29. 最後の星見会
翌日。部室のホワイトボードには、大きな文字で「定例星見会」と書かれていた。そして、部室に集まった、数馬、有里香、ヒロ先輩、そしてわたしの前には、去年と同じく「本年度定例星見会スケジュール」と書かれた冊子が置かれていた。
「今年のテーマは、言わずもがな! われ等が水の星、地球を滅ぼさんとする、あの流星『ベイカー』の観測にある!」
部長の声は、いつになく気迫に満ち満ちており、どこか異様な雰囲気さえ纏っていた。
「観測って、記録とか録るんですか?」
と、数馬が挙手と同時に質問を部長にぶつけた。部長は、丸メガネをくいっと上げて、
「その必要はない! どうせ紙に記録を残しても、仕方がない。この世界に終わりをもたらす凶星の姿をこの目に焼き付けることが大切だ」
と、数馬の質問に答えた。その言葉に、部室が静まり返る。世界の終わり。その言葉を部長の口から聞くのははじめてだった。部長は、いい意味で言えば周りに感化されない自我の強い人。悪い意味で言えば、唯我独尊、ゴーイング・マイ・ウェイな人だ。だから、多分世の中が「世界の終わり」になっても部長だけは、未来を信じていると思っていた。部長も内心は、世界が終わると言うことに怯えているのかもしれない。そう思うと、わたしたちは一様に、次の言葉が思い浮かばなかった。
静けさは、やけに耳に痛かった。今までなら、屋外の運動場を駆け回る運動部の掛け声や、吹奏楽部の練習する音色が聞こえてきていたが、もはや何も聞こえない。学校に残っているのは、わたしたち天文部員を含めて、あと何人くらいだろうか? 日本中の人が、最後のエデンへ詰め掛けて、政府機能のほとんどが麻痺した今、わたしたちは山奥の過疎地に取り残された高齢者のようだった。
「俺たちって、暢気だよな……世界が終わるって時に、星見会なんて」
沈黙を破ったのは、ヒロ先輩だった。いつも、何があっても、微笑みを浮かべていたはずの先輩が、わたしたちには一度も見せたことのないような深刻な顔をしていた。
「未来も希望も、何もかもが一瞬で奪われてく。これが、戦争とか事故なら腹を立てて、怒れば済むけれど、自然の摂理と言うのならなら、『世界の終わり』を受け入れるしかないのかな」
先輩が言葉を紡ぐたびに、部室は暗い雰囲気にとらわれていった。去年の星見会との違い……。それはこの星見会が、最後の星見会になると言うことだと、改めて実感する。
「でも、俺には受け入れることが出来ない。大切な人も守ることが出来ないような、そんな未来を受け入れたくなんかない」
「英、お前が弱気なのは珍しいな」
部長が少し困った顔をする。すると、ヒロ先輩は部長のことをキッとにらみつけ、
「俺は、星見会に参加しない」
と、言い放った。
「だめだ。星見会は原則全員参加だ。女々しいことなんて言わせないぞ。天文の一翼を担う者として、あの流星を目に焼き付けることは、使命だ!」
「何が、使命だ、国木田っ! 俺はお前みたいなマニアじゃない! 最後の時間まで、お前に振り回されるつもりはないぞ!」
突如として、ヒロ先輩が声を荒げた。そして、席から立ち上がると、国木田部長の胸倉をつかむ。感情的に怒鳴るヒロ先輩を見るのも、初めてだった。世界中の人が不安に駆られて投げやりになって、テロや暴動を起こしたり、最後のエデンに押し寄せたりするように、わたしが、死にたくないと思うように、ヒロ先輩の胸中も不安でいっぱいなのだろう。その不安は、いつもの先輩らしさを失わせていた。先輩と部長は売り言葉に買い言葉、いつも部長のわがままに振り回されてきたことへの鬱憤も含めて、先輩は怒りを露にした。
「お兄ちゃん、やめてっ!」
有里香が声をあげ、兄を止めようとする。だけど、妹の静止にも耳を貸さないで、ヒロ先輩の拳は今にも国木田部長の顔面を殴りつけようとしていた。
「あのっ! ヒロ先輩っ!」
わたしは席を立ち、お腹の底から声を張り上げた。ヒロ先輩が手を止める。数馬と有里香、部長の視線がわたしに集中する。
「先輩は……岡崎先輩と一緒にいてあげて下さい!」
「北上さん……?」
先輩はわたしの言葉に驚きが隠せない様子で、目を丸くした。わたしは先輩から目をそらないように必死だった。
「世界の終わりですもの、先輩は好きな人と一緒に最後の時間を過ごしてください。そうじゃないと、永遠に二人は離れ離れになっちゃう。そんなの寂しすぎます!」
「おい、理沙。それでいいのかよ?」
驚いていたのは、ヒロ先輩だけじゃなかった。わたしの隣にすわる数馬は、驚きながらも、声を押し殺して、耳打ちでもするかのようにわたしに囁いた。わたしは、ヒロ先輩の方を見たまま、こくりと頷いた。強く。
「いい……」
強がりだって自分でも分かってる。本当は人生の最後の一瞬をヒロ先輩と二人で過ごせたら、どんなに幸せだろうって思わないわけがない。岡崎先輩には悪いけれど、わたしだってヒロ先輩のことが好きだ。その気持ちは、岡崎先輩になんか負けたりしない。
でも、ヒロ先輩が好きなのは、岡崎先輩で、わたしじゃない……。そんなヒロ先輩を奪うことはわたしには出来そうにもなかった。だから、強がりを言った。先輩のことを諦めようと、心に嘘を吐いた。
「部長、その代わりと言っては何ですけど、ウチの弟が星見会にお邪魔してもいいですか?」
「弟? ああ、文化祭のときに来てた少年か……」
わたしの提案に、部長が思案をめぐらせる。そして、ヒロ先輩とわたしの顔を交互に見比べると、深いため息を吐いてから、「分かった」と、短く言った。
ヒロ先輩がゆっくりと部長の胸倉から手を離し、部長は襟元を直すと、ヒロ先輩とほぼ同時に席に戻った。そして、部長は部員一人ずつの顔をゆっくりと見つめていく。
「河瀬、英妹。お前たちはどうする? 無理に俺のわがままに付き合ってくれる必要はないんだぞ」
と、部長が言うと、急に数馬がニヤニヤとする。
「今度は、部長が気弱になっちゃったんですか? 俺も星見会出ますよ」
「あ、あたしも星見会に出ます!」
数馬と有里香が口をそろえていった。だけど、部長の深刻な顔つきは晴れない。ヒロ先輩に「お前のわがままに振り回されたくない」と言われたのがそうとう効いたのか、冷静になった部長は星見会を開くことにした自分を、少しばかり後悔しているようだった。
「最後くらい、家族と一緒に過ごす方がいいんじゃないか?」
と、部長。
「親の顔なんて、見飽きるくらい見てます。あの世に行っても、忘れられないですもん」
数馬の口調はいたって明るかった。
「あたしも、友達や天文部の仲間と一緒に居たい」
有里香は先輩譲りの優しい微笑みを湛えて部長に言った。
「親不孝者め」
「部長だって、十分親不孝者ですよ。わたしたちみんな、親不孝者。そんでもって、とんでもなく暢気で、とんでもなくアホです。でも、多分世界で一番、星を見るのが好きなんですよ、天文部員らしく」
部長の皮肉に、わたしが皮肉で返すと、数馬と有里香が声を出して笑った。わたしも、笑った。世界が終わるまでもういくばくも時間がないと言うこんな状況だから、笑えたような気がする。
わたしは部長お手製の、星見会の冊子を開く。パソコンで打ち出したその冊子には、こと細かくスケジュールが書かれていた。ふと、その中の一文に目を留める。
「部長っ! またおやつ三百円なんですか!?」
去年のデジャビュがわたしの脳裏を過ぎっていく。すると、部長の顔にいつもの不適な笑みが戻ってくる。
「当たり前だっ!! おやつは古来より、三百円と決まっている!」
その後、星見会のミーティングは、おやつ三百円への疑義を除いて、おおむねすんなりと終わった。それでも、部室を出ると、すでに日は傾きかけており、日中のけだるい熱気が、夕凪に滞っている。ちなみに、今年は部長の意見が通る形となって、遠足の定番ともいえる「おやつは三百円まで」に決定した。
「北上さん」
ミーティングを終えて、部室を出たところで、わたしはヒロ先輩に呼び止められた。それを見て、わたしの傍らに居た数馬が、気を利かせたのか、
「昇降口で待ってるよ」
と言って、さっさと立ち去って行く。昨日、あんなことがあったため、数馬にボディガードよろしく、家まで付き添ってもらう約束になっていた。
数馬の姿が消えると、それを待っていたかのように、先輩が口を開く。
「さっきはごめん」
先輩がわたしに謝るのは多分これが初めてのことだった。
「その、上手くいえないけど、独りで取り乱して、独りで興奮して、みっともないところ見せちゃったな。北上さんが止めてくれなかったら、多分国木田のことを殴ってた」
「ほんっと、みっともなかったですよ……。岡崎先輩が知ったら、幻滅するかもしれませんよ」
わたしはわざと冗談交じりに言った。世界の終わりに、取り乱したりするのは無理のないことだ。大人だって、冷静ではいられなくなってる世の中なんだもの。でも、岡崎先輩はそんなヒロ先輩の姿を見て、幻滅するような人じゃない。だって、わたしもヒロ先輩ことを幻滅していないから。
「北上さん、知ってたんだ。俺と岡崎先輩……千春が付き合ってること」
「そりゃ、好きな人のことなら、なんでも知ってますよ!」
「えっ?」
ヒロ先輩が驚きの声をもらす。わたしは出来るだけ、笑顔を作って、
「わたし、ずっとヒロ先輩のことが好きでした。天文部に入ったのも、先輩のことが好きだったからです」
と、ずっと伝えたかった言葉を、先輩に送った。先輩は恥ずかしそうにしながらも、とても困った顔をする。そりゃそうだよね、だだの後輩としか思ってなかったわたしから、突然告白されても困るだけだよ。わたしが、数馬に告白されたときと同じように。
そして、先輩の答えは決まっている。
「ごめん……。俺、北上さんのことは後輩以上だと思ってない」
先輩は、顔を挙げわたしの目をしっかりと見据えて言った。申し訳ないという気持ちと、わたしの気持ちに気づかなかったことへの贖罪の念もあったのかもしれない。わたしも、先輩から目を逸らさなかった。
「ホントにごめん!」
「そんなに謝らなくてもいいんです。わたし、魅力ない女の子だって分かってますから」
「いや、そんなことは……」
「そういうことにしておいてください! じゃないと、わたし先輩のことを諦められないですから。だから、今は、一分でも、一秒でも、恋人の近くに居てあげてください」
そう言うと、わたしはくるりと踵を返した。そして、先輩が呼び止めようとするのも無視して、走った。全力で走った。逃げ出したんじゃない。走って、先輩への未練がましい気持ちを振り切りたかった。でも、涙がこぼれてくる。
「諦める」なんて、わたしは先輩に嘘を吐いた。誰のための嘘? ヒロ先輩のため? 岡崎先輩のため? それとも、わたしのため? ううん、本当は諦められるわけない! はじめて、本気で恋をしたんだ。毎日、ヒロ先輩のことを考えるだけで、胸が暖かくなったり、切なくなったりした。その先には、人生の最後の日まで、ヒロ先輩の隣に居られると言う未来を信じていたからだ。でも、流星が降るとか、そんなことは関係なく、先輩は岡崎先輩のことが好き。わたしは、どっちにしたって、恋に破れていた。
「うあーん!」
わたしは吹き抜けの渡り廊下まで来たところで足を止め、青空を仰いで泣いた。子どもみたく、声を上げた。誰かに聞かれるかも知れない。それは、とっても恥ずかしいことだけど、今だけは放っといてほしい。でも、それは無理な相談だった。
「理沙?」
わたしが走ってきた部室の方とは反対側から、誰かがわたしの泣き声を聞きつけて、やってくる。涙で潤んだ瞳では、姿形は判別できないけれど、声でそれが有里香だと分かった。
わたしはあわてて、泣くのをやめて、くしゃくしゃになった顔を腕で拭った。
「大丈夫? 何かあったの?」
近寄ってきた有里香は、心配そうにわたしの顔を覗き込む。
「さっき、部室を出たところで、お兄ちゃんに呼び止められてたみたいだけど。お兄ちゃんにヒドイことされたの?」
そう言われて、わたしはあわてて首を左右に振った。有里香は尚も怪訝な顔をする。
「フラれた……」
「えっ? お兄ちゃんに? もしかして、理沙、お兄ちゃんこと好きだったの?」
「うん。でも、きっぱりフラれちゃった」
何とか、作り笑顔を有里香に見せようと思うのだけど、開きっぱなしの涙腺から、ぽろぽろと涙がこぼれてくるばかり。どうしたら止められるのか分からない。わたし、こんなに泣き虫だったかしら……。
「そっか、理沙、お兄ちゃんのこと好きだったんだね。あたし、知らなかった」
有里香は感慨深げに言うと、わたしから離れて、渡り廊下の手すりに寄りかかって、空を見上げた。
「何にも相談してくれないんだもん。もっと早く知ってれば、数馬くんと理沙のこと疑ったりなんかしなかったのに」
「ごめんなさい……!」
「ううん、謝るのはあたしの方。ごめんね、理沙。あたし、理沙のこと、ひどいヤツなんていって、ごめんなさい。理沙は、本気であたしと数馬くんのこと応援してくれてたのに、あたしったら、自分がフラれたことを理沙に八つ当たりしちゃった」
有里香は、わたしの方に振り返った。その顔は、穏やかに微笑んでいた。
「もしも、理沙が許してくれるなら、もう一度友達になってくれる?」
昨日、数馬が言っていたことを思い出す。『この世界が滅んでも、友情だけは失くすな』数馬のお父さんの名言だ。
わたしは、再び零れ落ちそうになる涙を必死でこらえながら、強く、何度も首を縦に振って頷いた。有里香は、顔一面に花を咲かせる。それは、半年振りに見る、親友の笑顔だった。
「よかった、これであたしたち『フラれ仲間』……略してフラれンズだね!」
略してないし、一文字多いし、ナンセンスなネーミングだと思うと、わたしは思わず噴出してしまう。涙は止まらないのに、何だか可笑しくて仕方がなかった。わたしにつられるように、有里香も笑い出す。
「あたしねこのまま世界が終わるの嫌だった。理沙と喧嘩したみたいな状態のまま、さようならなんてしたくなかった」
「わたしも!」
もう一回、今度はごしごしやって、涙を拭う。
「じゃあ、あたしたち世界が終わっても、ずっとずっと、ずーっと友達!」
そう言って、有里香はわたしに手を差し伸べてくれた。わたしもその手をそっと掴む。仲直りの握手。半年振りに笑いあう。やっと、わたしの心の荷物が、降りた瞬間だった。
それから、二人で昇降口まで来ると、スノコにすわってぼんやりとしながらわたしを待っていた数馬が「仲直りしたのか、二人とも?」と驚く。そして、わたしたちが頷くと、心なしかホッとした表情を浮かべた。
ご意見・ご感想などございましたら、お寄せ下さい。