第6話-1
「そうですか、今日もロベルトさん居ないんですね…」
「どうやら研究が行き詰まっているようでね。すまない、フェリクス君。」
「いえ、ロメルさんの謝ることではございませんから。…少し気にはなりますけれど。」
学園内で広まっている噂によると、あのギルドに行った週末ここ1カ月以上にわたってロベルトは自宅のセールズ侯爵邸から一歩も外に出ていないらしい。フェリクスは自分が何か粗相をしたのではないかと気が気ではなかった。なにせ相手は「異端の神童」の名を恣にするロベルト・セールズ。学科や目指す職業は違うにしても、是非とも将来の進路のために媚びて媚びて媚びまくりたい人なのだ。気に入られずとも嫌われたくはない。将来の年収に関わるキーパーソンなのである。
「朝早くから本棟に来るなんて珍しいと思ったら、ロベルトの在否を確かめに来てくれたんだね。」
「はい。…でもロメルさんが見ていらっしゃらないなら、居る訳はないですよね。」
「いや、顔が見れてうれしいよ。今日の3限は何をとるつもりなんだい?」
「歴史学です。教育学部長の特設セミナリオときいたので。」
「ああ、あの授業か。課題も出ないし興味深いし良いよね。」
「取られたことがあるのですか?」
「ここの生徒であれば、いつかは皆受けずにはいられないからね。」
「…?」
ロメルの真意が分からず首をかしげるばかりのフェリクスに対してロメルは曖昧にほほ笑んだ。どんな授業なのか教えてはくれないらしい。歴史学にそこまで革新的な授業があるのだろうか。とはいえ、ロメルが感情を読み取らせない含みのある笑顔を見せるときは何かを隠している時なのだと短い付き合いの中でフェリクスは学んでいるので、深くは詮索しないことにした。
「フェリクス君。」
「はい。」
「そろそろ模擬試合トルネーオだね。」
「…そう、らしいですね。」
模擬試合トルネーオ、通称『模試』。兵学部戦闘学科の生徒が学年問わず無作為の順番にトーナメントで戦い、学科を通しての1位が決定される一大イベントだ。もちろん将来軍の中枢を担う人材たちが戦う場であるので新聞によって市井にも大々的に報道される。これによって学園を知り、目指した平民の子もいるだろう。自分の将来や社会に与える影響が大きい分、参加者の緊張たるや並々ではない。ロメルは入学以来、一貫して1位を守り続けている。彼が上級生を凌いで頂く不動の王座は、勇者候補に皆が忖度しているというわけでもなく、ロメル自身の強さと努力によって支えられたものだとフェリクスは分かっていた。
「僕は初めて君達の学年と戦うことになるけれど、例え3年の差があっても端から手は抜かないよ。万が一でも勇者号を手に入れる前に学園の中で負けてしまうのでは光属性としての面目がない。…君の幼馴染のご令嬢に会うのを楽しみにしていよう。」
「…リタは強いですよ。お気をつけて。」
「はは、大いに気を付けるとしよう。」
フェリクスがリタを引き合いに出されたことで拗ねたことに、果たして気づいたのか気づいていないのか。ロメルはやはり曖昧に笑いながら、特別属性魔法実習室にいつも置きっぱなしにしている紅茶の茶葉の入った缶を手に取った。缶には、それが高価なものであることの証明であるかのように、ふんだんに飾りが施されている。彼は貴族らしからぬ慣れた手つきで紅茶を淹れ始めた。
*
フェリクスは紙とペンだけ用意して一人本棟のある教室に座っていた。
普段教壇に立つことはない学部長、しかもこの国の国務尚書をまで務める教育学部長が急きょ1年生をのみ対象に特設したセミナリオ。当然学生は殺到しており、どの学部の生徒も1年生は口を揃えて「今日の3限は歴史学」と答えた。
この学園に入って数週間が経ち、フェリクスもなんとなくこの学び舎の詳細がわかってきた。
階段に連なるドアを開けた先は確かに講堂じみたセミナリオへと繋がっているが、その空間に限りというものはない。後ろを振り返ると延々と座席が並んでその果ては見えず、それは左右を見渡しても同じである。それにも関わらず、どの席に座ったとしても自分は黒板の目の前に座っているように感じるのだから不思議である。空間魔術を使っているとは思うが、これをすべての階段の扉につき一つずつ用意していると考えると、とんでもない時間と手間がかけられているのだと容易に推測できる。
「フェリクス。」
名を呼ばれたのに気づき、フェリクスは声のする方を見た。
「…リタ。偶然。」
「ここ、座っていい?」
彼の前の席を指さすリタにフェリクスは頷きで返事した。
リタが席に着くのとほぼ同時に、黒板の前に転移魔術の印が描かれた。瞬きのうちに教育学部長が印の上に現れる。見事な転移魔術だった。
「今日話すことは、歴史であるが史実とは限らない。しかし、わが国パルーマがそれである前に始まり、語り継がれてきた伝説だ。」
開口一番、教育学部長はそう言った。




