透明のヒールは選ばない
祝福の鐘が鳴るたび、空には銀色の羽が舞い上がる。
ここは祝福〈ブライダル〉王国。
結婚という儀式が、心からの想いによって魔法を生む、奇跡の国。
私はその魔法を見届ける仕事をしている。
天使見習いのウェディングプランナー、フランという。
「次の依頼、ちょっと骨が折れぞ!」
小さな声が、私の肩にのった。
振り返ると、ふわふわのヒヨコがこちらをじっと見ていた。
——いや、ただのヒヨコじゃない。
この子は私の上司、ウェディーさん。
生まれ変わりをくり返す“不死鳥”の幼生体で、何百年もウェディングを見守ってきた伝説の存在だ。
「依頼主は“式をやめたことがある”人物。昔、王族と婚約してたが、すべてを投げ捨てて森へ消えた。」
「どうして、また結婚式を?」
「ドレスを、もう一度だけ着たいそうだ。」
ウェディーさんが、小さなくちばしで水晶端末をつつく。
ふわりと浮かび上がった女性の姿に、私は言葉を失った。
淡い金色の髪、涼しげな瞳。
その横顔に見覚えはない。けれど、どこか記憶をかき混ぜられるような懐かしさがあった。
「名前はセレナ。今は森の外れで、ひっそり暮らしてる。
もう一度だけ——“祝福される花嫁”になりたいと」
私は頷く。
それが、どんな想いからくる願いであっても、祝福の魔法は、必ず心を照らす力になる。
私は空に羽を伸ばし、彼女のもとへと飛び立った。
森の奥深く、小道の先にその家はあった。
古い煉瓦に囲まれた、苔むした屋根の一軒家。扉の前には、白いスイトピーの花がいくつも咲いている。
私は羽をたたみ、そっと扉を叩いた。
「……どうぞ」
その声はとても静かで、けれど芯の通った響きを持っていた。
中に入ると、部屋の空気は花と本の匂いがまじり合っている。壁にはドレスのスケッチ、棚には透明なヒール、窓際には一対のガラス細工が飾られていた。
「こんにちは。私はフラン。天使見習いのエンジェルプランナーです。今日はご依頼の件で——」
「ありがとう。来てくれて」
セレナは微笑んだ。
淡い金の髪を後ろで結い、白い布のエプロンをつけている。
その瞳は涼やかで、けれど、どこか遠くを見ていた。
「式の準備を始める前に、少しお話を伺ってもいいですか?」
私の問いに、彼女はうなずいた。
「そうね…どこから話そうかしら…?私は“結婚式をやめた”ことから?そんな昔の話を聞いて欲しいわ。誰にも言わず、逃げるようにして森に来た愚かな娘の話を。」
彼女は語り始める。
彼との出会い、愛、幸せ、全ての出会いを私はただこの部屋にいる物のように静かに耳を傾ける。
彼女は震えながら罪を懺悔するかのように話を終えた。
「それでも、また式を挙げたいと思ったのは、どうしてですか?」
「ずっと考えていたの。“着るためのドレス”じゃなく、“脱ぐためのドレス”を、私は選びたかったんだって」
意味がすぐにはわからなかった。
でも、彼女の言葉には確かな痛みと、静かな希望がにじんでいた。
セレナはそっと窓辺のヒールに目をやった。
「このヒールね、私があのとき……もう、いいわ。
ただ、これを見てると、あの夜のことを思い出すの。まるで夢みたいな時間だった」
私は、その“夢”の輪郭を無理に聞こうとはしなかった。
彼女が語りたくなるまで、ただ寄り添うようにここにいようと決めた。
「それではまず、ドレスから選びましょう。セレナさんにとっての、最後の一着です」
彼女はそっと微笑み、うなずいた。
「これが、私の選んだドレスよ」
セレナが指さしたのは、柔らかな月白のドレスだった。
透きとおるような生地に、花びらを模したレース。シンプルで、どこか懐かしい形をしている。
「ずいぶん、昔のデザインなんですね」
「ええ。もう流行りじゃない。でも……これが一番、私らしい気がしたの」
試着室に入っていく彼女の背を見送りながら、私は少しだけ不思議な感覚にとらわれていた。
このドレスを着た彼女を、どこかで見たことがあるような……。
「フラン、ちょっと」
控室のカーテンの向こうから、小さな声が聞こえた。
「これ、背中のリボンがうまく結べなくて……お願いできる?」
「もちろんです!」
私はカーテンをめくって、背後に回る。
ふと、彼女の背中に走るかすかな傷跡に目がとまった。
誰にも見せたくなかったもの。
その隠された歴史が、今この場所に集まっているように思えた。
結び目をきゅっと整えると、セレナは鏡の前に立った。
彼女はそっと自分を見つめ、しばらく無言だった。
「……似合ってますか?」
「はい、とても」
私は微笑んだ。
けれど、彼女はなぜか泣きそうな顔で頷いた。
そのとき、扉がノックされた。
入ってきたのは、整った黒髪の青年。落ち着いた雰囲気の、使用人らしい服装。
「セレナ、支度はお済みですか?」
「ええ、マリス」
その名を聞いた瞬間、彼女の表情がふっとほどけた。
青年もまた、ごく自然にセレナの隣に立った。
「あの……もしかして、お二人は……?」
「使用人と、主だったわ。昔はね。でも今は……違うわ」
マリスは何も言わず、ただ穏やかにうなずいた。
「ねぇ、フランさん。祝福の魔法って、“新しい愛”だけに使えるの?」
「いえ。“ほんとうの想い”があれば、形を問わず使えます。
愛も、友情も、再会も、自分を許すことも……すべて祝福です」
「よかった」
セレナはふたりの手をそっと重ねた。
その瞬間、空気がわずかに揺れた。
胸の奥が、かすかに温かくなる。
——これは前触れだ。
祝福の魔法が、彼女の中で動きはじめている。
式は、小さな森の礼拝堂で行われた。
花嫁と花婿だけの、ささやかな式典。
参列者はいない。
けれど、天井から差し込む光がまるで祝福そのもののようで、いつ見てもこの光景は何にでも変えがたい。
セレナは月白のドレスをまとい、マリスの腕にそっと手を重ねる。
その表情は静かで、まるで、ずっとこの瞬間を待っていたかのようだった。
私は胸元のブローチに手を添える。
「祝福の魔法、展開します」
ふわりと、風が生まれた。
見えない羽が舞い、式場の空気がほんのり銀色に染まる。
「おめでとうございます、セレナさん、マリスさん。あなた方の愛が、どうか光に包まれますように」
ふたりは、目を合わせて笑った。
それは“新しい始まり”の笑顔だった。
式が終わったあと、私はセレナと並んで、森の小道を歩いていた。
彼女は手に、透明なヒールをひとつだけ持っていた。
「昔、このヒールで踊ったの。まるで夢みたいな夜だったわ」
セレナの瞳は、どこか遠くを見ていた。
けれど、もう迷ってはいなかった。
「彼は、靴が合うから私を選んだの。でも、マリスは……靴なんて見なかった。ただ、私そのものを見てくれたの」
セレナは、ふと立ち止まると、小さな泉のほとりにしゃがみ込んだ。
そして、手に持った透明なヒールを水面にそっと浮かべる。
光を受けて、靴は静かに揺れた。
そのまま、水の中に溶けるように、ゆっくりと姿を消していった。
「これで、やっと夢から目覚められた気がする。ありがとう、フランさん」
「いいえ。私のほうこそ、あなたの祝福に立ち会えて幸せでした」
セレナは微笑んだ。
「ありがとう!もう透明なヒールはいらないわだって私は選ばれたんじゃなく選んだんだから!」
木漏れ日が月光ドレスのすそを照らす。
そして彼女は、マリスの待つ方へと歩き出した。
風に舞った銀の羽が、ひとひら、泉に落ちた。
——夢の終わり。そして、本当のはじまり。
これは見習いの天使は真実の愛を証明する話。
ここまで読んで下さりありがとうございます!