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第99話 愛の力

 1つ、誤算があった。

 バルムガルド王国による援助を失い、財政的に自滅してゆくと思われていた真ヴァスケリアが、しぶとく独立国家の体を保ち続けている事である。大領主ラウデン・ゼビルの、政治家としての手腕によるものであろう。

 少々甘く見ていた事を、モートンは認めざるを得なかった。

「ラウデン・ゼビル侯爵は、もともとレネリア地方の領主として、バルムガルドとの小規模な戦を全て受け持ってきた人物です」

 玉座の傍らで、カルゴ・エルベット侯爵が言う。

「前線の政治家として、軍費の捻出はお手の物という事でしょう。見習いたいところでございます」

「うむ……宗教特権ばかりを叫びがちなローエン派の者どもを、上手く抑え込んでもいる」

 小太りの身体を玉座に沈めたまま、国王ディン・ザナード4世ことモートン・カルナヴァートは腕組みをした。

「ラウデン・ゼビル、実に手強い男よ。あやつが治める5つの地方……併合は、諦めねばならぬかもな」

「しかし陛下、ヴァスケリアが分裂したままでは……」

「国を分裂させた無能なる王として、私は名を残す事になるであろう」

 そんな名前など、まあ別に残っても構わないとモートンは思う。

「だがカルゴ侯爵よ。例の書簡、そなたも目を通したのであろう?」

「はっ……」

 サン・ローデル侯配下の聖職者マディック・ラザンが、バルムガルドから送ってよこした書簡である。

 それはサン・ローデル侯リムレオン・エルベットから、そのまま王宮へと送られて来た。

 バルムガルド王国は現在、魔物たちに支配されている。

 赤き竜の残党が、今や一国を支配下に置いてしまうほど勢力を盛り返してしまったという事だ。

「バルムガルドから魔物どもが攻めて来るとなれば、もはや併合にこだわっている場合でもあるまい。真ヴァスケリアなどという国名は変えさせる必要があるにせよ、独立そのものはとりあえず黙認し、国同士の対等な同盟という形にもってゆく。いがみ合っている場合ではないという事くらいは、ラウデン侯もわかっているはずであろうからな」

 マディック・ラザンの報告によると、魔物たちが魔獣人間の大量生産に取りかかっているらしい。

 モートンは、謁見の間を見回した。

 居並ぶ廷臣たちに、近衛兵団、カルゴ・エルベット侯爵と自分ディン・ザナード4世。

 この中で自分ほど、魔獣人間という生物の危険性を熟知している者はいないだろう。モートンは、そう思っている。まがりなりにもダルーハ・ケスナーの叛乱を体験しながら生き延びてきた人間は、この場ではモートン1人だ。

(まあ、自慢するような事でもあるまいが……な)

 魔獣人間。ダルーハが使役していた、あの凶悪・醜悪な怪物どもを、モートンは思い返してみた。

 あれらが量産され、軍勢を成してヴァスケリアを襲う。事態は、その1歩手前の辺りにまで達しているようである。

 その事態を未然に防ぐため、無謀にも単身で乗り込んで行った王女がいる。それを追いかけて行った怪物も1匹いる。だが、そのような輩に頼り切って何もしないわけにはいかない。

 独立5地方も唯一神教会も、国王の完全な支配下に置き、ヴァスケリア王国の全戦力を強固にまとめ上げて対処したいところではあるが。

「まとまらぬものは仕方がない。対等な同盟関係というのが、現在取り得る最良の手段であろう」

「こちらが、いくらか譲歩する事にもなりますが……やむを得ませんか」

「やむを得ん。ラウデン・ゼビル侯爵とは、併合を前提としたものではない同盟を結ぶ……その事に関して、実は唯一神教会から1つ申し出があってな」

 我らローエン派が、同盟締結のための橋渡しとなる。クラバー・ルマン大司教から、そんな書簡が送られて来たのだ。

 あんな人物でも、表向きは唯一神教会の最高権力者である。政治的な仲介者としては申し分がない。橋渡しとなる、というのが本心であるならばだ。

「クラバー大司教が、間もなくここへ来る事になっておる」

「大司教猊下が……」

 カルゴの口調は、何やら疑わしげだ。

「あの御方が、本心から陛下に協力的な事を申し出るとは思えませんが」

「無論、何かしら企んでの事であろうな」

 あの大司教は以前、王宮まで来て露骨に経済的援助をせびった事がある。その時は、つまみ出した。

 今回も、どうせ同じような事を言ってくるであろう。本当に同盟の仲介者として骨を折ってくれるのであれば、多少の事はしてやるべきかとモートンは思う。

 近衛兵が1人、玉座の前に進み出て来て告げた。

「陛下、クラバー・ルマン大司教が参りました。謁見を求めております」

「うむ。お通しせよ」

 モートンは命じた。

 数名の近衛兵によって、まるで連行されるかの如く、クラバー・ルマン大司教が入って来た。

 相変わらず、憔悴している。やつれて青ざめた顔面の中で、しかし両の眼球だけが、ギラギラと異様な光を発している。

「国王陛下……御機嫌うるわしく……」

 辛うじて聞き取れる声を出しながら、クラバー大司教は跪いた。

 とりあえず、モートンは言った。

「大司教猊下は……あまり御機嫌うるわしくはないようであるが?」

「何の……最高の気分で、ございますよ……」

 跪き俯いたまま、クラバーは笑っているようであった。

「聖女アマリアの、お役に立つ事が出来る……これに勝る悦びがありましょうか……」

「……本題に入らせていただこう」

 咳払いを交えて、モートンは言った。

「私とラウデン・ゼビル侯爵との間で、同盟の仲介をして下さるという話であるが」

「いかにも。2人仲良く……唯一神の御下に、召されるが良かろう」

 そんな言葉と共に、クラバーは顔を上げた。右手を掲げながら。

 その右手の中指で、指輪が光った。蛇が巻き付いたような形の、禍々しい指輪。

「この私を差し置いて、聖女アマリアと馴れ馴れしくも対等に口をきいておるラウデン・ゼビル……いずれ殺す。が、まずはそなたからだディン・ザナード4世。暗愚にして暴虐の国王よ」

「乱心したか……!」

 カルゴ侯爵が、モートンを背後に庇って立った。

 近衛兵たちが、乱心した大司教に槍を突き付ける。

 だがその時には、蛇の指輪から発せられた光が、空中に投影されて紋様となっていた。

 謎めいた図形や文字を内包した、光の真円。それが10個前後、空中に描かれて輝きながら、産み落とすように何かを発生させていた。

 がしゃ、ガシャッと物々しい音を立て、10体前後の人影が、謁見の間の床に着地する。

 兵士だった。1ヵ所の露出もなく全身甲冑をまとった、鈍色の鎧歩兵たち。

 長剣、槍、戦斧と得物に統一性のない彼らが、一斉に動いて近衛兵たちに襲いかかる。

 悲鳴と血飛沫が上がった。

 応戦する近衛兵団の槍はことごとく叩き折られ、その一方で鎧歩兵たちの振るう様々な武器は、的確に強烈に叩き込まれて近衛兵たちを負傷させる。

 一応は王国正規軍きっての精鋭であるはずの近衛兵団を、難なく蹴散らした鎧歩兵の1体が、ガシャガシャとやかましく玉座に向かってくる。大型の戦斧を振りかざし、国王ディン・ザナード4世をカルゴ侯爵もろとも叩き斬ろうとする。

「……させん!」

 何者かが、飛び込んで来た。

 まるで猛牛のような体当たりが、大斧を持つ鎧歩兵を直撃する。

 兜が、胸甲が、手甲や脛当てが、バラバラに吹っ飛んだ。鎧だけだ。中身の肉体はない。

「陛下、御無事で!」

 カルゴとモートンをまとめて背後に庇える巨体が、そこに立っていた。

 頭髪と髭がタテガミの如く繋がった、獅子のような男。力強い身体を、粗末な衣服に包んでいる。近衛騎士の甲冑を着せたいほどの人材だが、この男は自身の鎧を持っているのだ。

「おお、ブレン兵長……いや本来ならば騎士団長か将軍の位を授けたいところだが」

「陛下。暴れるしか能のない将軍では、大勢の兵士が迷惑いたします」

 獅子のような顔をニヤリと歪めながら、ブレン・バイアスは駆け出した。大型肉食獣を思わせる巨体が、鎧歩兵の一団に襲いかかって行く。

 負傷した近衛兵たちにとどめを刺そうとしていた10体前後の鎧歩兵が、一斉に武器を構え直してブレンを迎え撃つ。

 長剣が、槍が、戦斧が、しかし片っ端から叩き落とされ、打ち飛ばされた。

 大鉈のような手刀、岩のような拳、丸太を思わせる蹴り……ブレンの手足が、防御と攻撃を同時に行っていた。

 鈍色の全身甲冑たちがバラバラに吹っ飛び、いくつもの兜が、胸甲が、空っぽの手足が、謁見の間に散らばり転がる。

「……ものは相談だがカルゴ侯爵よ」

 エルベット家から護衛として貸し出されている戦士に守られつつ、モートンは声を潜めた。

「これほどの人材、エルベット家で独占しておるのは実にずるい。国王直属の騎士として、正式に譲ってはくれぬか。ヴァスケリアの民を守るため、私が大いに活かしてみせよう」

「私の一存では……本人の意思も、確かめませんと」

「それがなあ。ブレン・バイアス本人は、そなたに義理立てして首を縦に振ってはくれんのだよ」

 そんな相談が行われている間に、戦いは終わっていた。

 鎧歩兵は1体残らず、バラバラの部分鎧となって散らかっている。

「非力な者が、慣れぬ力を手に入れて馬鹿をやらかす……」

 ブレンは、クラバー大司教を見据えて言い放った。

「魔獣人間と同じように成り果てたようだな、ローエン派の方々も」

「愚かな……哀れなほどに、愚かなる者よ……」

 うろたえる事もなくクラバーは、夢見心地な声を発した。

 その右手では、蛇のような指輪が、相変わらず不気味な輝きを放ち続けている。

「聖女アマリアの、大いなる愛の恵み受けしこのクラバー・ルマンに……暴力をもって、逆らうとは……」

 蛇の指輪が突然、本物の蛇になった。モートンには最初、そう見えた。

 クラバーの右手中指で、指輪を組成している金属が膨張し、何匹もの蛇の如く多方向に伸びてうねり、大司教の全身いたる所に突き刺さった。

 血飛沫が、大量に噴き上がった。

 血まみれの法衣に包まれたクラバーの肉体が、痙攣しながらモゾモゾと蠢いている。金属の蛇たちが、体内で暴れているのだ。

 そんな状態でありながら、クラバーは笑っている。悦びに血走った両眼で、ここではない遠いどこかを見つめている。

「聖女アマリアよ……貴女の大いなる愛が、今……発現する……」

 そんな言葉と共に、血染めの法衣が破けて散った。

 大司教の貧弱な肉体が、膨張しながらメキメキと変質してゆく。人体から、金属へと。

 元々は指輪であった金属の蛇たちが、クラバー・ルマンの肉体と融合しつつあるのだ。

 金属化してゆく身体の表面が、尖ったり凹んだりしながら、鎧状に固まった。

 ブレン・バイアスを一回りは上回る巨体が、やがてそこに出現した。

 金属質の巨体。先程までの鎧歩兵たちと似てはいるが、かなり出来損なっている、とモートンは思った。板金の段階で失敗していながら無理矢理、全身甲冑の形に仕上げてしまった。そんな感じの姿をした、歪な金属製の巨漢。

 大司教クラバー・ルマンは今、そのような怪物に変化していた。

 居並ぶ廷臣が、恐慌に陥った。

 負傷した近衛兵たちが、身体を引きずるようにして逃げ惑う。

「これが……」

 歪んだ悦楽の表情のまま、仮面状に金属化した顔。その開かぬ口から、クラバーは声を漏らした。

「これこそが、聖女アマリアの……お役に立てる、力……私が……私こそが……」

 狂気に血走った眼球だけが、生身のままだ。

「私だけが、聖女アマリアのお役に立てるぅ……ラウデン・ゼビルでもなく、イリーナ・ジェンキムでもなく、このクラバー・ルマンだけがぁあ……」

「……魔法の鎧の技術が、歪みきった形でローエン派に流れていると。そういうわけか」

 カルゴとモートンを背後に庇ったまま、ブレンは右拳を握った。

 その中指で、竜の指輪がキラリと輝く。

「良かろう……本物を、見せてやる」

「愚かなる者ども、哀れなる者ども。どれほどの歓喜が今の私を動かしておるのか、汝らではわかるまい!」

 おぞましい金属の巨人と化したクラバー・ルマン。その両腕からジャキッ! と何かが伸びた。

 鎌のような、片刃の剣のような、刃だった。左右一振りずつ、禍々しく湾曲しながら生えている。カマキリの前肢のようでもある。

 そんな2本の刃を振りかざし、金属の巨人はなおも叫ぶ。

「愛を知らぬ、愛も平和も蹂躙するだけの暴虐王ディン・ザナード4世よ! 我が愛の悦びを知りつつ死ね!」

「……知りたくもないのだがなあ、そのようなもの」

 この程度の会話しか、モートンはしてやれなかった。

「ブレン・バイアスよ、処刑を許可する。大司教猊下を、幸せなまま唯一神の御下へとお送りせよ」

「御意……」

 まるで天空を殴打するかの如く、ブレンは右拳を突き上げた。

 その力強い拳を飾る竜の指輪から、光の紋様が、空中に投影される。先程クラバーが発生させたものと同じ、様々な文字や図形を内包した真円。だが今、そこから産み落とされるものは、あのような偽物の鎧ではない。

「汝……悪しき力を、召喚するか……」

 クラバーの声が、怒りと歓喜に震えた。

「我が愛と悦びの力に……悪しき力をもって、刃向かうと言うのだな……」

「大司教よ、俺があんたに言ってやれる事は1つだけだ」

 光の紋様が、ブレンの頭上で、轟音と輝きを発した。

「陛下には指一本、触れさせはせぬ……武装転身!」

 落雷だった。

 紋様から発せられた稲妻が、ブレンの全身に降り注ぐ。

 謁見の間に雷鳴を響かせながら、1人の甲冑戦士がそこに出現していた。

 たくましい全身をガッチリと包み込む、黄銅色の鎧。その表面をバチッ! と電光が走る。

 魔法の鎧を装着し終えたブレン・バイアスが、己の腰から戦斧を取り外し、構えた。そして猛然と踏み込む。

 クラバーの方からも、踏み込んで来る。カマキリを思わせる2本の刃が、ブレンに向かって一閃する。

 火花が散った。魔法の戦斧が、2本の刃を弾き返していた。クラバーの巨体が、よろりと揺らぐ。

 そこへブレンが、左足を突き込む。

 出来損ないの甲冑を思わせる巨大な胴体に、黄銅色の軍靴で固められた蹴りがグシャッとめり込んだ。

「ぐえぇ……っ」

 金属の巨体が、悲鳴を引きずりながら後方へと吹っ飛ぶ。その腹部には、ブレンの足型がくっきりと刻印されている。

 吹っ飛んで行く大司教を見据えながらブレンは、魔法の戦斧を横に振りかぶった。

 ピシッ……と微かな雷鳴が轟いた。構えられた斧の刃が、電光を帯びる。

 パリパリと帯電する魔法の戦斧を、ブレンは横薙ぎに振るいながら手放した。

 投擲。電光をまとう斧がギュルルルルッ! と猛回転しながら高速飛翔し、蹴り飛ばされたクラバー大司教を追撃・直撃する。

 出来損ないの甲冑のような巨体が、上下真っ二つになった。

 金属と融合した臓物が、ドバァーッとぶちまけられる。

 ギュルルルッと弧を描いて戻って来た魔法の戦斧を、ブレンが鮮やかに掴み止める。

 クラバー大司教は、上下に両断された屍となって床に転がり、無惨にして奇怪な死に様を晒していた。死体、と言うよりは金属の残骸。唯一、生身の部分であった両の眼球が、狂気に血走ったまま、瞳孔を散大させてゆく。

 半ば金属化した臓物を垂れ流して横たわるその残骸を、少し前までは大司教クラバー・ルマンであったなどと、誰が思うだろう。

 謎の怪物が王宮に乱入して来て、ブレン兵長に討ち取られた。クラバー大司教は行方不明。そのような話に持って行くのが最も丸く収まる手段であろう、とモートンが思ったその時。

「こ、殺した……国王陛下が、大司教猊下をお殺しになられた……」

 逃げ惑っていた廷臣たちが、口々に声を漏らし始める。

「何と……何という事を……」

「クラバー大司教猊下は、和平の橋渡しとなって下さるために来られたのですぞ。それを、このような……」

「こっ国王陛下! 貴方様は御自分が何をなさったのか、おわかりなのでしょうな……」

「方々……一体、何を言っておられる!」

 カルゴ侯爵が廷臣らを見回し、叱りつけるように言った。

「確かに信じ難い光景ではあったが、目の当たりにしたであろう? 大司教クラバー・ルマンは怪物となり、陛下のお命を狙ったのだ。それを」

「……無駄だ、カルゴ侯」

 モートンは、背後からカルゴの肩を叩いた。

「私がブレン兵長を使って、クラバー大司教を殺害した……この者たちは、そういう証言しかしないつもりだ。確かに外から見れば、そういう事にしかならぬからなあ」

「陛下……!」

「してやられた。唯一神教ローエン派を裏から操る者……聖女アマリア・カストゥールにな」

 まだ会った事もない女性聖職者の名を、モートンは呻いた。

 和平の仲介を買って出た大司教の、殺害。

 ローエン派は、国王ディン・ザナード4世に対する絶好の攻撃材料を手に入れた事になる。

 この廷臣たちはとうの昔に、アマリア・カストゥールに買収されていたのだ。

「そなたら……5公5民の税制が、そんなに不満であったのか?」

 容易く買収に応じてしまった者たちに、モートンは苦笑を向けた。

「確かに5公では、そなたらが私腹を肥やす事も出来ぬ。だがな、我ら王侯貴族の前に、まずは民衆が豊かにならねばならぬ……綺麗事に聞こえるかも知れんが、残念ながらこれは事実なのだ。民衆の暮らしが豊かになれば、税収も増す。そなたらも私腹を肥やし放題ではないか。今しばらくの辛抱なのだよ」

「な、何を言っておられるのかわかりませぬ。とにかく陛下、貴方はエルベット家の者を用いて、大司教猊下を殺めたのですぞ!」

 廷臣たちが、言い逃れをするように叫んだ。

「そこのカルゴ・エルベット侯爵に、しかるべき罰をお与えなされませ! さもなくば陛下も、恐れながら御同罪という事になりまするぞ!」

 なるほど、とモートンは思った。エルベット家の失脚。それもまたアマリア・カストゥールの、それにこの廷臣たちの、目的の1つなのだ。

 ローエン派はこの先、大司教殺害事件を大々的に喧伝し、ディン・ザナード4世に退位を迫って来るであろう。退位にまで事を進める事は出来ないにしても、エルベット家が失脚すれば、現国王の勢力は一気に弱まる。

 それを望む廷臣らが、なおも喚き続けた。

「申し上げにくき事ながら陛下、このままでは我ら、貴方様に御退位をお願いせねばならなくなります」

「まずは、カルゴ・エルベットに罰を!」

「暴虐非道のエルベット家が、ついにこれほどまでの無法を! これを罰さねば、すなわち陛下が無法を黙認なされたという事に」

 ズン……ッ! と重い音が、謁見の間に響き渡った。喚いていた者たちを一瞬にして黙らせるほどの、重い響き。

 床にビキビキッ……と亀裂が広がってゆく。

「……そろそろ黙れ、貴様たち」

 ブレン・バイアスが巨体を屈め、床に左拳を叩き込んでいた。

「この腐れ大司教を実際にぶち殺した俺を差し置いて、国王陛下だのカルゴ侯爵だのと……騒ぎ立てるなよ」

 屈んだままのブレンの全身が、光に包まれた。

 黄銅色の魔法の鎧が、キラキラと光の粒子に変わり、右手の指輪へと流れ込み吸収される。

 生身に戻ったブレンが、ゆらりと立ち上がり、言った。

「見ての通りだ。クラバー大司教は今、俺が殺した。誰かに命令されたからではなく俺の一存、俺の意思でな」

「ブレン兵長……」

 何か言おうとするモートンに、獅子のような顔がギロリと向けられる。

「黙れ無能国王。カルゴ侯爵、あんたもだ。安い給料で俺をこき使いやがって、この期に及んで俺の主君面をするな」

 無礼極まる物言いをしながらブレンは、左手の親指でビシッと何か小さなものを弾き飛ばした。

「俺はな、王侯貴族って連中にほとほと嫌気がさしていたのさ。金輪際あんた方の命令など聞くものかと思っていたところでな」

 弾き飛ばされて来たものを、モートンは掌で受け止めた。

 指輪だった。つい今までブレンの太い指にはまっていた、竜の指輪。

「この腐れ猊下を叩き斬ったのも、だから命令されたからじゃあない。俺が殺したいと思ったから殺したんだ。言わば俺の命令だな。こういう奴を見ていると殺意が抑えられなくなるんだよ、俺は」

 獅子のような顔が、ニヤリと獰猛に歪んだ。

「なあ無能陛下。いずれあんたも叩き殺してやるつもりだったが、まあ勘弁してやる」

「陛下に対し、何たる無礼……」

 カルゴ侯爵が言った。自分が置いてきぼりにされている、とモートンは感じた。

「ブレン・バイアス、貴様はもはや我が臣下にあらず。一介の無法者として、法の裁きを受けるが良い……方々よ、御覧の通りだ。クラバー・ルマン大司教猊下は、たまたま謁見の間に押し入って来たこのブレン・バイアスなる乱心者によって殺された。痛ましい事ではあるが、国王陛下は無関係であらせられる。我らエルベット家に関わりある事でもない」

「なっ、何と……そのような事が通るとでも」

 何か言い立てようとする廷臣の1人に、ブレンが獅子の形相を向けた。

「ガタガタぬかすと、あんた方も殺すぞ? 無論、俺の意思でな……さあ何をしている、さっさと俺を捕えんか!」

 おどおどと槍を構える近衛兵団を、ブレンは怒鳴りつけた。

「税金でぬくぬく飼われてる奴らには、生身の俺を取り押さえる事も出来んのか!」

「待て、ブレン兵長……」

 叫ぼうとするモートンを、カルゴ侯爵が止めた。

「陛下、ここはブレン・バイアスに……全て、お任せ下さいますように」

「カルゴ侯、そなたは! ブレン兵長1人に全てを押し付けて、事を済ませようというのか?」

「政治とは、そのようなもの……で、ございましょう」

 副王であった頃のモートンが、しばしば妹女王に言い聞かせていたような事を、カルゴは言った。

「この国には貴方が必要なのです、ディン・ザナード4世陛下。我らエルベット家、手段を選ばずに貴方様の王位をお守りいたします」

「そなたらは……」

 傷の軽い近衛兵たちが、恐る恐るブレンに槍を突き付け、引き立てて行こうとする。

 ブレンは、それに逆らおうとしない。

(私は……捨て扶持をもらって安穏と暮らすのが、夢なのだぞ……)

 預けられてしまった竜の指輪を握り締めながら、モートンは心の中で泣き言を漏らした。

(なのに、どいつもこいつも私を玉座から解放してくれぬ……)

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