第8話
「私はここら辺の患者さん達を治癒してたの。ざっと300人は居たけど、今は250くらいにはなったかしら。向こう側に集められた患者さんは在園生がやってくれていたわ。」
「50人を、この短時間で1人で…!?MPは大丈夫?女の子だし、体力とか…!」
「きっとまだ大丈夫だわ、ありがとう。貴方は一分にどれくらい診られる?」
「うーん、集中できる環境であれば、150人弱を1時間以内で治したことはある。……今みたいに全員意識不明瞭ってわけでもなく重症も軽症も居たし、その後MP切れでヘロヘロにバテたけど。」
「なら一分で確実に2人は無理なく治せるかしら。私達2人合わせて一分で5人は捌けるわね。試験時間はどれくらい残ってるの?」
「1時間半と少し。」
「……治癒の途中に患者さんが増えることも考えたら、時間に余裕はなさそうよね…」
「ベストは尽くそう。僕たちの他にもヒーラー志望は何人か来るかもしれない。」
「そうね。私は北側からさっきの続きを診ていくから、貴方は南側からお願い。」
「分かった。お互い無理はしないで。」
「ええ、貴方こそ気をつけてね。」
フェリクスは走っていく彼女の背を見ながら、やはり疑問が隠せないでいた。ギルドで数多の傷を癒してきた彼が、治癒魔法でのタスクの処理速度で誰かに劣るのは初めてだったのだ。フェリクスはセレナの仕事ぶりが見たくなってきた。こうして好奇心がくすぐられたフェリクスは、喩え人生の大半を共に過ごしてきたリタにも止められない。フェリクスは南側へ歩いていた踵を返すとセレナへ駆け寄って尋ねた。
「あの、今日会って、初対面でこんなこと訊くのも失礼だってわかってるんだけど、できれば、その、治癒の様子とか、見せてもらえませんか……?君はよほど、手際の良いヒーラーなんだと思うんだ、それで、もし叶うなら見てみたいなって……」
セレナは優しく笑った。
「さっきまでくだけて話していたのに急に余所余所しいじゃない。私のでよかったらいいよ、全然。着いてきて。」
セレナはフェリクスをある患者の前へ誘導した。短い茶髪に赤のカチューシャをした女性。魔力は高そうだがMPを失いつつあるようにも見えた。セレナは手際よくしかし失礼のない丁寧な所作で彼女の体を確認した。
「えーと、脈拍正常、呼吸数正常、呼応反応…なし。……後頭部に皮下血腫を視認、…頭部打撲による昏睡かな。」
「うん、僕もそう思う。」
セレナはもう一度頭の傷を確認すると、自らの右手の手のひらを上に向けて水を掬う形にした。みるみるうちにその手に水が張られていく。セレナはそのまま、さも簡単なことのように立膝の姿勢を崩すことなく水へ治癒魔法をかけた。
「完全に気失ってるからなぁ、飲んでくれるとといいけど…」
「それは…?」
「私の水魔法と、治癒魔法を組み合わせた特別な水。こういうのを作って水筒に入れたりしてもらえれば、私がそばにいない時いつ怪我をしても私の治癒魔法が受けられるはずだと思って作ったの。」
「へぇ、……確かに固形薬剤より遥かに安価に作れるし病状によらず摂取しやすい。よく考えられているね。」
というか二属性使える上にそれが治癒と水っていうのが羨ましすぎる、とフェリクスはひっそり妬んだ。
こればかりは生まれてくるときに勝手に決まっているものなので彼の努力ではどうにもできない。
セレナの液体薬剤を飲んだ受験生は徐に閉じていた目を開けた。雪に反射した昼下がりの光に慣らすように何回か目をしばたたかせ、状況を把握しようと考えているようだった。
セレナが様子を見ながらゆっくりと声をかけた。
「お加減いかがですか?痛いところや、気分がすぐれないなどありましたらお伝えいただきたいです。」
「え、あ、いえ…。」
「…良かった。頭を打ったようでしたので、治癒魔法をかけた水で手当てをさせていただきました。治癒魔法手で、この学園でヒーラーを目指したいと思っているフェランです。」
「ああ、ヒーラー志願の…。わずかに、倒れる前、東棟に行かなくちゃ手当は受けられないのかと思ったのよね。もうわたくしの受験は終わったかと思いましたわ。」
「私も東棟にいたらすぐに治癒が終わってしまう軽症者しか来ないと判断して前線まで来てしまったんです。」
治癒を受けたご令嬢はまるでさっきまで昏睡してたとは思えない機敏さですくっと立ち上がった。スカートについた砂をはたくさまは慣れていてご令嬢であるはずなのに普段から体を動かしているかのようだ。すると彼女は何かに気づいたのかその華奢そうな首が折れそうな勢いで顔をはね上げた。
令嬢の大きな赤い目がフェリクスとセレナの間を泳いで、茶色のまつ毛に伏せられた。
「わたくしとしたことが、名乗り遅れましたわ。お初にお目にかかります、ソフィア・ジェペスと申します。先ほどは…」
「「えぇっ!?!?」」
「ひゃっ!?」
「え、じ、じぇ、ジェペス!ジェペスってジェペス公爵家!?」
「やだ私ったら…!なんて方になんて口の利き方を…!!」
「いや、その、気にしなくてよいのだけれど…」
「「気にします!!」」
「そ、そう…?」
ジェペス公爵家と言えば貴族派を牽引する名家であり、リューエットという広大な地区を一族で治める有力者。王族派に属するフェリクスからしてみれば敵対する派閥のトップだが、この上品で清楚な令嬢がそこの出身だったとは。セレナもさすがのことに驚いたのかポカンと口を薄く開けていた。
気を取り直して、とソフィア嬢はカーテシーの形を崩した。
「こんなに素晴らしい治癒魔法を無償で使っていただいてしまって本当に感謝しきれないわ。元はと言えばわたくしが迂闊を踏んでしまったというのに、親切でいらっしゃること。…でも、あなたたちは戦えないのよね?これ以降、身体能力を要する実技試験が待ち構えていないとも限らない。ここでは流れ弾や魔獣の攻撃が飛んでくる可能性もあるし、遠くで治療をした方が…。」
「あ、いえ!僕たちのことは、お構いなく。」
「…そうなの?」
フェリクスはセレナと目を見合わせ、彼女が頷いたのを確認すると真摯な表情でソフィア嬢に応えた。
「僕達は戦場の最前線で戦士を回復させるために活躍するヒーラーに憧れてこの学園を目指してきました。それに今これだけ治療を求める患者が戦場にいる中この場を離れることは、治癒魔法医療法19条に定められたヒーラー及び治癒魔法手の臨床義務に抵触します。少しの自己犠牲は覚悟の上、今はお気持ちだけ頂戴いたします。」
「…そう。そのような義務があるのね。私も見習わなくては。でもどうか気を付けて、そしてこの感謝は忘れなくてよ、ファラ氏、フェラン嬢。」
ソフィア嬢はそれだけ言って戦場へと消えていった。