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19. 地球最後の日

 文化祭の翌日、有里香の決意を目の当たりにしたわたしは、意気地も勇気もない自分に、半ば愕然としながら、振り替え休日を棒に振った。一日中部屋でぼんやりとして、好きな音楽を聴いても騒がしいだけだし、ファッション雑誌を開いても写真を目で追うのがやっとだ。そんなわたしの頭の中のほぼ九十パーセントを支配するのは、先輩のことと、有里香たちのことだった。

 夕方になって、わたしは有里香に電話を掛けた。告白の成否を尋ねるのは、ずっと二人を応援し、見守り続けてきた友達としての義務であり、権利だと思う。だけど、何度コールしても、いっこうに有里香の携帯電話に繋がらない。これは、首尾よく言ったと捉えるべきなのか、それとも数馬のバカが有里香を降ったと考えるべきなのか、ちょっと困ってしまった。

 だけど、後者である可能性はきわめて低い。いくら数馬が鈍いヤツでも、面と向かって女の子から「好きです」と言われれば、無下に断ったり出来ないはずだ。それも、相手は見ず知らずの初対面の子じゃなくて、半年あまり共に過ごしてきた天文部の仲間でもある有里香なのだ。しかも、有里香とは夏休みに一緒に勉強したり、文化祭で展示物を作ったりした仲なのだから、告白されれば、数馬だってまんざらじゃないはず。

「ま、明日学校で聞けばいいか……」

 とわたしは独りで納得して、繋がらない携帯電話を閉じた。それから、部屋の隅の掛け時計を見て、時間をチェック。母がパートから帰ってくるのは、七時過ぎ。まだ、夕飯までは時間があるし、ここはひとつ気分転換でもしよう、と決めたわたしはシャツの皺を手で伸ばして、櫛で髪を解いた。出かけるには、時刻が遅すぎる気もしたけれど、近所のコンビニなら歩いてすぐだから構わないだろう。

 部屋を出て、リビングに下りると、弟がひとり暗がりの中でテレビゲームに夢中になっていた。あたりには、脱ぎ散らかした制服と、汗と泥に汚れた体操服の詰まったバッグが散乱しており、学校から帰ってくるなり、ゲームのスイッチを入れたと見える。

「タケル、電気くらいつけなさいよ。目が悪くなるよ」

 と言いながら、わたしはリビングの電灯をつけた。

「それから、あんたの汗まみれで臭い汚れ物は、帰ってきたらすぐに洗濯機に入れてって、お母さんにいつも言われてるでしょ。あと、今日の課題はやったの?」

 すると、弟は画面に視線を送ったまま、背中を向けて、「あとで」と言った。有里香いわく、わたしが妙なところでドライなら、この弟は妙なところで子どもっぽい。

「小学生じゃないんだから、ちゃんとやってよね」

 わたしは、ため息混じりに、愚弟を叱った。弟が食い入るように見つめるテレビ画面には、やたらと気持ちの悪いゾンビが、こちらに向かってのそりのそりと歩いてくる、ホラー映画さながらの光景が映し出されていた。弟は、画面手前にいる鉄砲を持った男を操り、ゾンビをバンバン撃ってやっつけて行く。コントローラーをさばく弟は、さも自分がゾンビに立ち向かうヒーローのようなつもりでいるのだろう。ゲームを全然やらないわたしとしては、すばやい反射神経でコントローラーにくっついたいくつものボタンを押し分けていく様は、すごいなと感心してしまう。もちろん、褒めているわけじゃない。そんなゲーム何処が面白いのか、わたしにはちっとも分からない。だから、弟の散らかしたものを片付けながら思わず口をついて、

「そんな気持ちの悪いゲーム、よくやるね」

 と、半ば悪態を吐く。その瞬間、弟はゾンビに食べられた。正確に言えば、弟の操る鉄砲を持ったヒーローが、ゾンビに食べられたのだ。そして、おどろおどろしい音楽と共に、血まみれの画面に切り替わると、中央に「ゲームオーバー」と表示される。

「もーっ!! 姉ちゃんの所為で、負けちゃったじゃないかっ!!」

 弟が振り返って、わたしを睨む。わたしの所為と言われても困る。

「ご愁傷様」

「このゲームが気持ち悪いだけかどうかは、姉ちゃんもやってみれば分かるよ!」

 と、弟はわたしに向かってゲームのパッケージを突きつける。タイトルは「地球最後の日」、地球に迫り来る倍はあろうかと言う惑星と、それを見上げる男の後ろに群がるゾンビの群れという、半ば脈絡のないシュールなイラストが描かれていた。

「このゲームはね」

 唐突に、弟の解説が始まる。どうやらわたしに「気持ち悪い」と非難されたことが腹に据えかねたらしい。

「フィリップ・ワイリーとエドウィン・パーマーが書いた、アメリカの有名なSF小説、『地球最後の日』をモチーフにしてるんだ。ある日、地球に放浪惑星が接近。そのままだと、地球に衝突すると知った人類は、地球を脱出するために宇宙船を作る。ところが、放浪惑星の接近によって、地殻が変動し、地球の地下に眠っていた『ゾンビ・ウィルス』が眼を覚ます。ゾンビウィルスに感染した死者は、次々とゾンビになって、人間を襲うんだ。そんな中、辺境の村に取り残された元海兵隊員が、銃を片手に地球を離れようとする宇宙船にたどり着くために、ゾンビの群れの中を駆けていく、ってストーリーなんだよ。どう、壮大でしょ?」

「壮大と言うより、荒唐無稽ね」

「随分難しい言葉を使うんだな、姉ちゃんは。でも、マジでおもしろいんだって、このゲーム。ゾンビを撃ち殺す爽快感と、タイムリミットまでに逃げ遅れた人を助けながら、宇宙船までたどり着くハラハラした緊張感」

 やや興奮気味に、弟が熱弁を振るう。その姿に、あんたはそのゲームのセールスマンか、とツッコミたくなったが、それを抑えて素っ気無く、

「ふーん、それで? 宇宙船に間に合わなかったらどうなるの?」

 と尋ねてみる。

「どっかーんっ!!」

 突然弟は大きな声をあげ、両手を広げて爆発を体全体で表現した。

「放浪惑星が地球に衝突して、プレイヤーもろとも、地球が崩壊するんだよ。もちろん、ゾンビに食べられてもゲームオーバーだけどね。どう、興味湧いてきた? 姉ちゃんもやってみたら?」

「遠慮する」

 地球が滅びるなんて説明を受けて、興味が湧くわけはない。どうせ、わたしがプレイしても、ゾンビに食べられちゃうか、地球が滅びて終わるに決まってる。そんな寝覚めの悪いゲーム、こっちから願い下げだ。

「わたし、ちょっと出かけてくるから。お母さんが帰ってくる前に、ちゃんと宿題やっておくのよ」

 とわたしが叱咤すると、弟は頬を膨らませながら、

「なんだか、姉ちゃん、母さんとそっくりだよ」

 と不満を口にする。でも、わたしはそれを無視した。

「別にいいのよ、怒られるのはあんただから。わたしは、庇ってあげないからね。ゾンビもいいけど、お母さんの方がもっと怖いぞ」

 ニヤリ。ちょっとだけ意地悪な言い方で弟に言うと、弟は少しだけ頬を膨らませて、「はあい」と間延びした返事を返し、ゲームのスイッチを切った。

 わたしは、弟の汚れ物を洗濯機に投げ込むと、家を出た。弟と下らないゲームの話をしていたら、すっかり空は夜空に変わっている。秋の夜は暮れる早いと言うが、わたしはそれをまざまざと体感しながら、夜空をながめつつ、コンビニを目指した。

 コンビニへは、徒歩で五分とかからない。すぐに青と緑の看板が見えてきた。コンビニという場所は、行く当てのない若者を、必然的にかつ機械的に受け入れてくれる。それは即ち、暇を潰すにはうってつけの場所ということだ。

 などと論文のようなことを頭の中で思い浮かべながら、わたしは、無愛想な店員の「いらっしゃいませ」を素通りして、雑誌コーナーに向かった。読みたい雑誌があるわけでもない。適当に、マンガ雑誌を開いて、絵柄だけを目で追う。

 店内には、陽気なラジオ放送が流れていた。なんだかねちっこい喋り方をするパーソナリティが、メールやはがきを紹介していく。中には、奇妙なラジオネームの手紙があったり、やけに真剣な悩みをパーソナリティに相談する人もいる。そのどれも、ねちっこく「そんなに悩んじゃいけないぜ、ベイベー」と事も無げに片付けていくパーソナリティの、よく言えば敏腕、悪く言えば適当なあしらいに、思わずわたしは苦笑したくなった。

 やがて、リクエストのヒット曲が終わると、パーソナリティの「ここで、七時のニュースをお届けするぜ。番組は十五分後。チャンネルはそのままにしてくれよな、ベイベー」という声が聞こえてくる。わたしは、雑誌を棚に戻して、店の奥に掛けられた時計に目をやった。パーソナリティの言うとおり、時計の針はジャスト七時を示している。

 そろそろ、母が帰ってくる時刻だな。わたしは、このまま何も買わずコンビニを後にすることに気が引けて、いつ食べるか分からないジュースとお菓子を買うと、コンビニを出た。

「わっ!」

 唐突に眼前が何かに塞がれる。それが人影だと気付く前に、わたしはその人とぶつかってしまった。その拍子に、足をとられ危うく尻餅をつきそうになる。だけど、わたしのお尻に痛みが走ることはなかった。ぶつかった相手の人が、わたしの腕を掴んで転ぶのを防いでくれたのだ。

「すみません。ありがとうございます」

 お礼を述べながら、わたしは顔を上げる。すると、そこにいるのは、見知らぬ人ではなく、数馬だった。数馬もぶつかった相手がわたしだと気付き、

「なんだ、理沙か。びっくりさせないでくれよ!」

 と、苦笑しながらわたしの腕を掴んだ手を離した。

「それはこっちの科白よ。だいたいぼんやりして歩いてるあんたが悪いのよっ」

 わたしはそう憎まれ口を叩きながら、数馬の周りをきょろきょろする。だけど、そこにわたしの探す人はいない。そう、有里香の姿だ。

「あれ? 有里香はどうしたの?」

 わたしが問うと、数馬はやや怪訝な顔つきをする。

「有里香ちゃん?」

「あんたたち、今日デートしてたんでしょ? ちゃんと、送っていったんでしょうね?」

「どうして、理沙がそのこと知ってるんだよ!?」

 数馬が、驚きの声を上げる。どうやら、本当に有里香は数馬をデートに誘い出したらしい。しかし、どうも数馬の顔は晴れ晴れとしていない。わたしの脳裏に嫌な予感が走った。

「どうしてって、そりゃ有里香から直接聞いたから……。まさか、あんた、有里香のことフッたりなんかしてないわよね?」

「関係ないだろ」

 やけにぶっきらぼうな言い方で、数馬がわたしから視線を逸らす。嫌な予感が更に深くなっていく。

「関係なくないわよ。わたし、ずっと数馬と有里香のこと応援してたんだよ」

「なんで、理沙が応援なんかするんだよっ!?」

 急に数馬は声を荒げた。数馬の刺々しく尖った怒鳴り声を聞くのは初めてで、わたしは驚きと共に怯えてしまう。

「な、なんでって、わたしにとって、有里香は友達だし……。それに、あんたは幼馴染で……。だから、二人が上手くいったら、嬉しいなって思ったからよ」

 と、わたしが理由を述べると、数馬はとても怖い顔をしてわたしをにらみ付けた。

「なんで、理沙がそんなこと言うんだよっ! くそっ!!」

 数馬はそう言うと、苛つきながら地面を蹴飛ばした。そして、わたしとは視線も合わせずに、去っていく。コンビニの入り口に取り残されたわたしは、何故怒鳴られたり睨まれたりしなきゃいけないのか、全く訳が分かないまま、数馬の去り行く背中を見送るしかなかった。

 なんだか良く分からないままに、家に帰ると、弟がお母さんに叱られていた。「助けてほしい」という懇願の眼差しをわたしに向けるが、わたしの忠告を聞かなかった罰だ。「頑張れ、未来のノーベル賞」と目配せして、さっさと自室へ駆け上がった。

 すぐに、携帯電話を開いて、有里香に電話する。だけど、やっぱり繋がらない。今度は、数馬に電話してみる。だけど、数馬も電話に出てくれない。一体二人に何があったのか、わたしには全然分からなかった。有里香は告白したんだろうか? もしかしたら数馬は有里香をフッたんじゃないだろうか。疑念と不安が渦を巻く。

 コンビニに行く前に、モヤモヤしていた気分は、コンビニに行って更に、増してしまった。わたしは、そんな重度のモヤモヤを抱えたまま、繋がらない携帯電話を片手に、色々な邪推をめぐらしながら、眠りについた。

 モヤモヤを抱えたまま見る夢は、あまり心地よいものじゃない。結局、よく眠れないまま、翌朝がやって来る。もしも、数馬が有里香のことをフッたとしたら、学校で数馬や有里香と顔をあわせるのが気まずい。ひどく気が重く感じる。

 だけど、学校へ行かないわけにはいかない。行って、事情を数馬か有里香のどちらからか聞きださないことには、わたしはずっとモヤモヤを引きずったままで居なきゃならなくなる。そんなのは嫌だ。

 クロゼット鏡の前で、制服に着替えたわたしは、「よしっ!」と自分に言い聞かせた。そして階下へと降りる。いつもの朝食の食卓。父は相変わらず、大学に篭りきりで不在だけど、母と弟はすでにパンを齧っていた。だけど、不意に二人の口が止まり、まるで吸い寄せられるかのように、テレビ画面に夢中になる。

「おはよう。どうしたのよ、二人とも」

 わたしがあくび混じりに言うと、弟が振り返る。その顔は血相を抱えていた。

「ね、姉ちゃん! これっ」

 そう言うと、弟はテレビを指差した。テレビには、朝のニュース番組が映し出されている。いつもなら、可愛いお天気お姉さんが、全国の天気予報を伝えている時刻、画面の前にはさわやかな笑顔が人気のアナウンサーが、いつになく真剣な顔つきで、手元の原稿を読み上げていた。

「速報です。本日、日本時間午前八時。NASA、アメリカ航空宇宙局と、アメリカ大統領が連名で異例の文書を全世界に向けて、発表しました。文書によりますと、現在、非常に大型の流星が地球に向かって飛来しており、このままの針路をとれば、間違いなく流星は地球に衝突する、とのことです。なお、流星の大きさは、ほぼ月に匹敵するほどで、衝突すれば……」

 アナウンサーも信じがたいニュースに戸惑いを隠せないみたいだった。その流星こそが、あの新聞の片隅に載っていた、「未知の流星」であることに気付いたのはもう少し後のこと。

 ただ、わたしはそのあまりにも現実感を伴わないニュースに、弟が夢中になっていたテレビゲームのタイトルを思い出す。

 地球最後の日……。

今回の話で登場した「地球最後の日」というのは、ご存知の方も多いかと思われますが、実在する本です。ゾンビは出てきませんが。


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