第9話-3
『アデリオ。アデリオ・バエズ。今すぐ放送室に来い。』
おおよそ実況者のそれとはかけはなれた声。唐突な命令。そもそもバエズ家の子供はただ一人、アデラ・バエズ侯爵令嬢しかいない。アデラの正式な名前はアデリオではないし、一般的にアデリオは男性名だ。どの角度から考えても、その放送はこの上なく奇妙だった。
トルネーオの実況は兵学部だけでなく学園全体を通して流されていたため、もちろん寮で自習をしていたアデラにもこの放送は耳に入った。繰り返されたわけでもないのに、その無視しがたい声はアデラの頭のなかで反響した。
「……父上。」
目を閉じても聞こえる叱咤の声。苦く、消し去りたい忌々しい記憶。
「…大事なのだろうな。」
アデラは壁に備え付けておいた剣を取った。そのまま部屋を出ようとも思ったが、ふと剣のつばに飾りをつけていたのを思い出した。
昨年、ロメルにもらった自分には可愛らしすぎる房飾りだった。普段男装をしている女によくもこんなに華奢なものを贈ろうとしたものである。
アデラは飾りを剣から取り外し丁寧に机のうえに寝かせると、ため息を一つついて転移魔法を組み立てた。
*
一方、競技場では明らかに異常な事態にリタもロメルも構えることなく呆然と立ち尽くしていた。
セネンから並々ならぬ緊迫感を感じ取ったフェリクスは彼と共に本棟の階段を駆け上がり、放送室に駆け込んだが、そこはもぬけの殻で、人の居た痕跡さえもなかった。
「セネンさん、学園長は一体…!」
「ロベルトが学内に現れたらしくて、居ない。居たとしても、何もできない。」
「…ロベルトさん…!?そんな…!」
フェリクスにもなんとなく察しがついていた。さっきフェリクスを馬車で踏みつぶしかけたあの紳士に、放送の声はよく似ていた。かつアデラ(と思しき人物)に命令できる人となれば、やんごとなき方でない限りはあとニ人しかいない。アデラ嬢本人の父君か、ジェペス公爵か。しかしジェペス公爵が敵の子供の名前を間違えて呼ぶことなどあり得ない。なら可能性は一つしかない。
「あの放送、本当にバエズ宰相閣下のものなのでしょうか。」
「でもそれ以外ない。」
「ならなぜ、彼はご自身の令嬢を…」
「……。」
セネンは答えなかった。しかしその顔は何かを言おうとして、でも言えなくて、口をつぐんでいるようにフェリクスには見えた。
考えられる選択肢は2つ。
一つ、「アデラ」は偽名で、本当は男である可能性。二つ、宰相がアデラを男性名で呼んでいる可能性。…二つ目だとすれば、何かしらの闇深い背景がありそうでフェリクスは身震いした。
そこでふと、思い出したことがある。
『あの、ニセタさん。』
『うん?』
『ニセタさんもアデラさんも、淑女でありながら一人称を"僕" にされていますよね?』
『…そうだね。』
『何か、理由とかあるんですか?』
『別にないよ。—僕は別に理由はない。アデラさんが同じように"ボク"を使ったりや男性に近しい口調で話していたりするのは、なぜか分からないけれど。』
"ボク"、 "男性に近しい口調" を使う理由。
もしそれが、父のためなら?
バエズ家に嫡男は居ない。
バエズ夫人は随分前、アデラ嬢が幼い時に事故で亡くなっていると聞いている。
まさか。
だとしたら、アデラが父のために、今するだろうことは。
「フェリクス、ここにいてもしょうがない。宰相探してみよう。」
「…いえ。セネンさん、一度競技場に帰りましょう。恐らく、宰相はもう学園にいませんから。」
「…なんで?」
「………なんとなく、です。」
セネンは納得のいっていない顔で、ふぅん、とだけ零した。




