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夜明けに捧ぐ華<妖怪寺鎮魂譜>  作者: 狐月華
2 『トルコキキョウの護り手』
10/15

1章 夕闇に揺れる灯飾

駅舎を出ると、曇り空の隙間から薄い金色がにじみ、街路のあちこちに掲げられたオレンジ色の紙飾りが秋風に揺れていた。


十月の終わり。


乾いた落ち葉が足もとでかさりと鳴り、風には冷えた土と、どこか甘い焼き菓子の香りが混じっている。


商店街では、軒先に魔女帽子や黒猫の切り抜きが吊るされ、店頭のスピーカーから流れる軽快な音楽が、否応なく祭り気分を煽っていた。

その明るさと楽しげな雰囲気とは裏腹に、真雪は不機嫌だった。


彼女が着ているのは、紺色のブレザーに白いシャツ、プリーツスカートという“普通の女子高生の制服”。


もっとも――

真雪がこの格好なのは学校帰りだからではない。服を選ぶという行為そのものがひどく煩わしく、結局いつも制服のまま出歩いてしまうだけである。


「……いずこへ参っても、この喧騒よな。異国の真似事と知りつつ、皆して浮かれおって。嘆かわしいことこの上ないわ」


風が吹き、彼女の髪先がふわりと揺れた。

呟く声には、隠し切れない棘がある。

彼女にとって、死者に触れる儀式とは、本来もっと静かで慎ましいものであるべきだった。


楓は苦笑し、胸元で抱えたフラワーバッグの花を整えながら答えた。


「まあ、ここまでくると恒例行事ですよ。

子どもたちにとっては、わくわくするイベントなんでしょうし」


「その“わくわく”というやつが、わらわにはどうにも理解できぬ。

気に入らんのじゃ。

本来のハロウィンは夏の終わりと秋の収穫に感謝するとともに祖先の霊を迎える静かな祭事のはずじゃ。

騒ぐための行事ではないわ」


真雪はため息まじりに空を仰ぐ。


「そもそも、あれらの“仮装”とて、元々の起源はあの世から訪れる魔物から身を守るためのものだったはずじゃろう?

それをただの遊びにしてしまうのが気に入らぬ」


通りを駆け抜ける子どもたち――

テレビアニメのキャラクターに扮し、「トリックオアトリート!」と叫びながら走る小さな一団を見て、真雪は視線をそらした。


「見よ、あれを。

仮装している人間のほうが、よっぽど魔物のようではないか」


軒先に吊るされたジャックオーランタンの飾りが風で揺れ、にやりと笑うように光を反射した。

真雪はそのかぼちゃ面を睨みつける。


「……あの何やらニヤニヤ笑っとるかぼちゃの表情も気に食わん」


「言いすぎると怒られますよ」


楓は苦笑し、肩をすくめる。


「知ったことか」


真雪はつんと顔をそむけた。

その声に合わせるように、冷えた風がひゅうと吹き抜け、落ち葉を巻き上げる。


真雪の愚痴は、商店街のにぎやかさとはまるで噛み合っていなかったが、その不器用さがどこか微笑ましく、楓の横顔には小さな笑みがこぼれた。


二人は商店街を抜け、住宅街へ向かう緩やかな坂道に入る。


街の喧噪は遠のき、代わりに乾いた落ち葉の転がる音が、足もとにひっそりと集まってくる。


「そういえば……依頼主の名前……

ええと、五百旗頭いおきべ慎一さん、でしたよね」


「うむ。変わった苗字よな。

どこぞの田舎の悪代官かと思うたわ」


「まあ、珍しいですよね。

五百旗頭さんと言えば……」


楓が言いかけると、先を歩く真雪がくるりと振り向いた。


「何ぞ五百旗頭という苗字に思い当たることがあるのかのう?」


楓は少し肩をすくめ、曖昧に笑った。


「……うーん、まあ……偶然かもしれません。

よくある名前じゃないけど、同じ苗字の人がいないってわけでもないですし」


「曖昧よのう、楓は。

何か気になることがあるのなら、はっきり申せばよいのに」


「いや、ほんとに大したことじゃないんですって。

まあ、行ってみれば分かるでしょう」


そう言いながら、楓は右手で持っていたフラワーバッグを左手に持ち替え、軽く腕を振った。

歩調を真雪に合わせるように一歩踏み出す。


駅前の喧騒を離れ、空気は次第に冷たさを増していた。

風が吹くたび、街路樹の枝先がゆるく鳴り、夜の気配が薄い膜のように降りてくる。


「……しかし、住職め。

どうしてわらわたちに丸投げしたのじゃ。

大事な依頼だと言っておったくせに」


「“どうしても外せない用事がある”って言ってましたよね。

よく分からないけど、かなり必死でしたし」


「必死、とな……

あ奴が仕事を放り出して必死になる用事など、そう多くはないはずじゃが」


「まあ、住職にも事情があるんですよ。

……多分」


「多分とはなんじゃ。

楓、わらわは納得しておらぬぞ?」


真雪の声は不満げだったが、楓はその調子に慣れている。

少し笑い、道の先を指さした。


「ほら、あそこ。

あの向こうが五百旗頭さんの家のある一帯ですよ」


坂道の先、木々に囲まれた高台に、落ち着いた住宅が並んで見えてくる。

オレンジ色の灯りが、すでにいくつかの家の窓に灯っている。

この季節特有の澄んだ空気の中、夕暮れと夜の境目がゆっくりと沈んでいく。


真雪は制服の襟元を指先でそっと整え、深い息を吐いた。


「さて……どんな依頼人であろうな」


「うん。行ってみましょう。

……たぶん、普通のお宅ですよ」


楓がそう言った直後、ふたりの視界に大きな門構えの影が現れた。

重厚な鉄製の門扉と、手入れの行き届いた前庭。

奥には邸宅の屋根が、夕闇に淡く浮かび上がっていた。


五百旗頭家へ――

ふたりの足音が、秋風に吸い込まれていった。


◆◇◆◇◆


重厚な鉄門の前でインターホンを押すと、短い電子音が庭に静かに響いた。


ややあって、内側から電動で門が開き、落ち着いたグレーのカーディガンを羽織った中年の女性が姿を見せた。


「あら……?」


女性は二人を見るなり、一瞬まばたきをし、表情に小さな戸惑いを浮かべた。


「失礼ですが……あなた方は?」


真雪はすっと姿勢を正し、ぱっと花が咲くように笑みを作った。

つい先ほどまでハロウィンを罵倒していた気配などかけらもない。


「こんにちは。妖怪寺から参りました。

深山真雪と申しますっ。

本日はよろしくお願いします!」


楓はそのあまりの切り替えの早さに内心で苦笑しながら軽く会釈した。


「深山楓です。

お嬢様のことで相談があると伺っています」


出迎えた女性は、ますます困惑した顔でふたりを見つめた。


「妖怪寺の方が来られると伺っていましたので、てっきり住職様が来られるかと……こんな可愛らしいお嬢様が来られるとは思いませんでした」


「えっ……ぁ、可愛いだなんてぇ……

そんなぁ〜、恥ずかしいですっ」


と、真雪は急に声の調子を高くし、両手を頬に当ててつま先を揃え、内股で上半身をくねらせて照れ笑いを浮かべた。


楓は横で一度大きくため息を吐き、思わず手の甲で目元を覆った。


「すみません。

住職様、急なお仕事が入ってしまって……。

代わりに、わたしたちが参りました」


真雪が胸の前で指をそろえ、小さく首をかしげてにこっと微笑みながら言った。


「まあ……そうでしたの。

まったく聞いておりませんでしたから、驚いてしまって」


女性は胸に手を当て、小さく息をついた。


「申し遅れました。私は朝倉と申します。

この家で、お嬢様――

美羽さんの身の回りのお世話をさせていただいております」


朝倉は軽く会釈しながら、胸元で両手をそろえて丁寧に姿勢を整えた。その仕草には、長年この家を支えてきた家政婦らしい落ち着きがあった。


そして、門の方へ控えめに手を差し向ける。


「どうぞ、お入りくださいませ。

玄関までご案内いたします」


朝倉は柔らかい笑みを浮かべ、先に立って小道へ歩み出した。


玄関へと繋がる小道に、秋風がさらりと流れた。庭木は手入れが行き届いているが、どこか静かな影が落ちている。


真雪が控えめに口を開いた。


「あの……

五百旗頭慎一さんは、ご在宅でしょうか?」


朝倉は首を横に振った。


「旦那様は外交官をされていて海外赴任中です。

戻られるのは来月になりますよ」


「そ、そうなんですかぁ……」


真雪はしゅんと肩を落とした。

楓が続いて尋ねる。


「慎一様とは、普段はお会いできないことが多いのですか?」


朝倉は鍵を手に持ちながら少しだけ肩を落とし、ため息ともつかない息をこぼした。


「ええ。旦那様は海外赴任が長くて……。

奥様もお忙しいですから、美羽さんの生活まわりは私が見させていただいております」


楓はうなずき、自然に問いを重ねる。


「ということは……

朝倉さんは、ずっとこちらで?」


「はい。お世話をさせていただいて、もう四年ほどになります」


「四年……

ずっと、この家を支えてこられたんですね」


朝倉は鍵を開けながら、少し恥ずかしそうに微笑んだ。


「ええ、お掃除やお洗濯、美羽さんのお食事の世話はもちろん、それよりも第一に、旦那様や奥様の代わりに美羽さんが寂しくならないように――

というのが、私の一番のお役目だと考えております」


真雪は首をかしげ、柔らかい声で尋ねた。


「じゃあ……

美羽ちゃんのお母様は、今日はお家に?」


「ああ、奥様ですか?」


朝倉は玄関の扉を開けると、ふたりを振り返った。


「奥様は“局”に行っておられます。

戻られるのは少し後になるかと」


“局”という言葉が、冷えた玄関先に落ちた。


楓は慎重に聞き返す。


「あの……

もしかして、“局”とは……

テレビ局、のことでしょうか?」


「ええ。

奥様は報道番組のキャスターでいらっしゃいますから」


朝倉は当たり前のように答えた。


真雪はぱちくりと目を丸くし――


「きゃっ……キャスターさんなんですか!?

すごいです〜!」


と両手を胸の前でぎゅっと握り、目を輝かせた。


「お会いできるの、なんだか緊張しちゃいますっ……!」


(キャスター……?

何ぞよく知らぬが偉いのか?

まあ、よい。取りあえず褒めておけば問題なかろう)


真雪は内心で目を瞬かせたが、楓はわずかに目を伏せ、小さく息を吐いた。

その仕草は“やはり”と心の底で呟いたように見えた。


依頼主の妻――


五百旗頭綾乃いおきべ あやの


楓の中で引っかかっていた人気キャスターのその名が、静かに確信へと変わった。

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