第1話
「フェ…ク…様!!フェリクス様!!」
アンナの呼ぶ声でフェリクスはハッと目を覚ました。
「ぅっわぁ!お、おはよう!」
「まったく、今日は大事な日なのではないですか!?既にお父上とお母上は食堂にてお待ちです!」
「ご、ごめんって!!叫ばないで!」
この女性、アンナは王宮で治癒師として働く忙しい母の代わりにフェリクスを育てたメイドである。フェリクスにとっては母代わりなので、フェリクスはアンナの主であるはずなのにたまに立場が逆転する。
「ほら、お掛け下さい!早く!」
「あ、はい!」
「お持ち物は既に外まで運ばせました。本日は寒くなるので学科試験中は中には入っているひざ掛けをご使用くださいませ。」
「ぁ、ありがとう、助かるよ。」
「ほら準備が遅れているんですから口より手を動かしなさいませ!」
「はいぃ〜!!」
アンナに言われるままに跳ね上がった前髪をいつもの髪留めで抑え、ループタイを締めながら食堂まで駆け下りる。食堂では彼の両親がご飯に手を付けずに待ってくれていた。2人の頬に軽くキスを交わして挨拶する。
「フェリクス、おはよう。」
「ごきげんよう、お父様。」
「昨日はよく眠れた?」
「はい、お母様。お陰様で寝坊するところでした。」
「ふふ、起こしてくれるアンナには感謝しなくてはなりませんね。」
「全くです、頭が上がりません。」
「あら、それを言うなら我が家は皆上がらないわ?」
アンナがいないと回らない家だからな、などと笑いあう両親を見て、こんな僕が普段はずっとリタの面倒を見ているなんて両親に言っても信じてくれないだろうな、とフェリクスは心のなかで小さく笑った。
「ごちそうさまでした、行ってまいります!」
「もう食べ終わったのね。元気な子。」
「いってらっしゃい。頑張れよ。」
フェリクスは食後のデザートも早々に、無造作に外套を羽織ると子爵夫妻に別れを告げて邸を出た。
冬の中盤になると盆地にある王都の朝はかなり冷え込んでいて、箒で寒い上空を飛ぶには少し厳しい季節になる。だから高位貴族にもなると箒に乗って風を受けながら飛ぶなんて言うことはほとんど誰もせず、馬車などで移動してしまう。
しかしフェリクスはこうして冬に空を飛ぶのが存外好きであった。
朝日を受けて光を反す、まだ誰にも踏まれていない銀世界を高みから一望できるのは冬の朝だけだ。たまにポツポツと見える幼い子供たちが作ったのであろう小さめの雪だるまが愛おしい。冷たく澄んだ空気の中で鳥達の視点から見下ろすのは心の洗われるような心地なのだった。
そんな楽しい空の旅も城下町の中心から少し西に逸れた地に輪を成してそびえる塔が見えると終わりを告げる。一番高い塔の一階に堂々と掲げられた看板には大きく『ジュステ冒険者ギルド』と記されていた。
フェリクスは箒の高度を上げてその塔を飛び越えると最上階から突き出た部屋の窓を箒の柄の先で突いた。
「リタぁー!!出てこーい!!」
しばらくするとガチャガチャと雨戸をいじる音と共に窓越しに部屋の主が現れた。
「ん〜!!よいしょ!おはよ、フェリクス!」
「もう遅刻気味だぞ、早くしろ!」
「着替えまで終わらせてたんだから上出来だよおー…あれ、箒どこだっけ〜…?」
リタはまた部屋の中に戻ると、ガチャガチャ、バキ、ガコッという不穏な音と共に箒を取り出した。
「んー?なんか、立て付けの金具取れちゃった!」
「あ゛ぁもういつかはやると思ってた!それ直すのエスクードさんだぞ!?」
「大丈夫だよ、今日あたし達は試験なんだしやってくれるでしょ!」
「ほんとに、今日帰ってから怒られても知らないからなー…」
ほら早く、とフェリクスはリタを外に誘い出す。
「わぁー思ったよりさむーい!」
「あとちょっとだから我慢しろ!こっちはお前を呼び出すために遠回りしてるんだぞ!」
「はいはーい感謝してまーす!」
「してるなら今日途中で飽きてどこか行ったりするなよー…頼むからなー…」
「さすがに試験ではやらないよー」
第一志望だしー?とリタは何が楽しいのかケラケラと笑いながら言った。
そうして2人分の箒は王都郊外の王立学園へと向かっていったのだった。
王国歴241年、冬の49日。その日は代々後輩たちに語り継がれる伝説の学年が国一番の学園に入学するため試験を受けた日であった。