第5話-1
フェリクスがこの学園にやってきてから、数日が経ち、彼もなんとなく、この学園のサイクルや規律がわかってきた。
学園の生徒は1から3年生は寮に住み、4年生になると各々の研究が始まる関係で実家から通うことが許される。血気盛んな少年少女を24時間この学園の敷地内に閉じ込めるため、争いを避けるために学園は寮生に対してある程度厳しい規律を設けている。兵学部はそれが特に厳しい。確かに平民が騎士になるために通う幼年学校や士官学校に比べると兵学部の暮らしも怠惰なものかもしれないが、少なくとも貴族の子女にしては華やかさのかけらもない暮らしへと一変するのだ。
0530に起床のベルが鳴り、身支度を整えて0615には食堂に向かわないと食いっぱぐれる(先輩方に後輩の分まで食事を残しておくという概念はない)。その後戦略学科は自由だが、戦闘学科は0700から0830の始業直前まで準備体操と素振りが課される。朝食を済ませ次第いざ二度寝へと向かうジョヴァンニがどれほど羨ましく見えているのか、彼は知るまい。午前は1200まで別棟での剣術授業でマルティンに絞られ、戦いの疲弊に打ちのめされながら這う這うの体で寮まで戻って昼食、その後1320まで束の間の仮眠を貪る。1330からの3限寮から少し離れたキャンパス中央に位置する本棟でセミナリオで、4限まで受けると1700になり、その後二回目の素振りが待っている。それを乗り越えるとやっと1800になり、夕食にありつく。
しかしこれで終わりではない。1900から2030まで、寮の前の広場の一角にある談話棟の2階にある多目的室で戦略学科の授業を1限分受けるのだ。そう、戦略シミュレーションという授業である。
「はーいどーも。今日の戦略シミュレーションは俺が担当しまーす。座って座って〜。」
なんとも腑抜けた台詞を言って登場したロベルトはひらひらと手を振ってフェリクスたちを座らせた。にわかに、1年生の間でざわめきが起きる。それもそうだ、この授業は午前中の実践授業とは違い知識をつけるためのものなので普段は教授が教えに来ているのだから。ロベルトはどんなに優秀で有名な学者の一人であろうと所詮まだ学生、教職には就けないはずなのである。
「ハイハイ静かに。俺もね、できることなら部屋かセミナリオで寝てたいんだけどさ。これがないと俺単位落としちゃうんだよ。教授の代わりに俺が残業。これで3週間分チャラってわけ。いやぁ、助かる助かる。」
ロベルトは脇に抱えている折りたたまれた紙を広げて部屋の中央に鎮座する大きなテーブルの上にバッと広げた。彼が地図の上で指を弾くと、無数の人形やブロックがどこからともなく現れて、ひとりでに、さも持ち場があるかのように並んでいく。
「よし。じゃあこれ。まずこの青の人形が俺ら、味方ね。で相手はあの赤。まずこの地図に表されたこの陣形がどのようなものか説明できるやついる?」
何でもない様子のロベルトにツッコむのも諦めたのか、生徒のうち何人かが手を挙げた。
「ん、オーウェン嬢。」
…はて、どこから生徒の名前を知ったのだろうか、この先輩は。
「山と山の間、ですわ。そもそもここの標高は高いので山地の間の谷と思えます。」
「お、すごい。正解だ。」
「ふふ、当然ですわ!この程度の問題、わたくしならー」
「他何かわかるやつどーぞー」
オーウェン嬢の得意げな声を遮って、ロベルトは更に回答を求めた。
また生徒たちがパラパラと手を挙げる。
「じゃあソフィア・ジェペス嬢。」
「確かに山間部ではありますが、急に山の傾斜が下がっている場所があるにも関わらずどこにも川による堆積物が見られません。しかも北北西から南南東にかけて標高が下がり続けています。つまりこれは山肌で、もう一つの山に見えるものは昔の噴火口ではないでしょうか。」
「それもまた正解だ。」
ロベルトは言った。
「でも、完全な正解じゃない。この授業における完全な正解は"2つの噴火口に囲まれた、自分たちにとってクソ不利な山肌の陣形"だ。」
ロベルトはどこからか取り出した椅子に座ると足を組んで青の人形に手をかざした。
赤のブロックから光が放たれ、青のブロックを光線で焼いている。それによって青のブロックは徐々に退席を減らし、人形も一人、また一人と数を減らしていく。
俯瞰的に見ても、北西に位置する赤の人形とブロックたちはズルズルと南東に向かって進みながら楕円形に陣形を展開していくのに対し、青の人形たちは後ずさるばかりで陣形に変化がない。まるで前線から少しずつ兵力が削がれていくかのようだ。
「人形1個を1個小隊、そいつらが乗ってるブロック1個を1個艦隊として、敵の総勢が今だいたいどれくらいかわかるか?」
誰も手を挙げない。
「じゃあ味方は?」
依然、手を挙げる者は居ない。
「おいおい、騎士がそんなんでポンコツ軍師の下についたらころっと殉職するぜ?いいか、シミュレーション前は敵87小隊29艦隊に対して味方90小隊30艦隊。今敵80小隊26艦隊と少しに対して味方66小隊21艦隊と少しだ。戦は少なくとも2倍の兵力がないと勝てない。圧倒的不利、って意味わかったろ。じゃあなぜこれだけの違いが生まれたか、わかるか?」
リタがそろそろと手を挙げた。
「ジュステ嬢」
「地図に記されていない川がある、とか。敵は川の上に沿うように楕円形に陣取っていて、川上から前線へ物資や人を供給しているんじゃないんですか?」
「おお、いい回答だな。他には?……居ないか。うんそう、川。水属性魔法手と土属性魔法手が十分な人数居るなら人為的に作ることも可能だろう。俺もそう思う。それにもともと川があるなら、集落もあるだろう。魚だって捕れる。集落から供給を受ければ、そしてその場で水を使って新たに食料を得られれば、圧倒的な補給線だよな?じゃあこの状態から味方が挽回するには?」
再び沈黙が落ちる。無理もない。こんなの、今までの数回の教授の授業にはなかったから。もっと、黒板に書いて説明するような、普通のものだったのから。急に戦術を思いつけという方が無理難題だ。
「…俺なら、こうするね。」
ロベルトは青の人形たちの陣形を扇形にすると、その尖った方を先頭に敵の脇七時方向に回り込み中央突破した。いきなり川の中流を陣取られた赤は破られた陣形を整えようと板ばさみにしようとするが、40小隊ずつが連携をとるのと団結した66小隊では勝てないので川を越えて分断されたもう片方の自軍と合流しようと試みる。しかし川の上を現在味方が独占しているので渡れない。
「中央突破によって敵の注意を惹いている間、敵の補給線へ余剰の6小隊を送り供給を遮断。中央突破はピンチをチャンスに変えるギャンブルだ。下手を打てば挟み撃ちにされかねないが、情報を握っていれば敵の連携を断つこともできる。重要なのはこちらが強気の姿勢で臨むことで相手の士気を下げること。しかも先ほどの6小隊が敵の供給を断つことに成功すれば、あとは消耗戦に持ち込める。その間は、北軍と南軍でそれぞれが各個撃破すれば勝率は70%弱まで押し上げられる。」
な?というようにロベルトは得意気に笑った。誰一人、笑い返せる生徒はいなかった。
普通、3倍もの兵力差のついた状態から勝とうとすること自体不可能に等しい。しかもシミュレーションの序盤でわざと不利な陣形をとり、味方を必要以上に失っていたはずなのだ。しかしそこから陣形を大幅に変形させ、相手の間隙を突き、勝率を一気に跳ね上がらせた。
きっとこの場にいる誰もが思った事だろう、これが戦略学科の誇る最優秀生徒なのだと。
*
2030、フェリクスは談話棟を出ようとするロベルトを追いかけて捕まえた。
「おぉ、フェリクスじゃん。」
「どんな風の吹き回しですか。貴方は、わざわざ単位なんて稼がなくても進級も就職も確約された身。こんな真似しなくても…」
「フェリクスにさ、お願いしたいことがあったんだよ、俺。」
ロベルトは嫌に真面目な顔で言った。
「お前とリタ嬢の言うギルドってやつに、俺をつれていってくんねぇ?」
「…はぁ…?」
「あ、いいの?よっしゃ。」
「別にいいですけど、っていうか僕の家ではなくリタの家ですし。」
「いや、助かるんだよ。ありがとな。」
ロベルトはそう言うと、あっさりと転移魔法で姿を消した。
「……リタに、今週末の帰省は先輩も来るって伝えなきゃ。」
そう呟いたフェリクスもまた、2200の就寝に間に合うように急いで寮までの道を走っていった。




