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夜明けに捧ぐ華<妖怪寺鎮魂譜>  作者: 狐月華
2 『トルコキキョウの護り手』
18/20

8章 影呼ぶ灯の所在

楓はすぐにスマートフォンを取り出し、綾乃へ電話をかけた。コール音が数回響く……しかし、


『おかけになった電話は――』


ため息が漏れた。


「……出ない」


続いて、楓は山科へ電話をつなぐ。

数コールで、息を荒くしたような声が出た。


『はい山科!

今ちょっと急用で手が離せない――

ああ、楓どのか!』


「山科さん。

持って帰った品々、何か分かりました?」


『いや……

まだ途中じゃが。

今のところどれも“危険物”には該当しておらん。

むしろ是非ともこのまま儂のコレクションに入れたいと思う一品ばかりで……失礼。

正直、肩透かしを食らっておる』


「そうですか……」


楓は呼吸を整え、言葉を続けた。


「山科さん。

――美羽ちゃんが抱いているあの人形、調べてほしいんです」


『人形、ですと?』


「ええ。

昨日……

美羽ちゃんを守るようにして光を受けたんです。

そして、その人形の髪が切り落とされました」


『ほう……

人形が身代わりに、なった、のかの?』


山科の声色が、僅かに変化する。


『なるほどの、そういう類のものなら……

日本でも“形代”や“人形代”などの例がある。

民間信仰としては普通にありえる話じゃが……』


「お願いします。

――あの人形、何か秘密があるような気がして仕方がないんです」


楓の声が熱を帯びた。


山科は一瞬黙り、それから息を吐くように言った。


『分かった。

優先して調べよう。

何かわかったらすぐに連絡するでの』


「助かります。

よろしくお願いします」


通話を切ると、楓は再び石塚へ視線を向けた。


赤く染まる空の下。

その石塚は、まるで夕闇がそこだけ凝縮したように、不自然な影を湛えていた。


「朝倉さん、いやな予感がします。

美羽ちゃんところに急ぎましょう」


朝倉が無言で頷きを返すと、二人は五百旗頭邸に向かって歩き出した。


◆◇◆◇◆


雑木林から戻る道すがらも、楓の胸のざわつきは収まらなかった。

気ばかりが焦って仕方がない。

楓の身体はいつの間にか走りだしていた。


巨木の根元に遭った石碑――

あれが“何のために”置かれたのか。

もし、自分の想像が正しければ――


(……美羽ちゃんに、危険が迫っている)


胸の奥で、冷たいものが息をひそめているようだった。


家の鉄門に差し掛かったところで、楓は綾乃へ再び電話をかけた。

しかし――また繋がらない。


五回、六回、七回。

画面に同じ名前が何度も並ぶ。


「……頼む、出てくれ……」


時間だけが過ぎていく。

その間にも、胸騒ぎははっきりと形を持ち始めていた。


八度目の発信のあと、ようやく通話が繋がった。


『……楓さん?

何かあったんですか、何度も……』


息を整えたばかりのような声だった。

背後には複数人の気配。

報道番組のスタッフ達だろう。


「綾乃さん……

今、どちらですか」


『局です。

放送前の打ち合わせに入っていて……

電話に気づかなかったんです、ごめんなさい』


「大丈夫です。ただ……

どうしても、確認したいことがあります」


楓は一度息を吸い、慎重に言葉を選んだ。


「美羽ちゃんに……

亡くなったお兄さん、もしくはお姉さんは……

いませんか?」


一瞬の沈黙。

その後、綾乃は落ち着いた声で答えた。


『いえ……いません。

美羽が最初の子です』


「では……

生まれる前に、例えば、流産で亡くなった子は……?」


ふっ、と綾乃の呼吸が止まった。

電話越しでも分かるほどはっきりと。


短い間があり、綾乃は震えた声で答えた。


『……います。

ひとり……いました。

妊娠五ヶ月で……』


楓は強く目を閉じ、覚悟を固める。


「家の西側の雑木林の巨木の根元で石碑を見つけました。

これは……

その子を悼むために建てたものですね」


綾乃は、受話器の向こうで何かを押し殺すように息を震わせた。


『……ええ。

私と主人で……

人に言えることではなくて……

誰にも話していませんでした』


「その子の名前……

つけていましたか?」


『……はい。

お腹の中で動いている命がもうあるんだと思い……

“優”と名付けて……

呼びかけていました』


その名前を聞いた瞬間、楓の中で点と点が線になった。

昨夜の光。石碑。美羽を囲む不可解な気配。

すべての可能性が、不穏なひとつの結論へ収束していく。


楓は深く息を吸い、震えを隠せないまま告げる。


「綾乃さん……

落ち着いて聞いてください」


『……はい』


「美羽ちゃんの命が、危ないかもしれません」


息を呑む音が、はっきり聞こえた。


「昨晩、美羽ちゃんの部屋に飛び込んだあの光。

あれが……

あの光が飛んできた方向が雑木林の石碑の方向と一致します。

そして、美羽ちゃんの抱いているあの人形はただの人形ではないかもしれません」


『……そんな……

どういうことですか……?』


「まだ確信が得られているわけではありません……

ただ、僕たちは大きな勘違いをしていたのかもしれません。

もしそうであれば、美羽ちゃんの身に危険が迫っています」


楓は迷わず言い切った。


『……そんな……。

美羽が……危険……』


震える声は、必死に冷静を保とうとしているのが分かる。

しかし、声の奥には張り詰めた恐怖が潜んでいた。


『楓さん……

あの光の件、プロデューサーに話したんです。

娘に“何か”が起きていて娘の身に危険が迫っているかもしれないから、今日だけでも休ませてほしいって……』


そこで綾乃は小さく息を呑み、悔しさを噛みしめるように続けた。


『でも……

根拠のない”かも知れないこと”なんて理由にならないって……

看板アナウンサーに訳が分からない理由で欠勤されては困るって……

取り合ってもらえなかったんです』


普段は強く芯のある綾乃が、ここまで弱々しい声を出すことなど想像したこともなかった。


『今日の生放送……

視聴者数もスポンサーも多くて……

私がいないと成立しないって言われて……

逃げるように家を出てきてしまって……』


その言葉には、自分を責める痛みと、母としての焦燥が混じっていた。


「綾乃さん。

あなたは悪くありません。

僕も今朝の時点でこの状況は想定できていませんでした」


だが、楓の言葉にも綾乃の震えは止まらない。


『……美羽の身に危険が迫っているのはわかっていたのに、私……

仕事を優先してしまった……』


ふっと、くぐもった嗚咽が電話越しに漏れた。


『楓さん……

私、母親として……

最低ですよね……』


「違います!」


楓は思わず声を強めた。


「それは違います。

あなたは、母親としても社会人としても――

ずっと戦ってきたんです。

そのどちらも守ろうとしてきた。

それがどうして“最低”なんですか」


綾乃は息を呑む。


「ただ……

もし僕の考えが正しければ、想像以上に危険なんです。

このままでは、美羽ちゃんの命が危ないかもしれない」


静寂

その一瞬で、綾乃の心が固まっていくのが分かった。


『……生放送、代わりを立ててもらえないか……

もう一度だけ掛け合ってみます』


綾乃の声が、震えながらも芯を取り戻しつつある。


『私、ずっと逃げてたんです。

朝倉さんに全部押し付けて。

“仕事だから”って言い訳すれば、正しく見えると思っていた。

でも……

娘が命の危機にあるなら……

そんなの、理由にもなりませんよね』


その言葉は、静かで、確かな強さがあった。


『……帰ります。

たとえ局に何を言われても。

今日、私は帰ります。

美羽は……私が守らないと……』


声は震えていたが、決して揺らいでいなかった。


『母親が子供を守るために帰る……

そんな当たり前のことすら、どうして私は迷っていたんでしょう……』


綾乃は深く息を吸い、言葉に覚悟を込めた。


『楓さん。

すぐ戻ります。

どうか……

美羽を、どうかお願いします』


そこで声が震え、通話が途切れた。

 

楓はゆっくりとスマートフォンを下ろす。

胸騒ぎは消えていない。

むしろ、ますます強くなっていた。

 

家に入ろうと玄関のドアに手をかけたところで、楓のスマートフォンが震えた。


画面には――

山科の名前。


「……山科さん?」


通話に出た瞬間、山科の押し殺したような声が耳に飛び込んだ。


『楓どの、今いいか。

急ぎで伝えねばならん』


ただならぬ声音に、楓は思わず息をのみこんだ。


「……何が分かったんですか。

例の、人形の件ですか?」


『ああ、調べた。

まず結論から言うと――

あれは呪物ではない。

少なくとも、祟りや呪術のために作られた代物ではなかった』


「……じゃあ、危険は無いんですね?」


一瞬の沈黙が、逆に最悪の答えを予感させる。


『じゃが、呪物ではなんだが、あれは“本来残っていてはいけない”ものだ』


喉の奥がひりつくような感覚に襲われる。


「……どういう意味ですか」


山科は深く息を吸い、語り始めた。


『十四世紀にヨーロッパで黒死病は甚大な被害をもたらした。

しかしその後も各地で断続的に流行が続いており、十九世紀のヨーロッパのとある農村では、毎年十人以上の子供が亡くなっていた。

親たちは……

耐えられなかったのだろう』

 

楓は息をのみ、耳の奥がじんと熱くなった。

電話越しの声が遠のいたように感じるほど、胸の内で不吉な予感が形になっていく。

まさか――

と否定したいのに、思い浮かぶ最悪の答えだけが静かに輪郭を強めていった。


『亡くした子供の髪の毛を使い、子に似せた人形を作った。

その人形には親ができる限りの刺繡を施した服を着せ……

まるで小さな“もう一人の子供”のように扱ってな』


喉の奥で、言葉にならない焦りがせり上がる。

まるで誰かがゆっくりと楓の背中を撫で下ろすように、冷たい戦慄が走った。

これ以上聞きたくない――

そう思った時にはもう、逃げ場はなかった。


『その人形は、年に一度の収穫祭――

つまりハロウィンの夜に火へくべられ、“天へ送る”風習があった。

自分たちの子供が死後、孤独のまま迷わぬよう。

天国へ辿り着けるように祈りを込めて……』


楓の指先が、気づけば冷え切っていた。

語られる歴史の向こうに、今まさに迫っている“現実”が透けて見える。

胸がざわつき、心臓の鼓動が一拍ごとに嫌な重さを帯びる。

美羽の姿が脳裏をよぎり、楓は思わず唇を噛んだ。


『だから、本来は翌年に残るはずがない。

一体たりとも、この世に置いておかれてはいけない人形だった』


「……燃やすために作られた、この世に残ってはいけない人形……」


『楓どの。

美羽どのが抱えているあの人形――

使用している布地の種類と傷み具合から見る年代、刺繡の縫い方の特徴……

全てがその人形と一致している』


その一言は、楓の胸を深く刺した。

最悪の可能性。

ずっと否定し続けてきた、あってはならない答え。


――一致してしまった。


外の空気が急激に冷え込んだように感じる。

楓はかすかに震える指を握りしめ、考えを巡らせた。


(……なら、美羽ちゃんの夢も。

首の痣も……すべてのつじつまが合ってしまう)


喉の奥がひりつく。

もし今もあの人形が、今も美羽の側で力を取り戻しつつあるとしたら――。


そのとき、楓の後方から慌ただしい足音が近づいてきた。


「楓さん!」


朝倉だった。

状況を把握しきれず、息を切らしながら楓へ駆け寄る。


「電話をされていたようですが、何かわかったんですか?」


「朝倉さん。

……美羽ちゃんの夢と、首の痣の原因が判明しました」


楓は静かに、しかし明確な重みを乗せて言った。


「山科さんに調べてもらってわかったんです。

全ての元凶は――

美羽ちゃんが抱いていた、あの人形だったんです」


朝倉の表情が凍りつく。

楓は一拍置き、さらに言葉を重ねた。


「美羽ちゃんが夢で見ていた“紐のような手”も、首にできていた痣も……

あれはすべて、人形の“髪”によるものです。

ハロウィンの夜が近づくにつれて人形が力を取り戻し、操れる髪の本数も増えていた。

だから――

朝倉さんも、最近になってようやく異変に気づけたんです」

 

「……っ!」


朝倉は目を見開き、言葉を失う。


「人形は今、住職の張った強力な結界の内側にあります。

つまり、美羽ちゃんと人形は“同じ空間に閉じ込められている”状態です。

あの結界が裏目に出て……外から、誰も手を出せない」


朝倉の顔から血の気が引いた。


「じゃ、じゃあ……

美羽ちゃんは、いま――」


「危険です。

このままでは命に関わるかもしれない」


楓ははっきりと言い切った。

沈黙が落ちる。

朝倉の喉が硬く鳴る。


「綾乃さんが局から戻ってきたら、状況が安全だと確認できるまで……

絶対に、無闇に和室に近づかないように伝えてください」


「そんな、奥さまはすぐにでも美羽さんのもとに駆け付けたいでしょうに……」


「だからこそ止める必要があるんです!」


楓の声が鋭く走り、朝倉は息を呑んだ。


「今あの部屋に入れば、人形の力に引き込まれる可能性がある。

美羽ちゃんだけじゃなく、朝倉さんや綾乃さんまで……

危険なんです」


朝倉は唇を噛みしめながら、震える声で尋ねた。


「……じゃあ、どうすればいいんですか?」


楓は短く息を吸い、決意を込めて答えた。


「僕たちで……

僕と真雪で美羽ちゃんを必ず守ります」


楓の静かな覚悟に、朝倉は小さくうなずいた。


――時はもう、残されていなかった。

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