6. おやつ三百円
この世の中で、新聞の片隅にしか乗らなかった、「未知の流星」に着目したのは、きっと父のような天文学者だけだと思っていた。ところが、新聞記事か掲載された三日後の放課後、天文部の部室に召集されたわたしたち部員の前には、その記事を切り抜きコピーしたプリントが置かれた。
「では、本日は、三日後の日曜日に迫った本年度の『定例星見会』の予定を発表するっ!!」
と、鼻息荒く、天文部部長の国木田亮先輩が声を上げる。先輩の声は、八畳ほどしかない狭い部室いっぱいに広がり、本棚や用具入れにぶつかって、反響する。
部室に集められた部員は、現二年生のヒロ先輩と、現一年生の有里香、数馬、そしてわたしの四名。みんな、長テーブルを囲み、国木田部長の高揚したような顔を、まるで珍獣でも眺めるかのように見る。背が低く、丸めがねのよく似合うひょろりとした部長は、さしずめ、メガネザルと言ったところだろうか?
「部長、この記事と今年の定例星見会、どんな関係があるんですか?」
すかさずわたしが部長に意見する。定例星見会とは、我らが天文部が毎年夏休みの前の日に敢行する、徹夜の天体観測である。この定例星見会は、夏休み前をもって引退する三年生の先輩たちを送る、お別れ会の意味合いも込められており、また同時に、部長職を引き継いだ国木田先輩にとって、初の仕事でもある。
そもそも、国木田先輩は三年生が口を揃えて推薦したヒロ先輩を押しのけて、部長に立候補した。ギリギリの人数しかいない我等が天文部では投票なんていう高尚なシステムは存在していないため、立候補した先輩を無視することは出来ず、晴れて国木田先輩が部長に就任したのだ。そんな、国木田先輩は、正に天文マニア。将来の進路も、天文学者と言って憚らない。わたしとしては、ヒロ先輩が部長の方が良いのだけど……。
まあ、ともかくそんな部長だからこそ、見逃される運命にあった「未知の流星」という記事を拾い上げることが出来たのだろう。だけど、それと今年の定例星見会は何の関係もないと思う。
「北上っ! そんなことを言っては、天文学者で居られる、君のお父上が悲しむぞっ!!」
部長は、ビッとわたしの方を指差した。
「いいか、この流星は、今まで天文学史上、未だ確認されていない巨大流星なのだ。これが拝めることは、我ら天文部にとって、誉れにも等しいのだっ!! この話題を見過ごすわけにはいかんだろうっ!? 北上っ、君も天文部員ならば、自覚を持ちたまえ」
「でもさ、これ見られるのは来年の今ごろだぞ。その頃には俺たちは三年生で、引退してるよ」
そう釘をさすように言ったのはヒロ先輩だ。ヒロ先輩はわたしと弟がそうしたように、記事を読み上げた。そこには、流星の到来が一年後だと明記されている。
「それに、北上が言ったのは、これと今年の定例星見会は関係ないってことだろう? その辺どうなんだよ。俺たちは、今年の星見会の打ち合わせをするために集まってるんじゃないのか?」
「うむ、定例星見会は毎年の通り、徹夜して天体観測をする。今年のテーマは、星座の軌道観測だ。各自が準備するものは、そこの冊子に俺がまとめた。後で読んでおいてくれたまえ」
部長はあっさりと言ってのける。わたしたちの腰掛けるテーブルには、記事のコピーと一緒に、五ページあまりのB5の冊子が置かれていた。素っ気無く「本年度定例星見会スケジュール」とだけ書かれたそれよりも、明らかに部長の熱は、記事のコピーの方に向けられているのが、ありありとしていた。
「部長、それじゃ答えになってません!」
わたしは冊子をめくりながら、部長に食い下がる。
「察しが悪いな、理沙。部長は来年の星見会のテーマはそれで行けって、言ってるんだよ」
わたしの向かいに座る数馬が、声を潜めて言う。だけど、狭い部室だ。潜めたところでその声は部長の耳元に届く。
「うむ、君は優秀だな、河瀬。北上、英兄、お前たちも少しは、河瀬を見習いたまえ!」
と、部長はわたしたちを叱責する。向かいの席では、数馬がふふんと鼻を鳴らして、胸を張る。お前は、部長の腰巾着かと、数馬にツッコミを入れたい気分になったが、数馬の「ふふん」はどうやらわたしではなく、ヒロ先輩の方を向いていた。
ヒロ先輩は気づいていないみたいだけど、数馬はことあるごとに、何故かヒロ先輩にライバル心をむき出しにすることがある。お互い元スポーツマンで、今はその道を捨てて、天文部に入った身としての、同属嫌悪なのか、わたしには良く分からなかった。
「あのー、部長。あたしも質問いいですか?」
おずおずと有里香が手を上げる。有里香の手には定例星見会の冊子が握られていた。
「何だ、英妹。何でも質問したまえ。特に、その未知なる流星のことなら、昨日の夜ネットを駆使して調べたからな。何でも知ってるぞ!」
「いえ、そっちはどうでもいいんです」
有里香が、やんわりどころかきっぱりと、部長の苦労とプライドを打ち砕いた。勿論、有里香に悪気はない。部長はがっくりと肩を落とし、その隣のヒロ先輩は小さく笑いをかみ殺す。
「あの、このおやつ三百円って何ですか?」
有里香の質問に、思わずわたしは冊子のページをめくる。すると「当日準備するもの」という項に、何故か「おやつ三百円まで」と書かれている。
「遠足じゃないんだから」
わたしが顔をしかめて言うと、先輩は再び、びっとわたしを指差し、
「なにを言うかっ、北上! 古来より、おやつは三百円と決まっているだろうが! いいか、何事にも制限と規則が大切だ。秩序の中で得る自由にこそ意味があり、ただ、際限なく自由を設けてみろ、星見会は遠足に変わってしまうぞ、そんなことこの国木田亮の目の黒いうちは、許さん!!」
と、熱弁を振るう。いやいや、だから「おやつ三百円」の方が遠足チックじゃん! そもそも、星見会なんて建前で、学校と言う場所でジュースやお菓子片手に、屋上から夜空を見上げて、去り行く三年生の先輩を交え、楽しくおしゃべりしたりするのがこれまでの星見会だったはず。それを規則だなんて、野暮だ。
「でも、三百円じゃ、今時駄菓子くらいしか買えませんよ。折角の星見会なんだし、せめてもう少し上限を上げることは出来ませんか? ねえ、ヒロ先輩?」
わたしは、反抗したい気持ちをぐっと押さえ、言葉を建設的な意見にすり替えた。そして、その意見にヒロ先輩の同意を求める。ヒロ先輩はわたしにニッコリと微笑んで、
「そうそう。別にお酒とか持ち込もうって言うんじゃないんだから、金額は各自の判断でいいんじゃないか? 俺は北上の意見に賛成」
と、わたしに賛同してくれる。それに続くように、先輩の妹である有里香も「あたしも賛成」と言う。
「賛成多数ですよ、部長。勿論、来年の星見会のテーマは、部長お望みの『未知の流星』にしますから」
味方を得たわたしは多少強気になって、部長の眼前に餌をちらつかせながら言う。国木田部長は、悪い人ではないのだけど、ちょっとせっかちで頭の堅いところがある。よく言えば、真面目さんなのだ。そういう部長の取り扱いに、わたしたち部員は慣れていた。
「うぐぐっ、分かった、譲歩しよう」
部長は、唸り声を上げながら、悔しそうに折れた。
「その代わり、真面目に天体観測しろよ。この観測結果は、後で文化祭の時に発表するんだからな。くれぐれも、遊び半分でやるなよ!」
「分かってますよ。そうと決まれば、早速準備しなくちゃ」
わたしは精一杯笑顔になって、部長に笑いかけた。勿論、ありがとうの意を込めてだけど、先輩は苦虫を噛み潰したような顔をしている。何ごともきっちりしてなきゃ気がすまない部長にとって、スケジュールを曲げるのは、断腸の思いだったのだろう。しかし、ジュースとお菓子のない殺風景な星見会は、きっと引退する三年生も望んでなんかいないはずだ。わたしたち一年生としても、はじめての定例星見会を楽しみたいと思っている。
「それじゃ、とりあえずそのスケジュールは確認しておいてくれ。後、英兄と河瀬は屋上の会場設営を手伝ってもらうからな。それから、北上と英妹は三年生をエスコートすること」
はぁ、とため息をつきながら部長がわたしたちに指示を下す。
「了解!」
わたしたちは、軍隊張りの威勢のいい返事を返した。本来なら、スケジュールの確認とテーマについてを話し合うはずだった会議は、結局おやつの条項のみ変更と言う形で、あえなく閉幕した。
「ね、ねえっ、河瀬くんっ」
もろもろに席を立ち、部室を出ようとしていると、おもむろに有里香が数馬を呼び止める。数馬はきょとんとしながら、でも素っ気無く「何?」と言う。
「あ、明日、い、一緒に、おやつ買いに行かない?」
なんだか、有里香は声を絞り出すように言う。すると、数馬は尚も驚きを顔に浮べた。きっと有里香は、ドキドキしながら、憧れの彼からの返事を待っている。そんな有里香の姿を見つめながら「頑張れ!」とわたしは心の中でエールを送る。
ところが、肝心の数馬は恋する乙女の気持ちなんて、これっぽちも察することなく、わたしの方を向いて、
「理沙は? どうせなら三人で行こうぜ」
なんて言う。このニブチンっ! と怒鳴りつけてやりたいけれど、この場には、ヒロ先輩もいるから、あまり下品な言葉は使いたくない。
「なんで、わたしが幼馴染のあんたと一緒に、買い物行かなきゃいけないのよ。お二人でどうぞ!」
ちょっとだけ有里香に目配せしてから、わたしはつっけんどんに数馬を突き放した。「何だよそれ」と言う数馬の声が聞こえたけれど、わたしは無視して、部室を後にした。廊下の窓から眺める校庭は、もう夕暮れの気配。遠く山並みに、太陽が近づき眩い、一日の最後の光を放っていた。
天気予報では、あさっても雲ひとつない青空が広がるはずだ。わたしは、夕日の輝きに目を細めながら、星見会への期待に胸を膨らませた。
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