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別に得をしたいわけじゃない、という気持ちを理解してもらえない

作者: ムクダム
掲載日:2025/11/26

 ずいぶん前からお店や通販サイトの会員カードを作ることから足を洗っていて、最近ではすっかり清い身となった気がする。財布に入っている会員証はいずれも学生時代か社会人なりたての頃に作ったものばかりで、仰々しい申し込み手続きを経ずその場ですぐ作ってもらったものだ。つまり個人情報とは紐づいていない。

 最近では、人気商品を購入するためにその店の会員にならないといけないことも多く、そういった場面に遭遇すると回れ右をして店を後にすることになるが、別に不便だとは感じていない。

 このような取り組みについては、転売対策という大義名分が最近付与されているけれど、元々の目的は客に関するデータ収集にあるのだと思う。どのような層の人間が、何を、どれくらい買ったかというデータを集約し、それらを何らかの形で利用して利益を生み出すという仕組みがある。人間が人格を持つ存在としてではなく、データ集めの駒のように扱われる不気味さを感じたので、それらから距離を置くことを決めた。そのためには、極力、個人情報の記入・入力を求められるサービスを利用しないようにする必要があるので、私は各種通販サイトで物を購入した経験がないし、会員限定の格安サービスを利用したこともない。

 しかし、周囲の人間は頓着せずにそのようなサイトやサービスを利用している。家族や親戚、会社の同僚、友人が、わずかな割引のためにいそいそとスマホで会員登録を行う光景を何度も見ている。もちろん個人の自由だし、自分が損をしているわけではないから文句を言うつもりはないのだけれど、ちょっと軽率ではないかと心配に思うことがままあるのも事実だ。

 入力された個人情報は目的外に利用しませんという旨の決まり文句があるけれど、それが守られていると信じている人はいないだろう。操作ミスや、何らかのサイバー攻撃で漏洩することは避けれないし、意図的に情報が拡散される場合だってある。そもそも何を持って目的の範囲外かと言う点が非常に煩雑で分かりづらい。と言うより、わざと分かりにくくされているのだ。小さなお得のために入力した情報が様々な方面に広がり、結果的に詐欺被害に繋がる可能性だってある。その場合の損害は、情報入力で得られた利益を遥かに凌ぐものになることは想像に難くない。詐欺に遭うのは万に一つだと思うかもしれないが、情報拡散の範囲とそれが利用される時間的な長さを踏まえれば、そんなレアケースが我が身に降りかかる可能性は決して低くないと考えた方が賢明だと思う。10年前にどこかの店で入力した電話番号が詐欺電話に利用されることだってあるのだ。

 もちろん必要があって個人情報を明らかにする場合もあるだろうけども、必須とまでは言えない場合は一度落ち着いて、情報を渡すことのリスクを考えてみるのが良いと思う。

 会員になることが購入のための必須条件とはならずとも、会員カードを作ればこの場で何%引きになりますよという旨の勧誘をレジで受けることがある。以前はしつこく勧誘されて辟易したものだが、最近は一言断るとすぐに引き下がってくれることが多いので有り難い。勧誘する方も後ろめたい気持ちが強くなってきているのだろうか。

 厄介なのは投資の勧誘セールスなどに捕まった場合だ。基本的には興味がないと門前払いしているのだが、色々なしがらみのために一度は話を聞かないといけない場面が時々発生する。

 様々な理屈を捏ねて投資の有用性を説いてくるのだが、非常に単純化すれば、投資をした方が将来的にお得ですよと言いたいのだ。一時的に大きめの出費となっても、その後の還元や付随するサービス(節税なども含む)によってトータルでは得をするということだ。1万円払って2万円が手に入る、1万円のものを実質5千円で購入することができるといったような言い草をよく耳にする。

 別に得をしたいわけじゃない、1万円のものを買うなら1万円を払うし、その他のサービスを求めないと言うことを説明するのだが、まず先方には理解してもらえない。売り込む側がそれで納得するわけにもいかない立場であるのは理解するが、商売上の理由を抜きにしても、心底理解できないという顔をされるのが困ったところである。別に意見を変えるつもりはないので、本当のところは困ってはいない。しかし、完全に価値観が平行線となるので諦めるまで時間を浪費されるのがネックなのだ。

 欲しいものがあり、自分が払っても良いと思える値段であれば、そのお金を払っておしまいというのが私の価値観である。つけられている値段と、自分がその物やサービスに見出している価値を天秤にかけて購入するか否かを決めるというのが取引の基本ではないだろうか。いくらなら買っても良いという判断は重要な自己決定の場面であり、ある意味でその積み重ねが当人の生き方にも影響を与えることになると考える。であれば、自分が一定の価値を認めたものを、その価値に値する金額よりも安く手に入れるということは、自身への裏切り行為とは言えないだろうか。そういった裏切りを続けていれば、いずれ手痛いダメージを受けることになる気がする。

 1万円の価値を認めたものを1万円で購入し、結果的にそれ以上の満足を得るということがある。その喜び、充実感というのものは値段が付けられないものであり、どれだけ多くそういった場面を迎えられるかということが人生の楽しみの一つだと言える。

 ところが、割安で手に入れたことによる喜びはお金によって定量化されたものだ。1万円のものを5千円で買った場合、そこで得られる第一の喜びは5千円得をしたという気持ちになる。本当ならもっと深い、精神的な喜びが訪れたかも知れないのに、金銭的なお得感がその道に立ち塞がり、感覚を鈍らせる恐れがある。

 得をしたいという気持ちは、時に大きな喜びの逸失をもたらすことがあると思えてならないのである。終わり

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