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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ここは見てはいけない場所

作者: 夢与温

 7時半からの早朝ラウンドに向け、ナビに任せて車を走らせていた。

 車はベンツS1X0、見栄を張って新古車を購入したが、実は400万しない。

 もうすぐ1年点検で、新車の香りも薄れてきた。

 運転の支援機能が便利で、ハンドルに手を添えてさえいれば、前走車との距離を保って自動走行してくれる。

 渋滞が無ければ、予定通り1時間前には着くだろう。

 マナーに厳しい上司の顔が浮かぶ。うっかり遅刻でもすれば、営業失格だと罵倒されるだろう。

 いつも、ゴルフは開始予定時刻の1時間前に到着するのが基本だと、耳がタコになる程聞かされている。

 だが、昨日の深夜残業と、単調な田舎の景色から…つい眠気が襲ってきた。


 高速の出口で前方を走る車が無くなり、急な加速で目が覚めた。

 料金所を抜けたところで、あわててハンドルを握り直す。


 時刻は6時25分。辺りは濃い霧に包まれていた。

 前夜通過した台風は地表に水分を染み込ませ、日の出の光で水蒸気になり霧になったのだろう。

 高速出口からゴルフ場入口まではスグのはずだが、それらしき看板が見たらない。

 再検索すると、細い道を迂回するようなルートが表示された。

 どこかで曲がるところを間違えたのだろうか?

 そういえば、料金所出てすぐ分岐、あれは違う道だったのか。

 目的地到着時間6時35分、ギリギリだが、そこは何とか言い訳しよう…

 焦る気持ちと裏腹に、いくら走っても予想到着時間の「あと5分」が変わらない。

 霧で辺りの様子を確認できないが…自分は今、どこへ向かっているのだろう?

 車はアスファルトの上を滑るように進んでいた。

 だが、ふと気づく。


「…さっきから同じところを走ってないか?」


 左手に、見覚えのある赤いポスト。

 右手に、廃墟のような青いトタンの木造家屋。

 その配置を、確かに数分前にも見た。

 スマホに目をやると、ナビの到着予定時刻は6時35分のまま動かない。

 一方で、車の時計は6時42分を指している。

 GPSの現在地表示は、まるで針が壊れたコンパスのように小刻みに震え、同じ地点をぐるぐる回っていた。

「おかしいな……」

 声に出すと、車内の空気がひんやりと冷たく感じる。

 さらに違和感が募る。

 さっきから、対向車が一台も来ない。

 本来この道はゴルフ場利用客で早朝でもそれなりに混んでいるはずだ。

 それなのに、霧の向こうからは車のライトも、人の影も一切見えない。

 その時、ナビが突然ルートを再計算し、無機質な声が車内に響く。

 《新しいルートを検出しました。500メートル先、右折です》


 車は山道を登る。

 ベンツにしては軽めにできているが、この勾配はつらい。

 《目的地周辺です。音声案内を終了します》

 ナビが終わりを告げ、マップ上は到着しているはずなのに、クラブハウスの影さえ見えなかった。

 霧で辺りの風景が分からない中、このままでは拉致があかない。

 路肩に一時停車して、ストリートビューを確認してみることにした。

 意外と、もう目の前なんじゃないかという期待を込めて、現在時点を押す。


 が、画面には想定外の風景が映し出された。


 道路脇に並ぶ古びた人形。

 どれもが目を見開き、こちらを見ている。

 姿かたちは違うが、どれも頭が多きく重心が不安定だ。


 地点の評価は5段階中4.4、書き込みは千を超えている。

 タップすると「禁足地」の文字が躍った。


「ビュー見ちゃだめ!」

「検索しないでください」

「現地に行ってみたのですが、たどり着けません」

 何が楽しいのか「ここは日本の有名な心霊スポットです」と、海外向けの英文投稿もある。

 冷や汗が頬を伝う。

 先ずは今来た道を戻ろうと、急いでハンドルを切り替え、バックした。

 途端、後部座席の方からドスンと鈍い音が響いた。

 ――ああ、やってしまった。

 バックモニターは霧で真っ白で何も見えない。

 気が進まないが、確認しようとエンジンを切り、車から足を踏み出した。


 息苦しいほどの湿気と暑さが身を包む。

 ゆっくりと車体後方に進むと、何もない…ようだが、車体に何か赤いものが付いているのが目についた。


 ――血?


 息を飲んだ。

 が、どうやら何かの塗料のようだ。辺りを見回すが、何もない。


 きっと、路面に段差でもあったのだろうと気を取り直し、運転席に座り直した。

 スターターを切ろうとすると…エンジンが点火しない。

 ディスプレイには、赤く高温異常のエラーが表示されている。

 チッと舌打ちが出た。

 ――夏場のオーバーヒートか、こんなところで停まらなくてもいいだろうに。

 どうせ濃霧でゴルフは待機だろうが、遅刻の知らせを入れよう。

 と、スマホを手に取ると、さっきまでは立っていたアンテナが消え圏外のマークが表示されている。

「ツいてねぇな、今日は…」

 スマホを再起動してみるが、電波状況は改善しない。

 先ずは人のいる場所へ移動しよう。

 そこで修理を呼んで…完全に遅刻だが、詫びれば後半から参加できるかもしれない。

 そういえば、と思う。

 スマホは圏外だが、ゴルフウォッチならGPSでグリーンまでの距離が分かるはずだ。

 あてもなく歩き回るより良いだろう。

 時計を手荷物から出して腕に巻く。

 今朝セットしたコースに応じて、第一ホールまで2943ヤードの表示が映し出された。

 3キロ弱か。うん、この距離なら歩けるな。

 車を残し、山道を下ることにした。


 足元は、すぐに荒れた砂利道に変わった。

 進むたびに、ゴルフウォッチが示す距離は縮んでいく。

「大丈夫だ、すぐそこだ」

 そう自分に言い聞かせながら、一歩一歩、濃い霧の中を進む。

 だが、5分ほど歩いても、時計の表示は2.7キロから変わらない。

 むしろ方角を示す矢印が、歩くたびに微妙にくるくると回っている。

「おかしいな……」

 試しにスマホのナビを開こうとするが、やはり圏外のまま。

 それでも時おり画面を覗いては、時計だけを信じて歩き続ける。

 しばらくすると、視界の奥に、木立の間から古びた山門のようなものが見えた。

 塗装はすっかり褪せ、腐った木がむき出しの部分もある。

 門の先は石畳が続き、霧の中に消えている。

 雑草に覆われていないという事は、人通りがあるのか。そう言えば、人気のスポットとか書いてあったな。

 ……だが、ゴルフウォッチの矢印は、その石畳の向こうを指していた。

 一瞬、背筋に冷たい汗が流れる。

「いや、さすがに…ここじゃないだろ」

 そう呟きながら時計を見直すと、ゴルフ場までの残り距離は2.6キロになっていた。

 間違いなく、この方向で合っている。

 霧のせいで周囲の音はほとんど吸い込まれているのに、門をくぐった瞬間、落ち葉を踏むバリッと骨を砕いたような乾いた音だけがやけに大きく響いた。

 ふと後ろを振り返る。

 ……さっきまでいた道路が、霧に飲まれて完全に見えない。

 気を取り直し、苔で湿った敷石に注意して歩を進めると、ひとつの古びた人形が立てかけられているのを見つけた。


 ボロボロに引き裂かれた服の、ミルク飲み人形。

 片方の目玉だけがやけに白く、光を反射している。

 髪はむしり取られ地肌が見え、ぽっちゃりした幼児のフォルムが残るボディに、狂気じみた笑顔がのっている。

 誰が落書きしたのか、顔がピエロのようだ。


 ……さっきストリートビューで見た、人形のひとつか。

 喉がひどく乾き、呼吸が浅くなる。

「……これ、本当にゴルフ場に行けるんだよな?」

 石畳を進むと開けた場所に出て、奥に古びた寺が見えた。

 正面には扁額へんがくが吊り下げられていたが、そこに名はなく……


 人形の顔が並んでいた。


 声を失った。

 ひとつは赤子のような無垢な笑顔。

 ひとつは白目を剥いた女の顔。

 ひとつは頬が焼けただれたように黒ずんでいる。

 その全てが、霧に濡れたガラス玉のような目で、見下ろしていた。

 息を止めるようにして境内を覗くと、庫裏くりも本堂も、窓は割れ、扉は閉ざされている。打ち捨てられているのだろう。

 それなのに、妙に新しい足跡がいくつも残っていた。中には、子どもの足跡のようなものもある。

 急に喉が渇いていることに気づく。

 視界がかすれ、頭がぼんやりするようだ。

「まずいな……脱水か」

 車に戻れば、凍らせたスポーツウォーターが積んである。今すぐ、あれを飲みたい。

 ゴルフはもう諦めよう。

 ここで無理に進むより、車で休んで、この霧が晴れるのを待つべきだ。

 そう決めて、神社を後にして来た道を戻り始めた。


 境内から抜け、鳥居の小道を潜ると、再び砂利道に出た。

 汗と湿気でシャツがぐっしょりと背中に張り付き、喉の渇きは限界だ。

「大丈夫……車まで戻れば……」

 そう呟きながら足を進めると、視界の端に見覚えのあるものが映った。


 ……人形だ。

 さっきの、ピエロ。

 幼児の胴体に、赤い鼻のついた白い顔。

 だが……場所が、おかしい。

 最初に見たとき、この人形は石畳の脇に立っていたはずだ。

 今いるのは、そこから100メートル以上離れているはず。

「……動いた? いや、まさか」

 近寄ってよく見ると、赤い鼻の一部が潰れ、乾いた赤い色料が剥げていた。

 ……その赤。

 間違いなく、さっきリヤバンパーあったのと同じ色だ。

「……嘘だろ。お前、さっきの人形か?」

 心臓が一気に早鐘を打ち、息が荒くなる。

「違う道を探そう」と気を取り直し、別の方向へ足を向けた。

 木々の間を抜け、藪をかき分ける。

 しばらく歩いてからふと後ろを振り返った。

 ……いた。

 さっきの人形が、ぽつんと立っている。

 距離は十数メートル。

 顔はさっきと同じように、赤い鼻をこちらに向けている。

 だが、ここは草木に覆われた場所で、誰かが先にここを通った形跡はない。


「……ついてきてる……?」

 背中を冷たい汗が流れ、足がすくむ。

 そのときだった。


 《キケンデス。引き返してクダサイ》


 不気味な女の声が、ゴルフウォッチから突然響いた。

 反射的に画面を見下ろす。

 “!心拍数 164bpm、ストレスレベル Red zone!” という表示。

 音声ガイド機能など設定した覚えはない。

「ふざけんなよ……なんでお前が喋るんだよ……」

 指先が震え、視界が揺れる。

 息が乱れて頭がうまく回らない。

 汗を拭いながら、設定画面を呼び出した。

 無駄に多い機能にイラつきながら、音声機能のOFFを探していると、ふと閃いた。

 そう言えば、いつもスマホとゴルフウォッチは常にBluetooth接続している。

 さっき再起動したとき、一時的にペアリングが切れたはすだ。

 その座標……そこが車のある場所のはずだ。

 必死にゴルフウォッチの履歴を探し、目的地点に設定した。

 残り、280メートル。

 なんだ、もうすぐそこじゃないか。

 少し足に力が戻る。

 ゴルフウォッチが警告メッセージを告げるが、無視して歩き続けた。

 画面には「あと100m」と出ている。


 《戻ラナイでください》

 《アナタの心拍数が異常です》

 《ストレスレベル……警戒ゾーン》


 警告が畳み掛けるように増えていく。

 息が荒くなる。

 それでもようやく、霧の向こうに見覚えのある影が見えた。

 黒い車体のシルエット……「戻れた!」安堵の息が漏れた。

 慌てて駆け寄る。が、


「……え?」

 ドアに触れようと伸ばした手が空を切る。

 そこには車など存在しなかった。

 足元はただの濡れた砂利。

 そして、ゴルフウォッチのGPS座標はここを示している。

 霧が、ゆっくりと薄れていく。


 視界の奥に、一本の大木が浮かび上がった。

 仰ぎ見る、節くれだった枝には、無数の人形の顔が吊るされていた。

 “人形は死んだ子供の供養” “呪われた人形の墓場” “行ったら帰れない…”

 さっきストリートビューで見た、そんな言葉が頭を駆け巡る。

 背後から、コツン……と音がした。

 振り返ると、あの人形が、ポツンと立っていた。

 ひび割れた皮膚の下、人形の目だけが生きているように滑り、動いた。

 思わず後ずさった足元で、カツンと小さな球を踏んだ。

 バランスを崩し、後ろから崩れ落ちた。

 背中に衝撃を受け、ウッと痛みが走る。

 ガラガラガラ……と、白く丸いものが周囲に散らばった。


 ――目だ。


 あたり一面、白目をむいた眼球が転がっていた。

 ぬめりを帯びた表面が、霧に濡れた地面の上で鈍く光る。

 上体を起こすと、木に吊るされた無数の人形たち……その頭蓋のくぼみはすべて瞳が抜き取られているのが目に入った。

 落ち窪んだ暗闇が、こちらを覗き込んでいるようで、息が詰まる。

 胸が痛いほど早鐘を打ち、喉は乾ききって声が出ない。

 腕で震えるゴルフウォッチが、妙に冷静な声で告げた。


 《……OBエリアです。プレイできません》


 それが合図であったかのように、辺りの空気が変わった。

 吊るされた人形たちの中に……混じっている。

 陶器のような無機質な顔の列の中に、ひとつだけ、生々しい人間の顔があった。

 頬は青白く、唇は紫色に乾いている。

 ただ、その目だけ……ない。

 喉がひゅうひゅうと鳴り、膝が震えて力が入らない。

 後退しようと地面に手をついた瞬間、ぐしゃりと、柔らかい何かを潰した。

 ぬるりと指先に広がる、冷たくて粘り気のある感触。

 恐る恐る視線を下げると、手の下には、赤黒く濡れた球体が潰れていた。

 白い膜の一部がはがれ、液が滲み出ている。

「……う、うそだろ……?」

 涙がにじむ視界の中で、それが何であるかを悟った。


 ――人の、眼球だ。


 胃の奥からこみ上げる吐き気に息を詰め、尻もちをついたまま後ずさる。

 立ち上がろうとしても、足元の眼球が乾いた音を立てて転がり、空回りする。

 まるで意思を持ったかのように、足に纏わりついて付いてくる。

 カラカラカラカラ。

 散らばる無数の目が、ざわめいているかのようだった。

 霧が再び濃くなり始めた。

 白い世界が深く、深く、締め付けてくる。

 視界の端が霞み、あっという間に自分の姿さえ飲み込んでしまった。


 ――カラコロ、カラコロ。


 硬い眼球を踏み分ける足音が、霧の中で近付いてきていた。

 その音は一歩ごとに、確実に、背後に迫る。

 赤鼻の人形が――。

 かたん、とぎこちなく首を傾け、背後からこちらを覗き込む。

 その口元は単なる穴のはずなのに、微かに開き…興奮した息が漏れているように頬にかかった。

「やめろ……やめ……!」

 叫び声は霧に飲まれた。


 ――平板で、事務的な声が響く。

 《心肺停止検出》

 《救急要請しますか?》


 霧が晴れ、翌日からは山に秋らしい風が吹くようになった。

 高速道路の休憩所では、つけっぱなしのテレビにニュース映像が流れる。


 《9月〇日、〇〇カントリークラブで、集球機の中から男性の遺体が発見されました。

 現場には不可解な点が多く、

 また、ゴルフ場の駐車場に残された男性の車からは、車体下から人形が見つかっており、

 半年前のひき逃げ事件の被害者Xちゃんの所持品と断定されました。

 ひき逃げ事件に男性が関与しているものとして、警察は捜査をすすめています。》

(完)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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