第5話
魔術コントロール力は、確かに戦場においてとても重要なスキルだ。
魔術とは偶然発生した超然現象である魔法を、人間が論理的に紐解いて模倣しながら構築した技術である。故に人類の産物である魔術は魔術理論などの教科で学ぶように一定の法則性を示している。例えば魔術の詠唱にはある程度の文法と強弱・抑揚の付け方が決まっていたりして、魔法の難易度の高低がそれらを模倣した魔術にそのまま反映されたりする。数世紀前に比べて随分魔術の開発が進んだ今でも使い手の少ない光魔法・治癒魔法については魔術に書き起こすのは不可能に近いと言われている。しかもやっとのことで生み出された魔術でさえ、その発動強度は一筋縄に詠唱だけでは上手く調節できない。訓練を通して自分に残されたMPを考慮しながら一定のパフォーマンスを見せる事が出来るようにするのだ。
しかし戦場において限られた資源とMPの中で戦うには、この技術はまさに必携と言える。関係のない民家や自軍の要塞への被害を与えずに、敵にのみ確実に攻撃を向けるのは非常に高い魔術コントロール力や自己管理能力が求められる。学園の入試において、確かに書類選考の段階で魔術レベルは問われるが、魔術レベルは防御や制御に優れているかを反映したりはできない。だから兵学部はそれに加えて実技としてコントロール力も試されるのだろう。
「君達には、それぞれが得意とする高等魔術を披露していただきます。そしてそれを適切にコントロールできることを各々の考えた自由な方法で示してみてもらうのがこの試験です。例えば、こんなふうに。」
試験官は立ち上がるとフェリクス達から数歩離れた場所で手を天井へ向けて構えた。
その瞬間、天井まで届かんばかりの炎が彼の手から燃え上がった。攻撃魔術の火属性魔術、ここまでの炎を魔法を使わずに維持するのは難易度は上の中といったところだろうか。普通はこの炎を守っているだけでも労力を割くが、彼はさらにそれをマッチの火くらいまで縮めてみせた。火は手の中でチラチラと舞っているだけに見えるが、フェリクスたちが感じる熱波は依然変わらない。
火力は変えず、見かけの炎の大きさを操る。まさに魔術コントロールのお手本と言えた。
「詠唱の有無は問わないので、自由にアピールして下さい。以降、通信魔術等で遠隔地との通信を行うことは固く禁じます。それでは30秒間、考える時間を与えます。尚この時間内の私語は許可できません。」
砂時計がひっくり返され、サラサラと流れ落ちていく粉を見ながらフェリクスは考えた。
自分の得意とする魔術は防御魔術か奪取魔術、しかしこれらはどちらも攻撃魔術に比べると派手さと表現力に欠ける。
残された自分が使える切り札でおそらく一番実力をアピールできるのは奪取魔術、相手から自分の随意でものを奪うものだ。フェリクスは奪取魔術を披露することに決めた。
やがて砂時計の粉が全て落ち、思考時間が終わったことが告げられた。
「それでは、向かって左の方からどうぞ。」
三人の受験生のなかで一番左に座っていた平民の男の子はおずおずと立ち上がった。可哀想なくらい震えながら、彼はなんとも…無難な、通信魔術を披露した。彼自身自分でも恥ずかしくなったのか、やや気まずそうに着席した。
そんなやや気まずい空気の中、アーシャは自分の番になると先ほど試験官がやったように手を天井に向けて一つ深呼吸をした。アーシャの手からまるで植物が芽生えるように水が噴き出し、天井スレスレまで昇って拡大が止まる。やはり、彼女は非常に優秀だった。魔術の持続力も高いがそれ以上に要素自体を操る能力が高い。驚くべきことに、アーシャは生み出した水で馬を形作ってみせたのだ。きちんと想像できれば実行に移せる魔法とは違い、魔術では計算に基づいた緻密な設計をしなければ魔法のような超常現象を起こすことはできない。あくまで人間が作った法則に基づいた理論的技術で、ここまで抽象的で概念的に見える事象を魔術で再現するのは至難の業なのだ。フェリクスは自分自身が攻撃魔術を苦手とするがために、アーシャのこれまでの努力が垣間見えるコントロールに感動した。
続いてフェリクスが行うのは奪取魔術の中でも最難関の一つと言われる記憶の奪取。これはフェリクスがリタの家族が経営するジュステ冒険者ギルドで修業をしていた時に身に着けたものである。希少な治癒魔法の属性持ちということに加えリタの気に入っている友人だった彼は、ギルドの冒険者にもそれはよくかわいがられていた。中には治癒魔法を使って傷を癒してくれたら引き換えに魔術を教えてやる、という冒険者さえおり、フェリクスはそんな人たちから地道に魔術を習っていたのだ。とはいえ、記憶という概念的に大きなものを奪取するのにはそれなりにコントロールが必要になる。だれかに審査されながら魔術を使うというのは、もちろんフェリクスにとって初めての試みだった。
フェリクスは試験管に向かって一礼して、じっとその目を見据えていった。
「奪取魔術で先生の今朝の記憶を抽出して、奪取してもよろしいでしょうか。中身は見ずに、必ずお返しすることを約束します。」
試験官はフェリクスの目を見つめ返して、数秒経ってから感情を読み取らせない笑顔でゆっくりと頷いた。それを確認したフェリクスは手を試験官に向かって構える。奪取魔術は対象を自分に引き付けるよう引力を働かせることから始まり、対象を「誰の/脳にある/特定の電気信号の/一部」という順に則って対象を絞り込んでいくよう術式を慎重に積み上げていかなくてはならない。相手の神経に潜り込む感覚。そこに手を突っ込み、指示した部分の情報だけを魔術を介して取りに行く。それを掴んで、引き抜く……。
やがて、手の内で試験官の記憶の電気信号がピリピリとした刺激を手に伝えているのを感じる。
成功だ。
「先生。今朝、起きた直後から3時間後までのことは、おぼえていらっしゃいますか。」
先ほどと微動だにしない笑顔のままの試験官の表情にフェリクスは若干たじろいだが、それでも確かに試験官は満足した表情で首を横に振った。
「いや、覚えていない。…成功だね、おめでとう。」
「ありがとうございます。」
フェリクスは成功にはやるのを抑えながら安心した気持ちで席に着いた。