表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/32

22. ブランコに乗って

 わたしらしくない……。

 北上理沙という女の子がどんな性格なのかは、さて置いても、ウジウジ悩んでいるのは、性に合わない。このまま、何故わたしの所為で有里香が落ち込み、腹を立てているのか分からないままでいたくない。友達のため、なによりわたし自身のために、有里香に何があったのか知らなきゃならない。そんな想いが、わたしを一念発起させた。

 翌日の放課後、さっさと帰宅しようと校舎を出る数馬をひっ捕まえて、「話がある」と半ば無理やりに、学校近くの公園へと向かった。昔、数馬と日暮れまで遊んだ児童公園で、あの頃と変わらないままの遊具は、シーソーもブランコもジャングルジムもさび付いてしまい、今では駆け回る子どもの姿もほとんど見かけない、寂しい場所だ。だけど、人がいないほうが話しやすい。

 わたしたちは、手ごろなベンチがないので、ブランコに座った。不安定な座面に腰掛けて、わたしは空を見上げた。いつもなら、秋らしく夕焼けに空が真っ赤に染まっている時刻。でも、まるで、不穏な空気が胎動するかのように、空にはどんよりとした灰色の分厚い雲が覆いかぶさっていた。

「雨、降りそうだね……」

 わたしが数馬に開口一番発した言葉はそれだった。空を見たままの感想で、あまりにもどうでもいいことだけど、いざ話を始めようとして、わたしはどう切り出すべきか迷ってしまったのだ。言葉を選ばなければ、数馬は怒ってしまうかもしれない。あの冷たい目でわたしを睨みつけるかもしれない。

「そんなのどうでもいいだろう? それで、話って何なんだよ。早くしないと、ホントに雨が降るかも知れないぞ。俺、傘持ってないからな」

 数馬は明らかに不機嫌そうに、曇り空を見上げた。

「う、うん……あのね、有里香、今日もお休みしてたね」

「そうだな。だから何なんだよ。この前のことなら、理沙には関係ないって言っただろ?」

「関係なくないわよ。だって、わたしの所為で、有里香は落ち込んでる。たった一人で部屋に篭って、泣いてるんだもの! 有里香のお母さんもヒロ先輩も困ってるの。ねえ、教えて! 有里香と何があったの?」

 わたしは強い口調で、数馬の目を見て言った。すると、数馬は気まずそうにわたしから視線を逸らした。それが何を意味しているのか、その時点ではわたしには分からなかった。

「それは……その」

 なんだか、数馬の歯切れが悪い。

「デートしたんだよね、有里香と。何処に行ったの?」

「定番のコースだよ。ほら、港町のテーマパークへ行って、お昼食べて、その後埠頭の展望台から港を行きかう船を見てた」

「それで? 有里香は数馬に告白したの? 『好きです』って」

 わたしが核心を問うと、数馬はややあってコクリと頷いた。

「数馬は、なんて答えたの?」

「正直に『ごめん』って言った……あいつには悪いと思ったけど」

 数馬は少しだけ俯いて答える。わたしは思わずその答えに、悪い予感が的中し、ため息を漏らす。数馬のことは、鈍いヤツだとは思っていたけれど、ここまでニブチンだとは思わなかった。

「あんた、もしかして有里香の気持ち、全然気付いてなかったの?」

「そんなはずないだろっ!」

 わたしの考えを裏切ってそう答えると、数馬は強く地面を蹴ってブランコを漕いだ。鎖も金具も錆びたブランコは、数馬が漕ぐたびに、キイキイと耳障りな音を立てる。

「ずっと、有里香ちゃんの気持ちくらい分かってた。そこまで鈍くないよ、俺は」

「じゃあ、何で!? 有里香は可愛いし、とってもいい子だよ。あんたにはもったいないくらい、いい物件だよ。それをフッちゃうなんて、どうかしてるわ」

「そんなこと言われても……俺、好きな子いるし」

 数馬は、ブランコを漕ぎながら、真っ直ぐ空を見上げて言った。それは、わたしの予想の範疇を超えた答えだった。まさか、数馬に好きな女の子がいるなんて、想像もしてみなかった。なるほど、確かにそれなら有里香の告白を断ったしても仕方がないのかもしれない。数馬には数馬の気持ちというものがあるわけで、わたしはそれに気付いていなかった自分が少しだけ恥ずかしくなった。

 だけど、その直後、数馬の口から発せられた言葉は、わたしの恥ずかしさなんて吹き飛ばした。

「俺、お前のことが好きなんだ」

「はい? 今なんて……」

 わたしが呆然としていると、数馬はブランコを止めて、今度はわたしが視線を逸らしたくなるほどしっかりとわたしを見て、もう一度、

「だ、か、らっ!! 理沙が好きだ!」

 と語気を強めて言った。予想とか、そんな言葉なんてどうでもいい。有里香と数馬のことを尋ねていたはずが、話題の方向が唐突にわたしの方に向いたことに、わたしは驚きを隠せなかった。

 あたりの時間が止まった。生活の音が聞こえる町も、さっきまで生暖かい湿った風にざわついていた木々も、しんと静まり返り、長い沈黙が、わたしたちを包み込んでいく。

「ど、ど、どどどうして、そうなるのよっ!!」

「どうしても、こうしてもなくて、俺はずっとずっと昔から、お前のことが好きだったんだよ」

 三度も「好き」と言われたわたしは、平静を保っていられなくなった。幼馴染が急に大人びた顔に見えてくるのが怖くて、わたしは逃げ出したくなった。鞄を持って、ブランコから立ち上がる。だけど、わたしの手を、数馬が掴む。離さない、とでも言わんばかりに強く。

「なあ、理沙は俺のこと嫌い?」

「嫌いとか、好きとか……数馬は、幼馴染の数馬で……その、だから、そういうんじゃなくて」

 混乱した頭で、数馬の手を解こうとするのだけど、上手くいかない。すると、数馬はわたしの言葉に少しだけがっかりしたような顔をした。

「幼馴染の数馬か……。いつまでたっても、俺は『幼馴染の数馬』なんだな」

「だって、わたしたち……」

「俺、有里香ちゃんに言ったんだ。今理沙と付き合ってるから、有里香ちゃんとは付き合えないって……そう言えば、有里香ちゃん諦めてくれると思ったんだ」

 まるで、わたしが何か言い出そうとするのを制止するかのように、数馬が言った。それを聞いてはじめて「全部知ってて、あたしのこと笑ってたんでしょ!」と言う有里香の怒りの意味が、ようやく紐解けた。

「バカっ! どうしてそんな嘘吐いたのよ。そんなこと言ったら、有里香が傷つくって思わなかったの?」

「ごめん、軽率だったと思う……でも、いつかそうなれたらって思ってるのは嘘じゃない。俺は、理沙のことが好きだ」

 数馬は真剣だった。だけど、わたしの頭の中はどんどんパニックになって行った。いままで、ただの幼馴染だと思っていた男の子に、こんな形で告白されるとは夢にも思わなかった。だからと言って、どんな顔をすればいいのか、どんな言葉を返せばいいのか分からない。

 そうして、戸惑いの中でようやく出てきた言葉は、

「わたし、困る!」

 だった。すると、数馬の手がするりと力を失い、解けていった。ほとんど脱力したといってもいいかもしれない。雨を予感させる風が、わたしと数馬の間を駆け抜けていく。わたしはいたたまれなくなって、全力でその場を逃げ出した。

 振り向けば、悲しい顔をした数馬がいる。だけど、わたしには振り向く勇気がなかった。ただ、今は一センチでも、一メートルでも数馬から遠ざかりたい。その一心で、わたしは何処でもいいからとにかく走った。住宅街を駆け抜け、川沿いの土手を走った。

 ぽつり。

 灰色の雲の間から、雨粒がひとつ、わたしの鼻頭に落ちる。

 ぽつり、ぽつり。

 すると、次から次へと舞い落ちた雨は、十秒も立たないうちに、わたしの頭を濡らしていった。傘を持っていないわたしは慌てて、土手下へと降りて、高架の下に駆け込んだ。丁度、頭上の線路を電車が橋を揺らして走っていく。

 一ヶ月ほど前、数馬と一緒に武藤さんを訪ねるために乗ったあの電車だ。あの時、車内で数馬が言った「そっか」の意味、今ならそれが分かる。数馬にとって、わたしが恋する相手はライバルなのだ。そして、わたしの視線が自分に向けられていないと知って、数馬は悔しかったのかもしれない。

 最低だ……。何が最低かって? それはわたしだ。数馬のことをニブチンだなんて言っておいて、十年来の幼馴染の気持ちに気づかなかったわたしは、もっと最低なヤツで、ひどいヤツで、ニブチンだ。

「有里香のこと応援してる」なんて、デリカシーのないこと言って、数馬を傷つけたのも、有里香が「理沙がそんなひどいヤツだとは思わなかった」と言ったのも、全部わたしが悪いのかもしれない。

 わたしが、数馬の気持ちにもっと早く気付いていれば、なんていまさら言っても遅すぎる。結果的に、わたしは有里香と数馬を傷つけた。二人の関係だけじゃなくて、わたしと有里香、わたしと数馬の関係も崩れかけている。

 平穏で、楽しいはずの高校生活を望んでいたわたしは、手にしたものを自分で壊してしまったのだ。それがこんなにも辛い結果になるのならいっそ……。

「あれは……」

 雨にかすむ土手の上。わたしの視界に、青い雨傘が見える。それがヒロ先輩の雨傘だとすぐに分かったわたしは、先輩に声をかけるべきか迷った。そう、わたしには有里香と数馬の問題以外にもうひとつ抱えている、気がかりなことがある。「先約」と、先輩が呼んだ人のことだ。

 わたしが迷っていると、どんどん先輩の雨傘はわたしの方に近づいてくる。ふと、わたしは先輩の隣にもうひとつ人影を見つけた。先輩の隣で、相合傘しているのは、見覚えのある顔だった。

「岡崎先輩……?」

 思わず目を疑いたくなったわたしは、先輩の隣で笑うその人の名前を呟いた。天文部の前部長で、どこかおっとりとした、三年生の岡崎千春先輩だ。

 ヒロ先輩は通学自転車を押しながら、岡崎先輩と楽しそうにおしゃべりしている。二人の声は雨音に邪魔されて、わたしには聞こえない。だけど先輩は一度も見せたことのないような、対等の笑顔を岡崎先輩にみせていた。つまり、「後輩の北上」に向ける微笑ではなくて、「カノジョ」に向ける笑顔。そんな二人の姿を眺めながら、ヒロ先輩の言った「先約」が、岡崎先輩なのはきっと間違いないと確信した。

 何で? 星見会のときは、二人ともそんなそぶりも見せなかったのに……。二人は、恋人なの? いつから、付き合ってるの? いくつもの疑問がわたしを縛り付けて、胸が痛い。何かに心臓をつかまれたみたいに苦しい。

 わたしは呆然としながら、二人を見送った。先輩たちは、高架下で雨宿りするわたしのことなんて気付かない。ただ、恋人同士の楽しげな会話に花を咲かせ、帰り道を並んで歩く。それは、わたしが憧れ、夢にまで見た光景だった。だけど、ヒロ先輩の隣にいるのはわたしじゃなくて、岡崎先輩だ。

 失恋。

 空しい二文字が、わたしの体にまとわりつく。そして、身動きも出来ずに固まった、体と心臓の奥底から、ぐらぐらと何か黒々として暗いものが、湧き出してくる。悪魔も死神も裸足で逃げ出したくなるほどの、悲しみに満ちた思い。

 人生で初めて感じる、苦しみと悲しみに膝を折る。泥の上に座り、わたしは大声で泣いた。子どもみたいに、わんわん泣いた。だけどその泣き声は、頭上を行きかう電車の音でかきけされ、けしてヒロ先輩には届かない。届いたとしても、後輩の北上に振り向いてなんかくれない。だって、先輩の隣には、わたしなんかよりずっと可愛いい恋人が居るんだ。

 わたしは高架の隙間から、雨を降らせる灰色の空を見上げる。そして、分厚い雨雲の彼方、成層圏、引力場、地球軌道の向こう。今も幾千、幾万の星を掻き分けながら、着々と地球を目指す、流星に願った。


『恋することが、これほど苦しいのなら、いっそこんな世界なんて終わってしまえばいい!』


ご意見・ご感想などございましたら、お寄せ下さい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ