評価基準に減点方式を採用するのはバカのやること
ずばり。
「減点方式の考え方をする人は不幸になる」
それはなぜか。
「その人物は欠点ばかりを見ようとするから」
欠点や粗ばかりを探しているような人物は、他人や外部の物事を許容できなくなる。
典型的な「ケチしかつけない(他人の足を引っ張る)タイプ」ほど、こうした減点方式をしたがる。
この減点方式のよくないところは「悪い部分にばかり注目し、良い部分を認めない」ところにある。
ここには現実的(心理的)な落とし穴がある。
周囲の音がうるさいと思ったとき、人はその雑音を自分の意志で消すことはできない(耳をふさぐか、雑音よりも大きな音を出さなければならない)。
消せないどころか「雑音がうるさい」という思いが強くなり、むしろ雑音の方に注意が向けられるようになる。
それが否定的な思考を増幅させる。どんどん否定的なものばかりが気になるようになっていく。
その人は否定するためにものを見、否定する部分を探すようになっていく。
減点方式の思考とは、肯定(許容する、受け入れる)といった態度を捨て、
否定(拒絶し、排除する)といった態度を優先するようになっていく。
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投稿された小説を評価するときは、良い部分に注目して評価すべきだ。
良い部分を認めようとせず、悪い部分にばかり注目して減点すれば、なろうからその人の読みたい作品が書かれる可能性は減る。
いま人気のあるジャンルは、低い評価ばかり付けられて流行しているわけではないだろう。
たとえば完結作品だけを読んでいるような読者が、完結作に厳しい評価付けをしていたら、完結させた作者はどう思うだろう?
そうしたことについて読者は想像すべきだ。
自分は小説を評価するとき、物語性と文章で評価を付ける。
自分の感情(好み)よりも、技術的な部分で評価を付けるように気をつけている。──もちろんすべてそうできるかというと、そうではないけど。
やはり自身の好き嫌いの気持ちが先行してしまうこともある。
そんなときも、少しでも良いと感じる部分があったなら、そこを積極的に評価するようにしたい。応援されて嫌な気持ちになる作者はいないだろうから。
ケチしかつけない評論家様よりも。シンプルにおもしろかったと高い評価を付け、応援コメントを書いてくれるなろう読者。どちらが強いか、それはランキングに表れている。
「おれの評価は正しい」
評論家様はその想いを胸に、何もない否定の中で窒息すればいい。