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18. 有里香の決意

「お疲れさん」

 部長のその一言で、文化祭は終わった。すでに、外は夕闇に包まれており、三々五々に帰っていくお客さんたちの姿が見受けられた。

「北上は、後夜祭に出るのか?」

 と、天文部の展示に来た人の署名用紙が馳せられたバインダーを片手に、部長がわたしに尋ねる。署名用紙には、母と弟の名前をはじめとして、いくつもの名前が記されており、当初の予想を上回る人数が訪れてくれたことに、部長はほくほく顔だった。なにせ、天文部の活動の成果を内部はもちろん、外部に紹介する機会は、文化祭のこの日しかないのだ。そして、たくさんの人たちが展示を見に来てくれたと言うことは、端的に言って、天文部の活動が表かれたことに他ならない。

「何か言いましたか?」

 部長の問いかけが聞き取れなかったわたしが尋ね返すと、部長はほくほく顔の片隅を少しだけしかめて、

「だから、後夜祭だよ、後夜祭。もしも、後夜祭に出ないんだったら、片付けを手伝ってもらおうかと思って」

 と、言って部屋中に掲げられた、模造紙を指差した。ちなみに、後夜祭と言うのは、文化祭の締めくくりに、校長先生の挨拶と、その後の打ち上げを指す。もちろん、高校生のわたしたちは未成年だから、打ち上げと言ってもお酒を飲んだりはしない。売れ残りのジュースや食べ物を持ち寄って、下校時刻まで騒ぐだけなのだ。騒いだりするのが苦手なわたしは、もちろん後夜祭に出るつもりもないし。このモヤモヤした気持ちを引きずったまま、後夜祭にでて、もしもヒロ先輩にでくわしたりなんかしたら、どんな顔をすればいいのか分からない。先輩の隣に、「先約」がいたりなんかしたら尚更だ。

「べつに、後夜祭に出るつもりはありませんけど……、でも片付けなら明後日やるんでしょ? だったら、なにも今からしなくてもいいじゃないですか」

 わたしがそう言うと、部長は「だからだよ」と言い返す。文化祭が終わった明日は振り替え休日で、明後日の月曜日の午前中が文化祭の後片付けに当てられている。だから、何もせっかちに今から片付ける必要はないと、わたしは思うのだけど、部長の考えは違うらしい。

「お前だって、クラスの片付けとかあるだろう。それに、今からやっておけば、後々楽になるじゃないか。どうも、北上は安穏としていていけないな」

 せっかちな部長らしいと言えばそうだが、わたし自身は安穏としているつもりはない。しかし、ここで「分かりました」と返せば、わたしは新たに部長から仕事を命じられてしまう。いまは、それに従える気分じゃなかった。

「あ、やっぱりわたし後夜祭出ます。って言うか、有里香と約束してたの忘れてました!」

 嘯いたわたしは、部長が引き止める前に、小走りで大教室から逃げ出した。心の中では「ごめんなさい、部長」と叫びながら。

 だけど、逃げ出したところで、行く当てはない。クラスに戻って鞄を持ってさっさと家に帰ろうか、荘思いながらも、わたしの足は自然と屋上へと向かっていた。普段は閉じられている屋上の扉も、文化祭の間は開放されている。ほとんどの生徒が後夜祭に参加している今の時間なら、屋上に行けば独りになれるかもしれないと言う期待もあった。

 重い鉄扉を開くと、秋の風がわたしの髪と制服のスカートをなびかせる。案の定、屋上には人っ子一人いない。グラウンドを背にする屋上はとても静かで、どこかお祭りの熱とは、かけ離れた空間だった。わたしは星見会の時に望遠鏡を並べた辺りまで歩き、手すりにもたれかかって、眼下に広がる街並みを眺めた。太陽は遠い山並みに消え、僅かに残る茜色の空には、一番星が輝いている。いわゆる、マジックアワーだ。街のあちこちには、夕食の支度をする明かりがぽつぽつと灯っている。

「はぁ」

 わたしはため息をついた。丁度、母たちに聞かれたため息と同じような、重いため息だ。つい数ヶ月前、こんなに胸を痛ませながら、ここから宵の街並みを眺めるなんて思っても見なかった。先輩と二人、我慢大会みたいな星見会で、並んで星を観測したのが、遠い昔のことのように思えてくるのは、あまりにも滑稽だった。

 ポケットで、携帯電話のバイブレーターが震える。取り出すと、液晶画面には有里香の名前と、メールの着信を知らせる記号が点滅している。

『理沙、何処にいるの? もう帰ったの?』

 メールを読んだわたしは、一瞬迷ったけれど、正直に所在を伝えた。すると、数分もしないうちに、屋上の扉が開いて、有里香が現れる。いつもどおりの、ニコニコ顔に輪を掛けて、嬉しさが滲むような笑顔だ。

「いたいた。さっき、展示室へ行ったら、部長が帰ったっていうから」

「部長怒ってた?」

「そりゃもう、ヒステリスト先生みたいだったよ『北上め、片付け放り出して逃げやがった!』ってね」

 有里香は冗談交じりに言いながら、わたしの隣にやって来る。そして、わたしがそうしたように手すりにもたれて、街並みをぐるりと見渡した。

「いつ見ても、眺めがいいよねここ。いつも開放してくれればいいのに」

 と、有里香が言う。

「安全上の都合ってヤツでしょ? 屋上に上がって気持ちいいのは、今のシーズンまでで、冬になったら木枯らしをまともに受けるだけで、つまらないと思うよ」

 わたしが答えると、有里香は声を立てて苦笑した。笑うところなんてひとつもないのに。

「理沙って妙なところで、ドライなんだから。でも、あたしは知ってるよ。理沙は自分や他人が思ってるより結構冷めてなんかいないって」

「何を根拠に……」

「そりゃ、友達だもん。分かるわよ」

 友達……。その言葉に、わたしも同意したい。だけど、わたしにとっては、それと同時に、有里香はわたしの好きな人の妹と言う、微妙な立場にいる人なのだ。もっとも、有里香はそんなこと知りもしない。まさか友達の理沙が、自分の兄に恋しているなんて、知ったら有里香はどんな風に思うだろう。

 もしも今わたしが、「ねぇ、ヒロ先輩って彼女いたりするのかな?」なんて、「先約」の正体を探ろうものなら、有里香はわたしの気持ちに気付き「もしかして、理沙ってば、お兄ちゃんのこと好きなの?」と返ってくるだろう。察しのいい有里香なら、目に浮かぶ光景だ。そして、その後この友達が示すであろう行動を、わたしは知りたくない。世昆で受け入れてくれるばかりとは限らないだろう。それは、「先約」の正体が「先輩の彼女」であることと同じくらい、怖いことなのだ。友達を信じられないんじゃない。ただ単に、わたしが臆病なだけなのだ。

「どうしたの? なんだか、今日一日ぼんやりしっぱなしね」

 わたしの隣で怪訝な顔をする有里香。わたしは取り繕うように、笑顔を見せて、

「そんなことより、何か用があるんでしょう? 数馬と後夜祭行かなくて良かったの?」

 と、あからさまに話題を逸らした。だけど、有里香はそのことに気付かない。

「うん、数馬くんは『理沙も一緒にみんなで後夜祭に行こう』って誘ってくれたんだけど、ほら、あたしも騒がしいのはちょっと苦手だし、それに、理沙に話したいことがあったし」

「わたしに話したいこと?」

「うん。……あのね、理沙」

 急に改まって、有里香は真剣な顔をしてわたしを見る。

「理沙って、好きな男の子いる?」

「はい? 何よ、藪から棒に!?」

 思わず、わたしは声のトーンを上げてしまった。脈絡のない有里香の問いに、驚きを隠せない。

「その、たとえば。たとえばの話……数馬くんとか」

 一体何が言いたいのか分からないわたしは、有里香のとんでもない発言に噴出してしまう。

「ないないっ!! 数馬のこと好きになるなんて、ありえないよ。わたしにとって、あいつはタケルと一緒で、弟みたいなもんだから。もう、変なコトいわないでよっ!!」

 なんだか、今日はありえないことを言われる日だ。弟には部長のことが好きなのかと言われ、有里香からは数馬のことが好きなのかと問われる。どちらも、わたしにはありえないことだ。

「だから、たとえばの話って言ったじゃん。でもでも、あたしのクラスの子が見たって言うのよ。数馬くんと理沙が楽しそうに、ファーストフードのお店でデートしてたって」

 有里香の瞳は疑念が篭っている。その口調はまるで、探偵か刑事のようだった。しかし、見に覚えのないことを言われても困る。人違いじゃないの? と言いかけて、ふと思い出す。そう言えば、武藤さんに会いに行ったあの日、お礼代わりに、数馬とファーストフードのお店で昼食をとったことを思い出す。それ以外に、思い当たる節はない。きっと、その時、誰かがわたしたちのことを目撃したのだろう。

「違う。デートなんかじゃないよ。たまたまだよ。ほら、一緒にお昼食べてただけ。有里香だって、友達と一緒にご飯食べたりするでしょ? あれと同じよ。さっきも言ったけど、数馬は幼馴染で、弟みたいなものなの。友達であっても、わたしの好きな人じゃ断じてないから」

「ホントに?」

「ホントだってば。もう、有里香ってば疑い深いのね。だいたい、有里香が数馬のこと好きだって知ってるのに、それを邪魔したりなんかしないわよ。だって、わたしたち友達でしょ?」

 わたしがそう言うと、ようやく、有里香の疑惑の眼差しはスルスルとほどけていった。

「良かった。理沙のこと疑いたくはなかったんだけど……ごめんね」

 有里香がわたしに向かって両手を合わせる。わたしの心はチクリと痛んだ。

「き、気にしないで、有里香。まったくもう、悪いのは数馬だよ! 有里香がこんなに数馬のこと想ってるのに、気付かないあいつが悪い!」

「だよね。……だから、あたし思い切って、数馬くんに告白する!」

 これがマンガなら、有里香の背後には、「ババーン」と大きな文字が描かれそうだ。

「夏休みと文化祭であたしたち、随分近づいたと思うの。だから、あと一押しが必要なんだって、気付いた。ほら、恋愛は駆け引きっていうじゃない? だから、数馬くんにちゃんとあたしの気持ちを知ってもらいたいの。もしも、ごめんって言われたとしても、このまま天文部の仲間でいたくない」

 有里香は固い決意をわたしに伝える。それが、有里香の話したかったことだった。天文部に入ったばかりの春、わたしたちは好きな相手こそ違うけれど、お互いに同じ恋愛のスタートラインに立っていた。だけど、秋が深まる頃、有里香ついに告白に踏み切ろうとする。その勇気溢れる決意は、もはや奥手だなんて言えない。

 一方で、わたしは予期せぬ「先約」の登場で、いつの間にか有里香のずっと後を追いかけている。そして進展もないまま、むしろ交代といっても過言ではなかった。

「有里香くらい可愛かったら、あのニブチンの数馬だって断ったりなんかしないわよ。頑張って、わたし応援してるわ!」

 ぐっと胸の前で拳を握って、有里香にエールを送る。有里香は、可愛く微笑むと「ありがとう」と返した。本当は、内心心の中はざわついていた。有里香と数馬が上手くいくことは、これ以上嬉しいことはない。友達と幼馴染には、幸せになってほしいというのは、嘘偽りない、わたしの本心だ。

 だけど、わたしとヒロ先輩は……。

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