不幸な王
「我が弟は天才。この山城の中で、誰よりも戦の神様に愛されているのは彼だろう。まだ若いが、この先、彼が山城の要となっていく。そして、妹のレイは非常に愛らしい子でね、アウラとも仲良くなれるのではないかな。午後に面会の時間をとってあるよ」
ケイは城塞を歩きながら、家族のことを愛おしそうに話した。弟のこと。妹のこと。まだ幼い妹は、先代の乳兄弟の元で養育されているのだという。それから亡き母である先代のこと。
アウラは、鷹に乗って花嫁を迎えに来た義弟のキョウが、まだ十五ということに驚いた。少しは下だと思ったけれど、五つも違うとは。ケイも、年の割には落ち着いている。この地では大人びている若者が多いのかもしれない。
城塞の上を歩くと、入りくねった街や、崖下にある集落を見渡すことができた。遠くに樹海が広がっていて、うっすらと濃藍にそびえる不二の山が見える。山城の乾いた空気は新鮮だった。昨夜は久しぶりに揺れない場所で眠れたせいか、頭もすっきりとしている。
こちらへ、とケイがアウラの足元を誘導した。山城は細い道や階段が多い。朝からケイが山城城塞とのその街並みを案内をしてくれているが、とても一度では道を覚えられそうになかった。
街は戦の最中と思えないほど活気がある。広場には市が立ち、人々で賑わっていた。木箱いっぱいの黒く熟れた実や、青々とした山菜。生活用品も売られている。山城には、人々が住むところまで戦火がやってこないのだろう。
話題は自然と不二の国の情勢にうつっていく。
この島国は何十年も前から、山城に住む山岳の一族と、芳野という平地に住む一族が、正統な王位をめぐって争い続けていた。現在の戦況は芳野の方がやや優勢。それで山城は、アウラの国、スマール国の援助を受けようと、この婚姻を結んだ。
まだ若い王であるキョウには、これまで妃はいなかった。そしてこの民族は、妻はひとりしか娶らないという。つまり、アウラと添い遂げることになる。多くの妃がいる後宮で育ったアウラには、不思議なことだった。他にも、様々な習慣が違う。
アウラが最も驚いたのは、この国では女も王となれることだ。
山城の先代は女性で、芳野で捕虜となっているときに死んだと聞いている。それぞれ違う夫との間に三人の子を産んだ。山城の国の由緒正しい家柄の男との間につくったのが、ケイ。戦の最中、兵団の男との間につくったのがキョウ。そして芳野で捕虜となっているとき、誰が父とわからぬ子を産んだ。末の子はレイという名の、娘だという。それ以外に、親族はほとんどいない。戦で死んだのだ。これもアウラの国とは違うことだ。王族はたとえ出陣をしたとしても、陣の奥深くで戦の指示をするもの。前線で戦うものではない。
「ケイ、あなたは人々との距離が近いのね」
アウラが口にすると、ケイはこちらに目を向けて、微笑んだ。
頭を下げなくて良い、と言う次は、王の名に敬称をつけることも、しなくても良いと言う。山城では夫婦とは対等であり、つまり王とその后も、対等なのだと。昨夜抱いた印象と違わず、ケイはアウラを丁重に扱うことに決めたようだ。
人々はケイに気付いても、過剰にへりくだるような事はしない。
まるで目上のご老人を敬う子どものような気安さが、人々にはある。彼らはケイがすれ違うときに道を譲り、小さな礼をするが、すぐに自分のやるべきことに戻っていく。ケイへの視線はあたたかい。護衛の人たちも、それほどものものしい様子はない。が、誰もがアウラを、奇妙な目で見た。
――どうやら山城の人たちは、この婚姻を受け入れていないみたいだ。
アウラの外見も、見慣れないのであろう。肌の色、顔立ちが違うということはこうも心理的な壁を作るのか。
野次馬のような人々が増えてきている。
アウラは笑みを崩さなかった。
「そうだね。この城塞に暮らすものはみな、私のことをよく知っている。山城というのはいくつかの山の民が集まっている。私の一族は、この城塞と、それから崖下の村で暮らすものを合わせても、それほど人口が多いわけではないから、みんな家族みたいなものだ」
少数民族の集まり。このあたりは、聞いていた通りだ。
城塞から山城を一望できるところまで戻ってきていた。
ケイと共に、アウラは石積の塀から深い谷間と、その向こうに広がる樹海を見渡した。
天然の要塞。という言葉が過ぎる。この民族が、過酷な岩の地に生きる理由のひとつだろう。ケイも黙って見下ろしている。びゅうびゅうと風が吹いている。この風が止むことも、弱まることもないのだという。ひときわ強い風が吹き、アウラは長い髪を抑えた。
「危ないよ」
ケイが肩を支えてくれる。その手にどきりと驚いていたアウラは、ケイが自分ではなく、別のものを見ていることに遅れて気づいた。深緑色のチドル――山城の衣装のことを、そう呼ぶらしい――を着た一団が階下の城塞へと続く階段から出てくる。そして広場を横切るようにして、こちらへ歩いてくる。その中心には、義弟のキョウがいた。
背後の護衛が、身構えるのがわかった。キョウは兄である王に気づくと、一礼する。周囲の者も、おざなりの礼だけをして、過ぎていく。
「フコウナオウ」
という声が、どこからか聞こえた。とたん、護衛の一人から、いきり立つような気配がした。そのまま深緑の人たちに斬りかかるのではないかとアウラは思ったが、もう一人が制したのか、緊迫した空気が過ぎただけだった。
ケイは何事もなかったように、アウラを城塞の中へと案内する。
護衛たちもすました顔で、黙ってアウラたちについてくる。その様子を見て、これは日常的によくあること――つまり、あの義弟の一団の、王への無礼な態度は先ほどが初めてではないのだろう、とアウラは思った。
次は崖の上部に広がる洞窟住居を案内してもらったが、先ほど聞こえてきた単語が気になって、説明が頭に入ってこなかった。
「ケイ、フコウナオウとは、どういう意味でしょうか?」
話の折を見て聞くと、ケイは苦笑した。
「私を憐れむ言葉だね。不幸な王」
「不幸……ケイは不幸なの? なぜですか?」
「王にふさわしくない者が、王座についていると、彼らはそう思っているんだろう。さっき話した通り、弟は戦の才能がある。優秀な鷹乗りだ。先代もそうだった。そして彼ら……鷹の目にとっては、鷹に乗らない王に従うことは出来ない」
なるほど、よくある跡目争いが、ここにもあったらしい。ケイが弟に対して好意的な口ぶりなので、気づかなかった。
それにしても、気分の良くない人たちだったと思う。こそこそとした陰口を聞こえるように言うなんて、信じられない。
「あなたは不幸には見えませんし、人々に好かれている。そして、私は鷹にはもう二度と、乗りたくありません。だから、あなたが乗らないことは喜ばしいことです」
あの空の旅を思い出すと、ぞっとする。
たどたどしい不二の国の言葉で告げると、ケイは「ありがとう」と頷く。
「だけどそれは、二人の秘密にしておいた方がいいね。鷹は我々にとって誇りそのものだから」
アウラは恥じ入った。
「申し訳ありません、鷹のことを悪く言ったつもりはありません……私は、ただ」
「わかっているよ。私を励ましてくれたんだろう。大丈夫、これからも私の前では、素直に話してくれてかまわない」
ケイは微笑み、きびきびと歩いていく。そのあとを、アウラは少し足早に追った。
人の心の機微に聡い人だ、と思う。
アウラは、ケイの護衛たちをちらと見た。ケイは山城で由緒正しい家の出身だ。それは何よりも有力な後ろ立てであるということを、それを持たないために嫁ぐことになったアウラは、よく知っている。
けれど、ケイの立場はそれほど盤石ではないのだろう。だから彼は「目的」のための仲間がいないし、弟の側近たちはあのような態度を取る。
それに、鷹。
山城は、鷹という巨大生物と共に生きている。
よく訓練されており、不二の国の広大な地域を治める芳野と互角に戦い続けているのは、鷹を戦に連れて行くことが出来るためだ。山城の人々にとっては、鷹はただの家畜ではない。神聖な鳥であり、家族……いや、もっと精神的に、重要な位置を占めているように感じる。もう一人の自分のような存在であるのかもしれない。
その鷹に、ケイが乗ることはない。
その理由をアウラが知るのは、もうしばらく先のことになる。