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夜明けに捧ぐ華<妖怪寺鎮魂譜>  作者: 狐月華
2 『トルコキキョウの護り手』
12/16

3章 闇声の落ちる庭で(前)

朝倉がナイフを取り出し、カボチャに刃を入れる。

力任せではなく、刃先の向きと深さを的確に見極めながら切り進めるその動きは、見ていて妙に心地よい。

美羽は思わず息をのんで見守った。


ほどなくして、カボチャの表面にくっきりと笑った顔が浮かび上がる。


朝倉が中身を整え、仕上げに小さくランタン用の穴を開けると、そこには立派なジャック・オー・ランタンが出来上がっていた。


「すごい……!」


美羽が感嘆の声を漏らす横で、楓はフラワーバッグを開き、柔らかい香りとともに鮮やかな花々を取り出した。


オレンジ色のガーベラ、羽のように波立つケイトウ、深い黄金のマリーゴールド──そして、白と紫色のトルコキキョウ。


楓が手にたトルコキキョウに、美羽がふと目を丸くした。


「かえでさん、このお花、ふわふわしててきれい……

なまえ、なあに?」


楓は手を止め、しゃがんで美羽の目線に合わせる。


「これはね、トルコキキョウっていうお花だよ。

やさしい形でかわいいでしょう?」


「とるこ……ききょう?」


美羽は小さな口でゆっくりと言い直し、うれしそうに花に触れないようそっと眺めた。


「うん、そう。白のトルコキキョウの花言葉はね、『永遠の愛』と『思いやり』、紫のトルコキキョウの花言葉は『希望』っていう意味がるんだよ」


美羽は花言葉を聞いて胸の前で小さく手をぎゅっと合わせ、嬉しそうに弾むような笑顔を見せた。


楓はバランスを見ながら玄関周りにそっと配置していき、色合いが自然と調和していく。


飾りつけが進むたび、玄関は少しずつ“特別な夜”の気配を纏いはじめた。


そして、ほぼ飾り付けが整ったころ。


美羽がぱたぱたと走って戻ってくる。


「できたよ!」


手には丁寧に折られた、真っ白な折り紙のリボンがある。


少し形はいびつだが、その白さは蠟燭の灯りにふわりと浮かびあがるようだった。


「これね……おそろいなの!」


美羽は胸を張って言った。


「わたしの――この子のリボンと」


腕に抱えた金髪の人形。

その髪に結ばれた純白のリボンが、静かに揺れている。


「わあ、可愛い〜♡」


真雪が手を叩きながら身を乗り出すと、美羽は嬉しさが胸いっぱいに満ちるように微笑んだ。


「じゃあ、つけるね」


美羽はジャック・オー・ランタンの頭にそっと純白のリボンを飾った。


橙色の光と白いリボンが寄り添い、どこか不思議で愛らしい雰囲気がふわりと生まれる。


その瞬間だった。


――ぱんっ、と空気がはじけるような、鋭い音がした。


刹那、庭の隅のほうから一筋の光がまばゆい軌跡を描いてほとばしる。


「――っ!」


楓も真雪も、完全に意表を突かれた。


目で追うことさえ遅れ、声を上げる暇もない。


光はまるで矢のように一直線に美羽へ向かう。


避ける余裕など、どこにもなかった。


「美羽ちゃんっ!」


遅れて響く楓の叫びとほぼ同時に、衝撃が走る。


美羽は体をぐらりと傾け、抱えていた人形を胸にかき寄せようとしたが――


ひゅっ


耳の奥を刺すような切断音が響き、人形の金髪がひと房、宙にふわりと舞った。


それは月光の欠片のようにきらめきながら、庭石の上へゆっくり落ちていった。


美羽自身には傷ひとつない。


しかし、美羽は衝撃と恐怖で目を見開き、声が出せないまま固まっている。


楓はすぐさま庭の闇をにらむ。


だが、そこにはただ風が草を揺らすだけで、気配と呼べるものは一切、残っていなかった。


一方で――


真雪はふるりと肩を震わせていた。


(……なに、今の……?)


たしかに感じたのだ。


はじめは針の先で肌をなぞられたような、かすかな予兆。

しかし、光が放たれた瞬間、あたり一面を満たすように広がった霊的な“圧”。


ただし。


(……おかしい……こんな気配、知らぬ……)


真雪がこれまでに出会ってきた霊とは、まるで質が違っていた。


湿り気も、痛みの残滓も、怨念の濁りもない。


ただ鋭利で、冷たく、輪郭のわからない“何か”。


(怖い……!)


胸の奥に、冷えた水を流し込まれたかのような恐怖が広がる。


真雪自身、自分が「恐怖」を明確に感じていると気づいたのは、生まれて初めてかもしれない。


「きゃああっ、美羽さん!!」


甲高い悲鳴とともに、朝倉が駆け込んできた。


その勢いのまま、美羽を抱き寄せるように屈みこむ。


「だ、大丈夫!?

ケガは……っ、ケガはしてませんか!?」


美羽はぽかんとした顔で瞬きをした。


「え……?

なにが?」


自分に降りかかった危険をまるで理解していないらしい。


朝倉は美羽の腕や頬を慌てて確かめ、傷がないのを確認すると、大きく息をついた。


「よ、よかった……っ。

ほんとうによかった……!」


胸に手を当てたまま震える朝倉の視線が、ふいに美羽の胸元――


髪の一房を失った人形へと吸い寄せられる。


「あ……あの子が……」


朝倉は唇を震わせながら、かすれ声で言った。


「……美羽さんを、守ったんですよ。

人形が……身代わりになって……!」


絞り出すようにつぶやくと、ぎゅっと美羽の肩を抱く。


「美羽さん、もう外にはいられません。

家の中へ、入りましょう……!

安全なところで……

お母様が帰ってくるまで……!」


「う、うん……?」


美羽はいまだ事態が飲み込めず、きょとんとしたまま朝倉に手を引かれていった。


その背に寄り添うように、人形の純白のリボンだけが揺れている。


残された楓と真雪は、しばし呆然と風に立ち尽くした。


楓は一度、庭の隅――


光が放たれた方向に目を向けたが、そこにはただ西日が差し、夕闇が沈もうとしているだけだった。


「……真雪、大丈夫?」


小さく肩に触れてくる声に、真雪はびくりと身を震わせた。


目は大きく見開かれ、顔色は蒼い。


手はかすかに震え、さっきから庭の奥を凝視したまま、まるで自分の思考をここへ戻せていないようだった。


(こんな真雪、初めて見る……)


楓は眉根を寄せ、柔らかく促した。


「……ひとまず、中に入ろう。

ここにいてもなにも分かることはないよ」


真雪は辛うじて、こくりと小さくうなずいた。


まだ恐怖の余韻が抜けきらず、歩き出す足取りも不安定だ。


楓はそっとその腕を支えながら、朝倉と美羽が入っていった玄関へと向かおうとした。


その時だった。


――う……ううゥ……。


庭の奥の闇から、湿った低音がじわりと漏れ出した。


真雪はびくりと肩を跳ねさせ、足を止める。


「っ……!」


声は確かに聞こえる。


だが、聞こえても“何の声なのか分からない”ほど歪んでいて、動物とも人ともつかない不気味さだけが耳に残る。


楓の耳にもその声は届いていた。


(……声?

動物の……かな?)


しかし――


不思議と、楓には恐怖は湧き上がらない。

胸にざわつきはない。

ただ“奇妙な音だ”と感じる程度だった。


一方で真雪は――


「……あ……あれ……そこ……おる……っ」


顔がみるみる血の気を失い、唇が震え、瞳は闇に釘付けになったまま動かない。


――ううゥゥ……ぁ……。


先ほどより近くなったような気がする。


真雪の喉がひくりと震えた。


「……こ、来る……っ……こっち……っ」


楓はその異常な怯え方に気づき、真雪の肩に手を置いた。


「大丈夫だよ、真雪。行こう。家の中に入ろう」


楓の声は落ち着いていた。

それは恐怖を感じていないからこその平静さだ。


真雪は完全に足がすくんでいたが、楓に腕を引かれ、なんとか一歩前へ足を出した。


――う……う……。


低いうなり声が、徐々に弱まっていく。


闇の奥に響いていたその音は、まるで遠ざかるように少しずつ小さくなっていき――


――……。


やがて完全に、風の音に紛れて消えた。


真雪は耳を澄ませたまま固まり、かすれ声で言った。


「……い、今の……消えたのか……?」


楓は周囲を見回し、小さくうなずいた。


「もう聞こえないね。さ、入ろう」


真雪はまだ震えながらも、ようやく庭の闇から視線を切る。


真雪の胸の奥で、冷たい恐怖がいつまでもくすぶっていた。


楓と真雪は玄関へ急ぎ、その背後ではただ木の葉がひゅうと擦れ合うだけの静かな音が続いていた。

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