5章 朝影を乱す訪人
一時間ほどして――
五百旗頭邸のある静かな住宅街に、ドゴゴゴゴ……!と重低音が響き渡った。
明らかに普通のバイクではない。
地面を揺らすような、強烈な存在感のエンジン音。
楓はソファから顔を上げ、眉をひそめた。
(……嫌な予感しかしない。
住職が来るなら、こんな音はしないはずだが……)
玄関ホールでインターホンに出ていた朝倉が、「え、えぇっ……!?あ、あの……ど、どちらさまでしょうか……?」と混乱した声を上げ、すぐにリビングへ駆け戻ってきた。
「楓さまっ……!
あの、玄関に……その……!」
「落ち着いて。
誰が来たんです?」
「こ、これは……ご説明が……
非常に……難しいのですが……!」
そこへ、真雪も不穏な気配に気づき、すっと立ち上がる。
「え……住職が来たんじゃないの?」
「そ、それが……
妖怪寺の住職さまが来られるとばかり思っていましたのに……
お見えになったのは……」
朝倉は震える手で玄関のほうを指さした。
「ハ、ハーレーダビッドソンに跨った……
背中に十字型の……か、棺桶を背負った……」
「棺桶……?」
楓が目を瞬かせる。
「そして……
住職様というより、牧師様?……
なぜかお召し物が作務衣ではなく……
牧師の祭服でございます……!」
リビングが一瞬、静まり返った。
次の瞬間。
「――アイツめ!!」
真雪が血相を変えて玄関へ突進した。
楓と朝倉も慌てて追いかける。
玄関を開けた先には――
巨大なハーレーダビッドソンの上で、十字型の黒い棺桶を背中に固定し、
神父のような黒いロングコートをまとい、
サングラスをかけた巨体の男が仁王立ちしていた。
紛れもない、妖怪寺の住職。
深山泰巌その人であった。
「あっ、真雪ちゃん〜!
待たせたのう――」
「黙らんかぁァァアアア!!」
真雪の怒号が朝空に響く。
泰巌は情けない声を上げて肩をすくめた。
「ど、どしたんじゃ真雪ちゃん、こわい顔しおって……」
「こわいのはおぬしじゃああ!!
なんじゃその格好は!!
いま、なんの案件でここに来たか理解しとるんか!?
子どもの命がかかっとるんじゃぞ!!」
「ち、違うんじゃ!
これは、その……せっかくのハロウィンじゃし、この後でハロウィンライブに行くつもりで……」
「――恥を知れぇ!!」
真雪の怒声が、まるで雷鳴のように玄関先に轟いた。
「日本の仏僧たる者が!
海外の牧師の扮装でライブとな!?
しかも子どもの命の危機よりアイドルを優先する始末……!
ありえん!ありえんわ!!」
「ひぃっ……そ、そんな怒らんでも……!」
泰巌は肩を縮め、背中の棺桶がカタカタ揺れる。
今にも泰巌に殴りかかろうとする真雪を止めながら、楓は現実的な話へと強引に軌道修正した。
「住職、話を戻します」
楓は無理やり空気を引き締めるように声を整えた。
「電話でお願いした件、覚えてますよね?
結界の準備と、邸内にある美骨董品の鑑定です」
「おおっ、もちろんじゃとも!」
泰巌は胸を張ってドヤ顔を作る。
先ほど怒られたばかりとは思えないテンションだ。
「そのための特別装備一式を、これに入れて持ってきたんじゃ!」
「それって……その棺桶のことですよね」
「うむ!
この中に、道具が全部そろっとる!
見せてしんぜよう!」
意気揚々と泰巌は、背中の十字型棺桶の金具をガチャリと外した。
「見よ!
わしの最終奥義セット!!」
パカッ。
棺桶の中には――
呪符を作るための特製和紙、硯と筆などが、ぎっしりと整然と収められ――
そしてその中央で、一人の小男が目を回して泡を吹きながら押し込まれていた。
「……………………」
朝の空気が完全に静止した。
「な、何しとるんじゃ住職ぅぅぅ!!」
真雪が再び叫ぶ。
「こ、これはじゃな!
骨董商の山科殿を連れてきたほうが鑑定が早いと思って……」
泰巌は牧師服の襟元をおずおずと指でつまみ、しどろもどろに視線を泳がせた。
「でも、そのままだと折角のハロウィンの仮装に浮いてしまうので……
つい……その……棺桶に入れて……」
「“つい”で棺桶に人を詰めるやつがおるかぁぁ!!」
真雪の怒りは頂点に達し、楓の手を振りほどくと、泰巌の胸ぐらをつかんでガクガク揺さぶった。
「この大馬鹿住職!!
なんでこんな騒ぎを朝っぱらから引き起こすんじゃ!!」
「ど、どわぁっ!
ゆ、揺らすな真雪ちゃん!
山科殿は寝とるだけじゃから!
目が覚めたらちゃんと鑑定――!」
「その“目が覚めたら”が問題なんじゃああッ!!
こんな状態で鑑定なんか出来るかボケぇぇ!!」
真雪の怒号が響いたちょうどその時――
棺桶の中の山科が、ピクッと指先を震わせた。
「……う、うぅ……」
「ほら!
起きかけておるわ!!
どうするんじゃ住職!」
「ど、どうするって……
出してやるしか……」
「だったら最初から入れるなと言っとるんじゃああ!!」
「お、おう!」
泰巌が山科の襟を掴んで引っ張り出すと、和紙や筆がバサバサと飛び散り、朝の玄関先は一瞬でカオスに包まれた。
「ちょっ、住職!
道具が!」
「うわっ、山科殿!動くな!
ぎゃあ和紙が飛ぶ!」
「わああっ!住職!
踏むな踏むなーー!」
朝の静かな五百旗頭邸の玄関は、一気に地獄絵図のような騒ぎになった。
その後ろで楓は、そっと心の中で呟いた。
(……もう帰って寝たい)
◆◇◆◇◆
五百旗頭邸のダイニングのテーブルに、全員が揃っていた。
綾乃、楓、真雪、そして泰巌と山科――
近くでは美羽が折り紙で遊び、朝倉が見守っている。
だが、大人たちの空気はまったく穏やかではなかった。
綾乃が泰巌をまじまじと見つめ、慎重に言葉を選びながら問いかける。
「……あの、本当に、妖怪寺の“住職”さん……で、いらっしゃるんですよね?」
「もちろんじゃとも!
わしはな――貴方は〜神を〜信じま――」
泰巌が牧師ジョークを放とうとした瞬間。
隣からすっと伸びた真雪の視線が、凍りつくほど冷たく泰巌を射抜いた。
泰巌はピタリと動きを止め、「……信じますよね、うん。やめとこう」と小声で撤退した。
咳払いして誤魔化す泰巌。
綾乃は不安を隠しきれない表情でため息をついた。
一方、山科はというと――
屋敷の美術骨董品を一目見た瞬間から、そわそわと落ち着きなく座っていた。
「こ、これは……!
なんというお宝の密度……っ。
このお屋敷、た、たまりませんな……!
うへへ……い、いや、失礼……!」
骨董商としての目の輝きに加え、呪物コレクターとしての“獲物を前にした危険な高揚”が隠しきれていない。
楓は苦笑しつつ、全員に向けて口を開いた。
「では、これからどう動くか整理しましょう」
綾乃が手を挙げ、申し訳なさそうに言った。
「私、どうにか局に休みを……と思い、プロデューサーに交渉したんですけど……
やっぱり報道番組の代役が居なくて、昼過ぎには家を出なきゃいけなくて……」
「まあ、そうじゃろうの」
泰巌が頷く。
「仕事には仕事の都合がある。
ならば――わしから一つ提案じゃ」
皆の視線が泰巌に集まる。
「美羽ちゃんを護るための結界を張る。
話に聞く光の矢……
それがまた飛んでくるとなれば、美羽ちゃんの守りを固めるのが最優先じゃ」
楓もすぐに頷く。
「確かに、美羽ちゃんの防御は必須ですね」
「場所は……
そうさのう、結界の能力を最大限に高めるため、この邸宅の中央。和室に結界を張るのが最適じゃろうの」
「ただし」
泰巌は腕を組んで渋い顔をする。
「儀式には、真雪ちゃんの巫女としての支援が必要じゃ。
わし一人では力が足りん」
「わ、わたしでよければ……
精一杯、お手伝いします……」
その健気な姿に、綾乃と朝倉は「なんて可憐な子…」と錯覚しかけたが――
次の瞬間、真雪の瞳が泰巌へ向けて細く鋭くなる。
「……あっ。
でも……
ひとつだけ、よろしいですか?」
「な、……
なんじゃな、真雪ちゃん?」
「神聖な儀式に……
ま、まさか……
その“牧師さんみたいなお洋服”のままで行うつもりじゃ……
ありません……よ、ね?」
言葉は丁寧だが、背後に冷気が走った。
泰巌の肩がビクッと震える。
「い、いやあの……
その……
ちょっとだけ考えてはおったが……」
真雪の笑顔が、怖い。
「…………着替えてくださいね?(にこっ)」
「ひ、ひぃ!!
は、はいぃ!!」
泰巌は完全に圧倒され、荷物を抱えてリビングから飛んで出て行った。
楓は苦笑してから、山科に向き直る。
「山科さん。
僕たちは家中の美術骨董品を見て回りましょう。昨夜の事件と美羽ちゃんの“夢の原因”となるような品がないか、選別してもらえますか?」
山科の目がギラリと光った。
「任せなされ!
これは鑑定士冥利に尽きるっ……!」
山科は興奮で震えながら、鑑定道具が入ったアタッシュケースを抱えた。
「持ち帰り調査が必要なものがあれば、いくつかピックアップします。いやぁ……これは腕が鳴る……!」
「僕も手伝います。
力仕事はお手伝いができるかと思いますので」
「おおお、これは心強い!」
二人は早速調査に取りかかる準備を始めた。
リビングに残った真雪は、ほっと息をつく。
「な、なんだか……朝から、すごくにぎやかですね……」
「ふふ……ほんとにね」
と綾乃が苦笑する。
美羽は折り紙のハートを真雪の前に差し出し、にっこり。
「これ、まゆきおねーちゃんにあげる!」
「わ……ありがとう、美羽ちゃん……!」
その瞬間だけは、本当に天使のように頬を緩める真雪だった。
こうして、五百旗頭邸を守るための、本格的な準備が静かに動き出した。




