28. メッセージ
「待てよっ!! くそっ!!」
数馬に手を引かれ逃げるわたしの背後から、不良たちの怒声が聞こえてくる。「ぶっ殺す」とか「許さねぇ」とか、汚らしい文言が飛び交う中、わたしたちは、国道を走りぬけた。不良たちはそれでもしつこく追いかけてくる。道行く人は、何事かとわたしたちのほうに視線を集中させた。
振り向く余裕なんてないけれど、きっとその手には恐ろしい凶器が握られているに違いない。捕まれば、数馬もわたしもその凶器で殺されてしまう。
死にたくない!
わたしは必死で走った。走りながら、ふと弟が夢中になっていたゲームを思い出す。地球に衝突する放浪惑星の所為で、ゾンビウィルスに罹った死体が、主人公を食べようと群がる。さしずめ、放浪惑星は流星「ベイカー」、ゾンビウィルスは世界の終わりに対する恐怖と絶望。そして、ゾンビはわたしたちを追いかける不良たち、となぞらえるなら、その奇妙な符号が却って恐ろしいような気がした。
やがて、国道から一本通りを入ると、前方に踏み切りが見える。まるでわたしたちが近づいたのを見計らったかのようなタイミングで、遮断機がカンカンカンとけたたましい音を奏でた。それは、わたしたちにとっては救いのサイレンだった。
「しめた!」
数馬はわたしの手を強く引っ張ると全力で踏み切りに駆け込む。わたしは疲労の蓄積された脚をもつれさせないようにするので必死だった。間一髪! 遮断機が下りる前にわたしたちは踏み切りを渡り終え、そして、わたしたちと不良たちを、黄色と黒のストライプ柄のポールが隔ててくれた。
不良たちも電車に撥ねられて死にたくはないのだろう。踏切を隔てた向こう側で、悔しそうにつばを吐き出している。わたしたちは、そんな不良たちを尻目に、電車が過ぎる前に、駆け出した。いくつもの曲がり角を横切り、交差点を渡り、少しでも不良たちから遠ざかるように……。
「ここまで来れば、大丈夫だろう……ふぅ、危なかった」
そう数馬が言ったのは、学校からも家からもずいぶん離れた場所にある、公園だった。公園と言っても、わたしと数馬が幼いころ一緒に遊んだあの児童公園のような遊具はなく、木々とベンチがあるだけのいこいの広場だ。わたしたちは、背後に警戒の視線をめぐらせて、不良たちが追いかけてこないことを確認してから、手ごろなベンチに腰掛けた。そして、息を整える。心なしか緊張の残った顔で見上げる空は、いつの間にか夕空に変わっていた。
「理沙は無防備過ぎるんだよ。俺が駆けつけなかったら、今頃どうなってたか。いいか、理沙。世界の終わりを前にして、頭のおかしくなってるヤツが少なくないんだ。女の子が独りでフラフラしてたら、あんな変態に絡まれても仕方ないよ。お前だって、それくらい分かってるだろ? もう少し気をつけろよな!」
数馬が目くじらを立ててわたしに説教する。確かに、わたしが無防備だった……。世の中が物騒になり、平和な国の日本でも、テロこそ起きないものの、いろいろな犯罪が横行し、警察権は無に等しい状態。そういうのを、無政府状態といい、まさに世の中が終末の様相を呈していると言っても過言ではない。何を考えているのかも分からないような輩がうろついていることくらい分かっているのに、数馬の言うとおり、わたしがうかつだったとしか言いようがない。
「ごめん」
わたしは自分の両肩を抱いて俯くと、素直に謝った。体中が、悪寒と恐怖に縛り付けられているような感覚。落ち着けば落ち着くほど、自分が置かれていた状況が恐ろしくなる。数馬が助けてくれなかったら、今頃わたしはどんな目にあっていたかも分からない。
それを想像すると、涙が自然にこぼれてきた。辛いとか悲しいという涙ではなくて、恐怖から落ちる涙は、とても冷たい。
「理沙。大丈夫か?」
突然泣き出したわたしに、数馬が不安そうな顔をする。わたしは「大丈夫」と頷いて見せるのだけど、どうしても涙を止められなかった。ぽろぽろと瞳の奥からあふれてきて、わたしは強張った体を震わせた。
わたしが泣き止むまで、たぷり三十分はかかっただろうか。その間、数馬はずっと黙って、わたしの傍に寄り添ってくれた。ようやくわたしの涙が収まると、数馬はポケットからハンカチを取り出し、それをわたしに差し出しながら、
「落ち着いた?」
と、優しい笑顔を浮かべた。ほっとするような、幼馴染の温かい笑顔。わたしは頷きハンカチを受け取ると、頬をそれで拭った。
「理沙が泣くのを見るのは久しぶりだな」
「だって……怖かったんだもん。なんで、わたしなんか襲おうとしたんだろう?」
わたしは鼻をすすり上げながら、あの不良たちの顔を思い出す。いやらしいことが脳の半分以上を占めているようなムカツク顔だ。
すると、数馬は高らかに笑って、
「理沙はさ、自分が思ってるより、ずっと可愛いんだ。だから、あいつらお前に目をつけたんじゃないかな。如何にも抵抗しなさそうだし」
と、言う。わたしが可愛い? そう言えば、武藤さんも「可愛い顔して、キツイことをさらっと言うね」なんて言ってたけど、わたしには自分が可愛いと言う自覚はない。確かに大人しそう、と言われることはよくあるけれど、わたしは有里香や花南、岡崎先輩たちに比べたら、平均的でごくごく平凡な普通の女の子だと思っている。
だけど、面と向かって、可愛いなんて言われると、嬉しいような、恥ずかしいような気持ちになってしまう。それが、兄弟同然だった幼馴染から言われたら、尚更だ。
「そ、それよりも、数馬って喧嘩強かったんだね、知らなかったよ」
わたしは気持ちを悟られないように、わざと話題をそらした。数馬は、そのことに気づいていない。
「まあね。って言っても、テレビとか漫画の見よう見まねでやっただけだよ。上手くいくとは思わなかった。もしもあいつらが最初からナイフを出してたら、きっと俺たち助からなかった。あいつらが、ただの馬鹿で助かったんだ。お互い無事で、ホント何よりだよ」
そう言って、にっこりと笑う数馬の顔は、今までに見たことのないくらい、頼もしく思えた。今の数馬なら、ナイフを振りかざす不良たちなんて、一網打尽にしてしまいそうだ。
「ありがと、数馬」
「何回もお礼なんて言わなくていいよ。理沙らしくない!」
「そう……だよね。わたしらしくないよね」
力なくわたしは微笑み返した。数馬が言う「理沙らしさ」は、どこかへ置き忘れてしまった。それが分かってるから、笑顔も自嘲気味になる。そういう顔はすぐに幼馴染に看破される。
「あのさ、理沙。俺が言ったことで、お前が苦しんでるんだとしたら、ごめん。理沙のことが好きだって言う気持ちは、ホントにホントだけど、好きな女の子が俺の知ってるその子らしくない方が辛い。だから、あのことはもう忘れてくれ」
「忘れていいの? 数馬はそれでいいの?」
「よくはないけど……。理沙が好きだから、理沙の暗い顔なんて見たくない。有里香ちゃんだってそう思ってるはずだよ」
「有里香が?」
唐突に数馬の口から出てきた有里香の名前に、わたしは驚いた。
「うん。あいつ、仲直りしたいんだって。お前と喧嘩したまま、世界の終わりを迎えたくないって言ってたよ」
数馬の話によると、有里香の家もほかの家と同じように、「最後のエデン」と呼ばれる長野へ旅立つことにした。ところが、それに有里香とヒロ先輩が真っ向から反対した。英家でどんなやり取りがあったのかはよく分からないけれど、両親と言い合いになっても、英家の兄妹は、この街に残ると言い張って聞かなかった。根負けした両親は、子どもたちの最後のわがままを聞くことにした。
有里香がこの街に残ると言った理由は、わたしのため。ヒロ先輩がこの街に残ると言ったのは、きっと岡崎先輩のため。
わたしは……わたしはどうしたらいいのだろう……。
「有里香と話したの?」
「うん。嘘ついたこと謝らなきゃって。それで、俺が好きなのは有里香ちゃんじゃないって伝えなきゃいけないって、思ったんだ。世界が終わる前に」
「世界が終わる前に……」
わたしは数馬の言葉の末尾だけを復唱した。その言葉は、ひどく重たいもののように感じられた。
「世界が終わるなんてさ、去年の今頃なんて考えてもみなかったよ。だって、そういうのは、漫画のなかの出来事だって思ってた。でもさ、あっさり、世界は終わりを迎えるんだ。何だか不思議な気持ちしない?」
「うん、するね」
「世界のあちこちじゃ、テロとか暴動とかが起きていて、今日もどこかで誰かが流星に殺されるんじゃなくて、不安に駆られた人間に殺される。でも、それって他人事じゃなくて、俺たちの身の回りにも、お前を襲った不良みたいな変な奴らがたくさんいるんだ。考えてみたら、やっぱり世界は終わるんだって、そういうことなんだって、やっと分かった気がする。それなのにさ、俺たち、ぎくしゃくしたまま終わりたくない。有里香ちゃんとも、お前とも、最後の最後まで友達でいたい。いろんな思い出を持ったまま、一緒にこの世界の終わりを迎えたいんだ」
「心残りってやつ? もしかして、数馬は、そのために最後のエデンへ行かなかったの?」
「うん。それもあるし……大切な友達のお前らがこの街に残るって言うんなら、俺も残りたい。そう思ったんだ。話したら、父さんも母さんもちゃんと分かってくれた。むしろ、親父なんて『この世界が滅んでも、友情だけは失くすな』ってクサイこと言ってさ、こっちが恥ずかしくなっちゃうよ」
「なに言ってるのよ、いいお父さんじゃない。それで? 有里香とはどうなったの?」
と、わたしが尋ねると、数馬は少しだけ間を置いた。
「怒られた。ものすごく怒られた」
恥ずかしそうにはにかんで、言う。
「もちろん、謝ったよ。ごめんって。何と言われても、俺が『理沙と付き合ってる』なんて嘘ついたから、有里香ちゃんは傷ついた。ただ有里香ちゃんをフッただけじゃなくて、有里香ちゃんと理沙の友情まで壊しちゃった。俺って、多分世界一最低ヤローだ」
「最低! だね……数馬のクセに、有里香みたいな可愛い子が一生懸命告白してきたのをフッちゃうなんて、最低だよっ。女心ってやつが全然わかってないね」
わたしがビシっと指摘すると、数馬は困ったような顔をした。
「仕方ないだろう、俺は男だし。それに、有里香ちゃんをフッたのは、俺はお前のことが好きだからで」
「分かってる。でもね、あのね、数馬……」
わたしは再び下を向き、数馬のハンカチを硬く握り締める。言わなくちゃいけない。いつまでも数馬から逃げていちゃいけない。わたしの本当の気持ちを伝えなきゃ、数馬がわたしにそうしてくれたように。
「わたし、ヒロ先輩のことが好き……ずっと、ずっと」
声を震わせてわたしは言った。だから、あなたとは付き合えない。そういう意味で言った。あまりにもヒドイ宣告だけど、それがわたしの気持ち。数馬は空を見上げながら、ため息を吐き出した。そして、苦笑する。
「知ってるよ」
数馬が言った。わたしはびっくりして思わず、口元を両手で覆う。
「天文部でも校舎でも、いつだってお前はヒロ先輩のことを見てた」
「気づいてたの?」
「何年お前の幼馴染やってると思ってるんだよ!」
それもそうか。わたしたちは、十年以上一緒に生きてきた。数馬がわたしのことを好きで、いつもわたしのことを見ていたのなら、気づかないわけがない。
「でも、ヒロ先輩には彼女がいる」
と、わたしが言うと、数馬は再び苦笑して、
「俺たちの恋は、咲くことのない恋ってことか……。光はつねに、一方的に輝き続け、相手には伝わらない」
まるで詩でも朗読するように呟いた。
「昔々、詩人が言った言葉。あの星の光は、遠い宇宙の果てからのメッセージで、俺たちはそのことに気づいていない。だけど、星の光が何万光年も先の地球に届くまでには、何百年という時間がかかる。俺たちが地球でメッセージに気づいたとき、もうその星は宇宙の藻屑と消えているかもしれない」
数馬はわたしを慰めるためにそう言ったのだろうか。それとも、自分たちのおかれた状況を自嘲したのだろうか。ただ静かに、数馬は星空に変わった天を仰いで、続ける。
「世界が終わって、俺たちが永遠に離れ離れになる前に、お互いの気持ちを知れただけでも、この宇宙でメッセージが届かぬまま、滅んでしまう星より、マシなのかもな」
ひどく寂しそうな声だった。わたしは、結果的に数馬をフッたのだ。有里香が必死で数馬に告白したように、数馬もわたしに一生懸命な気持ちで告白したはずだ。告白におけるウェイトは、男の子も女の子も変わりはない。そして、相手に気持ちが届かなかったときのショックも、同じ。
わたしは返す言葉がなかった……。ただ沈黙が流れていく。その沈黙を破ったのは、数馬の携帯電話だった。数馬のポケットで、何だか拍子抜けするほど明るい着信メロディーが流れてくる。数馬はあわてて、携帯電話を取った。
『おい、河瀬っ!!』
受話器越しの国木田部長の怒号が、わたしにまで聞こえてくる。数馬は、一瞬顔をしかめて、受話器から耳を遠ざけた。それでも、スピーカーからは部長の耳をつんざくような声が轟く。
『北上を探すのに、何時間かかってんだっ!! この、のろまっ! とんま! かずま!』
お、韻を踏んでる。
『三十分で探して来いって言ったよな!?』
「いや、いろいろあって、それどころじゃなかったんですよ。すんません」
数馬はわたしが不良たちに襲われそうになったことは、伏せた。
『うむ、素直に謝るなら、赦してやろう。それで、北上は捕まえられたのか?』
「はい、俺の横にいますよ。でも、今から学校に戻っても、もう閉門時間ですよね」
『当たり前だ! まあ、北上がいるなら、北上にも伝えろ』
わざわざ、数馬の口から聞くまでもなく、部長の声は受話器からダダ漏れだ。だけど、それを説明するのは面倒だ、と言わんばかりに、
「理沙に、何を伝えればいいんですか?」
と、数馬が尋ねると、部長は一際よく通る声で、わたしたちの予想をはるかに裏切る命令を叫んだ。
『明日、最後の定例星見会の打ち合わせをやるからな! 明日正午、天文部員、全員部室へ集合!!』
「はぁ? 星見会!?」
「えっ? 星見会!?」
わたしと数馬が驚きの声を上げたのはほぼ同時だった。
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