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夜明けに捧ぐ華<妖怪寺鎮魂譜>  作者: 狐月華
2 『トルコキキョウの護り手』
17/19

7章 薄祈の石座

真雪がリビングへ戻ると、そこはすでに“別の戦場”になっていた。


山科と楓がテーブルから床まで所狭しと広げられた美術骨董を前に、黙々と仕分け作業を進めている。

掛け軸、蒔絵の箱、古い陶磁器、謎めいた面……

そのどれもが年代不明の気配を漂わせ、素人にはただ古い物の山としか見えない。


住職は二人へちらりと会釈した。


「ほいじゃ、わしはすまんが……

ハロウィンライブの時間がのぅ……」


と言いかけたところで、真雪が無言で目だけ向ける。

住職は一瞬たじろぎ、その場でそそくさと方向転換し、そのままごまかすようにバタバタと牧師の服に着替えはじめた。


「……ほ、ほな、じゃあ、あとはよろしく頼む!」


最後は逃げるように玄関へ向かい、靴も転がしながらまるで追われる獣のように立ち去った。


真雪は呆れたようにため息をつきながら、散らばる骨董品の山へ視線を向ける。


「……ふたりとも、すごい数ですね……」


楓は手袋を外さずに小さく頷く。


「家中の“気配がある物”を集めてきました。

山科さんに選別してもらっているところです」


その横で、山科はまるで宝飾品でも扱うように、ひとつひとつを丁寧に手に取り、角度を変え、耳元で軽く叩いて音を確かめる。

彼の指先は獲物を選ぶ職人のように迷いなく、目の奥だけが奇妙に静かだった。


「ふむ……これは違う。

こっちは……おお、これは少し“濃い”ですねえ」


「そういえば山科さん」


楓がふと思い出したように言った。


「美羽ちゃんが持っているあの人形、あれは鑑定しなくて大丈夫なんですか?

あの子、ずっと抱いているので……」


山科は手を動かしたまま、軽く顎を引いて頷いた。


「ええ、問題ありませんよ。あれは“良い職人”の手が入っています。縫いの方向、使われている布、内部の詰め物の質――どれも呪具に使われる系統のものとはまったく違いますからね」


「……そんなに違うものなんですか?」


真雪が、半信半疑といった顔で問う。


山科は胸を張り、どこか誇らしげに言った。


「呪物というのは、構造や素材に“意図”が出るんです。

私のレベルであれば一目見ればだいたい判断できます。

私はコレクターですからね。

あの人形は非常に手が込んでいて実に見事な一品です。

きっと名のある職人が愛情を込めて作ったんでしょう。

半面、禍々しさなど欠片もない」


真雪はじとり疑いのまなざしを向ける。


「じゃあ、山科さんって……

やっぱり“見える”人なんですか?」


真雪が首を傾げて尋ねると、山科は意外そうに目をぱちくりさせ、すぐに首を横に振った。


「いえいえ、まったく見えませんよ。

残念ながらね」


「えっ。

でも、さっきの……」


「勘、ですよ。

それに――霊が見えるなんて、私にとっては“びっくり箱の中身が、開けるからわかっているようなもの”です。

未知だからこそ面白い。

見えない方が、私はずっとありがたいんです」


その口ぶりは自信満々で、どこまでも理性的だった。

だが真雪には、ほんの少しだけ“胡散臭い”と感じられた。


(……本当に、見えないんでしょうか?)


その時、ふと視界の端に古い市松人形が入った。

白粉のような肌、黒い瞳。

山科の位置からは完全に死角――

絶対に見えていない。


(じゃあ……

ちょっと、試してみよっと)


真雪は何気ないふりをしながら、そっと指先に霊力を乗せた。

市松人形へ向けて、軽く“一撫で”するように念を送る。


――その瞬間。


ぱさっ。


人形の黒髪が、糸のように細く、ほんの数センチだけ伸びた。


たったそれだけ。

人間の目では気づけないほどの、刹那の変化。


……のはずだった。


山科の肩が、ビクンッ!

と跳ね上がる。


手に取っていた骨董の箱を落としかけ、慌てふためくように持ち直した。


「い、いま……

なんか、背筋がゾワッと……!」


声がわずかに裏返る。


真雪は――

にっこり微笑んだ。

口では言わないが、目が完全に言っていた。


(……見えてるじゃない)


山科は咳払いし、誤魔化すように視線を逸らす。


「き、気のせいでしょう。

たまにありますよ、こういうのは」


楓はその様子をちらりと見たが、特に突っ込まなかった。

慣れているのか、それとも気づいていないのか、淡々と記録をつけ続けている。


(やっぱり……

この人、絶対ただの骨董商じゃないですわね)


真雪は小さく肩をすくめ、苦笑した。


◆◇◆◇◆


やがて山科の選別作業も一段落し、張り詰めていたリビングの空気がようやく静かに落ち着きはじめたころ――

控えめなノックとともに、綾乃が姿を見せた。


「そろそろ……

局に向かわないといけない時間でして」


その声音には、幼い娘を残していく母ならではの不安が滲んでいた。


楓は立ち上がり、落ち着いた口調で言う。


「五百旗頭さん。

住職が張ってくれた結界は非常に強力です。

あれがある限り昨日の矢のような光も美羽ちゃんにたどり着くことは困難でしょう。

だから今は、どうか安心してお仕事へ。

屋敷内の品の調査は僕たちにお任せください」


綾乃は胸に手を当て、小さく息をついた。


「……ありがとうございます。

本当に、皆さんに支えていただいてばかりで……」


その横で、真雪が両手をスカートの前で揃え、可憐に微笑む。


「大丈夫ですよ、綾乃さん。

美羽ちゃんのことは、わたしがしっかりお守りしますから……

ほんとに、絶対ですから!」


その柔らかな声に、綾乃の緊張が少しだけほどけた。


一方その頃、山科は――

自分で選別した骨董品を前に、汗をぬぐいながら荷造りをしていた。


「う、うむ……

これは大至急持ち帰って精査せねば……

いやしかし量が……

ああ、これも貴重で外せん……!」


段ボール三箱、キャリーケース一つ、さらに桐箱数点。

玄関に運ぼうとするたびに崩れ、山科は右往左往していた。


その様子に綾乃が苦笑し、声をかける。


「山科さん、本当に助かりました。

こんなにたくさん持ち帰られるんですね」


「も、もちろんです奥様!

これは宝の山でして……

い、いや、そうではなくて……

い、一刻も早く鑑定を――!」


山科は荷物を抱え直しながら、息を切らして大荷物と奮闘している。


綾乃は少し考え、丁寧に切り出した。


「山科さん。

もしよろしければ……

私が局に行く車に同乗いただけば途中に寄り道してご自宅までお送りします。

お荷物も多くて大変でしょうから」


「お、おおお奥様……!

ありがたき幸せでございます……!」


感涙寸前の声をあげ、山科は持てるだけの荷物を抱えて玄関へ向かった。

綾乃が迎えに来ていたスタッフに山科の荷物を運ぶ手伝いをさせている。


綾乃は最後に、改めて残る三人へ振り返る。


「本当に……

お願いします。

もし、何か変化があれば……

どんな小さなことでも構いませんから、すぐに連絡を」


「わかりました。

何かわかりましたらご連絡いたします」


真雪も小さく手を握りしめて言った。


「ま、任せてくださいっ……

綾乃さん♡」


綾乃はその言葉に深くうなずき、迎えの車に乗り込んだ。

山科も大量の荷物とともに続き、車は静かに屋敷を出ていく。


秋の午後の光が、屋敷全体を静かに満たしていた。

時刻はまだ十四時を少し回ったあたり。

けれど、十月末の淡い日差しは力が弱く、屋敷の影はすでにゆっくりと伸び始めている。


綾乃と山科が去り、玄関扉が閉まる音が消えると、屋敷に残ったのは楓と真雪、そして奥の寝室で美羽を見守る朝倉だけとなった。


嵐が過ぎ去った後のように、しばしの静寂が訪れた。

その沈黙を破ったのは楓だった。


「さて……

これからの動き、どうしましょうか」


真雪はこくりとうなずき、柔らかな表情を引き締める。


「楓。美羽ちゃんの側には、わらわが付く。

あの光が再び襲ってきたら……

朝倉殿では太刀打ちできぬ」


「そのつもりです。

真雪なら、何か異変があればすぐ気づけるし……

何より、美羽ちゃんが君がいると安心している」


真雪は照れたように一瞬だけ視線をそらし、すぐに凛とした顔へ戻った。


「では、楓は?」


「僕は庭を調べます。

あの光が飛んできた方向……

きっと何かあると思うんです」


楓はガラス戸越しの庭へ目を向けた。


昨晩光が飛んできた玄関より西の方向。

本来なら午後の光でまだ明るいはずだが、広大な庭の木々が影を落とし、すでに薄く夕方めいた雰囲気を醸している。


「朝倉さんにも手伝ってもらいます。

庭が広すぎて、一人じゃ把握できませんから」


「気をつけるのじゃぞ、楓」


「うん。真雪もね」


二人は視線を交わし、それぞれの役目へ動き出した。


ここからが、本当の始まりだった。


◆◇◆◇◆


五百旗頭邸の庭は、こまやかな手入れが行き届き、季節の草花と落ち着いた植栽が広がっていた。


落ち葉が少し舞ってはいるものの、厚く積もるほどではなく、歩けばサラリと控えめな音を立てる程度だ。


捜索の妨げになることは無いだろう。


「朝倉さん、僕は昨日、光が飛んできた方向――

西側を重点的に見ます」


「わかりました。

では私は、ほかのところを隅々まで見てまいります」


朝倉は庭の東側へ歩き出し、楓は西の植え込みへ向かった。


昨晩、窓越しに見た白い光。

その軌跡を思い返しながら、草の乱れや枝葉の変化、地面の色の違いを丹念に追う。


しかし、光を思わせる痕跡はどこにも見つからなかった。


庭は整いすぎていて、何かが触れた形跡すら残っていない。


そんな中、庭の反対側から朝倉の声が聞こえた。


「……あら、これ……」


楓が駆け寄ると、朝倉は植え込みの影から小さなものを拾い上げていた。


「美羽さんのおもちゃですね。

昨日のお庭遊びのときの……」


手のひらにのっていたのは、淡いピンク色の小さな指輪。


子ども用の、安価なプラスチック製のものだが、花の飾りがついていて、幼い子が大事にしていそうな可憐さがあった。


「……美羽ちゃんの、ですか」


楓はそっとそれを受け取り、光にかざした。


雨に濡れたせいで少しくすんでいたが、その小ささと軽さが、なぜか胸に重く響いた。


――こんな小さな指輪に指が通るほど、美羽ははかなく幼い存在なのだ。


その貴さに胸を締め付けられるような痛みを感じた瞬間、楓の中に静かで強い決意がひそやかに燃え上がる。


(絶対に……美羽ちゃんに何も起こさせない)


楓は深く息を吸い、握った指輪を胸の近くへそっと引き寄せた。

それは自分自身への誓いを確かめるような動作だった。


「朝倉さん、これ……僕が預かります。

あとで綾乃さんにお返しします。

……美羽ちゃんには、絶対に危険が及ばないようにします」


その声音は穏やかだったが、言葉の奥には決意がこもっていた。

朝倉は小さく頷き、安心したように微笑んだ。


「ええ。

私もできる限りお手伝いします」


二人は一通り庭の隅々に至るまで調査したが、これと言ってめぼしいものは見つけることができなかった。


楓は庭の西側を振り返る。


そこには、庭と敷地外の雑木林を隔てるように立つ木々の影が、昼間にもかかわらず濃く伸びていた。


「……庭に手掛かりがないのなら、次はあちらを見てみるべきですね」


楓の視線の先――

家の西側、敷地外の雑木林は、ひときわ静まり返って見えた。


風が吹き抜けるたび、薄暗い枝葉が揺れ、昼と夜の境界のような気配が漂う。


「朝倉さん、雑木林も見に行きましょう」


「承知しました」


二人は庭の捜索を終え、静かな木立の影へと足を踏み出した。


◆◇◆◇◆


敷地の西側に広がる雑木林は、庭とはまったく異なる表情をもっていた。


手入れの行き届いた芝と植え込みの先で、風景は急に色を変え、自然のまま伸びた木々が影を重ねている。


枝葉の密度が高く、昼間でも薄暗い。

風が通るたび、梢が小さく揺れ、光と影の模様がゆったりと地面を移動していった。


「……足元、気をつけてください。

根が浮いていますので」


朝倉が声を掛ける。

楓は頷き、玄関側――

昨晩、光が庭を横切って飛んでいったと思われる方向へ視線を向けた。


光が走った軌跡を思い返しながら、林の中へと足を踏み入れる。

落ち葉は庭よりも幾分多く積もっていたが、地面を隠すほどではない。

踏みしめるたび、ふわりとした感触と控えめな音が返ってくる。


細い獣道のような窪みが、玄関側から緩やかに林の奥へ続いていた。

自然にできたものとも、誰かがよく通った痕跡ともつかないが、楓はその筋を辿って進んでいく。


歩くにつれ、林の空気は少しずつひんやりとし、周囲の色がゆっくりと夕方へ傾き始める。

枝の隙間から差し込む陽光は、橙色を帯び、その角度がどんどん低くなっていった。


「……ずいぶん、奥まで続くんですね……」


「ええ。

ですが、こっちのほうが光の線と一致します」


楓は立ち止まり、前方を見つめる。

雑木林の奥のほうで、ひときわ大きな古木が存在を主張していた。

太い幹は二人が両腕を伸ばした程度では抱えきれず、年輪の深さを感じさせる。


その根元だけ、周囲よりわずかに地面が窪んでいた。

風にあおられた落ち葉がゆっくり降り積もり、色の違う層をつくっている。


楓は古木に近づき、膝をついて地面を払った。


――その瞬間、落ち葉の下から硬い感触が指先に触れた。


「……朝倉さん。

ここ……何か……あります」


そっと葉を払いのけると、そこには土に埋もれかけた石がいくつも並んでいた。


乱雑ではなく、意図的に置かれた形。

小さく円を描いたようにも見えるが、どれも風雨を受け、角が丸くなっている。


そして――

中央部には、やや平たい一枚の石が、他より少しだけ立てかけるように置かれていた。


まるで、碑のように。


夕日が枝の隙間から差し込み、その石だけが淡く照らされた。


古木の根元に置かれた石は、乱雑ではなかった。

ただ積まれたのではなく、誰かが“形”を意識して並べたものだ。


風雨に擦り減り、角は丸く、ところどころに生えている苔が時間の経過をそのまま抱え込んでいる。


中央に置かれた平たい石は、他より一段だけ低い位置で傾きながらも、まるで“何かに向けて祈るため”に置かれたような形をしていた。


理由は言葉にならなかったが、楓の胸に、かすかな重さ――

説明のできない感情が沈む。


(……これは、“偶然の石”なんかじゃない)


落ち葉を払いながら、楓は慎重に石の表面へ指先をすべらせた。文字らしい刻みは判別できないほど風化しているが、不思議と“記されていた痕跡だけは”感じ取れる。


何かを悼むために置かれたもの。

誰かの、深い思いが沈んだ場所。


――そんな印象だけが、胸の奥に残った。


「楓さん……

これは、やっぱり……」


朝倉が言い淀む。


しかし、彼女もまた直感的に“ただの石ではない”と感じているようだった。


楓は答えを急がず、石碑の形を静かに見つめる。


昨日、美羽の部屋へ飛び込んできた光。

あれは――

西側、雑木林の方向から飛び込んできた。


そして、その軌跡を辿った先には、こうして“何かを祀るように置かれた石”がある。


胸の奥に、小さな痛みのようなものが走る。


光の放たれた方向と、この石碑。

無関係ではないとしたら――


(まさか……)


楓の胸に強い予感と言いようのない不安が走っていた。

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