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自己嫌悪

作者: 花宮希

自分を罵ることを覚えたのは10代になるよりも前のことだった。


幼稚園に通っていた頃までは何も考えずに遊んでいた。しかし、小学校に入学した後、教室という狭い空間の中で、自分は皆に嫌われる存在なのだと自覚した。周囲の人に悪意を向けられて、嫌がらせを受けたことは何度もある。小学3年生の頃に、周囲から浮いていることも自覚したが、入学当初から変に目立っていたと思う。


上の立場の人に気に入られることの重要性を知ったのは小学校高学年の時だっただろうか。もっと前だったような気もするが、媚びを売る方法を習得し始めたのはこの頃だった。同級生との関係を良好にするのに苦心するのを諦めた私は、保身のために大人の力を借りれるようにしようと思った。学校にいる時は教員に気に入られる必要がある。そのためには試験の点数と授業態度が一つ重要な要素になる。


小学生にとっての人気者は運動神経の優れた子で、私は全く当てはまっていなかった。走るのが遅くて球技も苦手だった。新体力テストの結果にはボールとお友達になりましょうとよく書かれていた。身長と体重の割には結果が悪かったが、これは放課後に体を動かして遊んでいなかったせいだ。代わりに毎日勉強をしていたから、試験で困ることはなかったが、中学受験をするのだと勘違いされていたらしい。全くする気はなかったため、中学受験用の勉強はしていなかった。


小中学校の授業内容を理解するのに困ったことはない。しかし、同級生と雑談をするのに苦労したことはある。一時の会話はできるが、ずっと一定の人達と仲良く話すことができないのだ。2人きりの会話ならできるが、一度に複数人と話すとどうしても疎外感を感じてしまう。話題についていけていないと感じることが多く、しんどくなって離脱する。女子はいつも決まった相手とつるむことが多いため、集団の中で孤立感を抱いてしまう。だからといって決まった人とつるんでも辛くなってしまう。マイペースな私には向いていないのだろう。


母に、人を信じることは良くないと思わされ続けてきた私は、人を信頼することが苦手だ。人にお願いすることを躊躇してしまう。自分だけで物事を解決しようとする。だから1人でできることしかやれない。年数が経てば少しは頼れるようになるが、どうしても不可能な時しか頼れない。その場合は、もしやってくれなかったとしても、裏切られたとしても、リカバリーできるように準備してしまう。過剰に気を回すので、出来れば人に頼りたくない。


小学生の時から人をまとめる役職に就くことは多かったが、中学生になるとさらに人に頼られることが増えた。地元の公立中学校に進学し、日頃の勉強の成果もあって、定期試験で学年1位になったため、周囲から一目置かれる存在ではあったと思う。

逆に、出来る人というイメージが付きすぎて、学校で弱みを見せられなくなった。提出物は良質なものを期日通りに出し、微熱でも学校に行って皆勤賞を取り、校内の試験では毎回総合1位を取り、模試でも毎回良い結果を出していた。流石に体育の実技ができないのはどうしようもないが、副教科でも手を抜かず、実技では人並みの評価を、ペーパーテストでは人よりも高い点数を取るようにしていた。幸い音痴でも絵心がないわけでもなかったし、大学で家庭科を学んでいた母がいるし、何より私の母は教育熱心だったので、良い成績を取るためなら協力してくれた。


しかし、中学生時代も周囲に馴染めない感覚が残っていた。自分が相当妬まれているのはわかっていたし、些細なことで揚げ足を取られるのは気分の良いものではなかった。友好的に接してくれている人は増えたが、学年1位を取った後で手のひら返ししてきた人も少なくない。また、周囲との壁を感じることもあった。神だと思わないでほしい、本当の私を知ってほしいと思いながらも、ほとんどの人の前では素を出すことはできなかった。

それは家族に対しても同様だ。高校受験を控えている中で、両親の高校生時代の話を聞くにつれ、高校生活への期待は薄れていった。楽しそうだと思えないし、上手くやっていける気もしない。


自分が元々変わった子だということはわかっていた。小学生時代はクラスメイトに目をつけられて助けを求められないことがあった。中学生時代は学年1位だったから、先生への心証を考えると手を出さないほうが良いと思われていた。頭が良いから変わった言動をするのだと納得されていた部分もあったと思う。

しかし、高校に入ったら、中学生時代に同じような偏差値を取っていた人と一緒に過ごすことになる。そうしたら、自分を守っていたもの、つまり成績のアドバンテージが消えてしまう。

中学2年生の冬に、高校に進学したくないと親に訴えた。将来のことを考えると進学したほうが良いと父に言われ、一旦は納得した様子を見せた。しかし、どうしても自分の中で高校生活への不安は消えず、それを掻き消すように勉強をし続けた。正直なところ、試験の直前には受験勉強へのモチベーションはほぼ皆無だったので、遊んでいた時間もあった。

結果、第一志望校に無事合格することはできたが、入学から1か月後にはしんどくなっていた。授業の内容は理解できるし、試験でまともな点数は取れる。留年の心配もされない。しかし、他の生徒と仲良くするのは難しかった。


家から遠い高校を選んだため、知り合いが全くいない状況であることへの不安は勿論あった。内部推薦で有名私大に進学できるため、勉強以外のこと、すなわち部活動やその他の課外活動に熱心な生徒が多く、将来生きていくことのモチベーションがない私は気後れしてしまった。

自分のやりたいことを母に否定されるのに慣れきってしまった私は、趣味をまともに楽しむ気力も減っていた。何をしても否定されるなら、何もやらなかったことに対して怒られた方が良い。高校生である以上保護者に隠れてできることは多くない。自分の意志を通したところで、何か失敗すれば過剰に責められて監視が厳しくなるだけなので、何も良いことはない。


母のことをもっと早く相談しておけばよかったのかもしれないとはよく思う。しかし、何か行動を起こせば母に何をされるかと考えると怖かったのだ。また、自分は迷惑しかかけられない邪魔者で、消えるべき存在であり、そもそもこの世に生まれてきたこと自体が間違いだったのだと今でも思っている。思考の根底の部分では、色んな人を苦しめ、不快な思いにした私が存在しなかったことにできたらいいのにと考えてしまう。

他の人のせいにするのは良くないから、出来るだけ自分に悪意を向けるようにしている。この人と仲良くしたから最終的に不快な思いをさせてしまったとか、同級生に嫌われてしまうから母が教員と話す羽目になって不機嫌なのだとか、自分の望みを口にしてしまったから金銭的な負担を増やしてしまったとか、考えの始まりは些細なことなのだが、次第に自分への殺意になっていく。こんな自分が生き続けているなんて極悪人にも程がある。早く消えてしまうべきだ。どうせ何をやっても意味ないのだから。


結局自分は、社会にとって不要な存在というよりむしろ害悪な存在なのだ。

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