第10話-1
父上は私のことを一度も女として扱ったことがなかった。もしかしたら母が生きていたころは少しは娘扱いしていたのかもしれないが、あいにくその頃は幼すぎて記憶がない。物心ついたころには、お前はバエズの嫡男なのだと、他家に見下されぬよう気高くあれと、誇りを持てと毎日のように言い聞かされていた。母が付けたアデラという女性名は家の中では忘れ去られ、たまに仕事から帰ってくる父に呼ばれる名はアデリオだった。
一応、パルーマに女当主がいないわけではない。しかしどこまで歴史をたどれど彼女たちは常に少数派で、弱者だった。女当主に婿入りする子息は少なく、大抵は孤独に生涯を閉じて爵位返上か、それも赦されない場合は血筋もわからぬ子どもを養子にとることが多いらしかった。上に立つべきものとして生きてきた父は頭の固い人だし、私がいくら主張した所で女として家を継いで婿をもらうなどという博打は打てなさそうだといつしか諦めた。
あれは3歳のころだったのだろうか。一人称を名前呼びから改めるとき、部屋付きの一番親しかった侍女が「私」にしてはどうかと勧めてくれた。丁寧な女性人称としてではなく性を感じさせない人称として最近市井で広まっているのだとか言っていただろうか。確かに、口に出してみるとしっくりくる感じがあった。しかしどこまで言っても自分は宰相を務める侯爵家の唯一の子供で、市井の平民とは事情が違いすぎた。父上には貴族子息らしく(子息ではないのに)「僕」にしろと言われ、今もなお公の場では自分を「ボク」と言っている。しかし自分のアイデンティティに反する人称というのは何度言っても潜在的にムズムズするもので、思考過程の人称や毎日寝る前につける日記には私を使っている自分がいるのは事実だ。闇属性同士は伝達魔法で互いの考えが読めるので、私の外向きの一人称が「ボク」であることに、知り合ったばかりのころロベルトとセネンはひどく驚いていた。
10歳でのデビュートが近づくにつれ父に職場に連れられることが多くなり、ついに「宰相の息子のアデリオ」「次期宰相のアデリオ」として私は宮廷に広まっていった。今では仲良くなったカリナ王女まで、昔は私のことを男だと信じていたらしい。男が軽々同い年の王女に会いに行ける訳がないだろうとその時は鼻で笑って返したが、その後どこからかまことしやかにささやかれはじめたカリナと「アデリオ」の婚約話を聞くのはそこそこ堪えるものがあった。カリナは病弱で外に出ることができなかったので、私がその噂を消して回った。
それでも別に、悪いことばかりだったわけではない。自分さえ一度受け入れてしまえば、男として扱われることは何かと便利で、しかも侮られにくかった。デビュートもしていない子供だとわらわれたとしても、それでも「宰相の息子のアデリオ」は「宰相の娘アデラ」より強くいられた。女が忌避される官僚の世界で、文官の一人に自分もなれたような気がした。それならいっそ男になれたならいいのにと星に願いもした。
どちらにせよ、自分に絡みつく性という茨がこんなにも煩わしい。
願わくは、どちらの性でもないただのアデラという人になりたかった。
「アデリオ、カリナ様の御部屋に行って話を聞きなさい。我が家の存続に関わる大きな仕事だ。気を抜くなよ。」
学園から宮廷へ向かう風魔馬車の中で、父上は書類から目も上げずに言った。
「はい、父上。」
普段より気持ち低い声で私は答えた。私もやはり顔はあげなかった。
冷え切った関係でも、血のつながりはなくならない。私は父の前では「私」を捨てなくてはならない義務があるのだ。たった一人の子供なのに女として生まれてきてしまった事。日に日に柔らかみを増す胸部。いつまでも高い声と鍛えても伸びない身長。父やほかの誰が責めなくても、それらは私の罪だった。今の私ができる親孝行と贖罪と言えば、これしかなかった。
馬車はゆるやかに旋回を始めて宮殿の屋上に停まろうとしていた。前に繋がれた風魔馬が青空を駆って走るのが見える。カーテンの隙間から漏れ出た金色の光が自分の膝の上で揺れているのを見ながら、私はふとロメルのことを思い出しかけたが、急いで頭を振って忘れた。




