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3. 今そこにある危機

 学校でも、話題の中心は新聞の片隅に載せられた「流星」のことではなくて、どちらかと言えば今そこにある危機「定期試験」の方で、みんなこぞって試験範囲の確認に余念がなかった。どの教科の先生も口を揃えて、「きちんと日ごろの授業を聞き、復習を欠かさなければ、百点を取るのも難しくはない」と言うのだけど、まあ、そんなに真面目な高校生は、きっとこの世で一握りしか居ないだろう。勿論、わたしも不真面目な生徒の一人で、特に、大嫌いな数学の授業なんて、先生の解説も、数字とアルファベットが乱立する板書も、ほとんどスルー状態なのだ。

「ああっ、授業中に居眠りなんかするんじゃなかったっ!!」

 とは、隣のクラスの英有里香(はなぶさゆりか)の嘆きだ。有里香は、わたしと同じく天文部に所属する、一言で言えば、友達だ。お昼休みになるたび、お弁当を引っさげて、隣の教室からわたしのところへやってくるくらいだから、たぶん、一番わたしと仲がいいのだろう。

 屈託のない笑顔が良く似合う彼女の見た目は、ショートカットで男の子っぽいから、陸上とか得意な体育会系に見えるのだけど、実のところわたしより運動音痴で、どちらかと言えば、ロマンチストを画に描いたような文学少女だったりする。

「中間試験が終わった後は、真面目に勉強しようって思うんだよ。でも実際にはそうは行かない。理想と現実は、程遠いってことを今更実感するわけだ」

 可愛らしいピンク色のお弁当箱をつつきながら、有里香は妙な自己分析をする。

「そもそも、あたし大好きな唯一真実(ただかつまこと)先生の新刊ミステリー本が発売されたのがいけなかったのよ。しかも、上中下巻三冊同時発売なんて!」

「文学少女を気取ってるだけあって、本好きなんだね、有里香ってば。でもさ、それって責任転嫁じゃない?」

 普段ろくに小説も読まない、活字離れはなはだしい現代っ子のわたしは、有里香の言う唯一何某という作家さんのことなんて知らない。それが、たとえ文学少女・有里香にとって深刻な問題だったとしても、それと試験はまったく別物で、新刊を発売したが故に責められるその作家さんが少しばかり憐れな気がした。

「だから、理想と現実は違うって言ってるのよ。いざ数学の教科書を開いてごらんよ。xだとかyだとか、わけの分からないことばかり書き綴ってある教科書なんかより、緻密な心理描写と人間ドラマが描き出された唯一先生の著書の方が素晴らしいって、気付くから」

「じゃあ、あんたがテストでひどい点採って、それをその偉い作家先生に見せれば、その先生『わたしが悪かった』って言って、断筆宣言するかもよ。そうすれば、あんたの成績もきっと上がるわよ」

「それじゃあ、あたしの人生の楽しみの四分の一が失われるっ!!」

「四分の一? 残りは何なの?」

「食欲と、物欲と、恋愛。だいたいそんな感じ」

 どんな感じなのか、わたしには良く分からないが、なんだか有里香の人生は欲まみれのような気がする。どうやら、アホなのはわたしだけじゃないみたいだ。などと安堵するわたしを他所に、有里香は嘆きを続ける。

「ああ、数学の試験やだなぁ。数学なんて何処の誰が考え出したんだろう。今からそいつのところ行って、ぶっ飛ばしてやりたいくらいよ。ああ、テストの日だけ、おなか痛くならないかなぁ……」

「まだあんたはいいよ。あんたのクラスを担当してる数学の小牧先生、いつも試験問題簡単だって、言うじゃない。こちとら、マニアック問題の大好きな、ヒステリスト三河だよ」

 わたしがため息混じりに言うと、有里香は「そうだけどさぁ、あたし数学大嫌いなんだよう」と返して、頭を抱える仕草をする。文学少女には、数字の世界は荷がかちすぎる、と言うことなのだろうか。 

 ちなみに、ヒステリスト三河というのは、クラス担任にして数学の先生の名前で、わたしが名付けたわけじゃない。いつもカリカリしてて、生徒をいじめるような質問や問題を出してくることから、代々先輩たちが陰で渾名してきた名前だ。

「嘆く暇があったら、試験勉強しなきゃねー」

 と、わたしは余裕ある口ぶりで言う。勿論、ハリボテの余裕なので、その言葉はそっくりそのままわたしに返ってくるものなのだが、有里香は心なしか涙ぐんだ瞳をわたしに向けて、

「もしも、理沙が赤点採ったら、大声で笑ってやるから」

 と言って、わたしのお弁当箱から、大好きな玉子焼きを奪っていった。

「どうせなら、この世がおわっちゃえばいいのに!」

 どんっ! と思い切りわたしの机を叩いて「なんて冗談だけど」と付け加える有里香。だけど、お昼の気だるい空気の流れる教室のあちらこちらからも、似たような悲鳴とも嘆きとも似つかない声が上がっている。世界の終わり、なんて冗談でもなければ口にするのもはばかられるような科白だ。

 だけど、わたしたちにとっては、世界の終わりよりも深刻な問題なのだ。高校生になってから、授業の難易度はぐんっ、と上昇した。クラスの中には、授業に置いてけぼりを食らう生徒もいるだろう。それでも、授業は容赦なく進んでいくのだ。つまり、試験の悩みは学生ならではの悩みといえる。特に、苦手教科のある、わたしや有里香の場合、その深刻具合はより一層深いのだ。

 それなのに、文科系の部活でも寄りにもよって、理系の部活である「天文部」に在籍するのには、ある理由がある。星が好きだから、というのも理由の一つだけど、わたしたちが天文部を選んだ最大の理由は、もっと他のところにあって、わたしと有里香のその理由は奇しくも同じだった。だから、仲良くなったと言っても過言じゃないだろう。

 その理由とは……。

「なんだなんだ、盛り上がってるなあ」

 もうお昼ご飯を食べ終えたのか、牛乳パックに刺さったストローをくわえながら、わたしたちの前に現れたのは数馬だった。数馬とわたしは同じクラス。ついでに言うと、この幼馴染とは小学校のころから、ずっと同じクラスで、偶然を通り越して腐れ縁だ。

「何か用?」

 わたしがぶっきらぼうに言うと、数馬はちょっと困った顔しながら、

「随分な言い草だなあ。俺も話に混ぜてよ。みんな試験のことばっかりで退屈してるんだ」

 と言い返してくる。この幼馴染の男の子ときたら、案外要領がよく、勉強に励んでいる風には見えないのに、昔から成績は上々。そのくせ、ちゃんと遊んでいるのだから、羨ましい以上に悔しい。だから、余裕があるのもなんだか、妬ましく思えてしまう。

「もしかして、お邪魔? ね、英さん?」

 数馬はわたしにお伺い立てるのではなく、有里香の方に向いて言った。すると、さっきまでどちらかと言えば、独りで盛り上がっていた有里香が、急に静かになった、なんだか、もじもじして顔を赤くして、視線をそらす。

「じ、邪魔なんかじゃないよっ、河瀬くん!」

 有里香の声は、どもっている上に、裏返っていた。ところが、数馬はそんな有里香の変化に気付く様子もなく、「やった」と声に出して喜んでみせる。

 多分、この男ときたら鈍さにかけては、日本一だと思う。ふつう、有里香の乙女な仕草を見れば、気付くというものだ。そう、有里香は数馬のことが好きなのだ。

 腐れ縁のわたしとしては、数馬の何処がいいのか、分かりかねる。そう有里香に言えば、「あんたは河瀬くんと、ずっと兄妹みたいに接してきたから分からないのよ」と返される。たしかに、人懐っこい笑顔も、裏のない性格も、見る人が見れば惚れちゃう要素なのかもしれない。だけど、十年以上幼馴染をやってきたわたしには、数馬が魅力的には映らないのだ。

 まあ、わたしのことはさて置いても、有里香の人生の四分の一を占める恋愛は、すべて数馬に向けられている。何処で数馬のことを好きになったのか、有里香に問うだけ野暮な話だけど、有里香が理系部活の「天文部」に入った理由は、他ならぬ数馬と同じ部活に入部して、憧れの彼とお近づきになるためだ。

「それで、何の話してたんだよ、理沙?」

 数馬の質問の矛先はわたしに向かう。わたしは、フォークでお弁当箱のプチトマトを突き刺しながら、

「試験のこと。他のみんなと変わりないわよ。残念ねー、か・わ・せ・くん!」

 と言って、丸ごとプチトマトを口に放り込んだ。わたしの口の中に酸味が広がるのと同時に、数馬の顔にがっかり感が浮かぶ。すると、すかさず有里香が頭を振って、わたしの言葉を否定する。

「ち、違うのっ! ほ、本の話っ。河瀬くんは本読んだりする?」

 もちろん、本の話なんて試験の話のツマ程度なのだが、わたしはそれを暴露したりしない。数馬はしばらく考えるように天井を見上げてから、

「本かぁ、芸能人のエッセイくらいなら読むかな。誰かさんと違って」

 と答え、何故かニヤリとして、視線をわたしの方に向けた。いやいや、わたしに振らなくてもいいから、有里香と話しなさいよ。と思うのだけど、思わずわたしも話しに乗ってしまう。

「読むわよ。め、名作文学とか! な、夏目漱石とか手塚……なんとかとか」

「治虫だろ? って言うか、その人マンガ家だし。そもそも、お前ってば、この前マンガも字が多くて嫌だ、なんて言ってたじゃないか!」

「え? わたしそんなこと言ったっけ?」

「ほら、この間すっごい面白い、マンガ勧めたのに、字か多いから嫌だって言ったじゃん」

 そう言えばそんなこともあったかも……と記憶の糸を手繰っていると、目の前の有里香が少しばかりしょんぼりしている。しまった! と思ってももう遅い。彼女としては必死に話題を切り出したのに、それを邪魔してしまったのだ。お邪魔と言うなら、むしろわたしの方かもしれない!

「仲いいのね、二人とも……幼馴染だから仕方ないか」

 有里香は小声で呟くように言った。危うく、わたしと数馬の関係を誤解されそうな勢いだ。わたしは、慌てて机の上に広げたお弁当箱を片付けると、椅子を派手に押しのけて、席を立った。

「あ、そうだ! わたし用があったんだった。ってわけだから……有里香、後は任せた」

 勿論、用事なんてあるわけがない。朝の弟と同じような科白を、あからさまにわざとらしく言うと、あっけにとられてポカンとする二人を残して、わたしはいそいそと教室を出て行った。

 廊下に出てから、足を止め教室の方を振り返る。有里香はお邪魔虫のわたしがいなくなって、ちゃんと数馬とお話できているかしら……。いずれにしても、これ以上、親友の恋路を邪魔してもいけないだろう。なんたって、わたしの幼馴染に恋する親友は、わたしの好きな人の妹なんだから。

 つまり、数馬とお近づきになりたい有里香と同じく、有里香のお兄さんとお近づきになりたいから、わたしも「天文部」に入部したのだ。わたしだって、普通の女の子だから、普通に恋をする。その点誤解なきよう……。


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