表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/32

5. ヒロ先輩 (後編)

 なんで突然、先輩がわたしの前に現れて、わたしの隣に腰掛けたのか、そんな疑問よりも何よりも、まずチカンと勘違いして伸してしまったことを謝らなくちゃ! わたしは先輩の隣で小さくなりかけた勇気を何とか振り絞り、「ごめんなさい」を告げた。すると、先輩はしばらくの間きょとんとして、わたしの顔を覗きこむ。

 案外カッコいいかも……じゃなくって! わたしが先輩を箒で叩いたことを覚えていないはずはない。覚えていたから、わたしに声をかけてきたんだから。

 なんだか、周りの時間が止まったような気がして、わたしの血圧は限界ギリギリまで上がり、全身を巡る血が沸騰しそうになり、いたたまれず腰を上げようとした瞬間、先輩は声を立てて笑い始めた。

「君って、案外大人しいんだな。でもあの時、箒を振り上げて飛び掛ってくるときの君は、まるで猛獣みたいだったよ! ガオーって感じでさ」

「猛獣っ!? ひ、ひどい……!」

「冗談だよ、冗談。でもまあ、あの時のことは気にしてないし、怒ってもないよ。あの状況じゃあ、俺がチカンに間違えられても、仕方ないもんな」

「でも、わたし、先輩のことを思いっきり叩いちゃったから」

「うん、とても痛かったぞ。でも、ホントに怒ってないから……もしかして、そのことで暗い顔してたのか? そうだとしたら、俺の方こそ紛らわしいことして悪かった。ごめんな」

 先輩は、後頭部をかきながら照れくさそうにわたしに頭を下げる。先輩が謝る必要なんて何処にもなかったのだけど、その一言でわたしの頭にぶら下がる、二つの重い枷のうち一つが、バラバラと音を立てて外れていくのを感じた。

「わたし、そんなに暗い顔してますか?」

 枷が取れて、少しだけ身軽になったわたしは、なんとか笑顔を装って、先輩に尋ねた。先輩はこくりと頷き、

「うん、してた。この世の終わりって顔。だから気になって声をかけたんだよ」

 と、ちょっと大げさなことを言う。いくらなんでも「この世の終わり」ってほど悩んでいるわけじゃないのだけど……。それに、まさか本人を前に「チカン冤罪事件」のことを気にしていたんです、なんていえるはずもなく、わたしが口ごもっていると、ヒロ先輩は

「なにか、悩みがあるんだったら、言ってみなよ。先輩として、なにか協力できるかも」

 妙に先輩らしく頼もしいことを言って、わたしに優しく微笑みかけてくれた。ついでに「お金のことなら協力できないけどな。俺ビンボーだからさ」と、冗談まで加えてくれる。そんな先輩の優しさに、ちょっと頼ってみようか……罪滅ぼしのためにも、とわたしの心が呼びかけた。

「その、部活のことでちょっと迷ってるんです。この学校って、生徒会役員以外の全校生徒が部活動強制参加じゃないですか」

「そうだよなぁ。面倒くさいって言うヤツもいるけど、でも案外やってみると、楽しいもんだよ部活っていうのも」

「それは、分かってますよ。でも、どの部活に入ればいいのか……八方美人ってわけにも行かないし、入部希望届けの提出日は近づいてるし、憂鬱です」

 と、わたしが残されたもう一つの枷、つまり悩みの種を打ち明けると、先輩はしばらく腕組みをして遠い空を眺める。すっと通った鼻筋が天を向き、透き通るような瞳が青を映しこむ。そんなヒロ先輩の横顔を見ていると、なんだかわたしの動悸が早くなってきた。

「運動は? 陸上、テニス、バスケ、バレーボールにソフトボール。変わったところでは、フェンシングなんてのもあるぞ。部員のほとんどが初心者だから、入りやすし、人間関係も築きやすいと思うよ。あとは……水泳部。ここらじゃ、プールのある高校の方が少ないから、自動的に県大会はほぼシード状態らしい。もっとも、君が日焼けを嫌がるなら、進めないけどね。プール、屋外だから」

「君……じゃなくて理沙です。北上理沙」

 唐突にわたしが名乗ったものだから、先輩は少し驚いて、でも「そっか、北上さんか。覚えた。俺は、英紘之。皆からはヒロって呼ばれてる」と自己紹介を返す。考えてみれば、チカン冤罪事件から一ヶ月。わたしがあらぬ罪を着せた相手の名前を知らなかった。

「それで、話を戻すけど。北上さんが運動音痴じゃなければ、運動部がお勧め」

「わたし、運動は得意なんですよ。中学生のころは、助っ人として引っ張りだこだったんですから」

 ちょっと自慢を言葉に乗せてみる。乗せてみてから、声のトーンをぐっと落とす。

「でも、目指せインターハイっ!! とか、そういうノリは苦手なんですよね。馬鹿みたいに熱くなるのって、好きじゃないんです。だから、友達から、理沙ってばドライだね、なんて言われるんですけどね」

「自己分析できてるじゃないか。偉い、偉い。俺も、中学まではサッカー一筋で、中三の時に靭帯切るまでは、熱く燃え上がれって、方の住人だったんだけどな、サッカー続けられなくなった途端に、冷めちゃって。今じゃ、北上さんと同じ側の住人だ」

 先輩はそう言って、苦笑する。確かに、先輩からは、汗臭い雰囲気は漂ってこない。贔屓目に見ても、どちらかと言えば、知的な雰囲気の方が強い、と思う。

 その時、何のタイミングを見計らってくれたのか、「さっさと教室にもどれ!」と中庭中、いや学校中にチャイムの音が鳴り響いた。何故かわたしは、お昼休みが終わったことよりも、先輩への相談が中途半端になったことよりも、もう少し先輩とお話していたいと言う気分になった。だけど、引き止めて、お互いの午後の授業に遅刻するわけには、行かない。先輩は、そういうわたしの気持ちを察してくれたのか、ベンチから立ち上がると、

「じゃあさ、北上さん。放課後、空いてる? ちょっと付き合ってよ。いいところに連れて行ってあげるからさ」

 と言って、再びわたしに微笑んだ。突然の提案にわたしは驚く暇もなく、午後の授業が始まり、戸惑う暇もなく、放課後があっという間に訪れる。先輩は、わたしが来るのを昇降口で待っていてくれた。

「いいところって、まさかアブないところじゃないですよね?」

 幾許かの警戒心も込めて、先輩に尋ねたけれど、先輩は「そんなわけないだろ、パカ」と憮然とする。確かに、チカンではなかったわけだし、会って間もない後輩に危ないことをするような人には、とても見えない。

 わたしは、ヒロ先輩に案内されて、学校を後にした。夕暮れ間近の道を連れ立って歩く。そう言えば、男の子と並んで二人きりで歩くのなんて、はじめてだ。あ、数馬と弟は論外。幼馴染と家族だから。

 道すがら、先輩はなんだか楽しそうに、わたしに話しかけてくる。学校生活の話とか、趣味の話とか、勉強の話とか、どうでもいいことだけど、間を空けてわたしたちの間に妙な空気が流れないように気を使うと言う点では、ヒロ先輩の明るさはハナマルをあげたくなるくらい。一方のわたしはと言えば、当たり障りのない答えと相槌を返しながらも、内心は小動物みたいに、ビクビクしていた。何処へ連れて行かれるんだろう、という不安よりも、先輩と二人きりで歩いているところを、クラスの誰かに見られたりしないか、とそっちの方が怖かった。

 学校から国道を越え、土手を歩いて、太陽が金色に輝き始めるころ、丘の上にひっそりと佇む、変な形の建物に到着した。その建物は、ちょうど大小の箱を三つ並べ、その真ん中の箱にだけ、お椀をひっくり返したようなドームがくっついている。門扉には、くすんだ銅版の看板が掛けられ、「こども科学館」という、なんとも安直な発想の名前が書かれていた。

「いいところって、ここなんですか?」

 わたしが困惑しながら問うと、先輩はニッコリとして「そうだよ」と答え、入り口の扉を開いた。ふっ、と風が建物の中に流れ込むのに、背中を押されるように、わたしたちは館内へと入った。客の姿はなく、館内の静けさに包まれていた。わたしが、流行っていないんだな、と科学館に対する評価を下していると、受付で舟をこいでいた丸っこいおじさんが、先輩の呼び声で眼を覚ました。それが、だるま館長との出会いだった。

「いらっしゃい。ヒロくん。おや、ヒロくんのカノジョかい?」

 だるま館長はわたしのことを見止めると、ニヤリと笑って先輩に言う。

「違う。後輩だよ。それより、プラネタリウム、動かしてくれる? この子……北上さんに見せてあげたいんだ。プログラムAの方」

 先輩は館長の冗談と冷やかしには応じずに、わたしと自分の入館料を支払いながら言った。だるま館長は、入館料百円を受け取ると、よっこらしょと受付から腰を上げて、奥へと入っていった。

 わたしたちはプラネタリウムの準備が整うまで、ロビー脇の展示物を見て回った。建物の中央の箱が「宇宙コーナー」、右の箱が「工学コーナー」、左の箱が「未来コーナー」だと、先輩が説明してくれた。

 展示物を見て回っていると、館長がプラネタリウム上映室から顔を出して、わたしたちのことを呼ぶ。お客さんはわたしたち以外にいないから、贅沢にも、貸切のプラネタリウムと言うことになる。わたしたちは、鉄アレイ型の映写機を取り囲む円形の席に並んで腰掛けた。

「それじゃ、はじめるぞ」

 とだるま館長の声がしたかと思うと、上映室の明かりが落ちて、真っ暗になる。そして、丸いドームの内側に星空が広がった。もちろん、映写機が映し出す偽者の夜空だ。

 先輩がオーダーとした「プログラムA」はナレーションも音楽もなく、ゆっくり静かに空が回転しながら、一年の夜空を順番にていくだけの単純なプログラムだった。だけど、混じり気のない、藍色の空に宝石のような星がいくつも浮かび、キラキラと瞬く光景は、神秘的で幻想的でもあり、わたしは頭上に広がる無数の光に目を奪われた。

「どう? すごくきれいだろ? サッカー部止めた後、たまたま暇つぶしにここへ入って、この星空に心打たれたんだ。それからは、ほとんど毎日のようにここに通ってさ、常連になったんだよ」

 先輩が言う。その顔には「星が好き」と書いてあるようで、どこか男の子らしい少年の輝きを帯びていた。

「わたしのお父さん、天文学の準教授なんですよ。お父さん、こんなきれいなものを見てたんですね……」

 わたしは、プラネタリウムを見上げながら、呟くように言った。確かに、わたしの父は三食より星が好きという人だけど、わたしはそれほど父に感化されていない。むしろ、ぼんやりと星空を眺めることに価値は感じていなかった。そんなわたしの瞳はいま、このニセモノの夜空に釘付けだった。

「へー、そうなんだ。じゃあさ、そんな北上さんにお勧めの部活があるんだけど。その名も『天文部』なんてどう?」

「もしかして、そのためにわたしをここに連れてきたんですか?」

「それもあるけど、ほら、俺の所為で暗い顔してたんだろ? そのお詫びもかねて。勿論、北上さんが、その気なら我が天文部は大歓迎するよ。なにせ、部員が俺含めて、今のところ八人いなくて、三年の先輩たちが引退したら、部活要件の五人ギリギリになっちゃうからな。どちらかと言えば、入部してもらいたいくらいなんだ」

 そう言われて、わたしはしばらくの間考えた。それまで、わたしの選択肢に「天文部」という項目はなかった。それが、このプラネタリウムを前に急浮上したことに、少し戸惑っていた。

「天文部……入ったらこんなきれいな星空が見れますか?」

「勿論!」

 先輩は、嬉しそうに白い歯を見せて笑った。そんな先輩に見つめられたわたしは、ドキリとした。頬がなんだか熱くなり、胸の奥がもやもやする。それは嫌な感じではなかった。むしろ、体中が暑くなって、でも先輩の顔をずっと見ていたいような、そんな感覚がする。それが、恋なんだって気がついたのは、プラネタリウムを出て家に帰ってからだった。ご飯を食べていても、家族に話しかけられても、お風呂に入っていても、布団に入っても、ずっと頭の中から先輩の笑顔が離れない。

 わたしが、天文部に入部を決意するまで、それほど長い時間を要することはなかった。星を見たいという、父の遺伝子もあるけれど、それ以前に「天文部」で先輩と一緒にいたい、と思ったのだ。若干、動機不純な傾向にあるけれど、それはこの際どうでもいい。星を見るという目的と、先輩と一緒にいるという目的の二つがかなうのなら。

 そうして、入部を決めて、幼馴染の数馬も「天文部」であることを思い出した……。

 

ご意見・ご感想などございましたら、お寄せ下さい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ