泣き止んで下さらなくて」

「苦労をかけるわねリエル。母親が、だらしないせいで」

 言いながらシーリンが、ふっと暗く微笑む。誰かに似ている、とティアンナは思った。この美貌の姉とは似ても似つかぬ人物を、ティアンナはつい思い出してしまった。

 私は、捨て扶持をもらって安穏と暮らしたいのだ。そんな事を言いながら兄モートン・カルナヴァートも、こんな暗い微笑を浮かべていたものである。

 兵士たちが、ざわついていた。1人が、跪いて報告を始める。

「王母殿下……たった今、見張りの者たちから知らせが届きました。村のはずれに奇怪な一団が現れ、侵入の隙を窺っているとの事にございます」

 奇怪な一団ならば見慣れている。ティアンナは、そんな事を言ってしまいそうになった。

 シーリンが、詳細な報告を促している。

「村のはずれとは、どの辺りなのですか?」

「元ラミル村近辺。その奇怪なる者どもの総数は不明なれど、少なくとも数個部隊規模かと思われます」

 ラミルは最も新しく、タジミに併合された村である。

 ティアンナは、肝心な事を訊いた。

「その者たちは……人間、なのですか?」

「いえ……人間ではない者が混ざっている、ようであります」

 報告する兵士の、口調が重い。

 人間ではない者たち。すなわち、ゴズム岩窟魔宮より派遣された魔物の軍勢。

 いつ行われてもおかしくはない襲撃が、ついに行われようとしているのであろうか。

「現在、ゼノス・ブレギアス殿が単身その者どもと睨み合っておられます」

「……ではまず、その周辺の村人たちの安全確保を」

 シーリンが、命令を下した。

「元ラミル、バルト、レドック各村に住まう民を全員、元ロベル村まで避難させるように。全軍、無理に戦おうとせず、村人たちの警護及び避難誘導を最優先させる事。戦いは出来る限り、ゼノス王子にお任せしましょう」

 あの男が暴れるのなら、それしかないだろう。人間ではないものとの戦いは、ゼノス1人に押し付けるしかない。

 いや、とティアンナは思った。自分ならば、何かしら援護くらいは出来るだろうか。それは自惚れであるにしても、兵士たちと共に村人の避難誘導を手伝うくらいしか、出来る事がない。

「……姉上、私は行きます」

 元ラミル村方面へと向かう兵士たちに続いて、ティアンナは走り出した。

 リエルの、そしてシーリンの声が、追いかけて来る。

「ティアンナ様、どうか御無事で……!」

「ゼノス王子を、可能な限り奮戦させてね。それが出来るのは貴女だけだから」

「……善処します」

 とだけ応えながら、ティアンナは走った。

 ちょうど、あの男を少しは構ってやろうかと思っていたところでもある。



 タジミ村は大きくなった。バルムガルド王国全土から、人が集まるようになった。

 集まった人間全てを受け入れる事など、出来はしない。受け入れた者が問題を引き起こし、結局はゼノスが叩き殺さねばならなくなる。そんな事が、今まで何度もあった。

 選別はしっかり行うべきだ、とゼノス・ブレギアスは思っている。

 無論それは自分の役目ではない、とも思う。馬鹿力しか取り柄のない魔獣人間が、人間の選別などに携わるべきではない。

 だが人間ではない者の選別は、人間ではない者がやらなければならない。

 だからゼノスは今、元ラミル村区域へと向かっていた。

 数日前この近くの川辺で拾った、赤毛の全裸男。あれが人間ではなかった事は、ゼノスにも何となくわかった。魔獣人間か、それとも魔物・怪物の類であるのかは、まだわからないが。

 あの男が何者であるのか。タジミ村にとって有害な存在であるのか否か。

 それを判断出来るのは、この村においては、同じく人間ではない自分だけであろうとゼノスは思う。

 マチュアの話によると、あの男はすでに意識を回復し、今は元ラミル村区域で力仕事をしているという。特に問題を起こしそうな様子はないらしい。

「悪い奴じゃねえ、とは思うんだがな……」

 歩きながら、ゼノスは腕組みをした。今は粗末な衣服を着て、リグロア王家の剣を背負っている。

 今の自分と同じように、あの赤毛の全裸男も、人間の姿を被った異形の何かであったのは間違いない。

 あの男が、これまでゼノスが殺戮してきた魔物や魔獣人間の類と同じく、タジミ村に害をなし得る凶悪な怪物であるとしたら。その時は、拾って来たゼノス自身が責任を持って殺処分しなければならない。

「ま、当初の予定通りブチ殺して食うだけよ。ティアンナ姫も義姉さんもマチュア嬢ちゃんも呼んで、みんなで鍋囲むってのも」

 そこでゼノスは、独り言を止めた。足も止めた。

 ゴズム山中。山林の、開けた場所である。兵士たちが時折、軍事調練に使っている場所で、数百人規模の集団戦闘なら充分に行える広さがある。

 タジミ村の兵士たち、ではない何者かの集団が、そこに姿を現していた。

「てめえら……?」

 ゼノスは背中の剣を抜き、身構えた。

 総勢百名近い、人間ではないものの集団だった。

 全員、人間の体型はしている。だがその人型は、肉か臓物か判然としない、蠢く有機物で構成されていた。

 残骸兵士。間違いない。ゴルジ・バルカウスが粗製濫造していた、魔獣人間の失敗作。

 武器を手にしている者はいない。ただ全員、得物など必要ないほど鋭利かつ強固な爪を、両手に生やしている。

 明らかに魔獣人間とわかる者が、3体いた。

 1体は、人型の爬虫類とも言うべき姿をしていた。長い尻尾を生やし、左手に楯を、右手に鋸のような剣を持っている。顔面らしきものはなく、頭頂部から鳩尾の辺りまで縦に裂けた巨大な口が、獰猛に牙を剥いている。その大口の内部で、心臓にも似た宝石が赤く発光し、脈打つように輝いていた。

 1体は、毛むくじゃらの巨漢である。人型の筋肉の塊が、ふさふさと白い獣毛を生やしているのだ。ただ右腕だけは毛むくじゃらの剛腕ではなく、節くれ立った甲殻に覆われた、まるで肩から百足か芋虫が生えているかのような形状をしていた。その先端は五指ではなく、何やら毒々しい汁気を滴らせる何本もの触手である。

 3体目は、全身に包帯を巻いていた。その包帯の内側では、溶けかかったような肉体がドロドロと流動的に蠢いている。

「その剣……間違いないな。あんた、あの黒い鎧の奴を追い払った、3つ首の化け物だろう」

 白い毛むくじゃらの魔獣人間が、ゼノスの持つリグロア王家の剣を見て言った。

 ゼノスは、とりあえず会話をしてやる事にした。

「……俺は、てめえらなんざ知らねえぞ」

「悪いな、ちょいと覗き見をしてたんだ。あんたが、あの竜の御子を庇っているとこをな」

 包帯姿の魔獣人間が、続いて言う。

「悪い事は言わない……あの化け物は、この村から放り出した方がいい」

「竜の御子……化け物だと……しかも俺が庇っただと」

 つまり、あの赤毛の全裸男の事を言っているのであろうか。この魔獣人間たちは。

「竜の御子、ってのがあの野郎の名前か……おめえら、知り合いなんか?」

「まあ、な」

 口が縦に裂けた爬虫類型の魔獣人間が、そう言って1歩、近付いて来る。

「あの怪物の身柄を、引き取りに来た。黙って引き渡してくれんかな」

「ありゃ俺が拾ったもんだ。どう扱うかは、これから見に行って決めるとこでな」

 考える事なく、ゼノスは答えた。

「てめえらが口出す問題じゃねえよ……見逃してやるから消え失せろ」

「余計なものを背負い込むのは、やめた方が良いのではないか?」

 人間が1人、残骸兵士たちの中から歩み出て来た。

 粗末な歩兵の軍装に身を包んだ、若い男。焦げ茶色の髪をしており、顔立ちは貴公子風に整っている。

「貴様の力では、この村を守るので精一杯のはずだ。あまりうぬぼれるな、ゼノス・ブレギアスよ」

「てめえは……」

 前に1度、会った事がある。魔物たちに捕われていた女子供の一団を、救い出してこの村に連れて来た男だ。

 だがそれ以前にも1度、この男とはどこかで会っているような気がする。ゼノスはどうしても、思い出せずにいた。

「……ちょうどいいや。おめえさんに、もう1回会いてえと思ってたとこさ。ちょいと訊きてえ事があってよォ」

「私が何者か、まだ思い出せんか? ならばまあ無理に思い出す事もあるまい」

「それも気になるが、そうじゃねえ。あんた今、岩窟魔宮にいるんだよな?」

 ゴズム岩窟魔宮。元々はゴルジ・バルカウスの本拠地であり、今はそのゴルジを殺害した何者かによって支配されている。

 その何者かが、魔物たちを操ってバルムガルド王国全土を蹂躙している。そして人々をさらい集め、魔獣人間に作り変えている。

 その何者かに関して、ゼノスは何も知らないのだ。

「ゴルジ殿を殺して、岩窟魔宮を乗っ取りやがった野郎の事……教えてくれねえかな。確かデーモンロードとか言ってたよな、あんた」

「そう、デーモンロード。魔族の強大なる支配者だ……私はあの怪物に敗れ、配下として働いている。蔑むが良い」

「そのデーモンロードとかいう野郎の命令で、俺が拾った肉を横取りしに来やがったと。そういうわけかい」

 粗末な歩兵姿の若者に、ゼノスは思わず剣を向けていた。

 自分は間違いなく、この男を知っている。そんな根拠のない思いに今、ゼノスは支配されていた。

「あれは肉などではない。デーモンロードに勝るとも劣らぬ、怪物だ。放っておけば……肉にされて食われるのは、お前たちの方だぞ」

 リグロア王家の剣を向けられながら、その切っ先をまっすぐ見つめ、若者は言った。

「我らに引き渡す気にならぬのなら、せめてこの村から追放しろ。デーモンロードが、あやつの命を狙っている。いずれ自身の手で殺しに来るであろう……匿っていれば、村人たちが巻き添えで死ぬ事となる」

「なるほど。あんた、どうにかしてこの村を守ってくれようってんだな」

 嘘ではないだろう、とゼノスは感じた。この焦げ茶色の髪の若者は、デーモンロードの支配下にいながら、バルムガルドの民を出来る限り守ろうとしている。その思いに、偽りはない。

 それはそれとして、やはり自分はこの男を知っている。とてつもない因縁が、あるような気がする。そんな炎にも似た思いが、ゼノスの心の中でますます激しく燃え盛る。

「あの全裸の肉野郎……竜の御子とか言ってたよな。あいつがいなくなりゃあ、この村は平和と。だから引き渡すなり追ン出すなりしちまえと、そう言いてえわけだな」

「簡単な話であろうゼノス王子。貴公が守らねばならぬのは、まずはこの村の人々だ。それが精一杯のはずだ。デーモンロードを引き寄せてしまう怪物など、背負い込んでいる余裕はないはずだ」

 若者の整った顔が、言葉に合わせてメキッ……と痙攣する。人間の表情筋では、あり得ない痙攣である。

「あれは、災いを呼ぶ怪物だ……人々の住む村になど、いさせてはならぬ。皆、殺されるぞ」

 ゼノスは理解した。この男もまた、人間ではない。焦げ茶色の髪をした、容姿端麗な若者。そんな外見の下に、とてつもない正体を隠し持っている。

 この場に現れた4体目の魔獣人間に向かって、ゼノスは言った。

「その竜の御子ちゃんがいなくなりゃあ、この村は間違いなく平和になんのか? あんたが保証でもしてくれんのか?」

「する。デーモンロードに、この村には手出しをさせぬ」

「どうやってだ。おめえ、そのデーモンロードってのに負けてんだろうが」

 バルムガルド全土で、町や村が魔物たちに襲われ、人間がさらわれている。タジミ村がそういう目に遭わないという保証など、どこにもないのだ。

 竜の御子などいようといまいと、デーモンロードはいつかタジミ村を襲うかも知れない。大した理由もなく気まぐれに、皆殺しにでもしてみようか、などと思うかも知れない。

 強い者は、気まぐれや気晴らしで弱い者を殺戮する。何故なら、それが出来る力を持っているからだ。

 力による暴虐は、力によってしか止められない。戦って、止めるしかないのだ。

 リグロア王国がバルムガルド軍に攻め滅ぼされたのは、力がなかったからだ。戦いに敗れたからだ。そんな事をふと思った瞬間。

 ゼノスの頭の中で、何かが弾けた。心の中で、炎が燃え上がった。

「……てめえは!」

 全身がメキッ! と痙攣した。衣服が、ちぎれ飛んだ。筋肉が、獣毛が、激しく隆起する。

 荒ぶるものを、ゼノスは抑え込んでおく事が出来なかった。

「てめえ……てめえは……ッッ!」

「……思い出したようだな」

 4体目の魔獣人間が、まだ人間の皮を被ったまま微笑んでいる。

 ゼノスは人間の皮を脱ぎ捨て、猛り狂っていた。

「てめえ! レボルト・ハイマンかああああああああああッ!」

 魔獣人間グリフキマイラが、そこに出現していた。

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