第8話-2
アンナはファラ子爵邸のこじんまりとした質素な庭をバタバタと駆けた。片手には最近流行りの日刊紙の朝刊をしっかりと握って、息せききりながら表の扉を開け放ち、やがて広間へと飛び込むと、そこに座って優雅に朝食を食べていた主夫婦の目の前に新聞紙を突きつけた。
「……なんだい、アンナ。」
「フェリクス様が…!フェリクス様が!!」
「フェリクスがどうかしたの?」
アンナのあまりの様子に夫人も疑問に思って新聞をのぞき込む。
「フェリクス様、明後日からのトルネーオ、保健監督なのだそうです!」
「……へぇ。」
子爵夫婦の我が子の快挙に対する反応は案外にも冷めたものだった。対照的にフェリクスを幼少の頃から我が子のように育ててきたアンナと言えば、それはもうとんでもない慌てようである。
「明後日!明後日ですって!!まぁ大変、今すぐにでも準備を始めなくては!観覧席を押さえて、ご主人様達のお昼に何を持っていくかを考えて!そもそもあたくしのほかには誰か行くの!?これお前たち、まさかフェリクス様のご勇姿を見に行かないだなんて言わないだろうね!」
「落ち着きなさいアンナ、フェリクスが剣を握るわけでもないだろう。」
ファラ子爵が口を挟んだが、アンナは聞く様子もない。
「いいえ!これはもうとんでもないことでございますのよ旦那様!あの名高い『学園』のトルネーオ、各国が注目する一大行事!その名誉ある職に1年生でお就きになられるなんて、アンナは鼻が高くて仕方がありません!」
「…、僕も別にそうだったからなぁ…」
まるで自分が褒められたかのように鼻先をこするファラ子爵を夫人が冷ややかな目で睨んだ。妻に弱い子爵は、とたんに小さくなって肩を竦ませ、茶目っ気のある苦笑いを浮かべた。
*
さて、そんな和やかな実家の様子などなどつゆ知らず、フェリクスを含めた王立パルーマ学園の兵学部は来たるトルネーオの日に向けて浮き足立っていた。こと特別属性魔法実習室の治癒魔法手3名など、教育学部の魔法学科有志数名を率いてこの世のものとは思えない多忙さを極めていた。
「ニセタさん!この被光魔法攻撃回復薬の保存温度って何度でしたっけ!?」
「18!第一競技場保健所に配置して!」
「はい!」
「セレナ嬢、保健室の先生方が当日の分担を確認したいとのことです!」
「今日は1540から20分なら確保できるとお伝えしてください!」
「わかりました、お伝えしてきます!」
「フェリクスくん、この薬品なんだけど…。」
「あぁ、それは第三競技場に配置してください、そこでリタが戦う予定なので。あと先輩、土属性でいらっしゃいますよね?できれば先輩も第三競技場にお願いします。そこでリタが戦うので。」
「は、はぁ…。」
とまぁ、てんてこ舞いである。
同じ部屋の中には居るものの、戦略学科の闇属性なので剣を握ることも治癒に走ることもないアデラは知らぬ存ぜぬ我関せずを貫き通している。そうでなくても生徒会の仕事や父の宰相職務の補佐で忙しいのだろう。ロメルとセネンはというと競技場にてマルティンやサルマら下級生を巻き込み、トルネーオに向けた大詰めの稽古をしており、本当の窓の外からはロメルに立ち向かいせめて一矢報いようとする生徒たちの声が聞こえる。
フェリクスは意識を部屋の中に戻し、薬品の調合の続きをしようと思ったのだが、窓際のテーブルに腰かけて書類仕事をしていたアデラがふと呟いたことに手を止めた。
「おや、次はマルティン・マーレとジュステ嬢が戦うようだね。」
「…はぁ。」
まるで興味のないふりをして手を動かしながら、アデラに続きを促す。
「見なくてよいのかい?1、2限はマルティンに教わっているらしいじゃないか。」
「…見ます。」
ほら、真下だよ、とアデラは目で二人の居場所を示した。天性の整った顔で綺麗にほほ笑み、紳士的に手を差し伸べ手合いの誘いをするマルティンと、いつも通り高く束ねられた赤髪を揺らしてそれを受け入れるリタの様子が見える。周りには、マルティンを狙う令嬢たちだろうか、多くの観客が集まっており、その視線は明らかな嫉妬を物語っている。まるで本番のトルネーオのような盛況ぶりだった。
アデラが風魔法で下からの声を拾い上げると、本棟の上層階にいるフェリクス達にも何を話しているかがよく聞こえた。
「いつも1、2限はジュステ嬢の幼馴染を教えていてね。よく話は聞いているよ、リタ・ジュステ嬢。随分と噂になっているじゃないか。サルマも君をよく褒めているよ。」
「んー、いい噂じゃないのは知ってるんですけどね。でもセンパイたちに褒めてもらえるのは嬉しいです!最近はその噂のおかげでいろいろな人と戦えてすごい楽しいですし!」
「トルネーオで君に当たらなかったと分かった時は残念だったけれどこの機会に手合わせを願い出ることができて良かった。3勝利で決着でいいかな?」
「5でいきましょう!」
即断でそう返したリタにフィールドからどよめきが起こった。
パルーマの騎士同士が手合わせもしくは決闘するとき、基本的には3番勝負が一般的だ。しかし城下の喧嘩やラフな場での試合では5戦によって決着をつける場合もある。しかしこれは、貴族と平民の間の戦いなど、片方の実力が片方を大きく上回っていることが大前提の話だ。まして実力の拮抗する相手と五番勝負などをしたら、最後は集中力と持久力の戦いになる。
リタは昔から、実力の拮抗した相手とあえて5番勝負で戦うのが好きだった。リタは一度狙った獲物には勝つまで食らいつく。彼女を動かすのは、勝たすのは、集中力でも持久力でもなく執着心に近しい力だった。”リタに5番勝負を挑まれると、9回目までに必ず負ける”とギルドの冒険者は口々に言うのだ。
「わかった、5でやろう。」
子爵子息で仮にもロメルの護衛として仕えるマルティンには、平民の女子から持久戦を持ちかけられてそれを退けるなどというプライドを捨てる行為はできなかった。あるいは、リタがこの手合わせを「貴族と平民の間の諍い」と解釈している、と考えたのかもしれない。
「あたしはいつでもいいよ。先手をどうぞ。」
リタとマルティンが剣を構えた。




