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8. 流れ星キラリ

 知多先輩の指先が、夜空をなぞり、夏の大三角を空中に描く。そして、三角のちょうど中心を貫くように、もう一本のラインを引く。

「夏の大三角のちょうど真ん中には、天の川が流れてる。街の明かりの所為で、ここからじゃ良く見えないけど、ちょうどベガとアルタイルを挟んだ辺りだ」

「ベガって織姫さまで、アルタイルって彦星さまなんですよね?」

 と、言ったのは有里香。七夕のお話に出てくる、二つの一等星は、その話の通り、天の川を隔てて北と南に別れている。ここから見れば、十センチほどの距離しかないけれど、宇宙に輝くその星の距離はわたしたちには到底想像も出来ない距離だ。なかなか、わたしたち女子の気持ちに気付いてくれない、男子諸君のようだ、なんて心の中で思う。きっと、有里香も織姫と彦星を自分と数馬に重ね合わせていることだろう。

「そうだな、英妹は良く知ってる。じゃあ、今度は、南の空に目を向けてみよう」

 そう言って、知多先輩は、体を反転させる。夏の夜空は、沢山の星が輝いていて、何処を見てもきらびやかな装いを纏っているようだった。その中で、先輩は一際輝く赤い星を指差す。

「あれって、火星ですか?」

 勿論冗談のつもりで、わたしは言った。赤い星イコール火星という、安直な発想だったけれど、知多先輩はニッコリと笑って「大正解」とわたしに向けて拍手する。みんなもそれに合わせて「おお、すごい」とわたしに歓声を送った。冗談のつもりだったわたしは、なんだか気恥ずかしくなる。

「あの輝く赤い星はマーズ、即ち火星だ。そして、その北側に同じように赤く輝く星がある。あれがさそり座のアンタレス。ちょうど、さそり座の胴体部の中心にあるから、さそり座の赤い心臓なんて呼ばれている。そして、尻尾の方、毒針の付け根に二等星と三等星が折り重なっているところを、猫の目と呼ぶんだ」

「にゃー」と、知多先輩の傍らで岡崎先輩が猫の鳴きまねをしてみせる。

「で、そのさそり座の東側……」

 岡崎先輩のボケは華麗にスルーされて、知多先輩の講義が続く。岡崎先輩は幼い女の子のように頬を膨らませたけれど、知多先輩は気にしない。

「ちょうど天の川が流れているその場所が、ぼくたちの住む銀河系の中心部。星が集まる場所だ。そこに、小さなひしゃく星が見えるだろう?」

「北斗七星?」

 と、数馬が言う。ひしゃく星といえば、誰でも一目で夜空から探し出せる有名な星座の名前が思い浮かぶ。だけど、知多先輩は小さく笑って、首を横に振った。

「おしいな、河瀬。北斗じゃなくて南斗。いて座の南斗六星だ。中国では、北の空に輝くひしゃく星を死の神、南に輝くひしゃく星を生の神として、人の生き死にはこの二つの神が話し合って決めるという神話があるんだ。一方、西洋では南斗六星は『ミルク・ディッパー』と呼ばれ、天の川、即ちミルキー・ウェイのミルクを掬う匙と例えられた」

「なんだか面白い話ですね。西洋でも東洋でも、あの六つの星はひとくくりになってるなんて」

 ヒロ先輩が、夜空のいて座を見上げながら感慨深げに言う。

「そう言えば、わたし十二月生まれだから、星占いだといて座なんですよ」

 と、わたしがヒロ先輩に言うと、先輩はちょっと驚いて「俺もおんなじだ」と、微笑んで言う。すると、呼んでもいないのに、その横から数馬がひょこっと顔を出して、わたしとヒロ先輩の間に割って入ってくる。

「俺、十一月生まれだから、さそり座なんだぜ」

「知ってるわよ、あんたとわたし幼馴染なんだから。いつも一ヶ月早く歳をとるから、お兄さんぶるじゃん。そんでもって、わたしがすぐに追いつくから、数馬のお兄さん面も、たった一ヶ月のガラスの玉座だけどね」

 少しだけ、数馬を睨みつけて言うと、今度は知多先輩がクスクスと笑う。いつも寡黙で物静かな先輩が、声を立てて笑うのをはじめてみたわたしたちの視線は、一斉に知多先輩の方に向いた。

「いて座は、その名の通り弓矢を構えたケンタウロスだ。彼の構える矢の鏃は、真っ直ぐさそり座のアンタレス、即ち心臓を狙っているんだ。いて座は、夜空の暴れん坊であるさそり座から、星空を守るガーディアンなんだ」

 と、知多先輩が説明を加える。すぐさま、数馬が「えーっ、そんなぁ」とがっくり肩を落とす。まあ、暴れん坊というのはあながち間違ってはいないだろう。幼いころから、幼馴染のわたしを日が暮れるまで引っ張りまわしてくれたのは、他ならぬ数馬だ。今でも、この幼馴染には振り回されっぱなしだ。有里香から向けられる恋心に彩られた純情乙女ビームにまったく気付かない数馬。そんな二人を見ているとこっちがやきもきしてくる。

「じゃあ、寸分狂わないように、数馬を射殺してやる」

 わたしが冗談交じりに、人差し指を鏃に見立てて、数馬の胸を指す。すると、有里香がいつになく厳しい顔をして「だめっ!」とわたしを睨みつける。

「冗談よ、冗談」

 わたしはちょっとびっくりしながらも、けなげに憧れの彼を守ろうとする有里香に、笑顔を送った。

「わたしの矢は、数馬を射殺すためにあるんじゃないからね」

 本当は、ヒロ先輩の心を射止めるためにある……なんて、この場で言えるわけがないっ!! わたしが、ヒロ先輩のことを好きなのは、先輩の妹である有里香も知らないことだ。と言うか、こと有里香のお兄さんにかかわる事だから、なんとなく言い出しづらい。

 そんな秘密を、満座の席で大暴露できるはずがない。わたしの臆病なハートが、それを許さないのだ。

「随分、楽しそうだな、お前ら!」

 ごつごつとした足音とともに、国木田部長の声が轟く。そこで、知多先輩の講義は中断を余儀なくされた。

「まったく、少しは観測の手伝いしろよ。定例星見会は、ピクニックじゃないんだ」

「国木田の言うとおりだ。一年、お前ら、俺たちと交代な」

 と、国木田部長の横で、豊田先輩が言い放つ。どうせ、メインは三年生の送別会なんだからいいじゃない、と不平をもらしたいところだけど、その三年生からの命令には逆らえない。せめての抵抗は、しぶしぶという顔をしながら、立ち上がることくらいだった。

 わたしと、有里香、数馬は並んで、望遠鏡に向かう。勿論、数馬の隣は有里香に譲る。だけど、かえって有里香は緊張したように、かしこまっている。その姿が、さっきの凛とした顔とはかけ離れているようで、少しだけおかしかった。

 わたしは観測用紙をボードに挟んで、時刻と星座の位置を書き込んでいく。地味な作業だ。これを文化祭で発表したところで、きっと誰も聞いてはくれないだろう。骨折り損のくたびれもうけになると思うと、もっと知多先輩の講義を聴いていたかったと思ってしまう。

 背後からは談笑が聞こえてくる。国木田部長と豊田先輩を加えた上級生たちは、遅まきながら送別会の二次会を始めた。

 そうして、どのくらいの時間が過ぎて言っただろう。屋上から見渡せる町並みの灯りが、ひとつひとつと消え、国道をまるで大河のように光の帯に変えていた車のテールライトが失せる。それは、街が眠りの時間となったことを知らせていた。

 夜が更けてからの、定例星見会は、天体観測会でも送別会でもなく、我慢大会の様相を呈してくる。夜空を見上げながら睡魔とひたすらに戦う。気を抜けば、観測用紙には理解不能な象形文字が並び、そして、わたしたちは眠りの淵から明日の朝まで帰ってくることが出来なくなる。初夏の熱気を帯びた夜風は寒くない。それが却ってわたしたちをまどろみへと誘うのだ。

 最初にダウンしたのは、国木田部長。始めての部長職としての大任に、張り切り過ぎたのか、まるで涅槃仏のような格好で寝息を立て始めた。そして、予想通り、豊田先輩がそれに続き、眠りが連鎖するように、知多先輩と岡崎先輩が、静かに落ちる。それから間もなくして、「ごめん、俺ももう寝るわ」と遺言を残し、数馬が望遠鏡から離れた。それに続き、「あたしももう限界。ごめんね理沙」と、とろんとした目で、有里香が別れを告げる。

 とうとう、望遠鏡の前で、なんとか留まるわたしだけが取り残された。徹夜するのは、人生ではじめてと言うわけじゃない。だけど、お菓子もたっぷり食べたし、おしゃべりもたくさんしたわたしに、残された体力はもうあまりない。

 弟の大好きなテレビゲームで例えて言えば、あと一回モンスターから攻撃を食らったら「戦闘不能」になりそうだ。

 わたしも、もうだめかも……そう思いながら夜空を仰ぎ見る。その視界に、唐突に顔が覗きこんできた。ニッコリと太陽のような笑顔は、ヒロ先輩。そうか、まだ、ヒロ先輩は起きていてくれたんだ。

「疲れただろう?」

 先輩はそう言って、わたしに冷えたお水の入った紙コップを差し出す。わたしは、コップを受け取るとそれを喉に流し込んだ。

「あとの観測は、俺が代わるよ。北上さんは、みんなと一緒に休みなよ」

 と、先輩は優しく提案してくれるのだけど、冷たい水の効果よりも、わたしはヒロ先輩と二人きりになってしまったという状況にドキドキしてしまい、却って眼が冴えてきてしまった。

「だ、大丈夫! 頑張ります」

 そう言ったわたしの声は、変に裏返っていた。

「そう? じゃあ、俺も手伝うよ」

 先輩は、さっきまで有里香の使っていた望遠鏡の前に座った。そして、妹が書きかけで投げた観測用紙を拾い上げて苦笑する。そんな、先輩の横顔を見ていると、心拍数がオーバーしてしまいそうな気がして、視線をそらした。

 背後ではレジャーシートに横たわり、仲良く眠りに付く部員たちそれぞれに、薄手の毛布がかけられていた。きっと、ヒロ先輩がかけてあげたのだろう。

「あいつがさ……有里香が天文部に入るって言ったとき、正直ちょっと驚いたんだよな。てっきり、本を読むのが好きなやつだから、文芸部とかに入ると思ってた。あいつが天文部を選んだ理由を、何か知らない? あいつに聞いても教えてくれなくて……」

 先輩が、望遠鏡を覗き込みながら唐突に言う。どうして突然そんな話をするのかは良く分からなかったけれど、有里香が天文部を選んだ理由なら知っている。わたしはちらりと、有里香の方を見た。レジャーシートの上で、毛布に包まり丸くなる友達の寝顔を横目に、話してもいいものかどうか少し迷ってしまう。

「北上さん、何か知ってるの?」

 口ごもるわたしに、ヒロ先輩は名探偵の慧眼よろしく、わたしに視線を送る。知ってるなら教えてほしい、と顔に書いてあるようだ。

 普段、学校で有里香とヒロ先輩が一緒にいるところを目にすることは少ない。英なんて、珍しい苗字をしているから、二人が兄妹であることは、周知の事実なのだけど、却ってそれが気恥ずかしいのか、ともすれば、二人はまるで赤の他人のように振舞うことがある。実際、わたしも二つ年下の弟と同じ学校にいたとしたら、きっと学内では言葉も交わさないだろう。

 でも、兄としては妹のことが気にかかるらしい。だから、有里香の友達であるわたしと二人きりになったのを見計らって切り出したのだろう。でも、さすがにヒロ先輩といえども、有里香の内緒を話すわけにはいかない。だからわたしは、

「それは……わたしと同じ理由ですよ」

 と、お茶を濁したような、煙に巻いたような答えを返した。ヒロ先輩は、なんだか釈然としないような顔つきで頷く。

「昔は、お兄ちゃん、お兄ちゃんって俺の後を付いてくるような可愛いやつだったのに、いつの間にか、兄貴にも話せない秘密を持つくらい、大きくなったんだなぁ」

 妙に感慨深げに言う先輩の言葉に、わたしは思わず噴出しそうになる。

「うちの弟だって、小さいころわたしの後ばっかりくっついてくる、可愛いやつだったのに、今ボールの後ばかり追いかけて、減らず口叩くような可愛くないやつになっちゃいました。多かれ少なかれ、みんな大人に近づいてるって証拠なんじゃないですか?」

「北上さん、上手いこと言うなあ。って、北上さんって弟がいたんだ」

「はい。不肖の弟が一人。わたしに輪をかけてアホですけどね」

 と、わたしが言うと、先輩はクスクスと声をかみ殺して笑う。眠りこける、部員たちを起こさないようにする配慮だ。

「北上さんは、自分で言うほどそんなにアホじゃないと思うけどな。岡崎先輩じゃないけど、この数ヶ月、星の知識なんて真っ白だった君が、勉強してるの知ってるよ」

「勉強ってもんじゃないですよ。有里香お勧めの図鑑見たりしてるだけですから。でも、授業より楽しいのは間違いないですけどね」

「そうなんだ。そりゃ、天文部員としては、なかなか優秀だ」

 先輩がわたしに微笑む。わたしはその顔をまともに見ることはできなかった。見ていたらきっと、心臓が爆発してしまう。だから、わざと夜空を見上げた。すると、音もなく、星の隙間を縫うように一条の光がキラリと走る。

「あっ! 流れ星っ!!」

 と、わたしが言い終わるよりも早く、流れ星は通り過ぎ、先輩が顔を上げたころには、元の星空に戻っていた。まさに、ほんの一瞬の出来事だった。

「いつも、流れ星を見るたびに、願い事しなきゃって思うんですけど、そう思ってる間に、星はどこかへ消えてしまう。あんなに早いと、願い事なんていえないですよね。あーあ、ビデオみたくスロー再生とかできないかしら……」

 わたしが落胆の声を上げると、隣で先輩が苦笑する。

「流星の速度は約時速一万四千四百キロ。換算すれば、秒速四十キロ。俺たちの目で追えるスピードじゃないな。でも、来年やって来る例の『未知の流星』なら、十分願い事をする時間があるかもしれない」

「じゃあ、その時願い事をしよう」

「どんな願い事?」

「それは来年までの秘密です!」

 わたしは、先輩にニッコリと微笑み返した。もちろん、願うことは一つだけ。でも、それを先輩に言うことは出来ない。先輩は、わたしの受け答えに、憮然としながらも、「じゃあ、来年聞くから、覚悟しといてね」と言って、再び望遠鏡を覗き込み、観測の続きに戻った。

 そう言えば、ヒロ先輩とこんな風に二人きりで話をするのは、久々だ。わたしは、なんだか嬉しく思いながら、先輩に気付かれないように、望遠鏡を覗き込むフリをしながら、そっと横顔を見る。

『いつか、ヒロ先輩との恋が成就しますように……』

 わたしは胸に秘めた想いを、心の中で言葉に変えた。

 やがて、静かな夜は尚も更けていき、わたしは朝日が上がる前に、望遠鏡の前に座ったまま、夢の世界へと落ちていった……。

 

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