24. 総理のいいわけ
「わが国は、どのような対処をなさるおつもりなのですか?」
「ですから、それは五月末までに、国民の皆様にお伝えすると言う形で……」
「総理は、三月にもそう仰ってましたが、結局先延ばし。ことは、法案をまとめると言うこととは違うとわかっていらっしゃるのですか?」
「いや、なにも三月に決めろという法律があるわけでもないですから」
「それは、言い訳ではないんですか!?」
「言い訳ではありません。それに、メテオストライクへの対処は、わが国だけのことではなく、米国その他諸外国との歩調を合わせる形と言うのもありまして、五月中旬のサミットまで、難航するのはやむなしと、国民の皆様にも理解いただいているものと存じております」
「でも、国連での議事は結局、各国でその対処を検討する、というなし崩し的な決議が下されました。もはや、外国との共同歩調というような段階ではないのではないですか?」
「いえ、ですから、それは、今後各大臣との閣僚懇談で決めることですので……」
「まだ、そんな悠長なことを仰っているのですか!? 流星はもうそこまで来てるんです。時間はもうないんですよ! 総理!!」
テレビから、リポーターの怒号が聞こえてくる。議事堂のロビーで、わたしたちのリーダー、内閣総理大臣は禿げ上がった頭に汗を浮べていた。いくつものテレビ局や新聞社のマイクが、向けられていると言うよりは突きつけられて、背の低い総理はますます縮こまって見えた。
リポーターが怒るのも無理はない。もう、流星は地球のすぐそこまで迫っている。いつものように、安穏としているわけには行かないのだ。それが、総理というこの国のリーダーに課せられた使命だ。それを放棄すれば、総理はただのハゲオヤジになってしまう。
「なんだか、総理だけが悪者みたいね」
母が、いつもより数時間も遅い朝食のお供に、テレビのニュースを見ながら言った。母としては、一方的に責められている総理に同情したのだろう。だけど、母の隣でパンを齧る弟はテレビの中の総理に向かって辛辣になる。
「そりゃ仕方ないよ。結局、総理はメテオストライクに対して何も考えてないんだもん。国民を守る義務がある総理には、せめて責任だけでも負ってもらわなきゃ」
「あら、タケル随分大人みたいなこというのね。そういう理屈っぽいところは、お父さんそっくりね」
「まあね。それは否定しないけど」
否定しないんだ……。流石は父の後を継いで天文学者になりたいというだけのことはあるな、と二人の話題の外側でパンを齧りながら、わたしは思った。
「実際のところ、みんな流星が降ってきて、地球が消滅するなんて、信じられないんだよ。だから、何とかする方法があるんじゃないか。だったら、なんで政府はそれを早く見つけられないんだって、怒ってるんだ」
弟は妙に冷静な分析を付け加えた。そんなところも父譲りなのだろうか。もっとも、わたしたち家族は、終末を目前にして、いたって平穏な生活を保っている。それは、大学の准教授として天文学者を勤める父が、寝食の時間を削って、仲間たちと何度も計算して出した答えが、「ベイカーは間違いなく、地球と衝突する」というものだったからだ。わたしたち家族は、そんな父の苦労と頑張りを否定したくないのだ。
「信じられない、と言えば……あんたたち、学校へ行くのね、感心感心。さすがわたしの娘と息子だわ」
母は、ニッコリと笑ってわたしたちに言う。わたしたちは、いつも通り、制服に身を包んでいた。と言っても、すでに登校時間は過ぎており、時計の針は二限目が始まっている時刻を指していた。
「別に、ぼくは仲間たちとサッカーの練習しに行くだけだよ。姉ちゃんは?」
と、弟はわたしに振る。わたしは口の中のパンを牛乳で流し込むと、なるべくふたりとは視線を合わせないようにしながら、
「勉強かな……図書室だけは毎日開いてるから」
と答えた。でも、それは真っ赤な嘘。勉強なんてする気はサラサラない。むしろ、図書室へ行っても、星座の図鑑を広げて、ぼんやりとそれを眺めているだけなのだ。
「姉ちゃんが勉強か……こりゃ、明日は季節外れの雹が降るかもね」
「タケル、雹なんか降らなくても、地球には流星が降るわ」
母と弟は、なぜわたしが学校へ行くのか、その心情など知らない。だから、二人して冗談を言い合って笑いあうのだ。
「不謹慎!」
わたしは、母子をまとめて叱責すると、食器を流しに置いて、リビングを出る。横目に見たテレビ画面には、もうリポーターに責められる総理の姿はなく、代わりに、どこかの国のテロ事件を伝えるニュースに切り替わっていた。
わたしは、鞄を携えて、「行ってきます」の声と共に家を出た。鞄の中には、ノートと教科書がおざなりに詰めてある。格好だけ、勉強するようなフリをしているのだ。
とっくに花の散り終えた桜並木の通学路を歩きながら見上げる青空は、すでに春の日差しが、正午に近い場所まで昇っていた。十時過ぎに登校するのは、当たり前のことだけど、初めての経験だ。いつも、早起きが苦手なわたしは、朝が大の苦手で、何度「お昼に登校できたらなあ」と、重役出勤みたいな夢を思い描いたことか。でも、実際こんな時間に登校した感想は、ドキドキもわくわくもしない。ただ、朝とは違う、街全体を包み込んだ異様な静けさだけが、少し怖い。
本当は学校に行く必要はない……。
ヒステリスト三河先生が、その旨を伝えたのは、二年生最初の日だった。教室に現れた先生はいつになく穏やかな口調で
「昨日の職員会議で、本校も自主休校と決まりました。その理由は、みんなも知っている通りです」
と、言った。世界は、あと三ヶ月で終わりを迎える。だから、学校で勉強するよりも、家族と共に過ごす時間を生徒たちに残してやりたい、と先生たちは決めたらしい。言い換えれば、先生たちも、家族と残された時間を過ごしたいと思っているのだろう。
休校を説明する先生の口調はあまりにも、淡々としていた。それを聞く生徒たちも、騒いだりなんかしなかった。言いたいことは山ほどある。今生の別れになるかもしれない。だけど、地球が終わりを迎えるその日が来ることが、あまりにもわたしたちには実感できない。実感できないからこそ、別れの言葉など言いたくないのだ。
そうして、二年生が始まっていきなり、学校は自主通学となった。要するに、学校に来たい人だけ、来なさい。授業はありませんけど、と言うことだ。それは、なにもわたしの通う高校だけじゃなかった。全国の小中学校も、高校も大学も、軒並み店じまいをした。文字通り、母の勤めるパート先も街のお店も次々と店じまいしているのだから、公的機関も店じまいする。
だけど、部屋に篭っていたら、気が滅入る。余計なことばかりが頭の中を過ぎっていく。それは、世界を滅亡に導く流星のこともあるけれど、どちらかといえば、わたしの恋のことが大半を占めていた。
あれから、もう何ヶ月も過ぎた。有里香の失恋、数馬の告白、ヒロ先輩の彼女、怒涛のようなあの日から、わたしは二人の大切な友人と、憧れの人を同時に失った。それは、その後のわたしに暗い影を落とした。ずっと、ブルーになってて、勉強もろくに手につかず、危うく一年生の学年末試験を落とすところだった。
そうして、なんとか二年生に進級しても、有里香とは絶交状態で、数馬とは一言も言葉を交わさない。ヒロ先輩からは逃げ続ける生活が続いた。だったら、有里香たちに出くわすかもしれない学校なんか行かなければいい。もう、学校へ通う通わないは自由なんだ。現に、全校生徒の半分以上の生徒が、学校に来ていない。残された人生を謳歌したいと思う人や、粛々と全うしたいと考える人がいても、それは全然不思議なことなんかじゃない。
それでも、わたしが学校へ行く理由は、きっと心のどこかで、もう一人の自分に逃げちゃダメだと呼びかけられているような気がするからだ。それなのに、この期に及んでもわたしには何の勇気もない。まるで、メテオストライクへの対処がとれない総理と同じだ。なんて、わたしはダメな子なんだろう……。自分が強くないと知ってしまうと、あまりにも脆い自分の姿にわたしは、どんどんわたしらしくなくなっていくのを実感していた。
「世界の終わり……か」
春の穏やかな風に、髪を押さえながら、わたしは呟いた。わたしが、あの日星に願ったことは、もうすぐ現実に変わる。本当に願いたかったのは、『いつか、ヒロ先輩との恋が成就しますように』だったはずなのに。
「叶わないから、願う。願うから叶わない、一体どっちなんだろう」
やがて、前方にすっかり見慣れた、高校の校舎が見えてくる。わたしは、まるで戦場に赴く兵士のような気分で、校門をくぐった。
最終章、スタートです。
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