第1話-2
「何か見つかった?」
「いえ、今回もだめでした。」
「…ロベルトの部屋、開けてみる?」
セネンは器用に箒に座り直すと、乗れ、というように背中へと視線を送った。開けてみる?などと訊きながら、端から拒否を予期していないのは見るに明らかだった。フェリクスも抗う理由もなくそれに従った。セネンの箒使いはかなり巧みで、普段転移魔法に頼っているのが不思議なほどだった。
「ロベルトさんの部屋って、セールズ侯爵家の自室ってことですよね。突然訪ねてしまっていいのですか?」
「リューエットはセールズ領地の隣。両親同士も仲いい。だから侯爵は、通してくれる。」
リューエットとは、セネンさんのご実家アナジャ商業ギルドが拠点を置く我が国一番の港町である。昔は彼の土地をめぐって様々な貴族間での血なまぐさくはない闘いがあったとか、なかったとか。どうやらアナジャ家とセールズ家は良好な関係らしい。
「侯爵は感謝してる。僕が部屋を開けるのに。」
「閉じられていたんですか?」
「ロベルト、出てく前に全部の鍵に金を流し込んだみたい。」
なるほど。やりかねない。
同時に、フェリクスはセネンが今日ばかりは箒を使っている理由が分かった。闇属性である転移魔法でロベルトの部屋に入れなかったのだ。金は光魔法を収集する代わりに、闇魔法やそれを昇華して魔術化したものは跳ね除ける性質を持つ。ロベルトはよほどセネンやアデラを中に入れたくなかったのかもしれない。
「それじゃあ、どうやってセネンさんは開けるのですか?」
「…ん。」
セネンは箒を操りながら器用に収納魔術を展開すると、徐に薬瓶を中から取り出してフェリクスに手渡した。一見普通の茶色い薬瓶に見えるが、なにやら中からとんでもない異臭がする。鼻を針で刺されるような不快な痛みがフェリクスの周りに立ち込めた。
「なんですか、これ。」
「金も溶ける液体。」
「…おぉ。」
閉じられた蓋の近くへと恐る恐る鼻を近づけてみるやいなや、数センチもあるところからでも鼻から喉の奥を引き裂かれるような悪臭を感じた。フェリクスは危うくこの危険極まりない液体を箒から落としかけた。
「っ、ゲホ、あぶな。これ、何入ってるんですか。」
「すごく臭い謎の水。」
「どこにあったんですか、こんなの。」
「天文学部物理学科の実験室。」
「…まさか盗んできたんですか?」
「作らせた。」
「こっっっっっっっっっわ!!!!」
パルーマ王立学園天文学部物理学科と言えば、霞を食うどころか霞を主食としているような謎多き集団で、金属を塩から生み出してみるだのフラスコの中に星を作るだのかなり怪しげな実験をしているという噂さえある。よもやこの劇物、我が国で一番何をしているかわからない連中の巣窟から生み出されたものだったとは。
「金にかけると、熱くなって、シュワシュワして、黄色くなるらしい。」
「…、はぁ?」
「あと絶対触っちゃダメだって。」
物騒極まりないものでありそうなのがよくわかったフェリクスは、諦めて自身の収納魔術を展開して、そのなかに禍々しい瓶をしまい込んだ。
*
「オェッ、ゲホ、っうぁあ゛喉がぁ!!」
「大丈夫?」
「っはぁ、なんでセネンさんは平気なんですか…?」
侯爵がこんなものの使用を敷地内、しかも屋内で認めるなんて、とフェリクスは一向に慣れない刺激的な臭いに悶え苦しみながら思った。呼吸ごとに鼻と咽頭が激痛を訴えてきている。明日体調を崩したら確実にこの劇物のせいだろう。だいたい、ロベルトにはぜひどんな悪行を積めばあの侯爵の寛大な人格が形成されるのか訊ねてみたいところだ。こんな臭いのするものを屋内で使うことに抵抗がないなんて。もはや屋敷を爆破されても笑って済ますのではないか。
「鍵穴見て、溶けてる。」
「うわぁほんとうだぁ、っ、目がぁ!!」
「…大丈夫?」
(だから大丈夫じゃないんだってば!)
鍵穴に流し込まれた金が謎の劇物水によって溶かされていくのは確かに不思議な光景であるし、これを作り出せる某学科は尊敬に値するのかもしれないが、ムンムンとした臭いが今度は目をくすぐってとんでもない痛みを起こしている。今後はぜひ臭いを改善するよう研究者諸君には要請したいところだ。
隣で鍵穴を埋め尽くす金が溶けていくのをじっと見ていたセネンであったが、次第に唇や目じりにわずかに力が入り、表情が憮然としたものに近づいてきた。飽きたらしい。セネンは鍵穴の高さに折っていた腰をスクっと伸ばすと、にわかに、そして流れるようにその足を振り上げた。
セネンが何をしようとしているのかを直感で察したフェリクスがその場から飛び退くのと、セネンの細いが固い筋肉をまとった足が扉のドアノブに叩きつけられるのはほぼ同時だった。
次の瞬間、フェリクスの背後で破裂音がした。セールズ侯爵家の廊下の壁が少し震えた。




