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14. ハピネス・ハイツ

 日曜日。朝からわたしは制服に袖を通した。もはや着慣れたもので、ほとんど私服じゃないかと、自分でも錯覚してしまうほどだ。ブラウスにかかるリボンも、地味なチェックのスカートも、これはこれで可愛いのかもしれないと思うくらいだから、末期症状かもしれない。なにせ、夏休み以来、ほとんど毎日制服を着ているのだから、そう思ったとしても仕方がないことだ。

 ダイニングに下りると、朝食の食卓には父の姿はなく、母と弟がおんなじ顔して、テレビに目をやりながら、パンを齧っていた。そして、ダイニングに現れたわたしの姿を見るなり、

「寝ぼけてるの?」

 と、口を揃える。もちろん、寝ぼけてなんかいない。いくらわたしがアホでも、日曜日にまで学校に行きたいとは思わない。

 そう、今日は件の大先輩「ムトウヤシロ」に会いに行くのだ。文化祭の一環として、会いに行くのだから、制服を着ていったほうが良いだろう、と言うのは、国木田部長からの助言だ。ついでに、「北上は制服が似合ってる」なんて言われた。ヒロ先輩に言われたのなら、天にも昇る気持ちだけど、部長に言われたのでは取って付けたような科白にしか聞こえない。

 具体的に言えば、わたしは不機嫌だった。精神的重労働に夏休みを返上した挙句、今度は顔も知らない大先輩に面会してこいだなんて、横暴だ! 絶対王政だ! 部長権限の濫用だ! と革命児のように声を荒げたくなる。しかし、本当に声には出さないところが、わたしの賢しいところで、要は無駄な波風を立てたくない。

 わたしは、唖然とする母と弟を尻目に、食器棚からコップを取り出し、弟から牛乳パックをかっさらうと、それを並々と注いだ。そして、一気に喉に流し込む。

「行って来ます!」

 わざと棘のある口調で、二人にそう言うと、流しにコップを置いて、さっさと家を出た。きっと、母と弟は狐につままれたような顔をしていることだろう。いったい、理沙は日曜日に制服を着て何処へ行くつもりなのか、と。

 そんな家族のことなんてどうでも良い。家を出ると、秋の柔らかな日差しが差し込む、家の前の通りを、学校とは反対に歩き出す。行き先は駅だ。部長から手渡された汚い文字のメモ書きにあった、ムトウヤシロ大先輩の住所は、わたしの住む街から電車に乗って、六つも先の駅がある街だった。

 自腹で行けといわれれば、即答で断った。高校一年生にとって、六駅分の電車賃はバカにならない。しかし、そこはきっちりとした部長、ちゃんと部費からわたしの電車賃を出してくれた。

 しかし、それでも、面倒を通り越して、気が重い。人見知りっ子なつもりはないけれど、どんな相手かもわからないような人に、会いに行くのはあまり得意じゃない。まして、ムトウさんが気難しい相手だったら……と思えば思うほど、駅への道を歩く足取りも重くなってくる。

 いずれにしても、あのノートを見る限り、国木田部長のような天文マニアで、天文学者の父と同類の人間だと言うことだけははっきりしている。だけど、わたしはと言えば、まるで素人。「未知の流星」の話が聞けたとしても、わたしに理解できるかどうかの自身はなかった。きっと、部長の人選ミスで終わることになるだろう。

 そんな予感に胸をもやもやさせていると、視界に駅前のロータリーが見えてくる。まるでアメリカの草原に立つ家のような佇まいと赤い屋根が特徴的な、レトロな雰囲気が漂う小さな駅舎だ。

 わたしは、タクシーと路線バスの止まるロータリーを迂回する。ふと、ホームの入り口に、見慣れた姿があることに気付く。相手も、わたしがやってきたことに気付くと、満面の笑みを浮べて、「おおーい、理沙こっちこっち!!」と大きく手を振った。流石に、往来でそれに応える度胸はない。わたしは、小走りにそいつのもとに駆け寄ると、

「やめてよ、数馬! 恥ずかしいじゃない!」

 と、あたりをきょろきょろしながら、数馬を咎めた。数馬は手を下ろしながら「どうして?」という顔でわたしの方を見る。すれ違う人たちは、そんなわたしたちのやり取りを見て、「あの二人、恋人どうしなのかしら」なんて思うんじゃないかと、わたしは気が気でない。ただの幼馴染で腐れ縁の数馬と、そう思われるのは嫌だし、有里香にも悪い気がした。

「どうして、あんたがここにいるのよ?」

 とりあえず、切符を買いながら、数馬に問いかける。数馬も、わたしと同じ切符を券売機で購入する。もちろん、彼の電車賃は自腹だ。

「そりゃ、独りでムトウさんに会いに行くの、心細いんじゃないかと思って、気を利かせたんだよ。感謝しろよ」

 数馬は、駅舎に不釣合いな自動改札に切符を通しながら答えた。

「あんたは、有里香と一緒に、展示物の製作をやる係りでしょ?」

「でも、今日は日曜日だぜ。学校開いてないからな……だから、俺も一緒に行ってやるよ」

 とちょっとだけ、恩着せがましい口ぶりで言う数馬の格好は、わたしと同じく制服姿だ。どうやら、本当に気を利かせてくれたらしい。ムトウさんに会いに行くのを気が重い、と思っていたわたしとしては、予期せぬ救世主の登場に、少しばかり驚いた。

 プラットホームに二人して並ぶ。すぐに、構内に列車到着のベルが鳴り響き、陽炎の向こうに続く線路からグリーンの列車がやって来る。

「白線の内側までお下がり下さい」

 という、駅長のマニュアル通りの科白ともに、わたしたちの前に列車は到着した。日曜日ということもあり客足はそれなりで、席はどこも埋まっていた。そして、列車の中は、楽しげな会話で満たされている。日曜日に、制服を着て電車に乗り込むわたしたちは、どこか場違いな空気をかもし出していた。

 わたしたちは、ドアの前に立つと、手すりを掴み、走り出した列車の窓の外を流れる、街の景色に目をやった。

「はぁ、ヒロ先輩と一緒ならなぁ……」

 思わず愚痴が出る。わたしの愚痴を耳ざとくキャッチした数馬は、いささか憮然とした顔で、

「何だよ。最近口を開けば、ヒロ先輩のことばかりだな! せっかく、俺がお伴してやってるって言うのに、ありがとうくらい言えよな」

 とわたしを叱る。数馬の言い分ももっともだ。数馬は数馬なりに、夏休みを返上した上に、新たな任務を仰せつかった、幼馴染のわたしに気を利かせてくれたのだ。でも、見慣れすぎた顔と二人きりというのは、なんだかデートみたいで嫌だ、と思うのがわたしの本音。だから、そんな捻くれた性格からは、憎まれ口くらいしか出てこない。

「そりゃ、ありがと。でも、わたしはついてきて、なんて頼んでないけどね」

「ひっでえな。昔は、もっと大人しくて、俺のこと『カズくん、カズくん』って呼んでたのにな。人間変われば変わるもんだな」

 数馬が遠い目をして言う。

「はぁ? それいつの話よ?」

 わたしが呆れ顔で尋ねると、数馬は記憶の糸を手繰り寄せながら「小学一年のころ」と言う。たしかに、そういう時代もあった。それは遠い昔の話だけど、わたしにとって数馬は家族の次に親しい、大切な友達で、今もそれだけは変わらない。

「まあ、胸だけはあのころと全然かわらず、ぺったんこだけどな」

 ニヤニヤとしながら、数馬が要らない一言を付け加える。人が一番気にしてることを、さらりと言いやがって!

「セクハラっ!!」

 わたしは、きつく睨みつけて、数馬の足を蹴飛ばした。つま先が、見事に数馬の「弁慶のなきどころ」にヒットする。数馬は「ぎゃっ!」と悲鳴を上げてしゃがみこんだ。痛みからか、数馬の目じりには、薄く涙が滲んでいた。

「天罰よ、天罰。しばらく、大人しくもがいてなさい!」

 そう言い放つと、わたしは再び車窓の外を眺めた。流れる秋の町並み。甍に反射する太陽の光も、夏の頃よりも幾分か優しくなっている。それでも、雲ひとつない晴れ空は、午後からの気温上昇を予言しているかのようだった。

「なあ……理沙」

 痛みから立ち直った数馬が、やけに真剣な声色になる。

「理沙ってもしかして……ヒロ先輩のこと、好きなのか?」

 唐突な質問。わたしは驚きを隠せず、目を見開いた。何処でどうなって、数馬の口からその質問が飛び出してきたのかは分からなかったけれど、数馬の口調にはどこか確信めいたものがあり、どちらかといえば、質問というよりは、確認に近いような気がした。

 もちろん、わたしは即座に否定する。「そんなわけないじゃない!」と言って見せたところで、わたしの動揺は隠せるはずもなく、しどろもどろするわたしの姿は、更に数馬に確信を与えてしまった。

「そっか……」

 と言った数馬の「そっか」が一体何を意味しているのか、わたしには図りかねた。

 そのあと、会話は一向に続かなかった。数馬は冗談なんか口にもせず、押し黙って何かを考えている。わたしは、外の風景を眺めるのにも飽きて、車内で電車のゆれに合わせてぴらぴらする、吊り広告をぼんやりと眺めていた。

 やがて、目的の駅にたどり着く。電車を降りるなり、数馬は元の笑顔に戻って、

「よし、早速、ムトウさんの家へ行こうぜ」

 と声高に、張り切ってみせる。一体何のつもりなのだろう。突然「ヒロ先輩が好きなのか」と訊いてきてきたかと思うと、押し黙って考え事をして、そして今はムトウさんの家を探すため張り切っている。わたしは、なんだかどっと疲れたような感覚に見舞われた。

 だけど、こんな遠方まで出かけてきたのは、疲れるためではない。駅を出たところで、わたしは大きくかぶりを振って気を取り直し、ムトウさんの家を探すことにした。

 降り立った駅の前に広がるのは、静かな住宅街だ。だけど、閑静なという形容詞は似合わない。どちらかといえば、元気のない町並みだった。遠くには、工場の煙突が何本も立ち、白煙を上げている。この街に住む人たちには失礼かもしれないが、ひどく空気の悪く、全体的なコントラストが灰色した街だと、わたしは思った。  「探検と洒落込みたい」という数馬は、手当たり次第に街を散策しようとわたしに提案したけれど、闇雲に歩いて無駄骨になるのを嫌がったわたしは、駅の近くの交番に立ち寄って、住所の所在を尋ねた。

 おかげで、街について三十分足らずで、ムトウさんの住む場所を発見できた。

「本当にここか……?」

 ムトウさんの住まいを見上げる数馬が訝るのも無理はない。わたしたちの眼前にあるのは、モルタルが剥げ落ち、昔は赤色をしていたであろう屋根が褪せてしまっている、今にも崩れてしまいそうなボロアパートだった。

「ハピネス・ハイツって、壁に書いてあるから、ここであってると思うよ……」

 わたしもいささか不安になる。ハピネスどころか、サッドネスなこのアパートに、人が住んでいるとは到底思えなかったけれど、部長のメモには確かにここの住所か書き記されていた。

 錆付いて赤茶色になった鉄の階段を登る。いまにも、踏み板が抜け落ちてしまいそうで、恐る恐る、まるで忍者のような足取りで二階の真ん中の部屋へ。ベニヤの捲れ上がった扉には、ネームプレートが取り付けられており、そこにはマジックで「武藤社」と書かれていた。

「むとうしゃ? 会社の名前?」

 思わずわたしは、すっとぼけたことを口にしてしまう。隣で、数馬が苦笑しながら、「むとうやしろ、だろ? 社って書いて、やしろって読むんだよ」と注釈を返してくる。

「そ、それくらい分かってるわよ!」

 数馬にツッコまれて悔しいわたしが、口答えするけれど、数馬はそんなわたしを無視して、武藤さんの部屋のドアをノックする。

 こんこんっ。返事はない。お留守かな? 

 こんこんっ。今度はわたしがノックする。すると、部屋の奥から、衣擦れの音、息を殺した気配を感じた。

「居留守のつもりか? おおーい、武藤さん! 俺たち、怪しいもんじゃありません!」

 数馬が力いっぱい、ドアを叩いた。ドンドンっという音が当たりに響き渡る。それくらい、この街は静かなのだ。

「あーもう、うるせえなっ!!」

 部屋の中から、不機嫌そのものの声が聞こえてくる。そして、ややあって、扉の鍵が外れたかと思うと、勢いよくドアが開け放たれ、髭面の男がわたしたちの前に姿を現した。

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