20. 友情 (前編)
世界中が、その話題で持ちきりになるまで、それほど長い時間はかからなかった。地球に向けて飛来する流星の名は「ベイカー」。最初にこの『未知の流星』を発見した、アメリカの天文研究所の所長の名前を取って名付けられた。
当初、「ベイカー」のサイズは、直径数十キロと推測されていた。しかし、それは観測上の氷山の一角であり、実態は、夜空に浮かぶ丸いお月さま級の大きさがある。さらに、「ベイカー」はその周囲に小判ザメよろしく、大小いくつもの隕石を伴っていた。
そのニュースを聞いたとき、わたしは初めて、天文学者である父が、大学の研究室に篭りきりである理由が分かったような気がした。父だけではない、全世界の天文学者が、流星の軌道とその衝突を観測し、計算し続けていたのだ。そうして、ついにしかるべき人の口から、その事実は伝えられた。
巨大隕石、いや小惑星「ベイカー」は流星として、地球に衝突する。それが、全世界の天文学者が導き出した答えだった。「ベイカー」が地球に衝突した場合の、破壊力は想像を絶するだろう。わたしたち、素人が知ることの出来ないほどの莫大なエネルギーが生まれ、そして、地球のあらゆる物を抉る。海も大地も、森も街も、人も。きっと、地球は滅びるかもしれない。
絶望的という言葉はあまりに陳腐だけど、子どもにだって分かる「世界の終わり」を予感させるそのニュースは、誰の耳にも真実とは思えなかった。すぐさま、話題は全世界を駆け巡り、ネットは沸騰した。「遅すぎるエイプリルフール」なんて揶揄するものも居れば、これこそ「~が予言した世界の滅亡だ」とカルト的なことをいうもの。冷静な人でさえ、「アメリカの欺瞞に振り回されるな」と言う人と「粛々と運命を受け入れるしかない」という、批判と諦めに二分されていた。それだけ、誰もが絶望的な現実に疑念の目を向けずに入られなかった。
だって、地球が滅びるなんて、ゲームや映画の世界の話で、現実のわたしたちの身の回りに起こるようなこととは、誰だって思えない、思いたくないものだ。万に一つ、天文学者たちが導き出した計算の答えが間違っていたなら、それはあまりにも幸福だと言える。その可能性は、どのくらいなのか、わたしにも誰にも分からなかった。
わたしの周りも、その反応は様々だ。将来、父の後を継いで天文学者になりたいと言う弟は、
「なんだか、あのゲームみたいだね。地中からゾンビが出てくるかもね」
などと楽しげに笑う。要するに信じていないのだろう。
「大変なことになったわね」
と、まるで他人事のように言うのは母だ。母もまた、地球の終わりなんて信じていない。一方、わたしの周りでたった一人、熱く拳を振り上げたのは、国木田部長。
「世界を終わらせる流星なんて、素晴らしいじゃないか! ようやく、俺がこの時代に生まれてきた意味が分かったぞ! 俺は流星が地球に衝突するその瞬間まで、観測し続けてやるっ!!」
少しばかり訳の分からないことを言いながら、興奮に目を輝かせていた。やはり、部長も真摯に地球の終わりなんて、想像もしていないのだろう。
わたしは……わたしもまだ、そのニュースを聞いた時点では、きっと流星が落ちるなんてありえないと思った。後日になって、あの発表は間違いでしたと、アメリカの大統領がテレビの前で陳謝するに決まっている。それだけ、わたしにとっても、「世界の終わり」なんて突拍子もないことだった。
その反応は、「ベイカー」がまだ「未知の流星」と呼ばれていたとき、あの新聞記事を見たときと、大して変わりがなかった。「あわわ、世界が滅びちゃう! どうしようっ」と、焦るのはあまりにもバカらしいことだと、わたしのドライな心が言う。まして、ネットや噂話で熱くなるのはもっとバカらしいと思うのだ。
そんなことよりも、わたしには、わたしにとってのみ重要な懸案がぶら下がっていた。ヒロ先輩のこと、数馬と有里香のこと。文化祭を挟んで、たった数日でわたしの周囲は何故か、随分と様変わりしてしまった。
ヒロ先輩の「先約」のことは気になる。知りたいけれど知りたくないと、行ったり来たりの堂々巡り。一方の数馬は、お前には関係ないと言い切って、わたしには有里香とのデートの結果を教えてくれなかった。だったら有里香に、数馬とのデートかどうなったのか尋ねよう、そう思って学校に向かったけれど、肝心の有里香は欠席していた。風邪を引いた、とのことだけど、昨日の数馬の反応と照らし合わせてみてもやっぱり変だ。わたしは、数馬にもう一度、しつこく食い下がってみた。
だけど、数馬は「うるさい」の一言で、わたしを蹴散らす。わたしの知る限り、こんなに機嫌悪そうな数馬を見るのは初めてだった。
「まさか、あんた、有里香に何かしたんじゃないでしょうねっ!?」
急に嫌な予感が過ぎる。数馬だって、男の子だ。わたしの知らない数馬が、有里香を失望させたなんてことがあったら、有里香の友達として、わたしは数馬を許せない。だけど、数馬は尚更眉をつり上げて、
「何もしてねえよっ!! バカが、お前はっ」
と、さらに火に油を注いでしまった。それから、数馬はずっと、ムスッとしたまま、わたしと視線も合わせてくれなくなってしまった。確かに、バカなことを言ったと思う。十年以上幼馴染として数馬と一緒に過ごしてきて、バカだけど、けして女の子を失望させるようなことはしないヤツだって分かっている。
だけど、どうしてわたしが有里香のことを尋ねるたびに、怖い顔をしてわたしを睨みつけるのか、何で怒ったように言うのか、それが分からない。分からないから、尚、わたしを疑心暗鬼にさせてしまうのだ。
やっぱり、数馬じゃ埒が明かない。風邪のお見舞いとかこつけて、有里香に直接聞いたほうがいいんじゃないか。もしも、数馬が有里香をフッたのだとしたら、有里香を慰めなきゃいけない。それが、友達としての使命だと思う。
待ち遠しい放課後がやってくると、わたしはすぐに帰り支度をして、学校を出た。道中、もう一度有里香に電話を掛けてみるけれど、やっぱり繋がらない。代わりに受話器からは、「電源を切っているか、または」というお決まりの文句が聞こえてくるだけだった。
わたしは、だんだんと不安になってきた。文学少女である有里香の心は、わたしたちが思うよりも繊細で、もしかしたら、悲恋の小説でよくあるパターンに陥っているのじゃないかと。つまり……自ら命を……。いやいや、そんなことはない。有里香はそんなに弱い子じゃないはずだ。失恋したからって、小説の中の心の弱いヒロインに、自分を投影したりなんかしない。
学校を出てから三十分の道のりを小走りに、日暮れ間際になって、わたしは有里香の家にたどり着いた。わたしの家とそれほど変わりない、白い壁と茶色の屋根の、普通の一軒家だ。わたしがここを訪れるのは、これが初めてだった。考えてみれば、目の前の家は、有里香の家であると同時に、彼女の兄であるヒロ先輩の家でもあるのだ。だから、つい遠慮がちになって、今日まで有里香の家に来たことがなかった。
そう思うと、やけに緊張してしまう。呼び鈴を鳴らして、もしもヒロ先輩が出てきたら、わたしはどんな顔をすればいいんだろう。にこやかに笑うことができるだろうか。「先約」の正体に、先輩の彼女という可能性を感じつつ、作り笑いを浮べるなんて芸当、わたしには出来そうにもない。
だけど、有里香のために来たんだ。先輩を恐れていたら、有里香のデートの結果も、数馬が怒る理由も分からないままだ。
意を決して、呼び鈴を鳴らす。ややあって、雑音混じりに、インターホンから声が聞こえてきた。
「はい、どちら様ですか?」
ヒロ先輩じゃない。女の人の声だ。でも、有里香の声でもない。それが、有里香とヒロ先輩のお母さんの声だと、気付くのにそれほど時間はかからなかった。
「あ、あのっ。わたし、有里香さんと同じ学校の、北上理沙っていいます。その、有里香さんが、風邪で学校をお休みしてるって聞いて、お見舞いに来ました」
と、わたしが言うと、玄関扉がガチャリと開く。現れたのは、有里香と何処となく似ている女性だった。
「あらあら、どうもわざわざ、お見舞いに来てくれたのね。どうぞ、上がってくださいな」
有里香のお母さんは、丁寧な口調で、わたしを家に招いてくれた。
「あの子、昨日帰ってきてから、様子が変なのよ。ずっと部屋に鍵を掛けて閉じこもってて……」
わたしのために、スリッパを出してくれながら、有里香のお母さんは不安と心配の入り混じった声で言う。
「時々、泣き声が聞こえてきて。どうしたの? って聞いても、何も言ってくれなくて……北上さんは何かご存じないかしら?」
「すみません……」
わたしは「知らない」と頭を左右に振った。だけど、もう大方の予想はついていた。有里香が、数馬とのデートから帰ってくるなり、部屋に閉じこもって泣いているというのは、あの数馬のバカが、有里香をフッたんだ。
ありえないと思っていたことが現実のものとなる……。
わたしは、スリッパを履くと、有里香のお母さんに案内されて、玄関ホールから伸びる階段を上がった。二階には三つの部屋があり、ひとつはヒロ先輩の部屋。どうやら、玄関にも靴はなかったし、ヒロ先輩はまだ帰宅していないらしい。そして、もうひとつは有里香の両親の部屋。そして、廊下の一番奥、扉の前にアルファベットで「YURIKA's Room」と書かれているのが、有里香の部屋だった。
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